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廃棄された俺だけがアンドロイドの魂を修復できるらしい ~恋も出産も管理された未来世界で、機械の少女たちと反逆します~  作者: 好山 雪


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第35話 赤髪の女は、冗談なしで誘う

《GOLDEN CAGE》の契約金庫を開き、自分の義体に対する権利を記録したエリス。


債務契約の審査は続いているが、増え続けていた借金と義体回収命令は停止した。


補給のため、小さな自由港へ寄港した《ウェイフェアラー》。


エリスは以前交わした約束を果たすため、レンの船長室を訪れる。


今夜の彼女は、査定士でも契約担当でもなかった。


「今夜の私は、査定士ではないわ」


 船長室の扉を開けると、エリスが立っていた。


 赤い髪を、片側だけ耳へかけている。


 普段の作業着ではない。


 黒い布を身体へ沿わせ、右肩だけを大きく出した服。


 褐色の肌。


 銀色の義体との接続部。


 その境目に刻まれた契約番号も、隠していなかった。


『EV-6012』


 番号の下には、新しい表示。


『RIGHTS HOLDER――ERIS VANT』


 十二本の機械指には、何も持っていない。


 査定端末。


 工具。


 契約書。


 いつも彼女が持ち歩いているものが、一つもなかった。


「補給担当でもない」


「うん」


「契約交渉もしない」


「うん」


「価格の話も禁止」


「それは守れるか自信がない」


「どうして?」


「店で支払う時は必要だろ」


 エリスの目が細くなる。


「そこは私が払うわ」


「誘った方が?」


「今夜は私が誘ったの」


「前は、俺が誘う契約じゃなかった?」


「原本から名前を外せたら、あなたが誘う」


「完全には外れなかったから、前祝いは私が誘う」


「契約解釈が細かいな」


「職業病よ」


「今夜は査定士じゃないのでは?」


 エリスが黙る。


 数秒後、ため息をついた。


「始めて一分で失敗したわ」


「やり直す?」


「そうしましょう」


 一度、扉を閉める。


 向こうで足音が二歩離れる。


 呼び出し音。


 俺はもう一度、扉を開けた。


「こんばんは、レン」


「こんばんは、エリス」


「今夜、一緒に出かけてくれる?」


「喜んで」


 今度は、彼女も笑った。


     ◇


 自由港へ出る前に、医療区画へ寄る。


「飲酒は禁止です」


 ミサキが言った。


「まだ何も聞いてないけど」


「エリスと酒場へ行くのでしょう?」


「どうして知ってる?」


「外出許可申請に書かれています」


 エリスを見る。


「酒場って書いたの?」


「目的地を偽ると、外出保険が適用されないの」


「今夜は契約担当じゃないんじゃ?」


「船を出るまでは担当よ」


「便利だな」


 ミサキが俺の右手を確認する。


 三本の指。


 昨日より、少しだけ曲がる範囲が増えている。


「甘い飲み物へ変更してください」


「一口も駄目?」


「神経修復薬と相互作用します」


「分かりました」


「帰船予定は?」


 ミサキではなく、レナが尋ねた。


 医療区画の入口に立っている。


「標準時間で三時間後」


 エリスが答える。


「遅れる場合は連絡します」


「同行は?」


「二人で行く約束よ」


「把握しています」


 レナの視線が、エリスの服へ向く。


「その衣服は、戦闘に不向きです」


「戦いに行くわけじゃないもの」


「右肩の防御がありません」


「見せたいから出してるの」


「契約番号を?」


「身体を」


 エリスは、露出した肩へ左手を置く。


「隠さなくてもいいと思える服を選んだの」


 レナは数秒、彼女を見る。


「似合っています」


「ありがとう」


「ですが」


「何?」


「私は、この外出を喜んではいません」


「正直ね」


「レンが決めた予定を妨げるつもりもありません」


「それも正直?」


「はい」


「なら、私も言っておくわ」


 エリスの声から、からかう響きが消える。


「あなたから奪うために行くのではない」


「レンを物品として扱うつもりもない」


「でも、私の気持ちをなかったことにはしない」


 レナの金色の瞳が、俺へ向く。


「レン」


「はい」


「帰船後、話す時間を希望します」


「分かった」


「今夜でなくても構いません」


「今夜、帰ったら話そう」


「了解しました」


 ミサキが俺とエリスへ、通信機を一つずつ渡す。


「何かあれば連絡してください」


「診察のため?」


 俺が尋ねる。


「それもあります」


「ほかには?」


「私も、この外出を完全には喜んでいません」


 ミサキも隠さなかった。


「ですが、約束した食事を取り消すつもりはありません」


「覚えてる」


「なら、行ってらっしゃい」


「行ってきます」


 医療区画を出る。


 エリスが小声で言った。


「人気者ね、船長さん」


「今夜は船長じゃないんだろ?」


「そうだったわ」


 彼女は少し考える。


「人気者ね、レン」


 名前で呼ばれた方が、落ち着かなかった。


     ◇


 自由港《ブルー・ノット》。


 巨大船の推進器を中心に、大小の居住区を輪のようにつないだ港。


 《NOMAD’S REST》より小さい。


 その代わり、義体工房と機械部品市場が多い。


 通路を歩く者たちの身体も、さまざまだ。


 機械腕。


 多脚。


 浮遊式の身体。


 半透明の人工皮膚。


 頭部だけを小型運搬機へ載せた者。


 誰も、エリスの六本指を見て驚かない。


「この港には来たことがある?」


「一度だけ」


「仕事で?」


「ええ」


「高級義体の査定」


「自分の腕より高かった?」


「今夜は価格の話は禁止」


「自分から言った」


「また失敗したわ」


「三回までは見なかったことにする?」


「五回にして」


「交渉してる」


「六回」


「増えた」


 エリスが笑う。


 通路の途中に、小さな装飾店があった。


 義体用の指輪。


 関節飾り。


 人工皮膚へ貼る発光模様。


 機能はない。


 装甲にもならない。


 身体能力も上がらない。


 ただ飾るためだけのもの。


 エリスが足を止めた。


「欲しい?」


「必要ないわ」


「今夜は、必要かどうかで決めないんじゃ?」


「よく覚えてるわね」


 十二本の指を見つめる。


「仕事中に引っかかる」


「外せるものにしたら?」


「紛失する」


「なくしたら、また選べる」


「あなた」


 エリスが俺を見る。


「買わせるのが上手ね」


「査定士に褒められた」


「まだ買うとは言ってない」


 店へ入る。


 装飾品は、身体規格ではなく、本人がどのように使いたいかで並べられている。


 指用。


 手首用。


 肩部接続環用。


 感覚器用。


 店員は、エリスの腕を勝手に触らなかった。


「試着しますか?」


「見ているだけ」


「必要になったら呼んでください」


 それだけ言い、離れていく。


 エリスは一本の細い銀環を手に取った。


 小さな赤い石がついている。


「どの指につけるもの?」


「自由よ」


「仕事で使わない指は?」


「全部使う」


「なら、一番好きな指」


「指に好き嫌いはないわ」


「今決めよう」


「無茶を言うのね」


 右手を開く。


 六本の指。


 親指に近い二本。


 中央の二本。


 外側の二本。


「この指」


 俺は、右手の外側から二番目を示す。


「理由は?」


「最初に俺の額を突いた指だから」


「いつ?」


「《NOMAD’S REST》で、契約を読むように言われた時」


「覚えていたの?」


「印象に残ってる」


「痛かったから?」


「近かったから」


 エリスが少し黙る。


 銀環を、その指へ通した。


 赤い石が機械の指の上で光る。


「どう?」


「似合う」


「機能は?」


「ない」


「査定額は?」


「値段の話は禁止」


「そうだったわ」


 エリスは、自分の端末を出しかける。


 今日は持っていない。


「支払いは?」


「識別情報でできるんだろ?」


「ええ」


「俺が払う」


「駄目」


「どうして?」


「身体につけるものは、自分で買いたい」


「分かった」


 彼女が支払う。


 債務番号ではない。


 エリス本人の個人資産。


 支払い終了。


 追加契約なし。


 保守料なし。


 所有者表示。


『ERIS VANT』


 彼女は何度も、その短い表示を確認した。


「初めて?」


「何が?」


「役に立たないものを、自分の腕に買ったの」


 エリスが銀環を見る。


「そうかもしれない」


「後悔してる?」


「少し」


「外す?」


「外さない」


 赤い石が、店の灯りを反射する。


「次へ行きましょう」


 歩き出す。


 機械指が動くたび、小さな光が揺れた。


     ◇


 酒場は、港の外周にあった。


 透明な床の向こうを、船が行き交っている。


 店内の重力は弱い。


 飲み物がこぼれないよう、器の縁に薄い膜が張られていた。


「二名です」


 エリスが店員へ告げる。


「個室と共用席、どちらにしますか?」


 俺を見る。


「どっちがいい?」


「エリスが選んで」


「あなたと二人で話したい」


「なら個室?」


「密室が嫌なら共用席でもいい」


「嫌じゃない」


「本当に?」


「うん」


「では、個室」


 小さな区画へ案内される。


 窓。


 丸い卓。


 座席は二つ。


 七人用の食堂より広く感じた。


 浮遊椅子を固定する。


 エリスが向かいへ座る。


「飲み物は?」


「俺は甘いもの」


「ミサキの指示?」


「神経修復薬と相性が悪い」


「約束通りね」


 エリスは琥珀色の酒を注文する。


 俺には、同じ色をした蜂蜜炭酸。


 見た目だけなら区別できない。


「乾杯の言葉は?」


 俺が尋ねる。


「債務執行停止?」


「仕事みたいだ」


「義体所有権?」


「今夜は禁止」


「難しいわね」


 エリスは、右手の銀環を見る。


「役に立たない指輪へ」


「それでいいの?」


「今の私には大事よ」


 器を合わせる。


 小さな音。


「役に立たない指輪へ」


 飲む。


 甘い。


 細かな泡。


 祭りで食べた団子とは違う甘さ。


「おいしい?」


「うん」


「酒じゃなくても?」


「比べられない」


「そうだったわね」


 エリスも酒を一口飲む。


 機械腕。


 契約番号。


 査定士の資格。


 そんな話をしない時間を作るはずだった。


 でも、ほかに何を話せばいいのか分からない。


「好きな食べ物は?」


 俺が尋ねる。


「利益率の高いもの」


「今夜は禁止」


「四回目」


「あと一回だな」


「延長を要求するわ」


「却下」


 エリスが笑う。


「本当は?」


「硬い果物」


「どうして?」


「機械指で皮を割る感触が好き」


「味じゃないんだ」


「味も好きよ」


「色は?」


「赤」


「髪と同じ」


「事故前は、黒髪だった」


「染めてる?」


「義体手術の後に変えた」


「理由は?」


「遠くからでも見つけられるように」


「誰に?」


 エリスは器を回す。


「最初は、自分に」


「自分?」


「鏡を見た時、腕を失った人間だけが映るのが嫌だった」


「だから、先に髪が見える色にした」


「赤髪の自分?」


「そう」


 彼女は窓を見る。


「次は、誰かに見つけてもらうため」


「今は?」


「それを考えているところ」


 酒を飲む。


「レンは?」


「好きな食べ物?」


「何でも」


「故郷の食べ物」


「カレー」


「好きな色」


「青かな」


「レナの《帰灯環》」


「それもある」


「好きな女性」


 急に来た。


「質問の幅が広くない?」


「答えたくない?」


「答えるのが難しい」


「レナは好き」


「うん」


「ミサキにも惹かれている」


「たぶん」


「私は?」


 逃げ道のない問い。


 冗談で返すこともできる。


 今夜のエリスは、それを求めていない。


「惹かれてる」


「どこに?」


「強いところ」


「便利ね」


「本当は傷ついてても、すぐ立とうとするところ」


「それは褒め言葉?」


「分からない」


「ほかは?」


「笑い方」


「私は、いつも笑ってるわ」


「同じじゃない」


「どう違う?」


「本当のことを隠す時の笑い方と、嬉しい時が少し違う」


 エリスが、笑わなくなる。


「見分けられるの?」


「最近は」


「今は?」


「緊張してる」


「不正解」


「違った?」


「正解と言いたくないだけ」


 彼女は器を置く。


「私は、査定する側にいれば安全だった」


「相手の欲しいものを先に見つける」


「どこまで近づけば、情報を引き出せるか考える」


「冗談で誘惑して、相手が本気になったら離れる」


「どうして?」


「値段をつけられる前に逃げるため」


「俺にも?」


「最初は」


「今は?」


「逃げるタイミングを失った」


 赤い石のついた指が、卓上をなぞる。


「契約金庫で、あなたに残ってほしいと言われた時」


「嬉しかった」


「でも、理由が分からなかった」


「私が契約担当だからなのか」


「役に立つからなのか」


「身体を担保にされた女が可哀想だからなのか」


「どれもある」


 エリスの目がわずかに揺れる。


「否定しないの?」


「契約担当として必要」


「腕の技術も頼りになる」


「過去を知って、助けたいとも思った」


「それだけじゃない」


「それ以外は?」


「一緒にいたい」


「また同じ答え」


「本当だから」


「レナにも、ミサキにも?」


「同じ形じゃない」


「私には、どんな形?」


 考える。


 エリスは待っている。


 値段を出すように、早い回答を求めない。


「エリスには、隠さずに欲しがってほしい」


「何を?」


「残りたいなら残りたい」


「触れたいなら触れたい」


「嫌なら嫌」


「冗談じゃなく言ってほしい」


「私が言ったら、応えるの?」


「俺も、正直に答える」


「拒否するかもしれない?」


「うん」


「それでも言えと?」


「エリスが自分で決めた気持ちを聞きたい」


 彼女は長く息を吐いた。


「本当に、査定に向かない男」


「知ってる」


「欲しい答えを、先に出してくれない」


「エリスも、出してない」


「そうね」


 酒をもう一口。


 器を置く。


「あなたが欲しい」


 真っすぐな声だった。


 俺の胸が強く動く。


「船長としてではない」


「契約相手でもない」


「助けてくれた恩人だからでもない」


「一人の男として」


 エリスは、笑っていない。


「今夜、あなたに触れたい」


「嫌なら断って」


「嫌じゃない」


「同情は?」


「ないとは言えない」


「正直ね」


「でも、それだけじゃない」


「私のことが好き?」


 今度は、逃げずに考える。


「好きになり始めてる」


 レナへ言った時とは違う。


 もう完全に分かっている感情ではない。


 でも、惹かれているだけより先へ進んでいる。


「その答え」


 エリスが少し笑う。


「高く買うわ」


「価格の話は禁止」


「六回目だから、もう自由よ」


「勝手に上限を使ったな」


「契約担当だもの」


「今夜は違う」


「そうだった」


 彼女が立つ。


 俺の横へ来る。


 十二本の指のうち、右手の一本に赤い石。


「触れていい?」


「うん」


 右手が、俺の頬へ触れる。


 金属なのに冷たくない。


 温度調整されている。


 六本の指が、頬、耳、髪へ別々に触れる。


「感覚は全部ある?」


「ええ」


「今も?」


「全部」


 親指が、俺の唇の近くへ来る。


 そこで止まる。


「口づけてもいい?」


「いいよ」


 エリスが顔を近づける。


 赤い髪。


 酒の香り。


 甘くはない、少し苦い匂い。


 唇が触れる。


 短い。


 離れようとする。


 俺は左手を伸ばし、彼女の腰へ触れた。


「もう一度」


「希望?」


「うん」


「喜んで」


 二度目。


 今度は少し長い。


 右手の六本指が、俺の頬を包む。


 左の機械腕が、浮遊椅子の背へ回る。


 力は強い。


 でも、俺を固定しない。


 いつでも離れられる距離を残している。


 唇が離れる。


 エリスの額が、俺の額へ触れた。


「査定結果は?」


 俺が尋ねる。


「値段をつけられない」


「失敗?」


「最高評価」


 彼女は笑った。


 嬉しい時の笑い方だった。


     ◇


 酒場の奥では、音楽が始まっていた。


 弱い重力。


 床には、身体規格ごとの移動補助線。


 二本脚。


 多脚。


 浮遊式。


 車輪式。


 どの身体でも、同じ場所へ入れる。


「踊る?」


 エリスが尋ねる。


「俺、歩けない」


「知ってる」


「浮遊椅子で?」


「それも身体でしょう?」


 返事を待つ。


「やってみたい」


 エリスが、俺の左手を取る。


 浮遊椅子の固定を解除。


 低重力区画へ入る。


 音楽は、ゆっくり。


 エリスの機械指が、椅子の側面へ触れる。


「回すわよ」


「ゆっくり」


「分かってる」


 浮遊椅子が円を描く。


 彼女も歩く。


 十二本の指のうち、赤い石の指だけが光を反射する。


 俺は左手で、彼女の右手を握る。


 右手も上げる。


 三本の指。


 エリスの左手が支える。


 両手をつないだ形になる。


「踊れてる?」


「定義上は」


「査定士みたいな答えだ」


「楽しい?」


「うん」


「なら、踊れてる」


 船が窓の向こうを通る。


 自由港の灯り。


 義体の人。


 生身の人。


 身体を持たない者が操作する浮遊端末。


 誰も、俺たちの動き方を気にしない。


 歩けなくても。


 指が三本しか動かなくても。


 腕が十二本の機械指でも。


 音楽へ合わせる方法は、一つではない。


 エリスが椅子を引き寄せる。


 俺の膝と、彼女の脚が触れる。


「近い?」


「今は、この距離がいい」


「私も」


 赤い髪が、顔の近くで揺れる。


 今夜の彼女は、冗談へ逃げなかった。


     ◇


 帰船予定の十分前。


 俺たちは《ウェイフェアラー》へ戻る。


 接続通路の前で、エリスが足を止めた。


「今夜のこと」


「うん」


「レナとミサキへ隠さないで」


「分かった」


「私からも話す」


「三人で?」


「必要なら」


「怖くない?」


「怖いわ」


 正直な答え。


「嫌われるかもしれない」


「この船にいられなくなるかもしれない」


「そんなことにはならない」


「決めつけないで」


「ごめん」


「でも」


 エリスは右手の銀環を見る。


「隠したまま関係を続ける方が嫌」


「分かった」


「レン」


「何?」


「もう一度、聞くわ」


「一緒にいたい?」


「うん」


「私も」


 短い答え。


 そのまま船へ戻る。


     ◇


 船長室の前。


 レナが待っていた。


 ミサキもいる。


 二人とも、勤務服ではない。


「おかえりなさい」


 レナが言う。


「ただいま」


「楽しかったですか?」


「うん」


 嘘をつかない。


「口づけをした?」


 直球だった。


「した」


 レナの指が、青い《帰灯環》へ触れる。


 表情はほとんど変わらない。


「エリスから?」


「最初は」


「二度目は?」


「俺から頼んだ」


 ミサキが小さく息を吐く。


「正直に話すのですね」


「隠したくない」


 エリスが一歩前へ出る。


「私が誘った」


「レンだけの責任ではないわ」


「責任という言葉を使うのですか?」


 レナが尋ねる。


「使わない方がいい?」


「罰を受ける行為のように聞こえます」


「では、選択」


 エリスは言い直す。


「私が選んだ」


「レンも選んだ」


 レナは、しばらくエリスを見る。


「私は嫉妬しています」


「分かるわ」


「ですが、エリスへ船を降りてほしいとは思いません」


「ありがとう」


「レンへ、私だけを選ぶよう要求するかは」


 金色の瞳が俺へ向く。


「まだ決めていません」


「決めたら言って」


「はい」


 ミサキも続く。


「私も、嬉しくはありません」


「うん」


「次の寄港地では、私との食事の約束があります」


「覚えてる」


「その間、エリスは同行しないでください」


「行かないわ」


 エリスが答える。


「そこへ割り込むほど無粋ではないもの」


「レナは?」


「同行しません」


「本当に?」


 ミサキが尋ねる。


「追跡装置はつけません」


「聞いていません」


「先に回答しました」


 三人の間に、少しだけ緊張が残る。


 すぐに解決する問題ではない。


 誰も笑って終わらせようとはしなかった。


 それでも、扉を閉めて隠す者もいない。


「今日は、ここまでにしよう」


 俺は言った。


「逃げるの?」


 エリスが尋ねる。


「考える時間が必要」


「全員?」


「うん」


「分かった」


 レナが最初に答えた。


「明日、話します」


 ミサキも頷く。


「診察とは別の時間を設定します」


「私も参加するわ」


 エリス。


「契約会議みたいだな」


「恋愛にも、確認は必要よ」


「今夜は契約担当じゃなかっただろ」


「もう船内だから、勤務へ戻ったの」


 いつもの笑み。


 でも、今夜それが何を隠し、何を本当に喜んでいるのか、少し分かるようになった。


     ◇


 自室へ戻る。


 右手を開く。


 三本の指。


 頬には、六本指の感触。


 唇には、酒と甘い飲み物の間のような記憶。


『レン』


 ミラが呼ぶ。


「何?」


『人格記録保管庫より、マリア・セルヴァが会話を希望しています』


「今?」


『自由港の義体市場を確認し、身体候補を選択したとのことです』


「行く」


 浮遊椅子を動かす。


 部屋を出る前、鏡を見る。


 浮遊椅子。


 まだ動かない右脚。


 少しずつ戻る右手。


 どんな身体を望むか。


 元の身体へ戻りたいとは限らない。


 今の身体をどう生きたいかも、一つずつ選んでいく。


「ミラ」


『はい』


「マリアへ、今から行くと伝えて」


『了解しました』


 船長室の扉が開く。


 次は、身体を待つ一人の乗客の話を聞く時間だった。


次回、第36話「欲しい身体は、元の身体とは限らない」。


マリアは自由港の義体市場で、自分が生きたい身体を選びます。

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