↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤い瞳とお祓い屋  作者: 相宮祐紀
第三章 幼恋の痕
PR
16/28

十六  余韻





**





 またおなじ夢の余韻とともに、右作《ゆうさく》は目を覚ました。勝手に乱れた呼吸を落ち着け、天井の木目をじっと見つめる。ぐるぐると回っているように思える。いまにも吸い込まれてしまいそうに思える。いっそそれでもと、そんな考えが頭をよぎった瞬間に。がらりと大きな音が響いた。

 その音ではっと引きもどされる。右作はすぐに身を起こし、障子を透かして差し込んでくる朝日の中で伸びをした。きょうは、早くに目が覚めたのにもういちど眠ってしまったせいで、少し寝坊をしたらしい。さきほどの音は、台所のほうから聞こえた。勝手口の戸を開けた音だろう。水瀬《みなせ》葉末《はずえ》がすでに起きている。朝餉の用意をしているのだ。

 右作は急いで支度を済ませ、台所のほうへ向かった。米の炊けるあまやかな匂いと、味噌の香ばしさが混じってとどく。吸い込むと胸のつかえがおりる。右作は頬がゆるむのを感じた。

「水瀬さん。おはようございます」

 台所に顔を出しながら声をかけると、竈の前にかがんでいた水瀬葉末が、ぱっと立って振り向いた。青柳色の絣にたすきをかけて、長い髪をきりりと束ねている。毎朝のことではあるのだが、すっきりとした顔をしていた。

「おはようございます、お師匠さん」

 折り目正しく頭をさげて、水瀬葉末は挨拶をする。右作もぺこりとお辞儀をした。これもいつものことだった。右作は寝坊したことを謝り、朝餉の用意に加わった。

 水瀬葉末がこの邸に来て、もう十日ほどが経っている。珍しく、しばらく依頼が入らず、ゆったりとした日々が流れていた。水瀬葉末の両の瞳は、夜ごとに赤く光っているが、ほかの霊障があらわれる兆候はない。そして右作の目のほうも、霊が煙のように視える状態が簡単に変わることはなかった。これは感情が薄くなっているためで、水瀬葉末の言うとおり、精神的な疲労のためだ。霊、つまり浮かばれない情念を視ることも、その話を聞くことも、それをこの世から消し去ることも。ときおり重く思われる。彼女は「情が薄い」という説明だけで、はじめからそれを見抜いていた。

 適切にやすむことができるなら、徐々に回復するだろうと、彼女は橋の上でそう言った。そして、すべてを話した夜も。無理をしているのではないかと、炎のようにゆらぐ瞳でこちらをまっすぐ見つめて問うた。

 心臓がぐっと締めつけられた。無理をしているつもりはないのに、内側がそうだとこたえた気がした。水瀬葉末は鋭敏なひとだ。鋭敏で、やわらかいひとだ。嘘をついていたと打ち明けても、こちらを責めるどころか笑って、協力しようと申し出てきた。胸の内の冷えて重くなったところを、ふわりと包まれる心地がした。こうして暮らすようになってからも、幾度もそう感じている。水瀬葉末はやわらかく、だがやはり、鋭いひとだった。

「お師匠さん、ゆうべはよく眠れましたか」

 味噌汁の鍋をかき混ぜながら、水瀬葉末がふと聞いてくる。膳と茶碗を出していた右作は、思わず動きをとめてしまった。

「あまりよく、お眠りになれなかったのですか」

 水瀬葉末は杓子を置いて、こちらに身体を向けてくる。赤くなくとも光る瞳から、逃れるすべを思いつかない。かわりになけなしの笑みをつくって、右作はうなずいた。

「ええ、まあ少し。そういうことも」

「そういうこともありますよね。でも、朝いらっしゃらないのは、珍しいと思いましたので」

 水瀬葉末はそう言って、また味噌汁をひと混ぜした。小皿に少しだけよそって、右作のほうへ差し出してくる。

「どうぞ、お味見おねがいいたします」

「はい……」

 右作は小皿を受けとり、湯気の立つそれに口をつけた。よく出汁がきいて塩気もちょうどいい。

「おいしいですね、ありがとうございます」

「いえ、それはよかったです」

 水瀬葉末は静かにほほえみ、右作から皿を回収した。そしてその皿でみずからも味見し、満足そうに口もとをゆるめる。右作はそれを眺めていた。

「少し夢見がよくなかったんです────」

 ふいになにを思ったか、そのようなことを口走っていた。水瀬葉末が見あげてくる。

「そうでしたか、夢見が」

 深刻でも軽薄でもない、そっと受けとめるような相槌に、思わずうなずいてしまう。水瀬葉末はおなじ動作をすると、目をそらさずに問うてきた。

「いまはどうですか。ご気分は」

「いまは平気です。おかげさまで」

「わたくしなにもしておりませんが」

「じゃあ味噌汁のおかげです」

 右作は言って、笑ってみせた。みせたというより、こみあげてきた。すると水瀬葉末もほころび、やっと右作から視線を外した。

「夢見がわるいと、朝からつらいですからね」

 水瀬葉末は呟きながら、流し台の上の窓を開ける。硝子のはまった木戸が滑って、朝のさわやかな風とともに、蝉の声が吹き込んできた。右作は思わず、聞き返した。

「水瀬さんも、なにか夢を」

 いいえ、と返事がかえってくる。

「今朝はとても元気です。でも、ときどき、ほんとうにたまに、夢を見るときがあるんです」

「どんな」

「えっと……、母の夢を」

 水瀬葉末は恥ずかしそうにこたえた。右作が続きを待っていると、水瀬葉末は味噌汁をよそいつつ、やや早口になって話した。

「母はすでになくなっているのですが、ときどき夢に出てくるのです。だいじにしてくれた母なので、起きると少し、寂しくなります」

「そうでしたか……」

「はい……、すみません、こんな話」

 水瀬葉末は肩をすぼめる。右作はゆっくりと首を振った。

「謝ることではありませんよ」

「そうでしょうか……」

「ええ、そうです」

 水瀬葉末の肩のあたりから、すうと力が抜けるのがわかった。右作も幾分、安堵した。さあ、と言って手を叩く。

「それでは朝餉をいただきましょうか。きょうは依頼があるかもしれません」

「そうですね。お掃除をして待ちましょう」

 水瀬葉末の生真面目なこたえに、右作は思わずふきだした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。