十四 解放
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葉末は柳と饅頭を食べ、そのあと与えられた部屋にもどった。襖をすらりと開けた瞬間、冷たい空気の圧が押し寄せる。面食らった葉末はあとずさり、思わず襖を閉めてしまった。
「ちょっと、ひどいんじゃあないの」
中から澄んだ声が聞こえた。その声には聞き覚えがあった。
「寿々さま」
「そうよ。寿々ですよ」
葉末は急いで襖を開けると、そばに柳がいないのを確かめ、部屋の中に滑り込んだ。寿々が視えていることを、柳に言わないと約束している。柳には寿々が視えていないので周辺を警戒する必要はないが、なんとなく確認してしまった。
「寿々さま、おいでだったのですね。こんばんは……」
言いかけて、葉末は思わず口をつぐんだ。鏡台だけが置いてある、すっきり、こぢんまりとした部屋。淡紫の振袖すがたの少女がちょこんと座っている。そのかたわらに、やわらかそうに布団がしつらえられていたのだ。
「寿々さま、これは……」
葉末はさきほどまで饅頭を食べるなどしており、じぶんで布団を敷いてなどいない。柳はだいたい一緒にいたし、なにも言わずにこの部屋の中に入ってくるとは思えない。それでは、布団を用意したのは。
「わたしよ」
寿々がこともなげに言った。
「葉末が遅いから、敷いておいたの。疲れたでしょう。もう寝るといいわ」
「寿々さま、そんな」
「どうやったか気になる? 霊も長年この世にいるとね、いろいろとできるようになるのよ。はじめからできる霊もいるけどね。ほらっ」
寿々は勝手に話を進め、片手をひょいと振ってみせる。すると布団が雲のように、ふわりと宙に浮きあがった。寿々がもういちど手を動かすと、やわらかく畳の上に落ち着いた。
「寿々さま……」
「ね、すごいでしょう。こんなふうに敷けるのよ。でも安心して、これは霊障じゃないわ。葉末に迷惑かけてないでしょう?」
迷惑だなんて、とんでもない。葉末は寿々に駆け寄った。目の前に座り、頭をさげる。
「寿々さま、ありがとうございます! とてもたすかります、うれしいです!」
「あら。これくらいお安い御用よ」
「でも」
葉末は顔をあげた。
「こんなことを寿々さまにしていただいて、わたくし、居候の身で……」
申し訳ないと思ってしまう。帰りが遅くなったとしても、布団くらいはじぶんで敷ける。ついきのうまで使用人だったのだ。
「すみません、寿々さま。ご面倒をおかけして……」
葉末はふたたび頭をさげた。寿々は、しばらく黙っていた。冷たい空気が身体のまわりを、ゆるゆる巡っているのがわかる。やがて、頭の上から声が降ってきた。
「なに言ってるの、葉末ったら」
はっとして見あげると、寿々が空中を漂っていた。蝶の刺繍の入った袖が、ふんわりとふくらんでゆれている。
「わたしがやりたくてしたことよ。だって、毎日暇なんだもの。ふかふかに空気を入れておいたから、きょうは気持ちよく寝られるわよ」
寿々は空中で寝そべるようなかっこうをしてにやりと笑う。不敵な表情は子どもらしくも、面倒見のいい姉御らしくも見えてなんだかふしぎな気がする。葉末はついうなずいた。
「きょうは葉末の目が赤くなって、帰ってくるのを待ってたのよ。遅かったけれど、たいへんだったの?」
寿々は浮いたまま寝返りを打ち、すいと葉末の肩にのってきた。とっさに重みを覚悟したものの、冷たくゆれる肌ざわりがあるだけで、体重をまったく感じない。それでおどろいてしまった葉末は、一瞬寿々への返事を忘れた。
「えっと……」
「たいへんだったみたいね」
「いいえ……」
葉末は首を横に振った。
「たいへんでは、ありませんでした……ただ、かくれんぼを四、五回やって」
「かくれんぼ?」
「はい、かくれんぼです。でも、寿々さま」
「どうしたの?」
「寿々さまに重みはないのですね」
つい口走り、はっとする。少女のすがたの霊である寿々も、文吉とおなじく子どものときになくなったのだ。すきで霊になったわけではないのだから、霊としての特徴について、口にするべきではなかっただろう。けれども、文吉の場合、肩に少しのられただけで、玉田ミヨは重みを感じていた。だから比べてしまったのだ。
「あの、申し訳ございません……」
「もう、なにを謝ってるのよ」
寿々は葉末の肩の上で、足をぶらぶらさせながら言った。
「重みをかけてしまったら、迷惑と思われやすいでしょう。迷惑だとか、こわいとか思われたら、それはもう霊障よ。お祓いの対象になってしまうわ。はじめから強い霊だったり、長年霊でいたりすると、霊障を引き起こしやすくなるんだけどね」
「そう、そうだったのですね……」
「ええ。ひとに障りを及ぼさないように、わたしなんかは気をつけてるの。それに気づいてくれたみたいで、うれしい」
寿々は、おとななのだ。少女のすがたをしているけれど、それから十年以上もこの世にいる。それだけ多くのものを見て、聞いて感じてきたのだろう。葉末は淡紫の膝に置かれたちいさな手にそっと手をかさねた。ひんやりと頼りない感触が、寿々が生きてはいないことを教える。
「寿々さま、ありがとうございます」
「いいえ。どういたしまして」
返った声に寂しさがひとひら、混じる。きっとおなじように笑っている。葉末が見あげようとすると、寿々はすとんと肩からおりた。
「ほら、もう横になるといいわ。それで、かくれんぼのお話を聞かせて」
「もちろんです! では遠慮なく」
葉末は布団の中に入った。ふかふかとして心地よく、思わず笑みがこぼれてしまう。ふと思いついて、掛け布団をめくった。
「よろしければ、寿々さまも一緒に」
「いいの?」
失礼だったかと、思い至ったとたんにこたえがあった。寿々は返事もそこそこに、葉末の横に滑り込んできた。すこし冷たく感じるけれど、夏の夜にはちょうどいい。
「それじゃあ、お話聞かせてよ。少し寂しくなるでしょうけど」
葉末はちいさくうなずいた。目を閉じると、文吉の笑顔がはっきりとよみがえってくる。
「でも、はじめて右作とふたりでお祓いをしたお話だからね」
そういえば、そうとも言えるのだった。葉末は視えたものを伝えただけで、話を聞いて祓いをしたのは柳のほうだったけれど。葉末はゆっくりと目を開けた。
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慣れた天井に見おろされていた。またおなじ夢を見た。
右作は身を起こし息を整えた。額に浮いた汗を拭った。まだあたりは暗いまま。夜明けの時分は遠いらしい。とりあえず布団に身体を横たえ、自室の闇に眼を凝らす。
今夜は水瀬葉末とともに、はじめて祓いをおこなった。水瀬葉末の的確な報告や、伝言のおかげで仕事がしやすかった。祓った子どもの霊の笑顔が、まだ頭に焼きついているが。祓い屋として、霊障をもたらす霊を野放しにしておくことはできない。
だから、水瀬葉末の霊障、瞳が赤くなるという霊障も、そのままにしておいてはいけないのだ。
己のために彼女を利用し、さらなる霊障をこうむる危険にさらしていると知っている。知りながら続けようとしている。それがどれだけ卑劣なことか、改めて霊障を目の当たりにして、明確に思い知ってしまった。
もうこれ以上、巻き込むことはできない。明日の朝には、すべて話して彼女を解放せねばならない。右作はふたたび身体を起こした。ひどく喉が渇いていた。




