三 視線
「赤い瞳のひとというのは、霊を感じることができるでしょう。わたしも、祓い屋の血筋なので、霊を五感でとらえられますし、話をすることもできます、とさきほど申したんですが……」
柳は視線をさまよわせ、片手を頭のうしろへやった。
「じつは近頃だめなんです。霊をとらえづらくなっていて……」
ざらりと、川辺の枝葉がゆれて、隙間に霊がまたちらついた。葉末はゆっくり、まばたきをした。
「さようにございますか、それは……」
仕事をするのに困ることだろう。そう思ったとき、気がついた。
「だから、赤い目をお求めに」
「はい」
柳はうなずいた。まるでうなだれるようだった。
「でも、半分やけくそで。そんな紙も、一枚しか書いていません。まさかほんとうに赤い瞳のひとと会えるとは、まったく思っていなかったので」
「そうだったのですね」
「そうなんです」
困ったように笑うのを見て、なんだか胸がぎゅっとした。このひとも、どうしようもないのだろう。どうして、そうなってしまったのだろうか。気持ちが顔に出ていたのだろう、柳が察したように言いだした。
「霊をとらえにくくなるのは、感情が関係しているんです」
「感情……」
「ええ、感情です。情が薄くなってくると、霊も感じにくくなります」
柳はさらりと言うが、それは喜怒哀楽やそのほかを、感じにくくなっているということだろう。そうなると、霊もとらえづらくなるのだ。
「仕事なのに情けないことです」
「いいえ」
きっぱりと首を横に振る。葉末は風呂敷包みを抱きしめた。
「情けなくなどありません。それは柳さまが、いろいろなことに懸命に取り組まれてきたからでしょう。少しお疲れになっているのです。適切にお休みになれるなら、もどられるかと存じます」
すっかりもとどおりになることは、もしかするとないかもしれない。それでも、疲れはとれていくはずだ。葉末が言いきると柳は、なぜだかふいに視線を外した。そして明るい声を発した。
「情が薄いとか言う者のこと、おそろしいとは思わないんですか?」
「え?」
「でも……、ほんとうにその紙、やけくそになって書いたんですよ……やけくそになって、こんな夜更けにほっつき歩いたりしてたんです……、だからほんとうに会えるだなんて、まさか……それも水瀬さんのような、お嬢さんでいらっしゃるなんて……」
「わたしは、お嬢さんではありません」
葉末はふたたび言い張ったが、柳も頑固に首を振る。
「いいえ、お嬢さんでしょう」
それは、とんでもないことだ。失礼ながらこのひとは、ほんもののお嬢さんというものをいままで見たことがないらしい。葉末の仕えた鞠子嬢は、しぐさもことばつきもしとやかで、いつも変わらずしなやかだ。散ることも褪せることもない、桜の花の化身のようで、いつまでも見つめていられるくらいにたおやかでうつくしいひとなのである。葉末はなにやらむきになり、声を張って言い返した。
「お嬢さんのわけがありません」
「でも」
「お嬢さんではありません」
葉末はお嬢さんではない。ほんもののお嬢さんはいま、原因不明の病に侵され、熱を出して苦しんでいる。それがこの不吉に光る赤い瞳のせいではないかと、口に出さずともそのような空気が邸の中には漂っていた。そうにちがいないと、葉末は思った。そうでなくとも、いわくつきの女中が邸にいると噂が立てば、月方男爵家の威信にかかわる。だから飛び出してきたのである。頼りにしたのは拾った紙だけ。その紙もあまりあてにならないと、ほんとうはちゃんとわかっていた。その紙を書いたひとと通りで出くわし、話をすることになるなどとは、露ほども思っていなかった。
いま目の前に立つ若者は、己とおなじく霊を感じ、霊を祓う仕事をしているひとだ。しかし霊を感じにくくなり、困ってやけを起こしたように赤い瞳の者を求めた。境遇が少し、似ている気がした。通りの土を踏んでいた葉末は、踏み出して橋の板に立った。柳さま、と名前を呼んだ。柳がちいさく肩を揺らした。
「ぜひ、こちら紙のとおりに、お力添えさせていただけませんか」
「でも……」
「わたしはお嬢さんではありませんし、じつは身寄りがないのです」
白状すると、柳は声もなく目を剥いた。だが、葉末の顔と荷物を見比べると、そういえばそうかというような顔で幾度もまばたきし始めた。年ごろの娘が荷物を抱え、夜半にほっつき歩いていれば身寄りがあるほうがおかしいだろう、と思い至ったようである。そんな柳のわかりやすさが、なんだか少しほほえましくなる。葉末はその目をしっかりと見た。
「こちらには、赤い瞳の者には衣食住を保障するかわりに、協力してほしいとあります。ぜひ、わたくしをこちらの枠に入れていただきたく存じます。柳さまの感覚が、もどるまででかまいません」
ずうずうしいことだとはわかっている。いくら紙に書いてあったとはいえ、いくら力を貸すとはいえ、衣食住を保障しろと迫っているようなものなのだ。でも、ほかに頼るところがない。いまひと晩の宿さえないのだ。怪しい輩も逃げ出すような、怪しい目をしてはいるけれど。
「わたくしは女中をしておりました。お手伝いできることはいたします。といってもできることは少ないのですが、炊事や掃除、洗濯など……」
「待って」
にわかに大声で、柳が葉末をさえぎった。その勢いに口をつぐむと、柳はすみませんと呟き、幾度も首を横に振った。
「そんなことはかまいません。お願いしなければいけないのは、わたしのほうです。水瀬さん」
え、と思わず一音洩らすと、柳は腰を折り曲げて、葉末に深く頭をさげた。
「お願いします。どうか、わたしにあなたの力を貸してください」
力強い口調で言うと、顔をあげる。とたんにしっかりと目が合い、葉末は思わずたじろいだ。
「その代わり、その紙のとおり衣食住には困らせません。かといって、衣はお好みのものがないかもしれませんし、食もたいしたものが出せませんし、それより住がわたしの家のひと部屋ということになるんですが……」
それから柳は一転して、頭をぐしゃぐしゃと掻き回し始める。
「それにやっぱり……水瀬さんのようなお嬢さんを、家に住まわせるなんていうのは……」
確かに、ひとへの説明に困る。お嬢さんではないけれど。気づいた葉末は、つい口走った。
「では、弟子というのはどうでしょう」
「弟子」
「はい。お祓い屋さんの弟子です。お弟子さんはとっておられませんか」
「ええ、あまり……血筋のことですから……」
そういえば、そうだった。葉末は顎に手を当てた。どうか力を貸してくれと、頭をさげさせたことに対して返事をすることも忘れ、どうしたものかと考えてしまう。ほどなくして、葉末は天啓を受け、思わずぱんと手を打った。夜更けの空によく響いた。葉末は柳をひたりと見据え、腹から声出し提案をした。
「柳さま。結婚しませんか」
鞠子嬢が言っていた。そもそも結婚というのは、物語の中のように好いた者同士でするものではない。政略や打算によって、縁を結んでおくものなのだと。
「あくまで便宜上のことです、ですからご迷惑でなければ……あ」
葉末は、打ちのめされた。己が提案したことの、あまりに突拍子のないことを、あまりに失礼極まりないことを、遅れて悟ってしまったのだ。かっと頭に血がのぼり、足が細かくふるえ始める。相手の顔を見られない。己の下駄の鼻緒を見つめ、葉末は山のように悔やんだ。ときおり、このようなおそろしいことをやってしまうのが己なのだ。頭を殴りつけてやりたい。どうせ無礼を働いたなら、いっそ走り去ってしまおうか、そんな考えがよぎったとき、ふっと、やわらかく耳をくすぐった。柳の笑い声だった。
はっとして、顔をあげてしまう。ふわり、前髪を風に遊ばせ、柳はそっとほほえんでいた。月影の差すその静けさに、葉末は思わず目を奪われた。
「おもしろいことをおっしゃいますね」
柳は楽しげにそう言った。声には朗らかさがもどっていて、葉末はいくらか安堵する。柳は乱れた髪を整え、気楽な調子で葉末にこたえた。
「いくら便宜上だとしても、水瀬さんのようなお嬢さんと結婚するわけにはいきません。だから、それじゃあ弟子にしましょう。説明しないといけないひとも、じつはあまりいないんですが」
「はい……」
「では、その紙のとおりに。わたしは水瀬さんの暮らしをたすける。水瀬さんはわたしの仕事をたすける。そういうことで、よろしいですか」
覗き込むように問うてくるので、葉末は幾度もうなずいた。橋のまんなかに立つ柳に、ゆっくりと近づいた。柳は少しだけあとずさり、みずからの顔を指差した。
「じゃあ、依頼を受けたときや、だれかほかのひとがいるときは、師匠と呼んでくださいね」
冗談めかして言いながら、袖をひらりとひるがえす。
「行きましょうか。もう遅いですし」
橋を渡りきる柳の背中を、葉末は慌てて追いかけた。赤い着流しを川辺の明かりがぼんやりと照らし出していた。




