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廃棄された俺だけがアンドロイドの魂を修復できるらしい ~恋も出産も管理された未来世界で、機械の少女たちと反逆します~  作者: 好山 雪


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第32話 医師は、診察が終わっても隣に座る

《ORIGIN REGISTRY》中継施設での戦いを終え、右手の三本の指を動かせるようになったレン。


神経状態が七十二時間安定し、寝台と浮遊椅子の間を自力で移動できれば、ミサキによる常時監視は終了する。


回復を望んでいたはずの二人。


しかし、治療の終わりは、医師と患者として一緒に過ごしてきた時間の終わりでもあった。


---


 今日、寝台から浮遊椅子へ一人で移れたら、常時監視が終わる。


 俺は回復したい。


 ミサキも、それを望んでいる。


 それなのに彼女は、朝から一度も笑わなかった。


「試験条件を確認します」


 医療区画。


 寝台の横には、俺が普段使っている浮遊椅子がある。


 間隔は四十センチ。


 床には滑り止め。


 右脚には固定具。


 左手で掴める位置に、移乗用の手すりが取りつけられている。


「寝台から浮遊椅子へ移動」


 ミサキが端末を読む。


「着座後、姿勢と椅子の操作権限を確認」


「その後、浮遊椅子から寝台へ戻る」


「身体へ直接触れる補助が行われた場合、試験は中止します」


「道具は?」


「使用できます」


「寝台の高さも変えていい?」


「はい」


「椅子の位置は?」


「自分で指定してください」


「失敗したら?」


「今日の試験を終了します」


「もう一回は?」


「状態を確認し、最短でも六時間後です」


「厳しくない?」


「試験は、できるまで繰り返す訓練ではありません」


 ミサキは端末を閉じる。


「あなたが一人の時、安全にできるか確認するものです」


「分かってる」


「本当に?」


「無理だったら言う」


「いつ?」


「危ないと思った時」


「危なくなってからでは遅いです」


「じゃあ、危なくなりそうな時」


「曖昧ですね」


「基準が難しい」


 ミサキは寝台脇の赤い呼び出しボタンを指した。


「右肩に鋭い痛み」


「視界の暗転」


「呼吸困難」


「右脚の感覚消失」


「左腕の力が半分以下になったと感じた場合」


「一つでも起きたら、すぐに押してください」


「押したら失敗?」


「試験は中止です」


「失敗とは言わない?」


「中止です」


 彼女は、その言葉を強く区別した。


「できないことと、途中で助けを求めることは同じではありません」


「うん」


「中止しても、回復が失われるわけではありません」


「うん」


「試験のために身体を傷めれば、回復が遅れます」


「分かりました、先生」


「返事が軽いです」


「真面目に聞いてる」


「では、始めます」


 ミサキが一歩下がる。


 白い医療服。


 束ねられた髪。


 いつもの医師の姿。


 寝台の横には、彼女が座るための椅子が一脚ある。


 俺がこの医療区画へ運ばれてから、ずっと同じ場所にあった椅子。


 夜間も、ミサキはそこへ座っていた。


 常時監視が終われば、もう必要なくなる。


「レン?」


「何?」


「始めないのですか?」


「始める」


 寝台の端へ身体を動かす。


 左手で手すりを掴む。


 左脚を床へ置く。


 右脚は、自分では十分に動かせない。


 左手で膝の位置を調整する。


 足の裏が床へ触れた。


 感覚はある。


 力は、まだ弱い。


「浮遊椅子を、あと五センチ近づけて」


「自分で操作してください」


「試験、もう始まってる?」


「はい」


 椅子の遠隔操作盤は、寝台脇にある。


 左手で触れる。


 五センチ近づける。


 近すぎるようにも見える。


「二センチ戻す」


 位置を調整する。


 椅子と寝台の角度を変える。


 平行ではなく、少し斜め。


 身体を完全に立たせなくても、腰を回せる位置。


「移乗板を使う」


「どうぞ」


 薄い板を、寝台と浮遊椅子の間へ渡す。


 左手で身体を持ち上げる。


 右手は、寝台へ置く。


 三本の指。


 体重を支える力はない。


 それでも、姿勢が傾いていることは分かる。


 右肩へ少しだけ力を入れ、身体の向きを整える。


 腰を移乗板へ載せる。


 浮遊椅子まで、三十センチ。


 左腕で身体を押す。


 十センチ。


 右脚が床へ引っかかる。


 止まった。


「右脚を動かす」


 自分へ言う。


 動かない。


 腰だけが先へ進み、膝が残る。


 身体が捻れる。


「中止しますか?」


 ミサキが尋ねる。


「まだ」


「痛みは?」


「ない」


「右脚の感覚は?」


「ある」


「呼吸は?」


「平気」


 右脚を持ち上げようとする。


 動かない。


 左手を手すりから離せば、膝を動かせる。


 でも、その間は身体を支えられない。


 ミサキが、すぐ近くにいる。


 手を伸ばせば支えられる位置。


 彼女の指が動きかける。


 触れない。


 俺が頼むのを待っている。


「中止する」


 俺は言った。


 赤い呼び出しボタンを押す。


 ミサキがすぐに身体を支える。


 右腕を背中へ。


 左手を腰へ。


 俺の身体を寝台へ戻した。


「痛みは?」


「ない」


「眩暈?」


「ない」


「悔しい?」


「ある」


「それは、今は治療できません」


「知ってる」


 寝台へ仰向けになる。


 天井を見る。


「右脚を先に、椅子の足置きへ載せればよかった」


「はい」


「分かってた?」


「はい」


「言ってくれればよかったのに」


「一人で行う試験ですから」


「意地悪だな」


「医師です」


 ミサキは右脚の状態を確かめる。


 固定具を外す前に、こちらを見る。


「触れます」


「うん」


 足首。


 膝。


 太腿。


 感覚を確認していく。


「異常はありません」


「次は六時間後?」


「状態に問題がなければ」


「今すぐできそうなんだけど」


「できません」


「三時間?」


「六時間です」


「交渉できない?」


「治療条件は、値切るものではありません」


「エリスみたいなこと言うな」


「彼女なら、利息を加えると思います」


「もっと悪かった」


 ミサキは固定具を戻す。


「それまで休んでください」


「ミサキも?」


「私は診療記録を整理します」


「昨日もやってた」


「記録は毎日増えます」


「いつ休むの?」


「後で」


「それ、ガイと同じ答えだぞ」


「私は過労停止しません」


「人間だから、別の壊れ方をするだろ」


 ミサキの手が止まった。


「休んでほしい?」


「うん」


「医師として必要だから?」


「ミサキに元気でいてほしいから」


「理由は?」


「そうしたいから」


 浴場でレナへ言ったのと同じ答え。


 誰かを大事に思う理由を、いつも合理的に説明できるわけではない。


「では」


 ミサキは端末を置いた。


「三十分だけ休みます」


「ここで?」


「ほかに座る場所がありません」


 寝台脇の椅子へ座る。


「俺を監視することにならない?」


「目を閉じます」


 本当に目を閉じた。


 背もたれへ身体を預ける。


 白い医療服の裾。


 少し崩れた髪。


 診察中より、表情が柔らかい。


 俺も目を閉じる。


 機械音。


 船体の振動。


 隣に誰かが座っている気配。


 眠るつもりはなかった。


 それでも、次に目を開けた時には一時間が過ぎていた。


 ミサキも、まだ眠っていた。


     ◇


 六時間後。


 二回目の試験。


「浮遊椅子を、寝台に対して三十五度」


 俺は指示する。


 左手で遠隔操作盤を使い、椅子を動かす。


「移乗板は、さっきより五センチ深く入れる」


「はい」


「右脚を先に足置きへ載せる」


「実行してください」


 左手で右膝を持ち上げる。


 足を浮遊椅子の足置きへ置く。


 まだ身体は寝台にある。


 少し不格好な姿勢。


 でも、先ほどのように床へ引っかからない。


 左脚を床へ置く。


 左手で手すり。


 右手で寝台の端。


 三本の指を広げる。


 力を支えるのではなく、身体の向きを確認する。


 腰を浮かせる。


 移乗板へ載せる。


 十センチ。


 二十センチ。


 右脚は、椅子と一緒にある。


 身体を捻らずに進める。


 あと五センチ。


 左腕が震える。


 呼吸を止めかける。


 吐く。


 焦らない。


 浮遊椅子の座面が、腰の下へ入った。


「着座」


 俺は言った。


「確認しました」


 ミサキの声。


「姿勢は?」


「右へ傾いています」


 左手で肘掛けを掴み、身体を中央へ寄せる。


「今は?」


「正常範囲」


 右手を操作盤へ置く。


 親指を動かす。


 浮遊椅子が十センチ前へ進む。


 止まる。


 後ろへ戻る。


「操作権限、確認」


「はい」


「半分終わり?」


「寝台へ戻るまでです」


 今度は逆。


 右脚を寝台側へ先に置く。


 移乗板。


 左腕。


 腰を浮かせる。


 途中で板が少しずれた。


「停止」


 自分で動きを止める。


「ミサキ、板の位置を直してもらえる?」


「身体へ触れない補助は認められます」


 ミサキが板だけを直す。


「ありがとう」


「続行できますか?」


「できる」


 腰を動かす。


 寝台へ戻る。


 最後に右脚を左手で持ち上げ、寝台へ載せた。


 仰向けになる。


 呼吸は速い。


 左腕も痛い。


 でも、鋭い痛みではない。


「終わった?」


 ミサキはすぐに答えなかった。


 神経反応。


 呼吸。


 右脚の感覚。


 すべてを確認する。


「試験終了です」


「結果は?」


「合格です」


 その一言を聞いて、身体から力が抜けた。


「やった」


「はい」


「常時監視は?」


「終了します」


「医療区画から出ていい?」


「船内移動は自由です」


「一人で?」


「浮遊椅子を使用し、通信機を携帯すること」


「訓練以外で立つのは?」


「禁止です」


「そこは変わらないか」


「歩行訓練は、次の段階です」


 ミサキが端末へ試験結果を入力する。


「嬉しい?」


 俺は尋ねた。


「もちろんです」


「そう見えない」


「医師として、冷静に評価しています」


「今も医師?」


「診察中です」


「いつ終わる?」


「あと三分です」


「終わったら、嬉しそうにしてくれる?」


 ミサキの指が止まる。


「努力します」


「そこは努力が必要なんだ」


「レン」


「何?」


「私は」


 彼女は何かを言いかける。


 だが、端末の終了音が先に鳴った。


『常時神経監視を終了』


『患者区分を、継続診療へ変更』


 医療区画の壁にあった赤い表示が消える。


 寝台の上。


 浮遊椅子。


 船内の各扉。


 俺の状態を自動でミサキへ送っていた監視回線が、一つずつ閉じていく。


「これを」


 ミサキが、小さな銀色の鍵を差し出す。


「何?」


「船長室の医療緊急解錠権限です」


「ミサキが持ってた?」


「はい」


「いつでも俺の部屋へ入れた?」


「生命反応が停止した場合に限ります」


「今は?」


「権限を返還します」


 銀色の鍵を受け取る。


 右手では落としそうなので、左手で握った。


「緊急時は?」


「あなたが、事前に一時権限を設定できます」


「設定しなかったら?」


「扉の前で呼びかけます」


「返事がなかったら?」


「船長権限と乗員投票で開けます」


「時間がかからない?」


「その危険を含めて、あなたの個室です」


 これまでは、患者だった。


 何かあれば、ミサキが入る。


 命を守るために必要な権限。


 今、それが俺へ戻された。


「ありがとう」


「監視を終えただけです」


「今まで見てくれたことも」


 ミサキが視線を逸らす。


「仕事です」


「全部?」


「最初は」


「今は?」


 彼女は答えなかった。


 代わりに、白い医療服の留め具を外す。


「勤務を終了します」


 医療服を脱ぐ。


 その下には、薄い青色の船内着。


 昨日、食卓で着ていたものと同じ。


 髪を束ねていた紐も外す。


 長い髪が肩へ下りた。


 医師の姿から、一人の女性の姿へ変わる。


「レン」


「はい」


「私の診察は終わりました」


「うん」


「もう、常にあなたの隣へ座る理由はありません」


 寝台の横にある椅子を見る。


 ミサキが夜を過ごした椅子。


 俺の呼吸や、神経状態を確認するための場所。


「片づける?」


「その前に」


 彼女は椅子へ座った。


 いつもと同じ位置。


「今度は、医師ではない私が座ってもいいですか?」


「もちろん」


「体調確認のためではありません」


「うん」


「記録も取りません」


「うん」


「あなたの隣にいたいからです」


 ミサキの手が、膝の上で握られる。


「それでも?」


「座ってほしい」


 彼女の肩から力が抜けた。


 ようやく、笑った。


「合格を喜んでくれる?」


「はい」


 ミサキが、寝台の上の俺へ身体を向ける。


「おめでとうございます、レン」


「ありがとう」


「でも、少し寂しいです」


「どうして?」


「あなたに必要とされる理由が、一つ減りました」


「医者じゃなくても、ミサキは必要だよ」


「乗員として?」


「それもある」


「それ以外は?」


 逃げずに考える。


 レナが好きだ。


 彼女と口づけをした。


 一緒に生きたいと話した。


 だからといって、ミサキに何も感じていないわけではない。


 診察中の厳しい声。


 髪を下ろした時の姿。


 自分を実験材料にしなかった人。


 俺が怖いと言えるまで待ってくれた人。


「ミサキと一緒にいると、安心する」


「患者だから?」


「違うと思う」


「断言できない?」


「正直に言うと、まだ分からない」


 ミサキは少しだけ目を伏せる。


「レナとは、好きだって言い合った」


「知っています」


「どうして?」


「診察中に口元を見れば分かります」


「そんなに?」


「冗談です」


「ミサキが冗談を言うとは思わなかった」


「私にも、それくらいの感情はあります」


 彼女は髪を耳へかける。


「嫉妬もします」


「レナに?」


「はい」


「エリスにも」


「エリスにも?」


「彼女は、距離の詰め方が早いので」


「俺は詰められてたのか」


「気づいていなかったのですか?」


「冗談かと思ってた」


「半分は冗談でしょう」


「残りは?」


「本人に聞いてください」


 ミサキは、俺の右手を見る。


「触れてもいいですか?」


「診察?」


「違います」


 右手を差し出す。


 ミサキが両手で包む。


 脈を取る位置ではない。


 指の動きを確かめるためでもない。


 ただ、手を握る。


「私は、あなたに惹かれています」


 静かな声。


「医師と患者の関係を利用したくありませんでした」


「あなたが、治療を失うことを恐れて、私を拒めなくなる状況も嫌でした」


「だから、待っていました」


「今日まで?」


「常時監視が終わるまで」


「継続診療は残るけど」


「今のあなたは、私がいなければ何も決められない患者ではありません」


「最初から、そのつもりだったけど」


「身体の状態だけでなく、私自身の問題です」


 ミサキの指が、俺の右手へ重なる。


「境界を守るため、理由が必要でした」


「今は?」


「私的な食事へ誘われる準備ができました」


「俺から誘うの?」


「はい」


「今じゃ駄目?」


「次の寄港地で」


「どうして?」


「船内の食堂では、七人がついてきます」


「確かに」


「二人だけで食事をしたいです」


 胸が少し速く動く。


「それは、デート?」


「診療記録上は、定義しません」


「診療記録に残さないんだろ?」


「そうでした」


 ミサキが笑う。


「デートです」


「分かった」


「まだ誘われていません」


「水城ミサキさん」


「はい」


「次の寄港地で、俺と二人で食事をしてください」


 彼女はすぐに答えない。


 少しだけ、俺を待たせる。


「喜んで」


 握られた右手。


 三本の指を曲げる。


 弱い力。


 それでも、ミサキの手を握り返せた。


     ◇


 医療区画の扉が開く。


 レナが立っていた。


「訓練結果を確認しに来ました」


 視線が、俺とミサキの手へ向く。


 ミサキは手を離さなかった。


 俺も離さなかった。


「合格した」


「確認しました」


「常時監視も終わった」


「おめでとうございます」


 レナは医療区画へ入る。


「ミサキの勤務時間は?」


「終了しました」


 ミサキが答える。


「そうですか」


「はい」


 短い沈黙。


「次の寄港地で、レンと食事をします」


 ミサキは隠さなかった。


 レナの金色の瞳が、俺を見る。


「二人で?」


「うん」


「デートですか?」


「はい」


 今度は俺が答えた。


 レナは数秒、何も言わない。


 怒られるかもしれない。


 失望されるかもしれない。


「私は、賛成とは言いません」


「うん」


「ですが、レンの予定を私が決めることでもありません」


「うん」


「一つだけ、希望があります」


「何?」


「私との約束を、曖昧にしないでください」


 次の《灯継ぎ祭》。


 一緒に故郷へ行く方法を探す。


 好きだと伝え合ったこと。


「曖昧にはしない」


「なら、分かりました」


 レナは俺の左側へ来る。


 寝台脇の椅子は、ミサキが使っている。


 座る場所がない。


「椅子を持ってくる?」


「必要ありません」


 レナは寝台の端へ座った。


 俺の左手を取る。


「レナ?」


「現在、私は勤務中ではありません」


「航路士にも勤務時間があるの?」


「今、設定しました」


 右手はミサキ。


 左手はレナ。


 二人とも、医療や護衛のためではない。


 自分がそうしたいから、ここにいる。


「寝台、狭くない?」


「狭いです」


 レナが答える。


「椅子も一脚しかありません」


 ミサキ。


「部屋を広げる?」


「配管区画を移動させる必要があります」


「三十二時間だっけ」


「食堂と同じです」


「やめよう」


 二人の手の温度が違う。


 レナの人工皮膚。


 ミサキの人間の手。


 どちらも、俺が勝手に意味を決めていいものではない。


 これから話す。


 迷う。


 間違える。


 その時は、相手へ伝える。


「少しだけ、このままでいい?」


 俺が尋ねる。


「はい」


 レナ。


「私も」


 ミサキ。


 二人が答えた。


     ◇


 常時監視が終わった夜。


 船長室の医療緊急解錠権限を、自分で設定する。


 完全に消すこともできる。


 ミサキへ戻すこともできる。


 俺は条件を三つにした。


 自分から救助信号を出した時。


 生命反応が停止し、三十秒間応答がない時。


 ミサキとレナの二人が、同時に必要と判断した時。


 一人では開けられない。


 俺が助けを求める方法は残す。


 扉を開く条件も、自分で選ぶ。


『設定を登録しました』


 ミラが告げる。


「これでいい」


『今夜から、船長室の常時監視は行われません』


「少し不安だな」


『監視を再開しますか?』


「しない」


『了解しました』


「でも、朝になっても返事がなかったら呼んで」


『それは監視では?』


「時間だけ確認して」


『起床予定時刻を登録しますか?』


「それで」


『登録しました』


 一人でいられることと。


 誰にも頼らないことは違う。


 その区別を、少しずつ覚えている。


     ◇


 翌朝。


 乗員会議が開かれた。


 三つの航路候補。


 《HELIX CLINIC》再建候補地。


 マリアが望む機械身体の製造情報。


 エリスの過去の債務契約に関する情報。


「優先順位を決める」


 俺は言った。


「ただし、本人が話したくない情報は議題にしない」


 エリスが腕を組む。


 いつもの笑みはない。


「私の契約情報を、誰から受け取ったの?」


『《ORIGIN REGISTRY》中継施設の監査記録です』


 ミラが答える。


『《HELIOS》への人格資産照会履歴に、エリス・ヴァントの旧債務番号が含まれていました』


「私の腕の契約が、《ORIGIN REGISTRY》へ照会された?」


『肯定』


 エリスの六本指が、ゆっくり閉じる。


 身体を担保にされた過去。


 すでに逃れたはずの契約が、《ORIGIN REGISTRY》とつながっている。


「行き先は」


 エリスが言った。


「私が決めてもいい?」


「まず、話を聞く」


 俺は答えた。


「それから、一緒に決めよう」


 エリスは、すぐには笑わなかった。


 それでも、赤い髪をかき上げ、俺を見た。


「分かったわ、船長さん」


 次の航路を選ぶ会議が始まった。

次回、第33話「赤髪の査定官は、自分の値段を決められない」。


エリスは、機械腕と引き換えに結ばされた過去の債務契約を語ります。

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