二十四 銀色
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つぎの日は気持ちよく晴れて、真っ青な空に白飯のような入道雲が映えていた。葉末は柳とともに邸を出て、町の甘味処にやってきた。甘味処というよりは、ハイカラな喫茶店である。床に敷かれた絨毯も、とりどりの椅子やテーブルも、窓のステンドグラスを透かした淡い日差しに照らされていた。
葉末は窓際の席に柳と向かい合って座り、フリルのついた前掛けをした店員のひとが運んできた、華奢なカップを見つめていた。中はレースのような湯気をくゆらせる紅茶で満たされ、ゆらいでいる。
「水瀬さん、紅茶ははじめてですか?」
向かいの柳が問うてくる。少し意外そうな顔をしている。葉末は首を横に振った。
「いえ、はじめてではありません」
「そうですよね、月方男爵家では、紅茶もよく出そうです」
「はい、鞠子お嬢さまと一緒に、お菓子と合わせていただいたこともあります」
「そうですか」
「はい、でも、これは……」
葉末は顔をあげ、柳を見た。目をまるめ、続きを待っている柳は、やはりステンドグラスを通したうすあかい光を浴びており、いつもとちがう雰囲気に思える。格好はいつもと変わらないのに、なんともふしぎなことだった。葉末は紅茶に目をもどし、もごもごと弁解した。
「わたくし、喫茶店に来るのははじめてで……」
鞠子嬢が行ったというのは、話に聞いたことはある。どのようなところなのか、詳しく教えてもらったことも。けれども己が体験するのは、これがはじめてのことだった。柳がくすりと、ちいさく笑う。
「そうでしたか、なるほど、そうだったんですね。それで緊張しているんですか?」
「緊張、というか……」
葉末はあたりを見渡した。周囲には洋装のひとも多く、それぞれなんの気負いもなさそうに飲みものや食べものを楽しんでいる。店の中にはあまり慣れない、けれどもおなかの空くような香りがいっぱいに漂っていた。あまやかで、なんだか眠たくもなってしまう香りだ。すん、と鼻を動かすと、柳がまた笑みをこぼした。
「バターの香りですね」
「はい……」
これも知っていることだった。バターを使ったビスケットやクッキーを食べたことだってある。しかし、喫茶店という場所で嗅ぐと、新しいもののような気がするのだった。というより、こんなにも新鮮なのは、目の前にいる柳のせいなのかもしれない。ふとよぎったその考えに、葉末は妙に納得した。喫茶店に来たのもはじめてだが、柳と出かけるのもはじめてなのだ。それに。
「そういえばきょうは、紅をさしているんですね」
柳がみずからの唇を指で示しながら言った。葉末はどきりとして、うなずいた。柳は、似合っていますねと笑う。葉末はまた紅茶を見つめた。
きょうは出かけるということで、鞠子嬢からもらった紅を使ってみることにしたのだ。鞠子嬢は町へ行って紅を買ったとき、おみやげだと言って葉末のぶんも選んできてくれたのだった。いままでもったいなくて使えていなかったのだが、今回、勇気を出してさしてみた。きょうはとにかく、はじめてのことが多い。それで緊張してしまっている。髪は奥方から贈られた櫛で整えているし、母の形見の財布も持っている。だいじなものをたくさん抱えて、はじめてのおでかけだったのだ。
「紅茶、冷めてしまいますよ。いただきましょうか」
柳は余裕そうに言って、そっとカップを取りあげた。葉末はうなずき、カップに手をかける。ゆっくりと持ちあげて口をつけると、ふわりと豊かな香りに包まれた。
「おいしい」
「ええ、おいしいですね」
柳が光の中でほほえむ。葉末はカップについた紅を指の先でそっと拭った。ちょうどそのころ、お待たせいたしましたと声がして、テーブルに菓子が運ばれてきた。葉末は思わず目をまるくした。それは、ほんとうにはじめて見るものだったのだ。
「これが、ぷでぃんぐ」
「はい。プディングです」
「きれい」
思わずことばが洩れる。それはつややかな菓子だった。銀色の浅いグラスに似た皿に、高く盛られている。まるい、黄色い羊羹のようなつやつやとしたものの上に、濃いめに淹れたほうじ茶のような色のソースがかかっている。そしてそれが、皿を動かすたびにぷるんぷるんとゆれるのだ。
「どうぞ、食べてみてください」
柳がどこかいたずらっぽく言う。葉末は吸い寄せられるように、よく磨かれた銀色のスプーンを手に取った。おそるおそるすくってみると、プディングはやはりふるりとゆれる。口に運べば、やさしいあまさが口いっぱいに広がった。とろりとしたソースはほろ苦く、なんともいえない芳醇さがある。そしてひんやりと喉ごしがよく、葉末は、己の両の瞳がきらりとかがやいたのを感じた。
「おいしいですか?」
「はい、おいしいです!」
幾度もうなずいてみせる。柳はなんだか満足そうな顔をして、大きめのひとくちをすくって食べた。
「うん、ほんとうにおいしいですね。あまり頻繁には来られないけど、たまにご褒美にはいいでしょう」
そう言って、ぱくぱくと食べている。葉末はいちどスプーンを置いた。もったいなくて、そんなに急にたくさんは食べられない。柳の食べっぷりを眺めていると、入り口のベルがちりんと鳴った。なんの気なしに顔を向け、葉末は思わず立ちあがった。店の中に入ってきたのは、それはあのうつくしいひとだった。
「お嬢さま」
気づくと、葉末は呼んでいた。一緒に来店した数人の中でも、葉末には鞠子嬢だけが、浮きあがるように見えていた。鞠子嬢は下げ髪をゆらして、ふわりとこちらをかえりみる。その目は大きくみひらかれていた。
「葉末……?」
そう呟くが早いか、鞠子嬢は葉末に駆け寄ってきた。淡紅の袖がふくらみ、広がって目の前にやってくる。
「葉末じゃないの。元気にしていて?」
鞠子嬢は葉末の手を握り、花ひらくような笑顔を見せた。葉末は胸がいっぱいになり、大きくうなずくことしかできない。葉末が最後に見た鞠子嬢は、原因不明の病にかかり、熱を出して苦しんでいた。それがこんなにすこやかそうな、笑みを浮かべて立っている。けれども、葉末ははっと気づいて、鞠子嬢の手を離しうしろへさがった。また鞠子嬢のそばに寄っては、病を再発させてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けたいのだ。
「お嬢さま、申し訳ありません……」
すると鞠子嬢はおっとりと、けれど力強く首を振った。
「葉末。謝ることなんかないわ。わたくしはあなたを待っているからね。あとふた月もしたら、呼びもどすのだから。いいわね」
「お嬢さま────」
「お祓い屋さん」
鞠子嬢はゆったりと身体の向きを変え、柳のほうを見る。柳も立ちあがっていた。鞠子嬢はにこりと笑んだ。
「葉末のこと、よろしく頼みますよ」
「はい、お嬢さま。お任せください」
柳がまるで家臣のように、折り目正しく頭をさげる。鞠子嬢は物腰やわらかで、ひとをなごやかな気持ちにさせる。しかしときどきこのように、女王さまみたくなるときがあるのだ。鞠子嬢は葉末に向きなおり、ふふっと含み笑いを洩らした。
「それではまた会いましょうね、葉末。それからその紅、よく似合うわよ」
言いのこして身を翻し、パンプスを控えめに鳴らして、鞠子嬢は去っていった。




