第12話 敵兵は、助けられた理由を知らない
漂泊港《NOMAD'S REST》へ到着した《ウェイフェアラー》。
寝台も物資も足りない船内で、レンたちは束の間の休息を得た。
一方、ミサキの手術によって一命を取り留めたマーテル兵、ユーノ・カストル。
彼は、自分を救った者たちが敵であることを知っている。
そして、敵である自分が救われた理由を知らなかった。
◇ ユーノ・カストル
目を覚ます前に、子どもの声を聞いた。
「ピコ、そこじゃない」
『指定された工具を所持』
「それ、六角じゃなくて星形」
『再確認』
「また間違えた」
『類似度、九十一パーセント』
「九パーセント違ったら入らないよ」
少年の声。
それに応じる、旧式機械の合成音声。
医療施設ではない。
マーテル艦でもない。
漂泊者の船内で、児童を警戒させないために音声記録を流している可能性。
俺は目を閉じたまま、状況の把握を試みた。
背中に寝台。
右腕に点滴。
腹部に鈍い痛み。
手術痕。
両手首に拘束なし。
両足にもなし。
戦闘服は脱がされている。
個人携行武器の感触もない。
心拍監視装置の作動音。
近くにいる人間は、おそらく二人。
子どもと医療担当者。
小型整備機が一体。
武装したアンドロイドの駆動音は聞こえない。
今なら、点滴針を抜き、子どもを人質にできる。
医療担当者から通信端末を奪う。
船の位置を確認。
ダリウス指揮官へ救難信号を送る。
任務へ復帰する。
そこまで考えたところで、腹部に激痛が走った。
「っ……」
「動かないで」
女の声。
水城ミサキ。
《HELIX CLINIC》の違法医師。
目を開ける。
低い天井。
継ぎ目だらけの壁。
複数の規格が混ざった医療装置。
寝台の横に、灰青色の瞳を持つ女が座っていた。
白衣ではない。
薄い灰色の船内着。
髪は後ろで雑に束ねられている。
「ここは……」
「《ウェイフェアラー》の医療区画」
「現在位置」
「漂泊港《NOMAD'S REST》」
知っている名だった。
マーテルの統治圏外。
犯罪者。
無登録者。
逃亡アンドロイド。
正規航路を利用できない者が集まる場所。
「第七回収部隊は?」
「知らない」
「ダリウス指揮官は?」
「それも知らない」
「俺の通信装置を返せ」
「腹部の傷が開くから、まず横になって」
「命令するな」
「医療上の指示」
「同じだ」
上体を起こす。
腹部が焼ける。
視界が暗くなる。
それでも寝台の端へ手をついた。
ミサキは押さえつけなかった。
「立てると思う?」
「立つ」
「立った後は?」
「関係ない」
「私にはある」
「俺は敵だ」
「今は患者」
「その言葉は聞いた」
「なら、覚えていて」
「なぜ助けた」
ミサキの手が止まった。
「戦闘中だった」
「俺はお前たちを拘束するために来た」
「知ってる」
「目の前には、助けを待つ子どもがいた」
崩落した通路。
瓦礫の向こうにいた少年。
あのとき、水城ミサキは俺のそばへ膝をついた。
敵兵である俺を治療した。
そのために、少年の救助を神代レンとアンドロイドへ任せた。
「俺より、あの子どもを優先すべきだった」
「リオは瓦礫に閉じ込められていたけど、出血はしていなかった」
「俺は腹部動脈を損傷していた」
「緊急度で判断しただけ」
「その結果、神代レンは能力を使った」
「そうね」
「身体が動かなくなった」
「そうね」
「それでも、自分の判断が正しかったと言えるのか」
ミサキはすぐに答えなかった。
「分からない」
予想していない言葉だった。
「医師が、自分の判断を否定するのか」
「今でも考えてる」
「先にリオを助けるべきだったかもしれない」
「あなたを置いていくべきだったかもしれない」
「レンが倒れない別の方法があったかもしれない」
ミサキは自分の両手を見る。
「でも、あの瞬間の私は、あなたを助けられると思った」
「だから治療した」
「価値があったからではないのか」
「負傷者だったから」
「同じことだ」
「違う」
灰青色の瞳が、まっすぐ俺を見る。
「価値を調べてから出血は止められない」
「所属も、過去も、性格も、誰を傷つけたかも」
「調べ終わるまで待っていたら死ぬ」
「だから、助けられるときは先に助ける」
「その後で、どうするかを考える」
「非合理的だ」
「そうかもしれない」
ミサキは否定しなかった。
「でも、私はそうする」
理解できない。
正しいとも思えない。
限られた医療物資。
限られた時間。
限られた人員。
何かを助ければ、別の何かを失う。
それが現実だ。
「俺の治療に、何を使った」
「人工血漿を二単位」
「縫合材」
「腹膜再生剤」
「神経安定剤」
「医療電力」
「人工血漿は残り何単位だ」
「二単位」
「半分を使ったのか」
「そうなる」
「ほかの患者に必要だったはずだ」
「必要になる可能性はある」
「なら、なぜ俺に使った」
「同じ質問を繰り返さないで」
ミサキの声が少し強くなる。
「あなたが死にかけていたから」
答えになっていない。
少なくとも、俺が教えられてきた判断基準では。
◇
俺は十二歳まで、《CIVIC HOME-77》で育った。
マーテルが運営する戦災孤児保護施設。
正確には、孤児だけではない。
人格安定性に問題があると判断された両親から引き離された子ども。
無登録状態で発見され、適合審査を通過した子ども。
労働能力の高い遺伝情報を持つ子ども。
社会へ再配置できると判断された者が集められていた。
食事はあった。
教育も受けられた。
定期的な医療検査。
能力評価。
適性に応じた役割。
施設へ入る前の生活より、はるかに安全だった。
俺の出生地は、小さな採掘居住区だった。
生命維持装置の故障。
酸素配給の低下。
救助船が到着したとき、生存者は三十七名。
救命艇の定員は二十四名。
全員を運ぶことはできなかった。
十二歳未満の児童。
設備修理能力を持つ技師。
妊娠中の女性。
航行記録を持つ管理官。
順番に選ばれた。
俺の母は選ばれなかった。
病気で、歩くことができなかった。
救助員へ、自分の代わりに俺を乗せるよう頼んだ。
最後に見た母は、隔壁の向こうで笑っていた。
救命艇の扉を閉めたのは、当時まだ小隊長だったダリウス・ヴェイン。
俺は何度も彼を恨んだ。
なぜ母を乗せなかった。
なぜ誰かを降ろさなかった。
なぜ全員を助けなかった。
十五歳になったとき、ダリウス本人へ尋ねた。
彼は言い訳をしなかった。
『私が選んだ』
『二十四名を生かすため、十三名を残した』
『正しかったとは言わない』
『だが、選ばなければ全員が死んだ』
その後、俺へ採掘居住区の記録を見せた。
救命艇の発進から十一分後。
居住区の動力炉は完全に停止していた。
あの場で全員を助ける方法はなかった。
少なくとも、誰も見つけられなかった。
『守れる数には限界がある』
『選択から逃げる者に、守る資格はない』
俺は《ORDER ENFORCEMENT》への入隊を決めた。
母の死を正しかったことにするためではない。
同じ状況で、判断から逃げない者になるためだった。
ダリウスは俺を助けた。
代わりに母を残した。
それが、救助というものだと思っていた。
◇
「目を覚ましたようですね」
金属の足音で、現在へ戻る。
医療区画の入口。
レナ・アークライトが立っていた。
右脚には新しい固定具。
胸部の亀裂は仮装甲で覆われている。
二本の短剣は腰にない。
漂泊港の規則に従い、武器庫へ封印したらしい。
それでも、戦闘能力を失ったようには見えなかった。
「気分は?」
「敵へ尋ねることではない」
「敵であっても、状態の確認は可能です」
「俺を監視しに来たのか」
「はい」
迷いのない返事。
ミサキが眉を寄せる。
「患者を刺激しないで」
「危険性の確認は必要です」
「拘束するつもり?」
「現時点では」
レナは俺を見る。
「あなたが攻撃行動を選択した場合は止めます」
「それまでは?」
「何もしません」
「俺が敵だと知っていても?」
「所属と現在の行動は別です」
「マーテルへ戻ると言ったら」
「動ける状態になった後で、本人が決めてください」
「逃がすのか」
「私一人の判断ではありません」
「船長代行の命令か」
「いいえ」
レナは少し間を置く。
「話し合った結果です」
理解できないことが、また増えた。
「レナ」
ミサキが言う。
「レンは?」
「神経反応検査中です」
「一人で?」
「ガイとピコが同席しています」
「ガイに生体検査ができるの?」
「ピコが担当します」
「不安なんだけど」
「同意します」
「なら、あなたが残って」
「ですが――」
「ユーノをお願い」
レナの身体がわずかに固まる。
戦闘用アンドロイドを恐れていたミサキが。
自分の患者をレナへ任せようとしている。
「私でよいのですか?」
「危険だと思ったら、すぐ呼んで」
「私が危険なのではなく?」
「今も少し怖い」
ミサキは正直に答えた。
「でも、レンを診てきて」
「了解しました」
レナは寝台の横へ立つ。
ミサキが医療区画を出ていった。
沈黙。
機械の振動音。
遠くから、ガイの怒鳴り声。
「それ、神経検査じゃねえだろ!」
『刺激への反応を確認』
「細腕の足を工具で叩くな!」
『低出力』
「強さの問題じゃねえ!」
俺は思わず入口を見る。
「いつも、ああなのか」
「現在までの記録では、高い頻度で」
「統率が取れていない」
「はい」
レナが即答する。
「しかし、必要なときには協力できます」
「それを統率とは呼ばない」
「レンも同じことを言いました」
あの男が船長代行。
戦闘能力はない。
航行経験もない。
能力を使えば身体が止まる。
「なぜ神代レンを船長にした」
「候補者の中で、最も指示を聞かないためです」
「意味が分からない」
「命令に従う者へ船長権限を与えれば、上位命令へ従い続ける可能性があります」
レナは自分の胸へ触れた。
《MIND LOCK》。
彼女の身体を支配していた強制命令。
「レンは、命令そのものを疑います」
「だから選んだのか」
「それだけではありません」
「ほかに何がある」
レナは答えなかった。
金色の瞳に、わずかな迷いが見える。
俺は別のことを尋ねた。
「アークライト家の死亡届について、俺を尋問しないのか」
「尋問すれば、正確な情報を得られますか?」
「知っている範囲は答える」
「なぜ?」
「俺は嘘を使って任務を遂行したくない」
「ダリウスの命令でも?」
「指揮官は、虚偽を命じない」
レナの表情が固くなる。
「では、死亡届は事実ですか」
「提出準備が行われていることは事実だ」
「家族が申請したのですか?」
「申請元はアークライト家の管理AI」
「家族本人の承認記録は、作戦資料に含まれていなかった」
「救難信号は?」
「公式記録では受信されていない」
「実際には送信しました」
「それは俺には分からない」
レナの指がわずかに動く。
「ダリウスが情報を隠した可能性は?」
「低い」
「断言できるのですか?」
「俺は、あの人を十年以上見てきた」
「指揮官は残酷な判断をする」
「だが、判断材料を捏造して自分を正当化する人ではない」
「では、別の誰かが情報を止めています」
「その可能性はある」
レナは黙った。
家族に見捨てられたのではないか。
その恐怖は消えていない。
だが、調べるべき相手が変わった。
「神代レンの記録は、どこから入手したのですか」
「作戦資料へ自動添付されていた」
「情報源は?」
「《ORIGIN REGISTRY》」
レナの金色の瞳に文字が流れる。
「その名称は、現在のマーテル登録網に存在しません」
「俺も知らない」
「資料には、千年以上前の地球医療記録が含まれていた」
「なぜ疑問を持たなかったのですか?」
「任務前だった」
「異常能力者を確保するために必要な情報だと判断した」
「現在は?」
俺は答えられなかった。
千年以上前に死亡した人間。
新しく構築された身体。
修復能力。
マーテルの通常組織でも存在を知らない情報源。
作戦中は考えなかった疑問が、頭の中へ浮かぶ。
「救難船の再起動が確認された直後」
俺は続けた。
「マーテルの旧資産監視網に警告が出た」
「それが第七回収部隊の出動理由だった」
「レンの能力は?」
「出動準備中に、追加情報として届いた」
「誰が送ったのですか」
「発信者の表示はなかった」
レナが俺を見る。
「それを、なぜ今話すのですか」
「聞かれたからだ」
「あなたの立場が悪くなる可能性があります」
「事実を話すことと、マーテルを裏切ることは別だ」
「そうでしょうか」
「何が言いたい」
「自分の意思で情報を渡すことを、すでに選んでいます」
俺は口を閉じた。
命令されたわけではない。
尋問もされていない。
拘束されてもいない。
それでも俺は答えた。
「治療の借りを返しただけだ」
「借り?」
「助けられた分の情報を渡した」
「ミサキは対価を求めていません」
「俺には必要だ」
「借りを返せば、敵へ戻れるからですか?」
胸を突かれた。
「余計な分析をするな」
「ナビゲーターですから」
「航路だけ見ていろ」
「現在、停泊中です」
レナは平然と答えた。
◇
医療区画の扉が開いた。
入ってきたのは神代レンではない。
見知らぬ女。
肩までの赤い髪。
日に焼けた褐色の肌。
両腕は肘から先が機械化され、指が通常より一本多い。
革製の工具帯。
腰には封印済みを示す青い布を巻いた拳銃。
「漂泊港の入港査定官、エリス・ヴァント」
女は名乗った。
「生きてる?」
「誰のことだ」
「全員」
「質問が曖昧だ」
「マーテル兵は細かいね」
エリスは俺の寝台へ近づく。
レナが間へ入った。
「患者へ近づく目的を説明してください」
「入港船の危険物確認」
「武装はすべて申告しました」
「見える武装はね」
エリスの機械指が展開する。
掌から淡い緑色の光。
俺の身体を走査する。
「何を――」
「動かないで」
「許可していない」
エリスの手が止まった。
「ああ、ごめん」
あまりにも簡単に謝ったため、言葉が続かなかった。
「この港では、本人の許可がない生体走査は禁止されています」
レナが言う。
「知ってる」
「では、なぜ実行したのですか?」
「マーテルの装備を見ると、昔の癖が出る」
エリスは一歩下がる。
「走査していい?」
「目的を言え」
「あなたの体内から、追跡信号が出ている可能性がある」
「装甲の発信器は停止した」
「あれは外側の目印」
「マーテル士官には、本人も知らない《HUNTER SEED》が埋め込まれているって噂がある」
「虚偽だ」
「そうかもしれない」
「だから確認する」
俺はレナを見る。
「この女を信用できるのか」
「会ってから十一分です」
「できないということか」
「判断材料が不足しています」
エリスが笑う。
「正直でいいね、お嬢さん」
「お嬢さんと呼ばないでください」
「なら、金目ちゃん」
「敵対行動と判断します」
「落ち着いて」
「レナ」
入口から神代レンの声がした。
搬送椅子。
後ろからガイが押している。
レンの右手は、肘掛けの上でわずかに動いていた。
「何かあった?」
「この査定官が、無許可で生体走査を実行しました」
「謝ったよ」
エリスが言う。
「でも、追跡信号の可能性は本当」
「本人の中に?」
「脊髄か、識別用神経端末」
全員の視線が俺へ集まる。
「俺は知らない」
「嘘をついている可能性は?」
レナが尋ねる。
「ある」
俺は答えた。
「だが、今は本当に知らない」
神代レンは数秒、俺を見た。
「調べてもらう?」
「俺が決めるのか」
「ユーノの身体だろ」
「信号が存在すれば、この船と港全体が危険になる」
「そうだね」
「なら、お前が命令すべきだ」
「嫌だ」
即答。
「船長だろ」
「代行」
「責任から逃げるな」
「逃げてない」
神代レンは動かない身体で、俺を見る。
「調べないと危険だと説明する」
「それでも拒否するなら、港から離れてもらうか、信号を遮断できる場所へ移す」
「でも、身体を調べさせるかはユーノが決める」
「非効率的だ」
「慣れてる」
「時間がない場合は?」
「あと何分?」
エリスが機械腕の表示を見る。
「信号があるなら、次の発信まで推定三十七分」
「話す時間はある」
俺は神代レンを見る。
この男は、決められないのではない。
決める権限が誰にあるかを、いちいち分けようとする。
面倒で。
遅くて。
危険な方法。
ダリウス指揮官なら、すぐに走査を命じる。
必要なら、本人の意思に関係なく発信器を摘出する。
その判断で、多くの者が守られる。
「走査を許可する」
俺は言った。
「条件は?」
エリスが尋ねる。
「結果を全員へ隠さない」
「体内の記録を、追跡信号以外の目的で読まない」
「発見しても、勝手に除去しない」
ミサキが入口に現れる。
「それ、私がレンの検査で出された条件と同じね」
「聞いていたのか」
「患者の話だから」
エリスが機械腕を下げる。
「了解」
「記録にも残す」
再び緑色の光。
今度は、何を走査しているかが空中に表示された。
胸部。
腹部。
脊髄。
頭部。
「見つけた」
エリスの表情から笑みが消える。
表示されたのは、首の付け根。
神経認証端末の裏側。
自分の識別情報を保持するため、十六歳のとき埋め込まれた装置。
「識別端末の中に、独立した発信層がある」
「俺は知らない」
「たぶん本当に」
「外から認識できないようになってる」
「停止できるのか」
「三つ方法がある」
エリスが指を一本立てる。
「一つ。端末を摘出」
「人格に影響は?」
ミサキが尋ねる。
「本人の記憶には影響しない」
「ただし、マーテルの身分記録、資格、給与口座、家族登録との接続を失う」
「実質的に無登録者になる」
二本目。
「信号を妨害」
「この港全体の通信妨害装置を使えば、数時間は止められる」
「ただし、港の利用者全員へ影響する」
三本目。
「別の発信器へ認証信号を移す」
「移した発信器を、違う航路へ送る」
「マーテルには、あなたが移動したように見える」
「成功率は?」
「信号の暗号が必要」
「俺の生体認証で開けるはずだ」
「それをすれば、追跡を意図的に欺くことになる」
レナが言った。
「マーテルへの反逆と判断される可能性があります」
「分かっている」
身分を失う。
港全体を危険にさらす。
味方を欺く。
三つの選択。
何も失わずに済む方法はない。
ダリウス指揮官の言葉が頭に浮かぶ。
選択から逃げる者に、守る資格はない。
「端末を摘出する」
俺は言った。
「待って」
神代レンが止める。
「何だ」
「今すぐ決めなくていい」
「時間がない」
「三十七分ある」
「結果は同じだ」
「身分を捨てたいの?」
「港へ追跡を呼ぶより合理的だ」
「合理的かどうかを聞いてない」
神代レンは俺を見る。
「マーテルへ帰りたい?」
「……任務へ復帰する義務がある」
「義務じゃなく、ユーノの希望は?」
「同じだ」
「本当に?」
すぐに答えるべきだった。
マーテルは俺を育てた。
役割を与えた。
ダリウス指揮官は、俺の命を救った。
戻るべきだ。
「分からない」
口から出たのは、それだけだった。
「では、今は身分を捨てない方がいい」
神代レンが言う。
「戻ると決めたとき、戻れなくなる」
「信号を移せば、俺は味方を欺く」
「信号がこの港に残れば、関係のない人まで巻き込む」
「だから、決めるのはユーノだ」
「俺なら、移す方法を選ぶ」
「お前の意見は聞いていない」
「聞かれたと思った」
「聞いていない」
「ごめん」
謝罪。
反発する理由を失った。
「なぜ、俺の帰る場所を残そうとする」
「まだ選んでないから」
「俺が戻れば、再びお前たちを捕らえる」
「そのときはレナに止めてもらう」
「了解しました」
レナが即答する。
「俺が敵へ戻ることを許すのか」
「許可する立場じゃない」
「理解できない」
「俺も、全部は分かってない」
神代レンは自分の動かない脚を見る。
「ただ、動けないときに、勝手に人生を決められるのが嫌だった」
「だから、なるべく同じことをしたくない」
合理的ではない。
効率的でもない。
全員を守れる方法ではない。
それでも。
俺が母を失ったときに欲しかったものは、正しい説明だけだったのだろうか。
救命艇へ乗るか。
母と残るか。
十二歳の俺には、判断できなかったかもしれない。
それでも、何も聞かれなかったことを、今も覚えている。
「信号を移す」
俺は言った。
「俺の認証を使え」
「理由は?」
エリスが尋ねる。
「この港を戦場にしないためだ」
「マーテルを裏切るためではない」
「記録した」
エリスは余計なことを言わなかった。
◇
《HUNTER SEED》の信号は、古い救難ビーコンへ移された。
ピコが発信器を接続。
ミラが暗号形式を複製。
ガイが、港を出る無人廃棄船の航路へビーコンを載せた。
俺は生体認証を入力する。
『信号認証、成功』
ミラの声。
『偽装追跡情報を送信』
『送信先、ラスト・ナイン旧第三区画中継網』
『無人廃棄船は、二時間後に別航路へ移動します』
「マーテルが偽装へ気づくまで?」
レナが尋ねる。
『推定十八時間から三十一時間』
「短いな」
ガイが言う。
「十分だ」
エリスが答える。
「この港は一日あれば、入口の場所を変えられる」
「港全体を?」
「《NOMAD'S REST》は、つなぎ合わせた船の街」
「危険になった区画は切り離す」
「必要なら、全部ばらばらに逃げる」
定住地ではない。
帰る星を持たない者が作った、移動できる街。
「だから漂泊港か」
「そういうこと」
エリスは俺を見る。
「これで、あなたはマーテルを一度欺いた」
「分かっている」
「後悔してる?」
「まだ判断できない」
「ここでは、それも答えになる」
体内の《HUNTER SEED》は残っている。
次の発信までに、再設定が必要。
完全に安全になったわけではない。
「ユーノ」
神代レンが呼ぶ。
「体調が戻ったら、選んでほしい」
「マーテルへ戻る」
「この港に残る」
「俺たちと一緒に来る」
「今決める必要はない」
「俺を勧誘するのか」
「三つ目だけ選択肢から外したら、不自然だろ」
「戦闘能力が目的か」
「それも助かる」
否定しない。
「でも、俺たちの行き先は決まってない」
「寝台も足りない」
「食料も少ない」
「船は壊れてる」
「勧誘が下手だな」
「自覚はある」
「その船長に従う者がいる理由が分からない」
神代レンの左右。
レナ。
ミサキ。
ガイ。
ピコ。
全員の表情が少しずつ違う。
「従ってはいません」
レナが言う。
「勝手に動く患者を監視しています」
「私は治療が終わってないから」
ミサキ。
「船を直す奴がほかにいねえ」
ガイ。
『修理、継続』
ピコ。
「誰も船員であることを認めないのか」
「仮登録だからな」
神代レンが答える。
笑い声。
戦闘艦では聞いたことのない、まとまりのない声。
俺は、また腹部に痛みを感じた。
「寝台へ戻って」
ミサキが言う。
「まだ話が」
「患者は休む」
「俺は敵だ」
「敵でも休む」
「監視は?」
「レナ」
「担当します」
「俺が攻撃する可能性は」
「腹部の縫合箇所が開く前に止めます」
「どうやって」
「寝台へ戻さなければ、ミサキが鎮静剤を使用します」
「強制ではないのか」
「医療上の必要性です」
「同じだろう」
今度は、俺も少しだけ笑った。
◇
寝台へ戻った後。
神経端末に、送信待機中の記録が残っていることへ気づいた。
《HUNTER SEED》の信号ではない。
第七回収部隊からの個人通信。
偽装信号を送る直前に受信していたらしい。
発信者。
ダリウス・ヴェイン。
暗号を解除する。
短い文章。
『カストル隊員』
『生体反応を確認した』
『生存している場合、帰還せよ』
『これは命令ではない』
読み返す。
命令ではない。
あの人が、その言葉を使った理由を考える。
俺が捕虜になったと思っているのか。
治療を受けていると知ったのか。
自分の意思で戻ることを求めているのか。
返信画面を開く。
『生存』
そこまで入力する。
指が止まる。
送れば、偽装が発覚する。
《NOMAD'S REST》の位置が知られる。
神代レン。
レナ・アークライト。
水城ミサキ。
子どもたち。
患者。
十三体のアンドロイド。
ここで暮らす、名前も知らない者たち。
返信を消した。
代わりに、通信記録を保存する。
帰還すると決めたとき。
自分の言葉で答えるために。
「起きてる?」
入口からミサキの声。
「ああ」
「痛みは?」
「耐えられる」
「その答えは禁止」
「神代レンにも言っていたな」
「患者は同じようなことを言うから」
「痛い」
「鎮痛剤を調整する」
「意識は失いたくない」
「量を下げる」
ミサキは端末を操作する。
「さっき、何を見ていたの?」
「個人通信だ」
「内容は聞かない」
「なぜ?」
「聞いてほしければ、自分から話すでしょう」
医療装置から薬剤が流れる。
痛みが少しずつ遠ざかる。
「水城ミサキ」
「何?」
「まだ、俺を助けた理由が分からない」
「そう」
「理解する必要はあるか」
「別に」
「理由も知らず、借りたままでよいのか」
「治療は貸し借りじゃない」
「俺には、そう思えない」
「なら、元気になった後で誰かを助けて」
「お前たちを?」
「誰でもいい」
「敵でも?」
ミサキは少し考える。
「そのとき、自分で決めて」
答えにはなっていない。
だが、今まで聞いた中では、最も理解できる言葉だった。
母は、俺を救命艇へ乗せた。
ダリウスは、二十四人を選んだ。
ミサキは、敵である俺の出血を止めた。
神代レンは、俺が帰る選択肢を残そうとした。
誰が正しいのか。
まだ分からない。
もしかすると、助けるという行為には。
一つの正しい理由など存在しないのかもしれない。
目を閉じる。
船内から、工具を叩く音が聞こえる。
「先生!」
子どもの声。
「お兄ちゃんの足、動いた!」
「工具で叩かせないで!」
「低出力!」
「ピコもやめなさい!」
騒がしい船。
敵の船。
俺を助けた者たちの船。
今は、その寝台で眠る。
理由を知らないまま。
いつか、自分が誰かを助ける側に立ったとき。
同じ問いの答えを探すために。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第12話は、マーテル兵ユーノ・カストルの視点から描くサブストーリーでした。
ユーノは幼い頃、定員の限られた救命艇で救助される一方、母親を失っています。
全員を救えない状況で選択したダリウスは、ユーノにとって母を残した人物であると同時に、自分を救った恩人でもあります。
だからこそユーノは、
「守る者を選ばなければならない」
というダリウスの思想を信じてきました。
一方、ミサキは価値を確認する前に治療し、レンはユーノがマーテルへ帰る可能性を知りながら、その選択肢を残しました。
ユーノはまだ仲間になったわけではありません。
ダリウスへの敬意も忠誠も失っていません。
それでも《NOMAD'S REST》を巻き込まないため、自らマーテルの追跡信号を偽装しました。
また、レンの過去の医療記録は、マーテル内部でも詳細不明の《ORIGIN REGISTRY》から提供されていたことが判明します。
次回、レンたちは停泊料と修理費を稼ぐため、《NOMAD'S REST》第十八農業区画の依頼を受けます。
停止した機械。
枯れ始めた作物。
そして、分解処理を待つ植物管理AI。
第13話「壊れた農園は、助けを求めている」へ続きます。




