第10話 旅人たちは、星を出る
無登録児童リオを救うため、《SOUL REPAIR》を使用したレン。
再び身体の自由を失った彼へ、ダリウス・ヴェインの拳が迫る。
だが今回は、レン一人が誰かを救うのではない。
レナ、ミサキ、ガイ、ピコ、ミラ。
壊れかけた者たちが互いの不足を補い、診療所の患者たちを《ウェイフェアラー》へ避難させる。
そして、戦いの後。
慌ただしい船内で、旅人たちは少しだけ休むことになる。
ダリウスの拳が振り下ろされた。
灰色の光をまとった巨大な外骨格。
まともに受ければ、俺もリオも床ごと押し潰される。
逃げろ。
身体へ命令する。
だが、両脚は動かない。
右腕にも力が入らない。
俺にできたのは、小さなリオを胸元へ引き寄せることだけだった。
「目を閉じろ!」
少年の頭を左腕で覆う。
重い風圧が顔へ届いた。
次の瞬間。
甲高い金属音が、通路いっぱいに響いた。
「――あなたは」
聞き慣れた女性の声。
「この人へ触れすぎです!」
目を開く。
俺たちの前に、レナが立っていた。
VOLT ARCとBLAZE ARCを交差させ、ダリウスの拳を受け止めている。
動かない右脚。
ひび割れた胸部固定具。
両腕も震えている。
それでも、一歩も引いていなかった。
「レナ!」
「無事ですか?」
「俺より、自分の心配を――」
「無事かどうかを聞いています!」
「今のところは!」
「それで結構です!」
結構ではない。
ダリウスの重力が強まるたび、レナの左脚が床へ沈んでいく。
VOLT ARCの青白い電撃は接地装甲へ逃がされ、BLAZE ARCの熱も外骨格表面を焼くだけ。
力の差は埋まっていない。
「壊れた身体で、誰かをかばうか」
ダリウスがレナを見下ろす。
「合理性がない」
「あなたへ評価を求めていません」
「守っている男は、また動けなくなった」
「だから何です?」
レナの金色の瞳が鋭く光る。
「動けないなら、私が動きます」
「私が動けなくなれば、別の誰かが動く」
「それを弱さと呼ぶのなら」
BLAZE ARCの赤い光が強くなる。
「あなたは一生、一人で立っていればいい!」
「レナ、最大出力は駄目だ!」
「使用しません!」
「今、上がっただろ!」
「気合いです!」
「属性炉の出力が気合いで上がるのかよ!」
「会話をしている場合か!」
ダリウスが拳へ力を込める。
レナの膝が曲がった。
その背後から、太いワイヤーが飛んでくる。
金属製の先端が《TITAN FRAME》の右腕へ巻きついた。
「今度はこっちだ、でかぶつ!」
ガイの声。
通路の反対側で、救難用牽引装置を操作している。
大型ワイヤーの反対側は、《ウェイフェアラー》の格納庫へつながっていた。
「ミラ!」
『牽引装置、起動します』
ワイヤーが一気に巻き取られる。
ダリウスの右腕が横へ引かれた。
彼の巨体そのものを動かすほどではない。
だが、拳の軌道は外れる。
レナは交差させていた二本の剣を解き、左へ身体を流した。
ダリウスの拳が床へ落ちる。
診療所の床が大きくへこみ、周囲に亀裂が走った。
「レナ、離れろ!」
ガイが叫ぶ。
レナは左脚で床を蹴り、俺たちの前へ戻る。
着地した瞬間、右脚の補助装具が折れた。
「っ……」
身体が傾く。
俺は支えようとした。
だが、腕はまだ動かない。
代わりに、小さな影がレナの腰へ飛びついた。
「お姉ちゃん!」
リオだった。
子ども一人の力で、アンドロイドの身体を支えられるはずはない。
それでも、レナは倒れなかった。
壁へ左手をつき、リオの頭を見下ろす。
「危険です。離れてください」
「でも、お姉ちゃんも倒れる!」
「私は倒れていません」
「倒れそう!」
「倒れそうなだけです」
「同じだよ!」
レナが言葉に詰まった。
その隙に、ミサキが俺たちのそばへ駆け込んでくる。
「レン!」
「三秒は守った」
「今はそこを褒める場面じゃない!」
ミサキは俺の首元へ端末を当てる。
「呼吸は維持」
「意識もある」
「右半身の神経反応低下……前より回復が遅い」
「リオは?」
「外傷なし」
「よかった」
「よくない!」
ミサキの眉間に深いしわが寄る。
「倒れた後に呼ぶ約束は守った」
「倒れる前に戻ってくる努力もして!」
「そこまで約束した?」
「今追加した!」
強引だ。
だが、不思議と嫌ではなかった。
俺が言い返そうとしたとき、ダリウスが牽引ワイヤーを左手でつかんだ。
「この程度の装置で」
腕へ力を込める。
「俺を拘束できると思ったか」
ワイヤーが軋む。
格納庫側から、警告音が聞こえる。
『牽引装置、許容負荷を超過』
「分かってる!」
ガイが操作盤を叩く。
「ミラ、切るな!」
『装置が破損します』
「あと十秒持たせろ!」
『推奨しません』
「俺も推奨してねえ!」
ダリウスがワイヤーを引き寄せる。
反対側にある牽引装置そのものが、診療所側へ引っ張られ始めた。
だが、ガイの狙いはダリウスを捕まえることではなかった。
「ピコ!」
『準備完了』
ダリウスの頭上。
天井近くの搬送レールを、小さな整備ロボットが走っている。
ピコの作業腕には、診療所の医療用電源セル。
その端子から、太いケーブルが垂れ下がっていた。
『レナ、受け取れ』
「何をするつもりです?」
『即席出力補助』
「属性炉へ外部電源を接続するのですか?」
『一・五秒のみ』
「危険です!」
『現在も危険』
ピコがレナへケーブルを投げる。
レナは左手で受け取った。
「ミサキ!」
「一秒半なら、属性炉の保護回路が持つ可能性はある!」
「可能性?」
「今はそれしかない!」
レナが俺を見る。
最大出力を使う前に相談する。
そう約束した。
「レン」
「やるのか?」
「ダリウスの外骨格を停止させます」
「レナ自身は?」
「出力後、戦闘継続は不可能になります」
「停止する確率は?」
「七十――」
『現在、九十一パーセント』
「ピコ!」
『更新値』
レナが唇を引き締める。
九十一パーセント。
ほぼ確実に倒れる。
以前なら、俺はやめろと言ったかもしれない。
あるいは、自分が代わりに何かしようとした。
だが今の俺は動けない。
そして、レナも命令を求めているわけではない。
結果を共有しようとしている。
「終わったら、俺たちが運ぶ」
俺は答えた。
「それでもやる?」
「はい」
「なら、一人で倒れるな」
「ガイ、ミサキ、ピコ」
「レナが出力を使った後を頼む!」
「最初からそのつもりだ!」
「分かった!」
『了解』
レナが電源ケーブルを胸部固定具へ接続した。
外部セルの青い光。
胸部属性炉の金色。
VOLT ARCの電撃。
BLAZE ARCの炎。
三つの光が不安定に混ざり合う。
「ダリウス・ヴェイン」
レナは左脚だけで立ち上がった。
「弱い者を守る価値がないと、あなたは言いましたね」
「事実だ」
ダリウスはワイヤーを握ったまま、彼女を見据える。
「ならば、見ていてください」
レナが二本の剣を交差させる。
「壊れた船」
「動けない人間」
「負傷した医師」
「旧式の整備ロボット」
「あなたが価値を認めない者たちが」
青と赤の光が、一つの輪を描く。
「今、あなたを止めます」
**CROSS IGNITION**
炎と電撃が交差した。
正面からダリウスを吹き飛ばす攻撃ではない。
レナは光の刃を、ガイが巻きつけた牽引ワイヤーへ流し込んだ。
「何――」
ワイヤーが赤熱する。
続いて、青白い電撃が金属内部を走る。
ダリウスは接地装甲で電流を逃がそうとした。
だが、右肩の重力装置はすでに損傷している。
左右の出力差。
牽引ワイヤーから流れる電撃。
BLAZE ARCの熱で膨張した接続部。
三つが重なり、《TITAN FRAME》の制御系統へ過負荷がかかった。
『一・五秒経過』
ピコが外部セルを切り離す。
レナの光が消えた。
同時に、ダリウスの外骨格から火花が噴き出す。
「小細工が……!」
《TITAN FRAME》の右脚が固定。
左肩の重力円盤が逆回転。
自分自身の重力に引かれ、ダリウスの巨体が床へ膝をついた。
「今だ、ミラ!」
『格納庫隔壁を開放』
診療所とウェイフェアラーをつなぐ接続通路の先。
格納庫の巨大な隔壁が開く。
内部の空気が一時的に移動し、通路へ強い風が吹いた。
ダリウスを吸い出すほどではない。
だが、床に散らばった金属片や破損した装備が、彼の周囲へ集まる。
ガイが牽引ワイヤーを緩める。
次の瞬間、天井の搬送レールが動いた。
避難に使っていた空の搬送台が、ダリウスの背後から突進する。
「こんな物で――」
ダリウスが左手で受け止める。
その搬送台には、医療用の大型磁気固定具が載せられていた。
「ミサキ!」
「起動!」
磁気固定具が《TITAN FRAME》へ吸着する。
床面の搬送レールとも結合。
ダリウスの外骨格が、その場へ強制固定された。
「医療機器を武器に使う医者がいるか!」
ガイが叫ぶ。
「患者を守るためなら使うわよ!」
「あとで弁償しろ!」
「あなたが直して!」
ダリウスが外骨格を動かそうとする。
しかし制御系統は停止し、脚は床へ固定されている。
完全に倒したわけではない。
数分もあれば、自力で装甲を切り離すだろう。
だが、避難には十分だった。
「レナ!」
彼女の身体がゆっくりと後ろへ倒れる。
俺は動けない。
リオにも支えられない。
だが、ミサキとガイが左右から腕を伸ばした。
二人でレナを受け止める。
「出力停止!」
ミサキが胸部固定具を確認する。
「SOUL COREは?」
『反応維持』
ピコがレナの胸元へ接続。
『属性炉、緊急停止』
「意識は?」
「……あります」
レナの金色の瞳が細く開く。
「レンは?」
「ここにいる」
「避難は?」
『残り患者、二名』
「なら、まだ――」
「もう戦うな!」
俺とミサキとガイの声が重なった。
レナが目を瞬かせる。
「三人で言う必要がありますか?」
「一人じゃ聞かないだろ」
俺が答える。
「……否定はしません」
珍しく素直だった。
◇
最後の搬送台が《ウェイフェアラー》へ到着した。
『避難対象、全員の乗船を確認』
ミラの報告が船内へ響く。
『HELIX CLINIC内に残存する生命反応』
『マーテル兵士七名』
『ダリウス・ヴェイン』
『ほか、救助を希望しない職員二名』
「職員が残った?」
ミサキが尋ねる。
『施設設備の自動廃棄処理と、負傷兵の引き渡しを行うとのことです』
診療所側に残った医療職員。
彼らはマーテル兵を見捨てず、施設の重要記録を消した後で投降するつもりらしい。
ミサキの表情が険しくなる。
「連れていけないの?」
『本人たちが拒否しています』
「理由は?」
『全員が避難した場合、負傷兵の治療が中断されるため』
ミサキは目を閉じた。
自分が教えた医療倫理。
敵でも、負傷すれば患者。
その言葉を、残る二人も守ろうとしている。
「ばかね」
小さな声。
「私も同じことをするくせに」
通信端末へ手を置く。
「必ず迎えに戻る」
診療所側から、年配の女性の声が返ってきた。
『戻らなくていい』
「何言ってるの」
『まず、そこにいる子どもたちを安全な場所へ運びなさい』
「でも――」
『ミサキ』
柔らかな声だった。
『医師は、誰か一人を救うために、全員を危険へ戻してはいけない』
ミサキが唇を噛む。
『私たちは、自分で残ると決めた』
『あなたが患者の選択を尊重するなら、私たちの選択も尊重して』
「ずるい言い方」
『あなたの教え方がよかったのよ』
通信が切れた。
ミサキはしばらく端末を握ったまま動かなかった。
レナが搬送台の上から、静かに声をかける。
「必ず戻れないとしても」
「戻る努力はできます」
「慰めてる?」
「事実を述べています」
「今は、それでいい」
ミサキは目元を拭い、顔を上げた。
「ミラ、離脱準備」
『すでに開始しています』
「ガイ、船は?」
『悪い』
「具体的に」
『主動力炉は動く』
『応急推進器も一回なら点火できる』
『二回目は知らん』
「十分ね」
『医者の基準が壊れてきたな』
「この船に乗ったせいよ」
「俺のせいじゃないよな?」
横になったまま尋ねる。
ミサキがこちらを見る。
「あなたは原因の一つ」
「一つなんだ」
「船、レナ、ガイ、ピコ、ミラ」
「全員少しずつ悪い」
『不当な評価』
ミラが即座に反論する。
『私は常に合理的です』
『離陸成功率、現時点で十二・四パーセント』
「それを平然と言うのが一番悪い!」
ガイの怒声が船内に響いた。
◇
格納庫の隔壁が閉じられた。
診療所との接続アームが一本ずつ外れる。
最後のアームが離れた瞬間、《ウェイフェアラー》は軌道上へ漂い出した。
船内には、診療所から避難した患者たちがあふれている。
居住区は気密が戻っていない。
医療区画も完全には使えない。
そのため、格納庫と修理区画を簡易の避難所にしていた。
人間。
アンドロイド。
ハイブリッド。
無登録児童。
正式な乗員ではない者たちが、壊れた救難船の中で肩を寄せ合っている。
「ミラ、追跡は?」
『マーテル装甲艦が接続解除中』
『発進まで、推定五分四十秒』
「その前に離れる」
レナが搬送台の上から言う。
「船体をラスト・ナイン側へ落とし、廃棄輸送路の陰を利用してください」
『その航路では、惑星重力圏へ再突入する危険があります』
「通常推進で逃げれば、装甲艦に追いつかれます」
「一度、下へ落ちる?」
俺が尋ねる。
「はい」
レナは空中へ航路図を表示した。
「ラスト・ナインの廃棄輸送路は、軌道上の巨大な構造物です」
「その裏側へ入り、マーテル艦から姿を隠します」
「その後、輸送路の重力補助を利用して加速」
「スター・ゲートの外縁へ向かいます」
「ゲート接続キーはまだ壊れてるんじゃ?」
「完全な星間移動はできません」
「ですが、旧緊急救難権限を使えば、周辺宙域までの短距離接続は可能かもしれません」
「かもしれない?」
「成功率は?」
『現在計算中』
ミラが答える。
『十八・七パーセント』
「上がったな」
『通常感覚では、依然として低い数値です』
「ここでは高く感じる」
「感覚が壊れてるわ」
ミサキが呆れたように言う。
俺たちは全員、まともに立つことさえできない。
ガイは機関区画。
ピコは修理レール。
ミラは記憶の七割を失った旧式AI。
レナは右脚と属性炉が停止。
ミサキは患者の治療を続けながら、自分もほとんど休んでいない。
俺は簡易寝台に固定されたまま。
こんな船で、追跡艦から逃げようとしている。
合理性に問題があると言われても仕方がない。
「レン」
レナが呼ぶ。
「身体は?」
「右手は少し戻ってきた」
指を曲げる。
ゆっくりだが動く。
「脚は?」
「まだ無理」
「そうですか」
彼女は安心したとも、不安だとも言わなかった。
ただ、俺の指が動く様子をじっと見ている。
「レナは?」
「属性炉を緊急停止中です」
「再起動までは六時間以上」
「その間は?」
「通常の人間より少し重い、移動不能な荷物です」
「自分で荷物って言うなよ」
「機能的な説明です」
「じゃあ、患者」
「その表現も好みません」
「負傷者」
「正確です」
「面倒だな」
「あなたほどではありません」
ミサキが二人の間へ割り込んだ。
「仲良く話してるところ悪いけど」
「誰が仲良く――」
「二人とも治療」
レナと俺の声が重なる。
「必要ありません」
「少し休ませて」
「はい、同時に拒否したから両方却下」
ミサキは医療端末を操作する。
俺の寝台とレナの搬送台が、隣り合う位置へ固定された。
「どうして並べる?」
「監視装置が一台しかないから」
「ほかの理由は?」
「ない」
ミサキは平然と答えた。
だが、ノイが横から顔を出す。
「先生、さっき『この二人、一緒に置いた方がおとなしい』って言ってた」
「ノイ」
「言ってたよ」
「子どもは寝る時間」
「今、朝?」
「船の中では寝たら夜、起きたら朝」
「レンと同じことを言っていますね」
レナが指摘する。
「今、その話はいいの」
ミサキが端末を取りつける。
俺の胸元。
レナの胸部固定具。
二人分の状態が同じ画面へ表示された。
「レンは神経反応の回復待ち」
「レナは属性炉の冷却待ち」
「どちらも六時間は動かない」
「敵が来たら?」
レナが尋ねる。
「ガイとミラに任せる」
「戦闘能力が不足しています」
「患者が戦闘計画に口を出さない」
「私は航路監査官です」
「今は患者」
「私は――」
ミサキがレナの胸元へ小さな冷却材を貼った。
「冷たっ……!」
レナの身体がわずかに跳ねる。
金色の瞳が大きく見開かれた。
「何をしたのですか!」
「冷却パッチ」
「事前に説明してください!」
「今から貼るって言った」
「聞こえていません!」
「レンと話してたからでしょう」
「別に、レンと話していたから聞こえなかったわけでは――」
レナの頬がわずかに赤くなる。
属性炉が停止していても、表情の変化は残るらしい。
俺は思わず笑った。
「意外と冷たいの苦手?」
「苦手ではありません」
「驚いただけです」
「顔、赤いけど」
「体温調整反応です」
「アンドロイドにもあるんだ」
「必要な機能です!」
「二人とも静かに」
ミサキが俺の額へも冷却材を貼る。
「冷たっ!」
「レンも苦手ね」
「今のは急だっただろ!」
「事前に見せた」
「見えなかった」
「レナを見てたから?」
「違う!」
今度は俺の顔が熱くなる。
ノイとリオが顔を見合わせた。
「この二人、仲良し?」
「違います」
「違う」
また声が重なる。
子どもたちが笑った。
その笑い声に、周囲にいた患者たちも少しだけ表情を緩める。
戦いは終わっていない。
追跡艦もいる。
船は壊れている。
それでも、ほんの短い時間だけ、格納庫の空気が軽くなった。
◇
『主動力炉、出力上昇』
ミラの声が響く。
『ラスト・ナイン重力圏へ向け、降下を開始します』
船体がゆっくり傾く。
寝台に固定されていても、身体が横へ引かれる感覚がある。
「ミラ」
俺は天井へ向かって声をかけた。
『はい』
「これから、ずっと船内放送で話すの?」
『船内管理AIとして、一般的な方法です』
「姿はないのか?」
『投影用人格モデルは存在します』
「見せられる?」
短い沈黙。
『推奨しません』
「どうして?」
『人格モデルのデータが部分的に破損しています』
「変な姿になる?」
『左右の目の位置が一致しない可能性があります』
「それは怖いな」
『加えて、髪の一部が床を貫通します』
「直してからにしよう」
『賢明です』
ピコが天井のレールを走ってくる。
『ミラ、外見、気にする』
『最低限の表示品質は必要です』
『見栄』
『船内AIにも威厳が必要です』
「ミラにも、そういうのあるんだな」
『私を単なる演算装置だと考えていましたか?』
「いや、でも」
『不快です』
「怒るの?」
『怒ってはいません』
船内照明が一斉に一度だけ消えた。
すぐに戻る。
「今の何?」
『電力供給の一時的不安定です』
『ミラ、怒った』
『ピコ』
『事実を報告』
周囲から小さな笑いが起こる。
ミラはしばらく返事をしなかった。
やがて、少し低い声で言う。
『現在の乗員候補は、船内AIへの敬意が不足しています』
「候補って、正式な乗員になるには何が必要?」
『船長による登録です』
「船長はいない」
『記録上は不在です』
「じゃあ、新しく決めれば?」
ノイが言った。
単純な提案。
だが、船内が少し静かになる。
「誰が船長になるの?」
リオが尋ねる。
子どもたちの視線が、なぜか俺へ集まった。
「待って」
「俺は宇宙船の操作も知らないぞ」
「知らなくても、みんなにお願いしてる」
ノイが言う。
「先生にも、レナお姉ちゃんにも、ガイおじさんにも」
「誰がおじさんだ!」
機関区画からガイの声が飛んでくる。
「聞こえてたの?」
『船内通信は全区画で有効です』
「じゃあ、ガイお兄さん?」
『その修正は不自然』
「ピコ、余計なこと言うな!」
ガイの怒声。
再び笑いが起こる。
「レンが船長でよいのではありませんか?」
レナが静かに言った。
「レナまで」
「あなたは自分一人で何でも処理できません」
「褒められてないよな?」
「最後まで聞いてください」
レナは真面目な表情を崩さない。
「航路知識は私の方が上です」
「修理技術はガイ」
「医療はミサキ」
「船内管理はミラ」
「整備補助はピコ」
「戦闘能力も現時点では私が上です」
「ほぼ全部、俺より上じゃないか」
「はい」
「はっきり言うな」
「だからこそです」
レナは続ける。
「あなたは、自分にできないことを他者へ求めます」
「以前は、求めた後に勝手に倒れていましたが」
「余計な一言が多い」
「最近は、倒れる前に相談するようになりました」
「少しだけです」
ミサキが補足する。
「それでも、改善はしています」
レナは俺を見る。
「指揮官は、すべてを自分で行う者ではありません」
父親から教わった言葉。
一人で抱え込み、墜落した彼女が。
今、その言葉を俺へ渡そうとしている。
「俺が決めるのは違うと思う」
「乗ってる全員で決めた方がいい」
「投票?」
ミサキが尋ねる。
「それでもいい」
「反対する人が多ければ?」
「別の人を選ぶ」
ガイが通信越しに鼻を鳴らす。
『面倒な手順だ』
「反対?」
『船長なんて、壊れたとき最後まで残る役だろ』
「そういう決まりなの?」
『昔の現場じゃな』
「なら、なおさら勝手には決められない」
俺は周囲を見る。
患者。
子どもたち。
救助したアンドロイド。
正式な身分を持たない者。
全員が、同じ船に乗っている。
「今すぐ正式に決めなくていいんじゃない?」
ミサキが言う。
「目的地すら決まってない」
「まずは追跡を振り切る」
「次に安全な場所を探す」
「船長選びはその後」
『合理的です』
ミラが同意する。
『それまでは、神代レンを暫定調整役として登録します』
「調整役?」
『船長ほどの権限はありません』
『ただし、各担当者の意見が衝突した場合、最終的な相談先となります』
「何だか責任だけ重くない?」
『拒否しますか?』
周囲を見る。
誰も命令に従うために乗っているわけではない。
自分でここへ来ると決めた人たち。
俺が勝手に導くことはできない。
それでも、話をまとめる役は必要だ。
「分かった」
「暫定で」
『登録します』
船内端末に表示が浮かぶ。
**TEMPORARY COORDINATOR:REN KAMISHIRO**
「船長じゃないんだ」
リオが少し残念そうに言う。
「そのうちね」
ノイが答える。
「何でノイが決めるんだよ」
「物語では、最初はだいたいそういうものだから」
「未来にも物語はあるんだな」
「当たり前だよ」
ノイは胸を張る。
「海賊船の船長と、宇宙王女が恋する話とか」
「どんな話だ」
「最後は十二人で結婚する」
「多いな!」
「正式には《CIRCLE PARTNERSHIP》」
レナが淡々と補足する。
「複数のパートナーが、全員の同意により家族関係を結ぶ制度です」
「本当にあるの?」
「あります」
「十二人も?」
「制度上、人数制限は地域によります」
急に世界の知らない部分が出てきた。
「複数人で結婚できるのか」
「結婚という旧式表現とは、法的構造が異なります」
「恋人が何人いてもいいってこと?」
「全員が同意し、関係規則を共有し、生活および財産上の責任を負う場合に限ります」
「大変そうだな」
「非常に大変です」
ミサキが横から口を挟む。
「二人でも大変なのに、人数を増やしたら話し合いが地獄」
「経験あるの?」
「患者相談で見てきただけ」
「本当に?」
「患者は詮索しない」
灰青色の目が細くなる。
俺は黙った。
「レン」
レナが呼ぶ。
「何?」
「なぜ、その制度へ関心を示したのです?」
「知らない制度だったから」
「本当に、それだけですか?」
「それ以外に何があるんだよ」
レナが少しだけ目を細める。
「別に」
「何なんだ」
「何でもありません」
ミサキが俺とレナを交互に見た後、小さくため息をついた。
「先が思いやられるわね」
「何の話?」
「船の話」
「絶対違うだろ」
◇
格納庫の一角では、ガイが食事用の簡易加熱器を直していた。
追跡を振り切るまで動けない俺たちに代わり、患者たちが船内整理を始めている。
その中の一人。
ロックの保管庫から救出した女性型アンドロイドが、保存食の箱を開けた。
「食事可能な方へ配布します」
中身は、銀色の袋。
味気ない。
「未来の宇宙食か」
「百四十年前の宇宙食だ」
ガイが訂正する。
「食べられるのか?」
「保存期限は?」
『期限超過、百十九年』
ピコが答える。
「駄目じゃないか!」
『密封状態、良好』
「良好でも百年だぞ!」
「アンドロイドは問題ありません」
レナが袋を一つ取る。
「レナ、食べる必要あるの?」
「有機成分から補助エネルギーを得る機能があります」
「味も分かる?」
「当然です」
「何味?」
レナは袋の表示を見る。
「標準栄養ペースト、プレーン」
「味がなさそう」
「プレーンは味です」
袋を開ける。
中から白っぽい半固形物が出てきた。
レナは小さなスプーンですくい、口へ運ぶ。
数秒。
表情が止まった。
「どう?」
「……栄養摂取には問題ありません」
「おいしくないんだな」
「その評価基準は、救難食に不要です」
「顔に出てる」
「出ていません」
ミサキが別の袋を取り、表示を見る。
「こっちは海藻風味」
「未来にも海藻味があるんだ」
「食べてみる?」
「百十九年ものだろ」
「死ぬ危険は低い」
「低いって何パーセント?」
「今の船の離脱成功率よりは高い」
「比較対象が悪すぎる」
それでも腹は減っている。
俺は海藻風味のペーストを少し口へ入れた。
「……まずい」
「救難食ですから」
レナが勝ち誇ったように言う。
「レナもまずいと思ってたんじゃないか」
「私は言っていません」
「顔で言ってた」
「人格領域を読まないでください」
「今は読んでない!」
ガイが加熱器を叩く。
「文句があるなら、これを食え」
小さな容器が温められている。
中身は、茶色い煮込みのようなもの。
「何?」
「工房に置いてた非常食」
「期限は?」
「三年」
「急に安心感がある」
「ラスト・ナイン産の合成肉と豆だ」
香りがする。
少し焦げたような、濃い匂い。
「ガイが作ったの?」
「温めただけだ」
「味付けは?」
「俺だ」
ミサキが一口食べる。
目がわずかに見開かれた。
「おいしい」
「そうか」
ガイは興味がないように答える。
だが、少しだけ口元が緩んでいた。
レナも一口。
「……悪くありません」
「素直にうまいって言え」
「味が濃すぎます」
「属性炉が止まってる奴は塩分を気にする必要ねえだろ」
「味覚の問題です」
「でも、さっきより食べる速度が速い」
俺が指摘する。
レナの手が止まる。
「補助エネルギーが必要だからです」
「二杯目だけど」
「必要量です」
ノイが笑う。
「レナお姉ちゃん、いっぱい食べるね」
「高性能機は消費量も多いのです」
「胸に行くの?」
ノイが真顔で尋ねた。
船内が静かになった。
「……何ですって?」
「エネルギー」
「胸の炉に行くんでしょ?」
「ああ」
全員が少しだけ息を吐く。
レナは何を想像されたと思ったのか。
金色の瞳を泳がせている。
ミサキが口元を手で隠した。
「笑いましたね?」
「笑ってない」
「明らかに笑っています」
「医師として、患者の誤解を観察しただけ」
「どの誤解ですか!」
「レナ」
俺が呼ぶ。
「何です!」
「顔、赤い」
「温かい食事による体温調整です!」
周囲から笑い声が上がる。
レナは不満そうに口を閉じた。
それでも、煮込みの容器を返すことはなかった。
◇
食事の後。
ガイは機関区画へ戻る前に、格納庫の隅へ一人で座った。
手には、小さな金属製の容器。
酒のようだった。
「飲むの?」
ミサキが尋ねる。
「一口だけだ」
「操船中」
「俺は機関担当だ」
「もっと駄目でしょう」
「酒じゃねえ」
「匂いが完全に酒」
「消毒用だ」
「胃を消毒するの?」
「うるせえ医者だな」
ガイは容器を口元へ運ぶ。
その途中で、格納庫にいる子どもたちへ視線を向けた。
ノイとリオが、ピコを追いかけている。
『追跡、非推奨』
「待って!」
『整備作業中』
「頭に乗せて!」
『拒否』
走り回る子どもたち。
ガイは容器を見た。
しばらくして、ふたを閉じる。
「飲まないの?」
俺が尋ねる。
「うるせえからな」
「子どもが?」
「お前ら全員だ」
容器を作業着の内側へしまう。
代わりに、大きな保存食の袋を取り出した。
「少し寝る」
「機関区画は?」
『自動監視中です』
ミラが答える。
『異常発生時には、ガイを起こします』
「どうやって?」
『最大音量で警報を鳴らします』
「静かに起こせ」
『通常音量では起きなかった記録があります』
「いつの記録だ!」
『工房内の小型端末から取得しました』
「勝手に読むな!」
『船内安全に必要です』
ガイが舌打ちする。
だが、壁へもたれ、目を閉じた。
数分もせず、低いいびきが聞こえ始める。
「本当にすぐ寝た」
ミサキが呟く。
「ずっと修理してたから」
「そうね」
彼女は近くにあった薄い毛布を取り、ガイの肩へかけた。
ガイは起きない。
「優しいな」
俺が言うと、ミサキは眉を上げた。
「医師として必要な保温」
「レナと同じこと言う」
「一緒にしないで」
「何か言いましたか?」
隣の搬送台からレナが尋ねる。
「言ってない」
「ミサキが、レナみたいに素直じゃないって」
「レン!」
「そのような評価は心外です」
「二人とも同時に怒るなよ」
また少し笑いが起きる。
戦いの後だからだろうか。
普段なら流せるような言葉でも、妙におかしく感じる。
◇
ミサキが患者の確認へ戻った後。
レナと俺は、隣り合ったまま外部映像を見ていた。
ラスト・ナインの巨大な廃棄輸送路。
その裏側を、《ウェイフェアラー》がゆっくり降下している。
遠くには、マーテルの装甲艦。
まだこちらを見つけていない。
「レナ」
「何です?」
「家のこと」
彼女の表情が少し固くなる。
「ダリウスが言ってた死亡届」
「本当だと思う?」
「分かりません」
「エドガーたちが見捨てたとは思わない?」
長い沈黙。
「父は、そのような人ではありません」
はっきりと答えた。
だが、その後の声は少し弱い。
「母も、弟も」
「私を捜しているはずです」
「ただし」
金色の瞳が外の星へ向く。
「正しい情報が届いていない可能性は高い」
「墜落事故そのものが、何者かによって仕組まれています」
「救難座標も改ざんされていました」
「家の中に裏切った人がいる?」
「否定できません」
ヴィクターの存在。
今の俺はまだ知らない。
レナも確証を持っていない。
「帰りたい?」
俺が尋ねる。
レナはすぐに答えなかった。
「帰還は必要です」
「アークライト家へ、今回の情報を届けなければなりません」
「それは仕事の話」
「レナ自身は?」
彼女が俺を見る。
この質問を、俺は何度も彼女へしている。
家名でも。
役職でも。
機能でもなく。
本人がどうしたいか。
「帰りたいです」
小さな声だった。
「父と母とアレンに」
「生きていると伝えたい」
「助けを待っていたのに来なかったことへ、怒りたい」
「一人で行動したことを叱られるのも」
「……少しだけ、受け入れます」
「少しだけ?」
「全面的に受け入れるとは言っていません」
「そこはレナだな」
「どういう意味ですか?」
「変わってないところもあるってこと」
「変わる必要のない部分です」
レナは少し間を置いた。
「レンは?」
「帰りたい場所がありますか?」
病院。
家族。
現代の地球。
もう千年以上前。
帰れる可能性は、ほとんどない。
「ある」
「でも、帰っても誰もいない」
「そうですね」
慰める言葉を探しているのだろう。
レナはしばらく黙った後、言った。
「ならば」
「帰る場所を増やせばよいのではありませんか?」
「増やす?」
「過去の場所へ戻れないとしても」
「今後、帰りたいと思える場所を作ることはできます」
彼女らしくないほど、柔らかな言葉だった。
「ウェイフェアラーを?」
「現状では、帰りたいと思える環境ではありません」
「ひどい」
「寝床は硬く、食事は百年以上期限切れ」
「船体は損傷」
「乗員候補は無謀」
「特に暫定調整役が問題です」
「俺のことか」
「ほかに誰が?」
だが、レナの口元には、わずかな笑みがある。
「それでも」
彼女は続ける。
「改善は可能です」
「船も?」
「人もです」
「俺も修理対象?」
「訓練対象です」
「厳しいな」
「まずは歩行」
「次に体幹」
「その後、受け身」
「退院した直後みたいだな」
「退院という概念は理解できます」
「毎日実施します」
「毎日?」
「当然です」
「医師の許可を取ってからね」
ミサキが背後から割り込んだ。
「聞いてたのか」
「患者の会話は聞かないけど」
「訓練計画は医療に関係する」
「レナ、勝手に始めない」
「基礎訓練です」
「レンは神経麻痺から回復中」
「まず、立てるようになってから」
「その後は?」
「私がメニューを作る」
「私が指導します」
「医療と戦闘で分ける」
「運動量は私が決めます」
「技術内容は私が決めます」
二人の間で、俺の訓練計画が進んでいく。
「本人の意見は?」
「継続しますか?」
ミサキが尋ねる。
「やる」
俺は答えた。
「もう少し、自分の身体を使えるようになりたい」
「能力だけじゃなく」
レナは静かにうなずく。
「では、決定です」
「無理はさせない」
ミサキが言う。
「甘やかしもしません」
レナが続ける。
「ちょうど真ん中はないの?」
「ありません」
「ないわね」
二人の声がそろった。
先が思いやられる。
それでも、不思議と嫌ではなかった。
◇
『警告』
ミラの声が、船内の空気を一変させた。
『マーテル装甲艦が当船を再捕捉』
『追跡兵器、発射準備』
「休憩は終わりか」
俺は外部映像を見る。
廃棄輸送路の向こうから、白い装甲艦が現れる。
ダリウスが戻ったのかは分からない。
だが、艦は迷いなくこちらへ向かっている。
「スター・ゲートまで?」
レナが尋ねる。
『四分十二秒』
「追いつかれるまで?」
『二分五十秒』
「足りない」
ガイの声が機関区画から響く。
『応急左推進器を全開にする!』
「一回しか点火できないんじゃ?」
『一回で逃げる!』
『点火後、推進器分離の可能性があります』
「分離したら?」
『左旋回能力を失います』
「ゲートに入った後ならいい」
「入る前に外れたら?」
『衝突します』
「明るく言わないでくれ!」
レナが航路図を確認する。
「ミラ、旧緊急救難権限をゲートへ送信」
『送信中』
『応答なし』
「認証部は?」
『部分修復により、救難コードの三十八パーセントを送信可能』
「不足です」
「なら、俺がつなぐ?」
口にした瞬間。
レナとミサキが同時にこちらを見た。
「使いません」
「駄目」
「まだ何も言ってない」
「言いました」
「つなぐ、と」
「ゲート認証の機械部分だけなら――」
「現在、右半身の反応が完全に戻っていません」
ミサキが端末を示す。
「SOUL REPAIRは禁止」
「別の方法を探します」
レナも航路図へ視線を戻す。
「ピコ、認証部の物理配線は?」
『欠損、六十二パーセント』
「代替できる部品は?」
『サーティーンの記録媒体と、規格が部分一致』
空気が止まった。
「サーティーンの?」
胸元にある黒い記録媒体へ触れる。
『WORKER-13記録媒体には、旧救難規格の緊急作業者認証が残存』
『接続すれば、不足認証の一部を補完可能』
「でも、中の記録は?」
『接続後も保持可能』
『ただし、過電流による損傷確率、三十一パーセント』
サーティーンの記録。
この世界で初めて俺を守った存在。
残っているものを失うかもしれない。
だが、使わなければ全員が捕まる。
「レン」
レナが俺を見る。
「あなたが決めてください」
誰も勝手に取らない。
船を救うためだからと、俺の大切なものを使わない。
「サーティーンなら」
考える。
ただの命令かもしれない。
人を守るための作業記録。
それでも、最後に言った。
**PROTECT COMPLETE**
「使う」
俺は記録媒体を取り出した。
「でも、壊さない方法をできるだけ探してくれ」
『了解』
ピコが作業腕で媒体を受け取る。
船体側面の認証装置へ向かう。
『接続開始』
外部映像に、スター・ゲートが見えた。
宇宙空間へ浮かぶ巨大な輪。
内側には、淡い光の膜。
俺が知っている門とは、あまりにも大きさが違う。
「ミラ、ゲートへもう一度送れ!」
ガイが叫ぶ。
『緊急救難コード送信』
ピコがサーティーンの記録媒体を接続。
認証表示が変化する。
**EMERGENCY WORKER AUTHORITY DETECTED**
サーティーンが、最後に俺たちの道を開こうとしている。
『認証率、六十一パーセント』
「まだ足りない」
レナが言う。
「救難対象を追加登録してください」
『人数超過により、認証負荷が上昇します』
「逆です」
レナは船内にいる患者たちを見る。
「この船が、救難任務中であることを証明します」
「正規乗員ではなく、救助対象を登録してください」
ミラが一瞬沈黙。
『全生命反応および人格コアを救助対象として登録』
表示が増える。
人間。
アンドロイド。
ハイブリッド。
無登録児童。
マーテルが価値を認めなかった者たち。
一人ずつ。
救うべき存在として登録されていく。
『認証率、七十九パーセント』
「もう少し!」
『追加コードが必要です』
「ミラ自身の過去の救難記録は?」
俺が尋ねる。
「未完了の任務があるんだろ」
『記録の大部分が破損しています』
「残ってるものだけでいい」
「助けたいって言った気持ちを送れない?」
『感情は認証コードではありません』
「でも、ミラの判断記録は残ってる」
レナが理解した。
「救難優先判断の署名です」
「AIが任務中に行った判断には、固有の演算署名が残ります」
「ミラ、その署名を送信してください」
『現在の私は、過去のミラと完全には一致しません』
「それでも」
俺は言った。
「今も誰かを救いたいんだろ」
短い沈黙。
『はい』
「なら、送ってくれ」
『救難判断署名を送信』
ゲートの光が変わる。
閉じていた内側の膜に、細い亀裂のような光が走った。
『認証率、九十七パーセント』
「三パーセント足りない!」
『後方、追跡兵器発射』
白い装甲艦から、灰色の光弾が放たれた。
「ガイ!」
『推進器、点火する!』
轟音。
身体が寝台へ押しつけられる。
《ウェイフェアラー》が一気に加速。
スター・ゲートへ向かう。
だが、ゲートはまだ完全に開いていない。
「三パーセント!」
俺は叫ぶ。
「何かないのか!」
サーティーンの記録。
救助対象。
ミラの判断署名。
足りないのは、現在の船長権限。
正式な責任者。
「ミラ!」
「暫定調整役じゃ駄目か!」
『船長権限とは一致しません』
「なら、今だけ船長に登録してくれ!」
『全乗員の同意が必要です』
「時間がない!」
レナが声を上げる。
「私は、神代レンを船長として承認します!」
ミサキが続く。
「私も承認!」
機関区画からガイ。
『仕方ねえ、承認する!』
『ピコ、承認』
救助されたアンドロイドたち。
「承認します」
「私も」
患者たち。
子どもたち。
「レンお兄ちゃんでいい!」
「船長、がんばって!」
次々と声が重なる。
全員ではない。
意識を失っている者もいる。
判断できない子どももいる。
「判断できない人の分は?」
俺は尋ねる。
『本人の同意が取れない場合、代理権限が必要です』
「ミサキ」
「医療代理として承認する!」
「レナ」
「避難作戦責任者として承認します!」
「ミラ」
『救難対象保護責任者として承認』
表示が変わる。
**CAPTAIN AUTHORITY:REN KAMISHIRO**
『認証率、百パーセント』
『STAR GATE、緊急開放』
巨大な光の門が開いた。
同時に、後方から追跡兵器が迫る。
「全員、何かにつかまれ!」
俺は叫ぶ。
船長になって最初の命令が、それだった。
『応急左推進器、限界出力』
船体が悲鳴を上げる。
外壁が剥がれる。
左推進器の固定具が外れかける。
灰色の光弾が船尾へ接近。
「ミラ!」
『救難牽引ワイヤーを射出』
船尾から一本のワイヤーが放たれる。
狙ったのは追跡艦ではない。
廃棄輸送路を漂っていた巨大な金属塊。
ワイヤーが巻きつく。
ミラが巻き取り装置を最大出力で動かした。
《ウェイフェアラー》の進行方向が、わずかに横へずれる。
灰色の光弾が船体をかすめた。
衝撃。
格納庫の照明が消える。
誰かの悲鳴。
俺の身体が固定具の中で大きく揺れる。
それでも、船は止まらない。
光の門へ入る。
視界が白く染まった。
◇
音が消えた。
振動も。
追跡艦も。
ラスト・ナインも。
白い光が薄れ、外部映像に星々が戻る。
見たことのない宙域。
遠くに、青緑色の惑星。
その周囲を、複数の小さな衛星が回っている。
『ゲート接続、完了』
『周辺宙域への短距離移動に成功』
『追跡反応なし』
船内に、しばらく沈黙が続いた。
「逃げられた?」
リオの小さな声。
『現時点では』
ミラが答える。
「もっと安心できる言い方はないの?」
俺が尋ねる。
『あなたとレナは同じ質問をしますね』
「似てない」
「似ていません」
また声が重なる。
船内のあちこちから笑いが起きた。
ガイが通信越しに大きく息を吐く。
『左推進器、分離寸前』
『動力炉、出力低下』
『生命維持も不安定』
「でも飛んでる」
『今はな』
ミサキが周囲の患者を確認する。
「重傷者の状態は維持」
「大きな怪我もない」
「レンとレナ以外は」
「俺たちは最初から怪我してた」
「増えてる」
「増えてるのか」
「増えてる」
ミサキの目が怖い。
「あとで説教?」
「治療の後」
「逃げられない?」
「脚が動かないでしょう」
「確かに」
レナが外部映像を見つめる。
「ここは?」
『ゲートの緊急排出先』
『ラスト・ナインから約〇・八光年』
『正規航路外です』
「次に行く場所は?」
『現在の燃料と船体状態では、最寄りの有人惑星まで到達できません』
「いきなり詰んだ?」
『ただし』
ミラが立体地図を表示する。
青緑色の惑星の近く。
小さな工業用中継施設。
『旧救難記録に、無人補給拠点が存在します』
『現在も使用可能である保証はありません』
「そこまで行ける?」
『成功率、六十三パーセント』
船内がざわつく。
「高い!」
俺が言う。
『一般的には、十分な安全性とは言えません』
「さっきまで十パーセント台だったから」
『感覚が麻痺しています』
「ミラに言われたくない」
『不本意です』
レナが俺を見る。
「船長」
「その呼び方、慣れないな」
「全員の同意により登録されました」
「暫定じゃない?」
『正式な船長登録です』
ミラが答える。
「取り消せる?」
『全乗員の過半数、または船長本人の退任申請が必要です』
「辞めます」
「却下します」
レナが即答した。
「全員に聞かないと」
「少なくとも、今は必要です」
ミサキもうなずく。
「次の補給拠点までは続けて」
ガイの声。
『途中で放り出すな』
『ピコ、継続を推奨』
子どもたちも声を上げる。
「船長でいい!」
「命令して!」
「命令はあんまりしたくない」
「じゃあお願いして!」
「それならできる」
俺は息を整えた。
まだ右半身は完全に戻っていない。
船長席にも座っていない。
そもそもブリッジさえ壊れている。
それでも、この船にいる全員が次の言葉を待っている。
「ミラ」
『はい、船長』
「無人補給拠点へ向かってくれ」
「ただし、無理が必要になったら一人で決めない」
「ガイ、レナ、ミサキ、ピコと相談する」
『了解しました』
「それと」
「船内にいる全員へ」
息を吸う。
「ラスト・ナインからの脱出は成功した」
「でも、安全な場所に着いたわけじゃない」
「ウェイフェアラーは壊れてる」
「食料も、燃料も、部品も足りない」
「俺も船長の経験はない」
「頼りないと思う」
「非常に」
レナが即答した。
「そこは黙っててくれない?」
「事実です」
笑いが起きる。
「それでも」
俺は続けた。
「誰か一人が、全員の人生を決める船にはしたくない」
「何をするか」
「どこへ行くか」
「誰を助けるか」
「できるだけ話し合って決めたい」
「俺が勝手に決めそうになったら、止めてほしい」
「レナも」
「なぜ私を名指しするのです?」
「一番止めそうだから」
「当然です」
「ミサキも」
「倒れたら拘束する」
「それは相談じゃない」
「医療措置」
「ガイも」
『馬鹿な修理計画なら止める』
「ピコも」
『記録し、違反を報告』
「ミラも」
『合理性に欠ける命令には警告します』
「十分すぎるな」
俺は外部映像を見る。
新しい星。
知らない宙域。
帰る場所はない。
目的地も、まだはっきりしない。
それでも。
一人ではない。
「じゃあ、行こう」
「次の場所へ」
『星間救難船ウェイフェアラー』
『無人補給拠点へ向け、航行を開始します』
船体がゆっくりと向きを変える。
そのとき。
船内端末に、一つの警告表示が浮かんだ。
レナの胸部。
SOUL COREの深層。
《MIND LOCK》よりさらに奥にある封印領域。
そこから、一つの情報が自動的に送信されていた。
**GENESIS ARCHIVE:Y07**
通信の送信先。
緑に覆われた惑星。
**ELGREEN**
◇
同じ頃。
白い施設の暗い部屋で、一人の女性型アンドロイドが目を開いた。
銀色の短い髪。
淡い紫の瞳。
周囲には、六つの黒い円環が浮かんでいる。
『GENESIS ARCHIVEの一部を検出』
機械音声が告げる。
『レナ・アークライトの生存を確認』
『ORIGIN IRREGULARとの接触記録あり』
女性はゆっくり立ち上がる。
「ORIGIN IRREGULAR」
神代レンの映像が表示される。
壊れた機械へ触れ、青白い光を流す人間。
女性の淡い紫の瞳が、わずかに細くなった。
「回収対象を確認」
冷たい声。
「レナ・アークライト」
「GENESIS-Y07」
「神代レン」
六つの円環が回転を始める。
だが、レンの映像へ手を伸ばしたとき。
女性の指が、一瞬だけ止まった。
「この反応は……」
胸部に手を当てる。
存在しないはずの記憶。
誰かに名前を呼ばれた感覚。
温かい手。
次の瞬間、白い制御信号が感情を押し潰した。
『ORDER ENFORCEMENT特別執行個体』
『IRIS-NOAH』
『任務を開始してください』
「了解」
イリス・ノアは、無表情に答えた。
「対象を回収します」
暗い格納庫の扉が開く。
その先に、黒い宇宙が広がっていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第10話では、これまでよりも戦闘後の休息や船内での共同生活を多めに描きました。
レン、レナ、ミサキ、ガイ、ピコ、ミラ。
それぞれにできることと、できないことがあります。
誰か一人が圧倒的な力で解決するのではなく、ガイの牽引装置、ミサキの医療機器、ピコの外部電源、ミラの船内制御、そしてレナの《CROSS IGNITION》を組み合わせることで、ダリウスを一時的に拘束しました。
また、戦闘後の船内では、
- レナが温かい食事を気に入る
- ミサキとレナがレンの訓練方針を争う
- ガイが酒より休息と共同生活を選ぶ
- ピコとミラの関係が明らかになる
- レンが正式にウェイフェアラーの船長となる
といった、それぞれの素顔や関係性を描いています。
《ウェイフェアラー》は、正規の乗員だけが乗る軍艦ではありません。
人間、アンドロイド、ハイブリッド、無登録児童。
社会から価値がないと判断された者たちが、自分の意思で同じ船へ乗り込んでいます。
そして、サーティーンの記録媒体、救助対象全員の登録、ミラの救難判断署名を組み合わせることで、スター・ゲートを緊急開放。
旅人たちは、廃棄惑星ラスト・ナインを脱出しました。
しかし、レナの深層領域から《GENESIS-Y07》の情報が送信され、マーテルの特別執行個体も動き始めます。
次回からは第二部。
工業惑星《FORGIA》を舞台に、ガイが追放された過去と、労働者の身体を強制的に動かす違法装置《RED SHIFT》へ迫ります。
第11話「帰りたくない工場惑星」へ続きます。




