第11話 救難船には、寝台が足りない
マーテルの追跡を振り切り、ラスト・ナインを脱出した《ウェイフェアラー》。
レンは船長代行となり、行き先を持たない者たちを乗せて、漂泊港《NOMAD'S REST》へ到着した。
しかし、船内にいるのは負傷者、無登録児童、旧型アンドロイド、そして敵だったマーテル兵。
誰もが休息を必要としている。
問題は、壊れかけた救難船に、全員が眠れるだけの場所がないことだった。
『漂泊港《NOMAD'S REST》より、入港船へ通告』
『登録番号を持たない者の入港を許可します』
『武器は封印してください』
『停泊料は、物資、技術、労働、情報、または物語で支払い可能です』
『現在の空き区画は、外縁第六十五番埠頭』
『なお、同区画の気密性は保証されません』
「最後の一文が聞き捨てならねえ」
機関区画からガイの声が響いた。
『補足情報』
ミラが続ける。
『第六十五番埠頭は、過去三年間に四度の減圧事故を記録しています』
「聞きたくなかった!」
『情報の共有は重要です』
「お前、悪いところだけ元気になってないか?」
『質問の意図を理解できません』
「絶対理解してるだろ!」
窓の外では、無数の船と居住区をつなぎ合わせた街がゆっくり回転していた。
漂泊港《NOMAD'S REST》。
統一された外壁はない。
巨大な貨物船を横倒しにして作った市場。
古い軍艦の砲塔を取り外し、代わりに透明な農業区画を接続した居住船。
岩石へ直接掘られた格納庫。
細長い発電膜。
回転する水槽。
船同士を結ぶ通路には、赤、青、緑の照明が点滅している。
まるで、捨てられたものが互いに寄り集まり、一つの生き物になったような場所だった。
「船体を右へ三度」
レナが操縦席から指示を出す。
「接続口の規格が異なります」
『当船の接続装置で対応可能』
「本当に?」
『救難船は、多様な規格の船へ接続する必要があります』
ミラの声へ、わずかな誇らしさが混じる。
『ただし、接続部の気密保持率は七十一パーセントです』
「残り二十九パーセントは?」
『ガイによる応急処置を推奨』
『俺を便利な密閉材みたいに言うな!』
通信越しに工具の音がする。
俺は操縦席の後ろに固定された搬送台へ寝かされていた。
指先の感覚は少し戻った。
足はまだ動かない。
呼吸は自分でできる。
それだけでも、第9話の戦い直後よりはよいらしい。
「レン、気分は?」
ミサキが俺の瞳へ小型照明を向ける。
「眩しい」
「正常な反応ね」
「頭が重い」
「能力を使ったから」
「喉が乾いた」
「能力を使ったから」
「腹が減った」
「それは普通」
ミサキが栄養水の容器を持ち上げる。
「飲む?」
「自分で持てない」
「知ってる」
容器の先端が口元へ運ばれる。
一瞬、身体が強張った。
誰かに飲ませてもらう。
病室で何度も繰り返した行為。
動かない自分を思い出す。
「止める?」
ミサキは急かさなかった。
「……いや」
「分かった」
少しずつ水を流してくれる。
急いで飲み込まなくてもいいように。
俺が呼吸するたび、容器を離す。
「もう一口」
「はい」
助けられることは、身体を奪われることではない。
頭では理解している。
身体が理解するには、もう少し時間が必要だった。
「私が行うべきでした」
操縦席からレナの声がした。
「レナは操縦中だろ」
「自動接続へ移行しました」
「では、患者の胸部炉を安定させて」
ミサキが言う。
「医療用冷却材の交換時刻よ」
「レンの介助を終えてからです」
「終わったわ」
「まだ口元に水滴があります」
「そこまで拭くの?」
「当然です」
レナが操縦席から立ち上がる。
左脚だけで。
動かない右脚には、診療所で装着した補助具。
胸部の固定具は割れたまま。
歩くたび、金色の光が隙間から漏れる。
「レナ」
「何ですか?」
「自分の治療が先」
「あなたも治療が必要です」
「俺は今すぐ停止しない」
「私も同様です」
「胸から光が漏れてる」
「照明の代用になります」
「ならない」
ミサキがレナの肩をつかむ。
レナの身体がわずかに固まった。
まだ、戦闘用アンドロイドに触れるのは怖いのだろう。
それでもミサキは手を離さなかった。
「患者の冷却材を交換して」
「終わったら、あなたの胸部炉を見る」
「ですが、レンが」
「船長代行は逃げない」
ミサキが俺を見る。
「逃げられないしね」
「足が動かないからな」
「そういう意味ではないけど、今はそれでいい」
レナは納得していない顔をする。
それでも、冷却材を持って医療区画へ向かった。
以前なら、自分が壊れてもレンのそばを離れない、と言っていただろう。
今は別の患者を任された。
それを拒まなかった。
『外縁第六十五番埠頭へ接触』
船体が揺れる。
『接続器、展開』
『気密試験を開始』
外壁から低い振動が伝わってくる。
『気密保持率、六十九パーセント』
「下がってるじゃねえか!」
『想定範囲内です』
「お前の想定範囲は広すぎる!」
◇
漂泊港へ降りる前に、問題が見つかった。
一つ目。
ラスト・ナインの金属粉には、自己増殖機能を失った旧式ナノマシンが含まれている。
人体へ大きな害はない。
ただし、漂泊港の農業区画へ入り込むと、栽培設備の管理用ナノマシンを誤作動させる可能性がある。
そのため、ラスト・ナインから来た者は全員、除染を受けなければならない。
二つ目。
《ウェイフェアラー》の除染室は二つある。
一つは扉が開かない。
もう一つは扉が閉まらない。
「両方壊れてるじゃない」
ミサキが言う。
『正確には、異なる状態で機能を停止しています』
ミラが答える。
「組み合わせたら一部屋にならない?」
『扉の規格が異なります』
「ガイ!」
「今は接続部を塞いでる!」
「終わったら除染室!」
「俺は一人しかいねえ!」
『ピコが補助可能』
『扉、担当』
「余計に不安だ!」
三つ目。
無事な除染用薬剤は、一回分しか残っていなかった。
寝たきりの患者は、ミサキが医療用の除染布で処置する。
子どもたちは船外活動服を脱がず、港側の除染設備まで移動できる。
救出されたアンドロイドたちは、ピコが一体ずつ外装を清掃する。
問題は、俺とレナだった。
どちらも外部へ移動できない。
汚染された服や装甲を身につけたままでは、医療区画の寝台へ入れない。
「つまり?」
俺が尋ねる。
「二人一緒に除染室へ入る」
ミサキが答えた。
「待って」
「薬剤の量が一回分しかない」
「交代では?」
「噴霧後、室内の薬剤を回収する機能が壊れてる」
「俺は服を着たままでいい」
「服の内側に金属粉が入り込んでる」
「では、タオルを」
「薬剤が届かない場所が残る」
「医療用の布を巻くとか」
「除染の意味を分かってる?」
分かっている。
分かっているから困っている。
レナは隣で、自分の服を確認していた。
戦闘で何度も切り裂かれた黒と白の衣服。
胸部は固定具を装着するため、大きく開かれている。
右脚も補助装具が外側から食い込んでいた。
「私は問題ありません」
レナが言う。
「人工皮膚および内部装甲に羞恥を感じる必要はありません」
「レナが平気でも、俺が平気じゃない」
「なぜですか?」
「なぜって……」
「私の身体構造は、すでに何度も見ています」
「損傷部分だけだろ」
「胸部炉も確認しています」
「そういう意味じゃない」
レナが首を傾げる。
ミサキは俺たちを交互に見た。
口元が少し笑っている。
「レナ」
「何ですか?」
「レンは、あなたを機械の部品として見てないの」
「理解しています」
「たぶん、今はそれとは別の意味で、あなたを女性として意識してる」
レナの動きが止まった。
金色の瞳に大量の文字が流れる。
「ミサキ!」
「説明しただけ」
「説明しなくていい!」
心拍監視装置の数字が上がる。
レナがそれを見る。
「レンの心拍数が上昇しています」
「見るな!」
「医療情報です」
「今だけは見るな!」
「除染前に循環状態の確認が必要です」
「ミサキ、何とか言ってくれ」
「健康な反応ね」
「医者が一番信用できない!」
ミサキが笑った。
初めて見る、医師ではない彼女の笑い方だった。
声を抑えようとして、失敗している。
レナはまだ瞳に文字を流している。
「女性として意識」
「繰り返さなくていい」
「不快ですか?」
「何が?」
「私の身体を女性として認識することが」
冗談ではなかった。
レナは本気で尋ねている。
以前、自分を機械と同じように扱うなと言った彼女。
けれど、人間の女性と同じように見られることにも慣れていない。
「不快じゃない」
俺は答えた。
「ただ、勝手に見たくない」
「なぜですか?」
「レナの身体だから」
金色の瞳から文字が消えた。
「だったら、本人へ聞けばいいでしょう」
ミサキが言う。
「簡単に言うな」
「触れるときと同じ」
以前、レナが俺の手を握る前に尋ねた。
触れてもよいか。
俺の意思を待ってくれた。
「レナ」
「はい」
「除染中、見えてもいい?」
自分で言っておきながら、ひどい質問だと思う。
レナは数秒考えた。
「許可します」
「本当に?」
「はい」
「ただし」
レナの瞳が細くなる。
「私だけが見られるのは不公平です」
「公平にする必要ある?」
「あります」
「患者同士で張り合わないで」
ミサキが遮った。
「二人とも必要な範囲だけ脱ぐ」
「視線が気になるなら、簡易遮蔽膜を使う」
「遮蔽膜は動くのか?」
『出力安定性、五十八パーセント』
ミラが答える。
「不安しかない」
◇
除染室の修理には、一時間かかった。
閉まる扉を、開く除染室へ移植。
噴霧装置はピコが修復。
室温管理は動かなかったため、ガイが機関区画から温風管を引いた。
「三十分でやれって言われたから、見た目は気にするな」
ガイが言う。
「触ったら外れる」
「どこを?」
「全部だ」
「怖いこと言うな」
室内中央に、半透明の簡易遮蔽膜が設置された。
俺は自分で立てない。
ミサキとレナが左右から身体を支える。
「服を脱がせる」
ミサキが言った。
「いい?」
「……頼む」
「私が行います」
レナが前へ出る。
「レナは右脚が動かないだろ」
「腕は動きます」
「胸部炉が不安定」
「指先の精度に問題はありません」
「私は医師」
「私は、レンが最初に介助を求めた相手です」
二人の視線がぶつかる。
「喧嘩しないでくれ」
「喧嘩ではありません」
「医療担当の確認よ」
聞いたことのあるやり取りだった。
結局、上半身をミサキ。
脚側をレナが担当することになった。
「なぜ分担する必要があるんだ」
「効率的です」
「二人とも楽しんでない?」
「私は医師よ」
「私はナビゲーターです」
「答えになってない」
破れた上着が外される。
冷たい空気が肌へ触れた。
身体を動かせないまま服を脱がされる。
緊張で息が浅くなる。
「止める?」
ミサキが手を止めた。
「大丈夫」
「禁止された言葉です」
遮蔽膜の向こうからレナが言う。
「……怖いけど、続けてほしい」
「分かった」
ミサキは、それ以上何も言わなかった。
急がず、俺が次の動きを確認できるようにしてくれる。
「右腕を上げる」
「ああ」
「背中を少し起こす」
「ああ」
「次に固定帯を外す」
何をするか、先に説明する。
俺が嫌だと言えば止める。
それだけで、過去の病室とは違った。
服を外した後、身体へ薄い除染布が巻かれる。
「次はレナ」
ミサキが遮蔽膜の向こうへ移る。
「胸部固定具を外すけど、痛みは?」
「痛覚を抑制しています」
「抑制を半分戻して」
「必要ありません」
「損傷の悪化に気づけなくなる」
「しかし――」
「レナ」
俺は遮蔽膜越しに呼びかけた。
「自分の状態を隠さない約束だろ」
「約束ではありません」
「努力するって言った」
「状況によります」
「またそれか」
短い沈黙。
「痛覚抑制を五十パーセント解除」
レナの息が詰まる音がした。
「痛い?」
ミサキが尋ねる。
「……はい」
「それでいい」
「よくありません」
「痛みを我慢しろって意味じゃない」
固定具が外される。
小さな金属音。
レナが息を吸う。
「冷却材を入れる」
「はい」
「胸部炉の亀裂に触れる」
「はい」
ミサキも、一つずつ説明している。
戦闘用アンドロイドへ触れる手は、まだ少し震えている。
それでも、レナの身体を部品のようには扱わない。
「遮蔽膜を解除します」
『除染薬剤を噴霧』
「待って」
俺は目を閉じた。
「なぜ閉じるのですか?」
レナが尋ねる。
「許可はもらったけど、慣れてない」
「見ることを拒否されたように感じます」
難しい。
「では、見る」
「急に開けないでください」
「どっちなんだ!」
ミサキがまた笑う。
「二人とも面倒ね」
俺はゆっくり目を開けた。
薄い薬剤の霧。
レナは胸元へ除染布を巻いている。
白い肩。
人工皮膚の下を走る、淡い金色の光。
脇腹には古い損傷跡。
右脚の付け根から膝へ、黒い内部骨格が見えている。
美しいと思った。
同時に、傷だらけだとも思った。
視線が合う。
「何を見ていますか?」
「レナを」
答えてから、恥ずかしくなる。
「そうですか」
レナは目をそらさなかった。
代わりに、金色の光が少し強くなった。
『レナ・アークライト』
『胸部属性炉温度、二・四度上昇』
「ミラ!」
「報告しなくていい!」
俺たちの声が重なる。
『医療情報です』
「この船のAI、全員そうなの?」
ミサキが額を押さえる。
そのとき。
遮蔽膜が突然消えた。
ちょうど、反対側でミサキが汚れた医療服を脱ぎ、除染用の薄い衣服へ着替えているところだった。
「え」
「見ないで!」
灰青色の瞳が鋭くなる。
俺は慌てて顔をそらした。
だが、動かない身体はすぐには向きを変えられない。
レナの手が伸び、俺の両目を覆った。
「視覚情報を遮断します」
「ありがとう」
「私の身体は見たのに、ミサキは見ないのですか?」
「今はその話をしないで!」
ミサキの声が除染室へ響く。
『遮蔽膜、電力不足により停止』
「先に言って!」
『停止と同時に検出しました』
「もういい! 噴霧を続けて!」
薬剤の霧が濃くなる。
レナの手で何も見えない。
ミサキが着替える音。
機械の動作音。
誰も話さない。
気まずい沈黙。
その中で、ミサキが小さく呟いた。
「……見た?」
「見てない」
「本当に?」
「レナが隠した」
「視認時間、〇・七秒です」
「報告しないで!」
◇
除染が終わった後。
さらに大きな問題が発生した。
『使用可能な医療寝台、七基』
ミラが報告する。
『休息を必要とする人間および生体型個体、十四名』
『充電または低出力待機を必要とするアンドロイド、九体』
『通常寝台、五基』
「足りないな」
俺が言う。
「見れば分かる」
ガイが格納庫の床へ座り込む。
全身に密閉材と油がついていた。
「俺はここで寝る」
「床は冷えます」
ミサキが言う。
「機関区画よりましだ」
『機関区画温度、四十七度』
「だから出てきた」
寝台は、重症患者から割り当てられた。
呼吸補助が必要な少女。
高齢の患者。
手術を終えたユーノ。
胸部炉の安定化が必要なアンドロイド。
残りの患者たちは、搬送台へ毛布を敷いて休む。
ノイとリオには、壁面の救命カプセルが与えられた。
「秘密基地みたい」
リオが中へ入る。
「閉めてもいい?」
「内側から開けられることを確認してから」
ミサキが答える。
ピコが開閉機構を三度確認した。
『安全』
「ピコも一緒に入る?」
『監視任務』
「寝ないの?」
『充電は必要』
「じゃあ、ここ」
ノイが救命カプセルの隅を空けた。
ピコは少し考えた後、その中へ入る。
『一時充電を実施』
カプセルの扉が閉じる。
透明な窓の向こうで、ノイとリオがピコを挟むように横になった。
「子どもって、どこでも寝られるのね」
ミサキが言う。
「ミサキは?」
「ユーノのそばにいる」
「寝ないつもりか?」
「状態が安定するまで」
「医者も寝ないと判断を間違える」
「患者に言われたくない」
「では船長代行として」
「仮登録の権限を悪用しないで」
ミサキが俺の搬送台を押す。
「あなたは神経監視装置がある寝台」
「レナは?」
「同じ」
「寝台は一つしか残ってないだろ」
「救難用の体温維持寝台は、成人二人まで入れる」
「二人?」
「本来は、低体温症の遭難者を同時に温めるためのもの」
「私は低体温ではありません」
レナが言う。
「胸部炉の温度制御が不安定」
「レンは?」
「末梢神経の温度を維持したい」
「つまり?」
「二人で使って」
医療区画の隅。
通常より少し広い寝台。
それでも、成人二人が横になれば肩が触れる距離だった。
「ほかの方法は?」
「片方が床」
「俺が床で」
「却下」
レナとミサキの声が重なる。
「では、私が床へ」
「胸部炉を監視装置へつながないと駄目」
「立ったまま待機します」
「十二時間?」
「可能です」
「できることと、していいことは別」
ミサキが以前と同じ言葉を使う。
レナは黙った。
「嫌なら、無理に一緒に使わなくていい」
俺はレナへ言う。
「俺は搬送台でも眠れる」
「レンは嫌なのですか?」
「嫌じゃない」
「なら、問題はありません」
「即答だな」
「先ほど、身体を見ることも許可しました」
「それとこれとは別じゃないか?」
「違いを説明してください」
「距離が近い」
「除染中の方が近距離でした」
「長時間だ」
「私は低出力待機へ入ります」
「そういう問題では……」
ミサキが俺の搬送台を寝台へ横づけする。
「はい、話し合いは横になってから」
「待って」
「私も眠いの」
それを言われると逆らえない。
ミサキとレナが俺の身体を持ち上げる。
背中。
腰。
脚。
声をかけながら、ゆっくり寝台へ移してくれた。
続いてレナが左脚だけで寝台へ上がる。
右脚を固定。
胸部炉へ監視線を接続。
俺の左肩と、レナの右肩が触れた。
冷たい。
だが、少しずつ温度が上がっていく。
『相互体温維持を開始』
「この機能、言い方を変えられない?」
『正式名称です』
「レン」
レナが横から俺を見る。
「不快ですか?」
「不快じゃない」
「心拍数が上がっています」
「近いから」
「私が女性だから?」
除染室の会話を覚えている。
「そうだよ」
認めるしかなかった。
「そうですか」
レナは仰向けに戻る。
表情は変わらない。
しかし、胸部炉の温度が再び少し上昇した。
「レナは?」
「質問の意味が不明確です」
「俺と一緒に寝るのは、何とも思わない?」
「睡眠ではなく低出力待機です」
「言い換えたな」
「ですが」
レナの声が小さくなる。
「嫌ではありません」
その言葉の後。
彼女の右手が、寝台の上を少し動いた。
俺の左手へ近づく。
触れる直前で止まる。
「手を握っても?」
「ああ」
冷たい指が重なる。
力は弱い。
以前のように、俺が逃げないよう強く固定する握り方ではない。
触れていると分かる程度。
「おやすみ、レナ」
「私は眠りません」
「低出力待機だろ」
「周辺監視は継続します」
「休めよ」
「あなたが起きているため、休止できません」
「じゃあ寝る」
「そうしてください」
目を閉じる。
格納庫から人の声がする。
工具の音。
子どもたちの寝息。
アンドロイドの充電装置。
壊れた船の振動。
人数が増えた分だけ、船内は騒がしい。
だが、不思議と眠れそうだった。
◇
どれほど眠ったのか分からない。
頬に柔らかいものが触れている。
レナの手ではない。
温かい。
ゆっくり目を開ける。
「……何だ?」
視界の左側には、低出力待機中のレナ。
俺の左手を握ったまま、金色の瞳を閉じている。
右側。
ミサキが寝台へ上半身を預けて眠っていた。
ユーノの監視を続けているうちに限界を迎えたらしい。
椅子に座ったまま、俺の右肩へ頭を乗せている。
灰色がかった黒髪が頬へ触れていた。
白衣は除染したため、今は薄い船内着。
首元が少し緩み、鎖骨が見えている。
見ないように視線を上へ向ける。
「起きましたか?」
左側から声。
レナの金色の瞳が開いていた。
「起きた」
「神経反応は?」
「右手が少し動く」
「確認します」
レナが俺の左手を握ったまま、右手へ触れようとする。
その動きが止まった。
ミサキを見ている。
「どうした?」
「医師が、患者用寝台を占有しています」
「寝てるだけだ」
「レンへ密着しています」
「疲れてるんだろ」
「私も疲労しています」
「低出力待機しただろ」
「十分ではありません」
レナの声がわずかに不満そうだ。
「もしかして、嫉妬してる?」
「嫉妬の定義を検索します」
「今は検索しなくていい」
「心拍数上昇、相手への注意集中、接触対象を独占したいという――」
「読み上げなくていい!」
俺の声で、ミサキが目を覚ました。
「何……?」
顔を上げる。
自分が俺の肩へ寄りかかっていたことに気づく。
次に、レナを見る。
金色の瞳がじっとミサキを見ている。
「違うの」
ミサキが言った。
「何が?」
「眠っただけ」
「尋ねていません」
「その目で見ないで」
「通常の視線です」
「絶対違う」
ミサキが身体を起こそうとする。
だが、長時間同じ姿勢だったため、足が痺れたらしい。
「っ……」
身体が傾く。
今度は俺の胸元へ倒れ込んだ。
「ミサキ?」
「動かないで」
「動けない」
「そうだった」
レナの瞳に文字が流れる。
「ミサキの心拍数が上昇しています」
「報告しないで!」
「健康な反応です」
「昨日の仕返し?」
「質問の意図を理解できません」
ミサキが顔を上げる。
俺と目が合う。
距離が近い。
「悪い」
「レンは何もしてない」
「それでも」
「むしろ、動けない患者を土台にした私が悪い」
ミサキはゆっくり身体を離した。
首元を整える。
少しだけ頬が赤い。
「ユーノは?」
俺が話題を変える。
「安定した」
「目は覚めた?」
「一度だけ」
「何か言った?」
ミサキの表情が医師のものへ戻る。
「どうして自分を助けたのか、聞かれた」
「何て答えた?」
「患者だったから」
「それだけ?」
「それだけで十分でしょう」
ミサキは立ち上がる。
「ただし、彼の装甲から追跡信号が出ていた」
レナが上体を起こした。
「停止したのですか?」
「ユーノ本人が、解除番号を教えた」
「罠の可能性は?」
「ある」
「なぜ協力したのでしょう」
「分からない」
敵だった兵士。
助けられた理由を知らない男。
俺たちを逃がすつもりなのか。
再びダリウスのもとへ戻るつもりなのか。
まだ何も決めていないのかもしれない。
「起きたら、本人に聞こう」
俺は言った。
「拘束は?」
「武器は外した」
ミサキが答える。
「手足は拘束していない」
「危険では?」
「危険よ」
「それでも?」
「患者を、意識が戻る前から囚人にはしたくない」
レナは反論しかける。
だが、すぐには口にしなかった。
「目覚めた後、彼が攻撃を選んだ場合は止めます」
「それでいい」
「ただし、話を聞くまでは何もしません」
「うん」
ミサキが医療区画へ戻る。
レナは俺の手を離そうとした。
俺は動き始めた指を、わずかに曲げる。
彼女の指へ引っかけた。
「レン?」
「まだ握ってていい」
「そうですか」
レナは再び横になる。
窓の外。
漂泊港の明かり。
放送が船内へ入る。
『外縁第六十五番埠頭へ入港した救難船へ』
『停泊料の仮査定が完了しました』
『船体修理』
『水および食料の補給』
『医療物資の提供』
『合計金額は――』
聞いたことのないほど大きな数字が表示された。
「払える?」
『現在の所持資産では不可能』
ミラが答える。
「物語でも払えるって言ってたな」
『航路情報、ラスト・ナインの環境記録、マーテル艦の戦闘記録には価値があります』
「個人情報も入ってる?」
『含まれます』
「勝手に渡さないで」
『了解しました』
「全員へ説明して、共有してよい範囲を決める」
『船長代行の一括許可ではなく?』
「一人ずつ確認する」
手間はかかる。
時間も必要。
全員が同じ答えを出すとも限らない。
それでよい。
「レン」
レナが言う。
「それでは、停泊料を支払えない可能性があります」
「そのときは働く」
「身体が動きません」
「動くようになってから」
「借金が増えます」
「船を直して、仕事を探す」
「寝台も増やしてください」
「そうだな」
壊れた救難船。
足りない水。
足りない食料。
足りない寝台。
治療を必要とする仲間。
目を覚ませば敵に戻るかもしれない兵士。
問題は何もなくなっていない。
それでも、昨日までとは違う。
逃げるためではなく。
ここで生きる方法を探すために、悩むことができる。
『港内労働の募集情報を表示しますか?』
ミラが尋ねる。
「お願い」
空中へ複数の依頼が表示される。
船体修理。
荷物運搬。
旧型AIの調整。
行方不明者の捜索。
医師のいない居住区への往診。
そして。
『緊急依頼』
『第十八農業区画』
『原因不明の機械停止』
『植物管理AIの人格反応あり』
『分解処理まで、残り四十八時間』
俺とレナは同時に表示を見た。
「レン」
「まだ何も言ってない」
「目が助けに行く者の目です」
「身体が動かない」
「治るまで待ってください」
「レナも壊れてるだろ」
「修理予定です」
「なら、その後で全員に相談する」
「全員に?」
「俺たちだけで決めない」
レナは依頼表示を見る。
それから、俺の手を握り直した。
「了解しました、船長代行」
「まずは寝台を増やすところからだ」
『優先項目へ登録』
ミラが答える。
『救難船』
『現在の最優先任務』
『寝台の確保』
機関区画から、ガイの怒鳴り声が響いた。
「その前に空気漏れを直すぞ!」
新しい一日が始まる。
星を出た旅人たちにとって。
初めての、戦わない朝だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第11話は、《NOMAD'S REST》へ到着した後の日常と休息を描く幕間回でした。
レンは、身体を動かせない状態で介助されることへの恐怖を抱えながらも、ミサキへ自分の気持ちを伝え、助けを受け入れ始めています。
レナもまた、レンから女性として意識されていることを知りました。
命令や所有ではなく、互いに許可を確認しながら距離を縮める二人。
そこへ、医師としてレンを支えるミサキとの関係も少しずつ変化しています。
一方、敵兵ユーノ・カストルは、装甲に残された追跡信号の解除番号を自ら教えました。
彼がマーテルを裏切ったのか。
命を救われた借りを返しただけなのか。
その答えは、まだ分かりません。
次回は、ユーノの視点を交えたサブストーリー。
助けられる価値のある者だけが生き残ると教えられてきた兵士は、なぜ敵である自分が救われたのかを問い始めます。
第12話「敵兵は、助けられた理由を知らない」へ続きます。




