十七 湯気
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その夕刻のことだった。祓い屋のもとに訪れたのは、襦袢のかわりにシャツを着て、袴を履いた青年だった。丸い縁の眼鏡をかけており、どうやら学生であるらしかった。葉末は戸口に立っていた彼をひとまず客間へ迎え入れた。夕餉のために火をおこしていた柳が、始末をしたあと行くからと、彼を葉末に任せたのだ。
「祓い屋さん。改めまして、吉﨑穣と申します」
彼はそう言ってお辞儀した。そして葉末の顔を見ると、ふしぎそうに目をしばたいた。
「珍しい目の色ですね」
葉末は思わずあっと声をあげた。近頃依頼人も来ていなかったので、夜になると目が赤くなるということを気にしていなかったのだ。葉末は慌ててうしろへさがり、吉﨑穣から距離をとった。
「申し訳ございません、わたくしは祓い屋の弟子でございまして、この目で霊を視るのですが────」
「いえ」
吉﨑穣はにこりと笑い、葉末が出した茶に手を伸ばした。
「祓い屋さんのお弟子さんなら、そういうこともあるのでしょうね。少しばかりおどろきましたが、すてきな色だと思いますよ。まるで夕焼けのように見えます」
のんびりとそんなことを言う。葉末はかえってあっけにとられ、返すことばに詰まってしまった。
「ですが……まだ色が変わりきっていないのです」
葉末はさらにあとずさった。いまはまだ夕刻なので、目が徐々に赤く染まりはじめるころだ。夜になれば血のように真っ赤に、ぼんやりと暗く光るのである。
「夜になると、もっとひどくなりますが……霊を視ることにかけては、役に立つのでございます……」
じぶんでもわけのわからないことを、いろいろと述べ立ててしまう。まだこの目が役立つということに、自信を持つのは難しい。柳が認めてくれるので、玉田ミヨや吉﨑穣がこわがらず向き合ってくれるので、少しはましになったけれども。
「気味がわるければ、おっしゃってください、すぐに……」
「いいえ、気味わるくありませんよ」
吉﨑穣はゆったりこたえた。湯気でくもった眼鏡をずりあげ、ひとなつっこい笑みを見せる。しかしその笑みは、すぐにかすんだ。
「気味わるいのはどちらかというと、僕のほうかと思うんです……」
「え?」
「あの、祓い屋のお弟子さん。その目で、なにか視えませんか? 僕────」
そのとき、さらりと風が吹き込んできた。柳が客間に入ってきたのだ。柳が連れてきた風の涼やかさに、葉末は夜の深まりを感じた。すうっとその場の空気を冷やし、回して静めるように吹いては、重い余韻を残し引く。葉末はとっさに、いる、と感じた。ここに、すでに霊がいる。
「吉﨑さま」
柳が呼んだ。吉﨑穣が背筋を伸ばす。柳は彼の目の前に座った。そして葉末のほうを振り向く。目が合い、葉末はうなずいてみせた。柳も、おなじことを感じたらしい。
「吉﨑さま。おどろかずにお聞きください」
柳の口調は落ち着いていた。吉﨑穣がちいさくうなずく。柳は静かに、彼に伝えた。
「吉﨑さまのそばには、すでに霊がいるようです」
吉﨑穣の身体がかたまる。ゆるやかだった表情も、さっとこわばってしまった。しかし柳は、だいじょうぶですとほほえむ。
「わたしたちは祓い屋ですので」
とくんと、心臓が跳ねる。わたしたち、と柳は言った。葉末は腹の底に力をこめた。「弟子」というのはほんとうではないが、そう名のっているからには、柳にそう言われたからには、今回も相応の働きをせねばならない。葉末はいちど目を閉じた。そして、ゆっくりとひらいた。
吉﨑穣の背後になにか、白い靄のようなものが視える。それは徐々にかたちを持って、吉﨑穣の身体に絡み、まとわりついて視えはじめた。そして葉末は気がついた。それは、白い靄ではない。ぞくりと背筋が寒くなる。それは、白い靄ではなく、女人の白い腕だった。ふたつの腕が吉﨑穣の肩を、うしろから抱え込むように伸びている。
「お師匠さん」
葉末が呼ぶと、柳はすぐに振り向いた。
「どうしました、水瀬さん」
葉末は息を整えると、努めて冷静に柳に伝えた。
「視えました」
「そうですか」
柳もただそうこたえ、吉﨑穣に向きなおった。そして、玉田ミヨのときとおなじように、いまは調子がよくないために、霊視は弟子に頼っていると正直に伝えてしまった。吉﨑穣は両手を握りしめ、唇を噛みしめてうなずいた。霊がそばにいると言われて、気味がわるくないわけがないだろう。葉末は吉﨑穣の背後に、じっと目を凝らした。
空気はさきほどから冷えて重苦しい。部屋に雪が降り積もったようだ。下に沈んだ冷たいものが、全体を冷やし圧迫している。その中に座る吉﨑穣の、うしろに確かに存在する霊。彼を背後から抱きしめるように、その腕を伸ばしているだれか。腕よりほかは、ぼやけて視えにくい。葉末はふるえをこらえているらしい吉﨑穣に声をかけた。
「吉﨑さま。状況をご説明してよろしいでしょうか」
「待って、いや、おねがいします、あ、待って、やっぱり……」
吉﨑穣は首を縦や横に振る。そして急に手を伸ばし、肩を払う動作をした。払いのけられそうになった白い腕が、抗うように力を増して、ぐっと彼の身体をとらえる。そのとき、吉﨑穣が咳き込んだ。




