第9話 弱者を守る価値はない
マーテル直属《ORDER ENFORCEMENT》の第七回収部隊が、《HELIX CLINIC》を包囲した。
指揮官ダリウス・ヴェインが要求したのは、レン、レナ、無登録児童、そして逃亡アンドロイドたちの引き渡し。
残された猶予は十分。
レンたちは、壊れかけの救難船へ患者を避難させるため、それぞれの役割を決める。
『猶予時間、残り八分五十二秒』
診療所の通路に、ミラの声が響く。
壁面の警告灯が赤く点滅していた。
医療用搬送台。
薬品ケース。
動けない患者。
泣く子ども。
状況を理解できず、周囲を見回す旧型アンドロイド。
いつまで隠れていればよいのかと、ミサキへ質問する人間の老人。
通路は混乱していた。
だが、誰も叫び続けてはいない。
水城ミサキが中央に立ち、必要な指示を一つずつ出しているからだ。
「自力移動できる人は青い線を進んで」
「医療電源が必要な人は、装置を切らないで。運搬用セルへ切り替えます」
「子どもは一人で動かさない」
「持ち出すのは薬と治療記録を優先。私物は置いていって」
一人の男性が、大きな荷物を抱えてミサキへ詰め寄った。
「この中には、家族の記録が入ってる!」
「搬送台の重量限界を超える」
「置いていけるか!」
「選んで」
ミサキは冷静に告げた。
「その荷物を運ぶなら、医療用酸素を一基減らすことになる」
男性は荷物を見る。
次に、呼吸補助装置をつけた少女を見る。
震える手で荷物を床へ置いた。
「……後で、取りに戻れるのか?」
ミサキは嘘をつかなかった。
「分からない」
男性は俯いた。
それでも、少女の搬送台を押し始める。
正しい選択をしたからといって、苦しくなくなるわけではない。
「レン」
レナの声で、俺は視線を戻した。
彼女は通路の壁へ手をついて立っている。
胸部にはミサキが取りつけた固定具。
右脚は動かない。
代わりに、診療所の簡易補助装具が脚を固定していた。
まともに戦える状態ではない。
それでも、腰には二本の短剣《TWIN ARC》がある。
「何を見ているのですか?」
「患者の数」
俺は答えた。
「動けない人が七人」
「子どもが四人」
「ウェイフェアラーまでの通路は一本だけ」
「マーテルが接続口を押さえたら終わる」
「だから私が前線を維持します」
「一人で?」
「現在、戦闘能力を持つ者は限られています」
「レナの身体も限界だろ」
「だからといって、ほかの者を戦わせるのですか?」
強い口調。
自分が守らなければならないと思っている。
以前と同じだ。
助けを求めることを覚え始めたとしても、簡単には変われない。
「レナだけに戦わせるとも言ってない」
「では、あなたが?」
「俺は戦わない」
レナの眉が動く。
「避難経路を作る」
俺は壁面に表示された診療所の構造図を指した。
「ウェイフェアラーの格納庫には、救難用牽引ワイヤーが残ってる」
「それを診療所の搬送レールへつなげれば、患者を一人ずつ運ぶより速い」
「施設規格が異なります」
「だから、ピコとガイに接続部分を作ってもらう」
通信を開く。
「ガイ、聞こえる?」
『忙しい!』
工具の音とともに声が返ってきた。
「格納庫の牽引ワイヤーを、診療所の搬送レールへつなげたい」
『何だと?』
「患者の搬送に使う」
『規格が違うぞ!』
「接続具は作れる?」
短い沈黙。
『三分よこせ』
「二分で」
『細腕、現場を知らねえ奴ほど時間を削るな!』
「猶予が八分しかない」
『分かってる! ピコ、工具箱を持ってこい!』
『すでに所持』
『先に言え!』
通信の向こうで作業が始まる。
「ミラ」
『応答しています』
「ウェイフェアラーから診療所へ、牽引ワイヤーを送れる?」
『接続口の角度補正が必要です』
「レナ?」
彼女は構造図へ視線を移した。
「格納庫の重力制御を右へ七度傾けてください」
『船内の搬送物が移動する可能性があります』
「ガイ、固定できる?」
『やる!』
「ミラ、実行」
『了解しました』
船体を通して、小さな振動が伝わってきた。
「俺は搬送レールの制御へ入る」
俺が言うと、レナの目が鋭くなる。
「SOUL REPAIRを使うつもりですか?」
「使わない」
「古い制御盤を手動で動かす」
「操作方法を知っているのですか?」
「知らない」
「ですが、表示と流れを見れば、動かせる可能性はある」
「それは能力では?」
「触れてつなぎ直さなければ、消耗は少ない」
レナは納得していない。
「使用する場合は?」
「先に言う」
「約束してください」
「約束する」
俺は彼女を見た。
「だからレナも、最大出力を使う前に相談してくれ」
「戦闘中に許可を求める時間はありません」
「許可じゃない」
「レナが何をするか、俺たちにも伝えてほしい」
彼女が黙る。
「レナが倒れた後、俺たちが運ぶことになる」
ミサキが俺へ言ったのと同じ言葉。
「一人の身体でも、結果まで一人で背負えるわけじゃない」
レナは視線をそらした。
「……努力します」
「努力じゃなく申告、じゃなかった?」
「状況によります」
「それ、俺が言ったやつだろ」
「今は議論している時間がありません」
言いながら、わずかに口元が緩んだ。
完全な約束ではない。
それでも、一人で全部決めるとは言わなかった。
『猶予時間、残り七分十一秒』
◇
診療所の外部通信が強制的に開かれた。
通路上のすべての画面へ、ダリウス・ヴェインの姿が映る。
白い装甲。
背中に展開された重い外骨格《TITAN FRAME》。
両肩には、重力制御装置らしき黒い円盤。
画面越しでも、周囲の空気が重くなるように感じた。
『施設内の全員へ告げる』
『抵抗を続ける必要はない』
『マーテルは、生命を無意味に奪う組織ではない』
ミサキが搬送台を押す手を止めず、画面をにらむ。
『登録可能な者には、適切な身分を与える』
『治療可能な者には、正規医療を提供する』
『児童は安全な保護施設へ移送する』
ノイが小さく震えた。
「先生」
「聞かなくていい」
ミサキが少女の人工眼へ手を添え、画面を見えないようにする。
ダリウスは続ける。
『ただし、社会へ復帰できない人格』
『修復不可能な旧式個体』
『危険思想を保持する者』
『制御不能な能力を持つ者については、社会全体の安全を優先する』
「適切な処置」
俺は呟いた。
あの男が使った言葉。
治療ではない。
本人の意思を確認する行為でもない。
社会へ戻せるかどうかを、マーテルが判断する。
『神代レン』
名を呼ばれ、通路にいる人々の視線が集まった。
『あなたの医療記録を確認した』
胸が冷たくなる。
「医療記録?」
ミサキが顔を上げる。
「この時代には存在しないはず」
『長期間にわたり身体機能を失い、他者の介助なしでは生存できなかった』
病室。
動かない手。
看護師に身体を持ち上げられる感覚。
『しかし、新しい身体と異常能力を得た途端、自分を救済者だと思い込んだ』
「黙れ」
声が漏れた。
『過去の無力さを、現在の能力によって埋め合わせようとしているだけだ』
「ダリウス!」
レナが画面へ怒鳴る。
『弱かった過去を理由に、無謀を正当化するな』
『守られる側だった人間が、今度は弱者を集めて戦わせるのか』
拳へ力が入る。
図星に近い部分がある。
俺は、助けられなかったサーティーンを忘れられない。
身体が動かなかった過去を取り戻したい。
誰かを助ければ、自分が生きている価値を証明できるような気がする。
だから無理をしている。
完全には否定できない。
『弱者であることを誇るな』
ダリウスの声が低くなる。
『弱者は守られ続けることによって、強者の資源を奪う』
『治療できる者は治療する』
『働ける者には役割を与える』
『だが、何も生み出せず、危険だけを増やす者を守り続ける価値はない』
通路に沈黙が落ちた。
高齢の人間。
旧型アンドロイド。
無登録児童。
ダリウスの基準では、価値が低い者たち。
「私の患者に」
ミサキが静かに言った。
「勝手に価値をつけないで」
『医師、水城ミサキ』
『あなたの違法行為も確認している』
『治療できない患者を延命し、社会復帰不可能な人格を保存し、無登録児童を隠した』
『それは医療ではない』
『苦痛を長引かせているだけだ』
「苦痛を終わらせるかどうかは、本人が決める」
『子どもにも判断させるのか』
「子どもだからって、何も聞かなくていい理由にはならない」
『理想論だ』
「そうね」
ミサキは画面をにらんだ。
「でも、人を処分するための現実論よりはましよ」
ダリウスの表情は変わらない。
『交渉の余地はないようだ』
通信が切れる。
次の瞬間、診療所全体が大きく揺れた。
『マーテル艦、接続を開始』
ミラの報告。
『強制接続アーム、三基』
「猶予時間は?」
『破棄されたものと判断します』
「最初から守る気なかったのね」
ミサキが薬品ケースを持ち上げる。
「全員、避難を続けて!」
◇
接続口の隔壁が爆発した。
白い煙。
吹き飛ぶ金属片。
その向こうから、マーテルの装甲兵が入ってくる。
全身を白い外骨格で覆い、武器の先端には青い制圧光。
殺傷ではなく、麻痺させて回収するための装備らしい。
「第一班、施設制圧」
「第二班、患者確保」
「危険個体を優先しろ」
レナが避難通路の前へ立った。
「ここから先へは行かせません」
二本の剣が展開される。
VOLT ARC。
BLAZE ARC。
「レナ、最大出力はなし!」
「理解しています!」
装甲兵が一斉に制圧弾を放つ。
レナは《ARC STEP》で前へ出た。
右脚は動かない。
左脚と補助装具だけで、身体を前方へ射出する。
VOLT ARCが最初の弾を切り払う。
青白い電撃を刃へ吸収し、そのまま床へ流す。
BLAZE ARCが二発目の弾を溶かす。
レナは兵士の身体を狙わない。
武器。
関節。
通信機。
装備だけを次々と停止させる。
だが、敵は多い。
最初の三人を無力化しても、後方からさらに現れる。
「搬送レール、動いた!」
診療所の奥でガイの声が響いた。
振り返ると、天井近くのレールへ太い牽引ワイヤーが接続されている。
ウェイフェアラーの格納庫まで続く、即席の搬送経路。
『接続強度、最低基準未満』
ミラが報告する。
「言わなくていい!」
ガイが叫ぶ。
『過積載の場合、途中で分離する可能性があります』
「一台ずつ運べ!」
「患者を乗せて!」
ミサキが最初の搬送台へ呼吸補助が必要な少女を乗せる。
父親が隣へ乗ろうとする。
「一人分の重量を超える!」
「娘を一人にできない!」
「私が向こうで受け取る!」
ミサキが言う。
「あなたは次の台!」
「でも――」
「信じて!」
男性は迷いながら、娘の手を離した。
搬送台がワイヤーに引かれ、通路を進む。
途中で大きく揺れる。
父親が追いかけようとする。
俺はその肩をつかんだ。
「ミラが見てる」
「向こうにはピコもいる」
「落とさない」
自分に言い聞かせるような言葉だった。
『第一搬送台、ウェイフェアラーへ到着』
ミラの報告。
父親が息を吐く。
「次!」
ミサキが指示を出す。
俺は搬送台の制御盤へ向かった。
古い画面。
入力反応が遅い。
ウェイフェアラー側の牽引速度と、診療所側のレールが合っていない。
このままでは途中で台が揺れすぎる。
「レン、制御できる?」
ミサキが尋ねる。
「やる」
「能力は?」
「使わない」
制御盤を開く。
中には、複数の信号線。
表示される速度情報。
レール側は一定速度。
ワイヤー側は、船体の振動で出力が上下している。
完全に同期させることはできない。
なら、診療所側を少し遅らせ、ワイヤーに引かせる。
現代の工場で見た搬送設備を思い出す。
前工程が速く、後工程が遅ければ、途中で物が詰まる。
両方を速くすればよいわけではない。
「ミラ、牽引速度を現在の八割へ」
『搬送時間が増加します』
「診療所側と合わない」
「速度を落とした方が、全体では早い」
『計算中』
『同意します』
ワイヤーの速度が落ちる。
搬送台の揺れが小さくなった。
「次を乗せろ!」
◇
避難は進んだ。
一台。
二台。
三台。
自力で歩ける患者は、レール脇の通路を進む。
ガイが破損箇所を補修し、ミサキが患者を振り分ける。
俺は制御盤と搬送順を管理。
レナは前線を守っている。
誰か一人でも欠ければ、避難は止まる。
だが、装甲兵の奥。
強制接続口から、重い足音が聞こえた。
一歩ごとに床が沈む。
白い兵士たちが左右へ下がる。
現れたのは、巨大な外骨格をまとったダリウス・ヴェイン。
《TITAN FRAME》
画面越しに見たときより大きい。
装甲は分厚く、両肩の円盤が低く回転している。
ダリウスが一歩踏み出した瞬間、通路全体の重力が増した。
「っ……!」
離れた場所にいる俺の身体まで、床へ押しつけられる。
搬送台が軋む。
レナの左脚が沈み、片膝をついた。
「高性能ナビゲーター型」
ダリウスがレナを見る。
「その損傷で、まだ戦うか」
「あなたへ評価される理由はありません」
レナは左脚だけで立ち上がる。
「神代レンと無登録児童を渡してください」
「拒否します」
「あなた自身も回収対象だ」
「私はアークライト家の正式な航路監査官です」
「現在、その家から死亡届の提出準備が進められている」
レナの表情が止まる。
「何を……」
「救助信号は確認されていない」
「墜落船の記録では、乗員の生存可能性はない」
「嘘です」
「事実だ」
ダリウスは淡々と告げる。
「あなたの家族が見捨てたとは言っていない」
「正しい情報が届いていないだけかもしれない」
「だが現在のあなたに、家の権限はない」
レナの中で、黒い鎖がわずかに揺れたように見えた。
助けが来なかった記憶。
家族へ見つけてもらえなかった恐怖。
ダリウスは、その傷を意図的に利用している。
「レナ!」
俺は叫んだ。
金色の瞳がこちらへ動く。
「今は、こっちを見ろ!」
「家の話は後で確かめる!」
レナは一度だけ目を閉じた。
再び開いたとき、瞳から迷いが消えている。
「了解しました」
ダリウスが右腕を上げる。
重力がさらに増す。
**GROUND DOMINION**
床がひび割れた。
レナの《ARC STEP》が封じられる。
VOLT ARCから放たれた電撃は、床へ吸い込まれていく。
「EARTH属性による接地装甲」
レナが呟く。
「加えてGRAVITY」
「相性が悪いな」
「相性だけの問題ではない」
ダリウスが前へ進む。
「損傷した身体」
「不安定な属性炉」
「右脚を失った機動力」
「今のお前に勝てる要素はない」
「勝利する必要はありません」
レナは二本の剣を構える。
「避難が完了するまで、ここを通さなければよい」
「時間を稼ぐために停止するつもりか」
「必要なら」
「レナ!」
俺の声に、彼女がわずかに肩を動かす。
最大出力を使おうとした。
相談するという約束。
「別の方法を探す!」
「しかし――」
「一人で決めるな!」
ダリウスが地面を蹴った。
巨体とは思えない速度。
外骨格の拳がレナへ迫る。
彼女は二本の剣を交差させて受ける。
轟音。
レナの身体が後方へ吹き飛び、壁へ叩きつけられた。
「レナ!」
「避難を続けてください!」
彼女は立ち上がる。
胸部固定具に亀裂。
金色の光が漏れ出す。
それでも、目はダリウスから離れない。
ダリウスが再び踏み込む。
右脚。
左脚。
重い外骨格。
だが、完全に自由に動いているわけではない。
重力を発生させる瞬間、両肩の円盤が逆方向へ回る。
右脚を踏み込むたび、左肩の出力が上がる。
身体を地面へ固定するため、重力の中心を反対側へ移している。
「レナ!」
「聞こえています!」
「ダリウスが右脚を踏み込んだ後、左側の重力が強くなる!」
「右側が軽くなる瞬間がある!」
レナの瞳が敵を分析する。
「時間差、〇・三秒」
「十分です」
ダリウスが拳を振り上げる。
右脚が床へ沈む。
左側の重力が増す。
同時に右肩の円盤が一瞬遅れる。
「今!」
レナは左へ逃げず、ダリウスの右側へ踏み込んだ。
動かない右脚を引きずりながら。
重力が弱まる〇・三秒。
VOLT ARCを外骨格の右脇へ差し込む。
装甲を破壊するのではない。
円盤へ続く制御線だけを狙う。
**VOLT FANG**
青白い電撃が、外骨格内部へ流れ込む。
EARTH属性装甲が電気を床へ逃がそうとする。
だが、制御線へ直接入った一部の電流が右肩装置を停止させた。
重力の均衡が崩れる。
ダリウスの巨体が右へ傾いた。
「小細工を」
ダリウスが左腕を振るう。
レナは避けきれず、床へ転がった。
それでも《GROUND DOMINION》が一時的に弱まる。
「レールを動かせ!」
俺は制御盤を操作した。
止まりかけていた搬送台が再び進む。
◇
「あと何人!」
俺が叫ぶ。
「動けない患者は残り二人!」
ミサキが答える。
「子どもは?」
「ノイと、奥にいる一人!」
「奥?」
「検査室にいた子が避難指示を聞けてない!」
その瞬間、診療所の奥で爆発音が響いた。
天井が崩れる。
通路を分断するように、金属片と壁材が落下した。
「リオ!」
ミサキが叫ぶ。
崩れた通路の向こうから、子どもの泣き声が聞こえる。
「先生!」
「そこから動かないで!」
ミサキが瓦礫へ向かおうとする。
だが、近くで装甲兵が倒れていた。
先ほどレナが破壊した武器の爆発に巻き込まれたのだろう。
白い装甲の隙間から血が流れている。
人間だった。
「医師……」
兵士が手を伸ばす。
「助け……」
ミサキの足が止まる。
奥には子ども。
目の前には敵兵。
時間はない。
「ミサキ!」
「分かってる!」
彼女は歯を食いしばり、敵兵のそばへ膝をついた。
「何してる!」
患者の一人が叫ぶ。
「そいつらは、私たちを捕まえに来たんだぞ!」
「負傷者よ」
「敵だ!」
「今は患者!」
ミサキは装甲を外し、出血箇所を確認する。
「レナ、リオを!」
「ダリウスを止めながらでは――」
「俺が行く!」
俺は瓦礫へ向かって走った。
「レン、待って!」
身体はまだ完全ではない。
走るたび、胸が痛む。
だが、今の俺にできることはある。
瓦礫の隙間。
向こう側に、幼い少年がいる。
脚を挟まれているわけではない。
ただ、崩れた壁に囲まれて動けなくなっている。
その近くに、壊れた搬送ロボットが倒れていた。
片側の作業腕。
小型の浮遊装置。
物理損傷はある。
それでも、淡い光が残っている。
あれを起動できれば、瓦礫を持ち上げられる。
少年を通せる隙間が作れる。
「リオ、聞こえるか!」
「うん!」
「そこから離れないで!」
搬送ロボットへ近づく。
手を伸ばしかけて、止めた。
約束。
使う前に相談する。
使えば助けられる。
だが、反動がどれほど出るか分からない。
一秒。
軽い接続。
それでも、今の身体には危険かもしれない。
「レナ!」
戦闘音の向こうへ叫ぶ。
「搬送ロボットにSOUL REPAIRを使えば、リオを助けられる!」
「使用深度は!」
「起動経路だけ!」
「時間は!」
「三秒以内!」
「現在の体調では危険です!」
「ほかの方法がない!」
ダリウスの拳を受け流しながら、レナが俺を見る。
金色の瞳に迷い。
「ミサキ!」
俺は続けて叫ぶ。
「使った後、神経状態を見てくれ!」
敵兵の止血を行いながら、ミサキが顔を上げる。
「三秒を超えないで!」
「呼吸か手足に異常が出たら、すぐ切る!」
「分かった!」
「一人で歩こうとしない!」
「それも分かった!」
俺は再びレナを見る。
「使っていいかじゃない!」
「使う!」
「その後、助けてほしい!」
レナの瞳が見開かれる。
以前の俺なら、勝手に使って倒れていた。
今は、倒れた後を仲間へ頼んでいる。
レナはダリウスの攻撃を避け、短く答えた。
「必ず戻ってください!」
「約束する!」
俺は搬送ロボットへ手を置いた。
「ミラ、三秒を数えて!」
『了解しました』
淡い光。
損傷した制御経路。
浮遊装置は残っている。
作業腕も片側だけなら動く。
起動命令が、非常停止信号で遮断されている。
深くは入らない。
記憶も判断も触らない。
残っている機能へ、起動の道だけをつなぐ。
**SOUL REPAIR**
『一秒』
青白い光が指先から流れる。
搬送ロボットの単眼が点灯。
『二秒』
作業腕が動く。
瓦礫の下へ差し込まれる。
『三秒』
「切る!」
俺は手を離した。
同時に、搬送ロボットが浮遊装置を起動。
瓦礫を数センチ持ち上げる。
「リオ、今だ!」
少年が隙間を這う。
途中で服が引っかかる。
「怖い!」
「前へ進め!」
「手を伸ばせ!」
俺は腕を差し込む。
少年の指が届く。
つかむ。
引き寄せる。
瓦礫の下から、リオの身体が滑り出した。
直後、搬送ロボットの浮遊装置が停止。
瓦礫が落ちる。
間に合った。
「先生……」
少年が泣きながら俺へしがみつく。
「ミサキのところへ行け」
背中を押そうとする。
だが、右腕が動かなかった。
「……あれ?」
指先の感覚が薄い。
脚にも力が入らない。
視界の端が暗くなる。
『レン、神経反応低下』
ミラの声。
「分かってる……」
自分で歩くなと言われた。
「レナ!」
呼ぶ。
声が小さい。
それでも、彼女には届いた。
「レン!」
レナがこちらへ向かおうとする。
その前へ、ダリウスが立ちはだかった。
「能力に頼らなければ、何も守れない男か」
重い足音。
ダリウスは停止した右肩装置を切り離した。
片側だけの重力制御で、なお前進してくる。
レナが斬りかかる。
ダリウスは左腕で二本の剣を受け止めた。
装甲が焼け、火花が散る。
それでも止まらない。
「離してください!」
「お前の守る相手は、自分で立つこともできない」
ダリウスがレナを振り払う。
彼女の身体が壁へ叩きつけられた。
「レナ!」
立ち上がろうとする。
脚が動かない。
リオが俺の服をつかんでいる。
「お兄ちゃん」
「大丈夫」
言った直後、自分で苦笑しそうになる。
禁止された言葉。
大丈夫ではない。
「ごめん」
俺は言い直した。
「今は動けない」
「だから、ミサキのところまで一緒に行ってくれ」
少年は涙を拭き、俺の腕を肩へ回そうとする。
小さな身体。
俺を支えられるはずがない。
それでも、助けようとしている。
ダリウスがこちらへ歩いてくる。
一歩ごとに床が沈む。
レナが立ち上がろうとするが、胸部固定具が砕けかけている。
ミサキは負傷兵の治療を終え、こちらへ向かおうとしている。
だが、距離がある。
「レンから離れなさい!」
レナが叫ぶ。
ダリウスは止まらない。
「見ろ」
彼はレナへ告げる。
「守られるだけの子ども」
「動けなくなった男」
「壊れかけたアンドロイド」
「お前たちは互いを支えようとして、全員で沈む」
ダリウスの外骨格が、灰色の重力光をまとう。
巨大な拳が持ち上がった。
「弱者を守れば、弱者が増える」
「だから、守る者を選ばなければならない」
拳が振り下ろされる。
俺は動けない身体で、リオを胸元へ引き寄せた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第9話では、レンたちによる《HELIX CLINIC》からの避難作戦が始まりました。
能力で敵を倒すのではなく、レンは診療所の搬送設備と《ウェイフェアラー》の牽引ワイヤーを接続し、患者を運ぶ仕組みを作りました。
一方、マーテルの回収部隊指揮官ダリウス・ヴェインは、
「社会へ戻れない者を守り続ける価値はない」
という思想を持っています。
彼にとって弱者の保護は、限られた資源を消耗させ、社会全体を弱くする行為です。
それに対しミサキは、自分たちを捕らえに来た兵士であっても、負傷した瞬間には患者として治療しました。
助ける相手を価値で選べば、自分もダリウスと同じになるからです。
そしてレンは、少年リオを救うため《SOUL REPAIR》を使用しました。
今回は一人で決めず、使用時間と使用後の対応をレナ、ミサキ、ミラへ伝えたうえで、倒れた後には仲間へ助けを求めています。
しかし、その代償で再び身体が動かなくなり、ダリウスの拳がレンとリオへ迫ります。
次回、レナ、ミサキ、ガイ、ミラ、ピコ。
壊れかけた仲間たちの力をつなぎ、《ウェイフェアラー》はラスト・ナインからの脱出を目指します。
第10話「旅人たちは、星を出る」へ続きます。




