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赤い瞳とお祓い屋  作者: 相宮祐紀
第三章 幼恋の痕
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十八  両腕

「だいじょうぶですか」

 葉末《はずえ》は慌てて腰を浮かせた。吉﨑(よしざき)穣《みのる》は前のめりになり、胸もとをおさえて咳をしている。けれども葉末のほうを見て、だいじょうぶと口を動かした。白い腕がさらに絡みつき、かぐわしい香りを醸しはじめる。寿々(すず)と似ているようで、異なる。寿々よりもあまく粘度があって、花の蜜を思わせる香りだ。

「水瀬《みなせ》さん。霊のようすは」

 吉﨑穣の背をさすりつつ、柳《やなぎ》が静かに問うてくる。葉末はすとんと腰を落ち着け、腕のほうに意識を集中させた。細くたおやかな両腕は、吉﨑穣にすがりつき、ぎゅうぎゅうと締めつけているようだった。

「白い、きれいな女人の腕が、吉﨑さまをうしろからしっかりと抱きしめています」

 葉末は柳にそう伝えた。

「腕」

 柳はくり返し、ようやく咳がおさまった吉﨑穣をなだめている。吉﨑穣は大きく息をつき、みずからを抱え込むようにした。

「さむい……」

 うしろを振り向きながら、吉﨑穣は不安げに呟く。あたりまえのことながら、彼には白い腕が視えていない。腕は少し力をゆるめながらも、離れるようすを少しも見せない。葉末はさらに目を凝らした。文吉のときのように、全体が視えればよいのだが。

「なにか、声をかけてみてください」

 柳が吉﨑穣にじぶんの羽織をかけながら言う。霊障の寒さは布をかけてもやわらぐことはないのだろう。いままでの柳の話から、葉末はそのように推測した。しかし羽織で包まれると、気持ちが楽になるかもしれない。葉末はふるえる吉﨑穣に、ひとつ大きくうなずいてみせた。

「いまからうしろにいるかたに、ご挨拶をいたしますね、吉﨑さま」

「はい、はい、おねがいします……」

 返事を受けとり、息を吸い込む。やはり濃厚な、あまやかな香りが胸の奥のほうまでを満たす。それを吐き出すようにして、葉末は華奢な腕に声をかけた。

「こんばんは。わたくしは水瀬葉末と申します。よろしければ、あなたさまのおなまえを教えていただけませんでしょうか」

 ほそやかな指に力がこもり、吉﨑穣の衿もとをたぐる。吉﨑穣はまた咳き込んで、さむいんです、と細く洩らした。

「近頃、ときどき咳が出て、寒気がするときが、あるんです」

 切れ切れになりながら、吉﨑穣は柳に話す。

「医者などに、かかりましても、異常はないと言われるのです。それに寒さが、風邪のようなときと、少しちがうような気がしますので……」

「そうでしたか。わかりました」

 柳は吉﨑穣にうなずき、背中をさすり続けている。葉末は両手を握りしめていた。腕はあいかわらず腕しか視えず、さきほどの挨拶への返答もない。もしやとどいていないのだろうか。葉末は大きく息を吸い込み、もういちど挨拶を試みた。

「こんばんは。水瀬葉末と申します。そちらのかた、よろしければ、おなまえを教えていただけませんか?」

 言い終わるやいなや、腕がぎゅうっと吉﨑穣を抱きすくめ、そしていきなりほどけ離れて、消えた。いや、視えなくなった。

「お待ちください、おなまえを────」

 ────すみません

 ちいさな声を拾った。葉末ははっと背筋を伸ばし、目の前の空気をじっと見つめた。祈る思いでみつめ続けた。すると、木切れから像を彫り出すように、徐々に明らかになるものがあった。

 芥子色の袷に白い帯、臙脂色の帯締めを合わせた、十六、七に見える女人。西洋風の上げ巻きにしたつやのある黒い髪の毛に、うっすらさした紅のよく映える真白い肌を持っている。うつくしいひとでありながら、その目はなみだに濡れており、いまにもあふれ出しそうだった。葉末はなにも考えず、そのひとに膝を寄せていた。

「どうされたのです。なにかございましたか」

 ────いいえ

 細いこたえが返る。

 ────名を、お聞きになりましたね

 そう言われ、葉末はわれに返った。

「はい、おなまえを教えていただきたく……」

 呼べないのでは、話せない。葉末は知らず知らずのうちに、両手を胸の前で組んでいた。

「わたくしは、水瀬葉末と申します」

 もう幾度目かの名のりをすると、女人は薄くほほえんだ。

「わたくしは、寺西《てらにし》雛子《ひなこ》と申します。葉末さん、こんばんは」

「こんばんは」

 葉末はつい大きくこたえた。少しだけ身を乗り出してしまう。

「寺西さま。ここにおられる吉﨑さまにも……」

 ご紹介してよろしいでしょうか。葉末がそのように言いさしたとき、ようすをじっと見ていた吉﨑穣が悲鳴のような声をあげた。

「寺西────?」

「ご存知なのですか」

 葉末はおどろいてしまった。寺西雛子はうつむいて、肩をすぼめちいさくなってしまう。葉末はそんな寺西雛子と、吉﨑穣を見比べた。吉﨑穣は柳にすがり、唇を強く引き結んでいる。柳が落ち着いた口調で言った。

「水瀬さん。そこにおられるんですね。詳しいところを聞かせてください」

「はい、かしこまりました……寺西さま、よろしいでしょうか」

 確認をとると、寺西雛子はこくりとしおれてうなずいた。葉末は少しためらったが、柳に彼女のようすを伝えた。柳は、今回は吉﨑穣のそばにいることを選んだらしく、なにも書き取らずに聞いていた。

「わかりました」

 柳は言った。寺西雛子のいる場所を、まっすぐに見据え、そっと呼ぶ。

「寺西さま」

 ────はい

「お返事をしていらっしゃいます」

 葉末が橋渡しすると、柳は少し口もとをゆるめる。そのまま、やわらかい口調でたずねる。

「寺西さま、あなたさまはいま、ごじぶんがどこにいるかおわかりですか」

 ────はい

 寺西雛子は、消え入りそうな声でこたえる。葉末は柳に目くばせをして、静かにうなずいてみせた。柳はひとつうなずき返し、寺西雛子に向きなおって問う。

「どこにいらっしゃるか、お聞かせねがえますか」

 ────お祓い屋さんのお宅です

 寺西雛子はうつむいたままだ。こめかみあたりにこぼれた髪が、頬に濃い影を投げかけている。葉末はそのままを柳に伝える。

「お祓い屋さんのお宅です、と」

「はい。そのとおりです。なぜなのかは、おわかりですか」

 柳の問いかたはかろやかで、お手玉をふうわり投げるようだ。寺西雛子はうなだれながらも、ぽつり、ぽつりとちいさく返した。

 ────わたくしが霊だからです

「わたくしが霊だからです、と」

「ええ……」

 ────わたくしが霊で、霊だから、ここにいてはならないのです、それなのにいるから、いてしまうから、穣さんを困らせるから……

 ほろりと、涙がこぼれて落ちた。畳にはぜたと思ったら、そこにはなにものこっていない。ぎゅっと心臓が締めつけられて、葉末は一瞬、通訳を忘れた。

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