第19話 追跡者は、同じ船で眠る
《ORIGIN REGISTRY》の回収実働体を、サヤの船《MOURNING STAR》へ隔離したレンたち。
その内部には、百七十三の人格記録が保存されていた。
サヤの妹。
《WORKER-13》。
そして、名前さえ奪われた多くの人格。
しかし、回収実働体の封印が持つのは二十六時間。
人格記録を安全に分離できるまで、十八時間。
失敗すれば、救おうとした人格のすべてが失われる。
残された時間の中で、レンたちは追跡者の船へ乗り込む。
「妹を最優先で取り出す」
《MOURNING STAR》へ移る前。
サヤ・グレンは、通信越しにそう言った。
「反対する者は?」
「いる」
俺は答えた。
サヤの黒い人工眼が、わずかに細くなる。
『理由は』
「百七十三の人格が、どう保存されているか分からない」
「一人だけ引き抜いたら、ほかの記録を壊すかもしれない」
『分かっている』
「なら」
『それでも、妹を先にする』
迷いのない声。
『私は十七年、イオナを捜した』
初めて聞く名前だった。
「イオナ」
『妹の名だ』
『《ORIGIN REGISTRY》は、その名前を消した』
『私まで後回しにする理由はない』
サヤの言葉を、すぐには否定できなかった。
俺も同じだからだ。
百七十三の人格より。
サーティーンを先に探したい。
俺を守って停止した。
この世界で最初に出会った存在。
完全には戻らなくても。
もう一度、声を聞きたい。
「俺も、サーティーンを先に助けたい」
正直に言う。
「だからこそ、順番を俺たちだけで決めるのは危険だ」
『きれいごとだ』
「そうだと思う」
『全員を守ろうとして、全員を失ったら?』
「それを避ける方法を探しに行く」
『時間がない』
「十八時間ある」
『しか、ない』
「まだある」
短い沈黙。
『十二時間』
サヤが言った。
『十二時間で安全な分離方法を見つけられなければ、イオナを最優先で抽出する』
「十六時間」
『十三』
「十五」
『十四』
「分かった」
『交渉成立だ』
「エリス、記録してる?」
『もちろん』
別回線からエリスの声。
『十四時間経過後、サヤにはイオナ・グレンの優先抽出権』
『ただし、それ以前にほかの人格記録を意図的に損傷させた場合、契約違反』
「認める」
サヤは答えた。
「俺も認める」
『では、来い』
通信が切れる直前。
サヤは付け加えた。
『私の船は、一人用だ』
『寝る場所は期待するな』
◇
黒い懸賞請負船《MOURNING STAR》。
船内へ入って最初に感じたのは、狭さではなかった。
音がない。
《ウェイフェアラー》には、いつも何かの音がある。
ガイの工具。
ピコの作業脚。
子どもたちの声。
患者の呼吸装置。
ミラの報告。
壊れた船体が軋む音。
《MOURNING STAR》には、それがなかった。
照明は必要な場所だけ。
壁は黒。
装飾もない。
通路に物は置かれていない。
生活の匂いが、ほとんどしない。
「きれいですね」
レナが周囲を見る。
「誰も散らかさないからな」
サヤが答える。
「乗員は私一人」
「長期間?」
「十七年」
妹を捜し始めてから。
ずっと一人で、この船に乗っていたらしい。
俺は医療用の浮遊椅子へ座っている。
右半身は、まだほとんど動かない。
左手には感覚がある。
だが、細かい動きを続けると震えが出る。
レナも状態は悪い。
左腕。
右脚。
胸部炉の一部。
三か所に回収者の停止命令が残っている。
歩行補助装具と、船内壁の支持具を使って移動していた。
「無理をしていませんか?」
俺が尋ねる。
「していません」
「歩くたび、胸部炉温度が上がってる」
「許容範囲内です」
後ろからミサキの声。
「許容範囲を超える前に休ませる」
「同行してたのか」
「患者が二人も敵の船へ行くのに、医師が残ると思った?」
「敵ではない」
サヤが言う。
「契約相手だ」
「期限つきのね」
エリスも同行していた。
契約記録を管理するため。
さらに、機械腕の解析機能を使うため。
ガイとピコは《ウェイフェアラー》に残り、遠隔で接続作業を担当する。
ユーノは港の医療区画から、マーテルの旧記録を調査。
ミラも通信回線を通じて支援する。
一つの船に全員を集めない。
《MOURNING STAR》で何か起きても、《ウェイフェアラー》側から切り離せるようにするためだった。
「回収実働体は?」
俺が尋ねる。
「船尾」
サヤが先へ進む。
「外部拘束区画を、船体内へ格納した」
「隔離壁は六層」
「内部時間を一万分の一まで遅らせている」
「それでも二十六時間しか持たない?」
「向こうが、船の機能を学習している」
「時間を遅らせれば、時間制御を解析する」
「通信を切れば、隔離壁そのものを通信路へ変える」
「熱を下げれば、低温をエネルギーとして利用する」
「止めるたびに、別の方法を見つける」
白い回収者。
破壊するより。
理解し、正常化する。
船も。
機械も。
人間の意思さえ。
自分の目的に合わせて作り替える。
「よく十七年も追ってたな」
「追えていない」
サヤは前を見たまま答える。
「向こうが、不要な記録を捨てた跡を拾っていただけだ」
「今回は、初めて向こうから来た」
「だから、逃がさない」
声には、怒りより強いものがあった。
執着。
それだけを支えに、十七年を生きてきた人間の声。
◇
解析室は、船の中央にあった。
中央の透明な隔離槽。
その中に、記録ポッド。
さらに内部には、白い回収実働体。
人間の形には戻っていない。
白い液体が《ORIGIN TRANSFER SEED》を包み、ゆっくり脈打っている。
周囲には複数の解析端末。
表示されているのは、百七十三本の光。
互いに絡み合い。
区切りがない。
「これが人格?」
俺は尋ねた。
「人格を構成する記録群だ」
サヤが答える。
「一人分の記憶が、一つの場所へまとまっているわけではない」
「感情」
「言語」
「運動記録」
「人間関係」
「身体情報」
「同じ機能ごとに、複数の人格が重ねられている」
「整理棚ではなく、部品置き場」
エリスが表示を拡大する。
「一つの感情記録に、複数人の反応が混ざってる」
「うれしい記憶だけを取り出そうとしたら、百七十三人分が一緒に動く」
「妹だけを選ぶには?」
サヤが尋ねる。
「イオナ本人に結びつく目印が必要」
「遺伝情報はある」
「それは身体の目印」
ミサキが言った。
「人格を見分けるには足りない」
「人間は、遺伝情報だけで同じ人になるわけじゃない」
「では、記憶照合」
「共通の記憶なら」
「私が持っている」
サヤが端末へ手を置く。
「待って」
ミサキが止める。
「何だ」
「あなたの記憶を直接つなげば、回収実働体があなたへ入る可能性がある」
「構わない」
「私が構う」
「お前の患者ではない」
「今、この船で危険な医療行為をしようとしてる」
「なら患者」
「勝手に決めるな」
「あなたも、自分を使い捨てる前提で決めないで」
二人がにらみ合う。
「記憶を直接つながなくていい方法を探そう」
俺は言った。
「サヤにしか分からない質問を作る」
「答えが返れば、イオナの人格記録だと確認できる」
「返事ができる状態ならな」
サヤが隔離槽を見る。
「言語領域が、ほかの人格と混ざっている」
「今呼びかけても、誰が返したのか分からない」
「だから、先に名簿を作る」
レナが表示へ近づく。
「人格を完全に分離できなくても」
「各記録が、どの人格へ属する可能性が高いか」
「航路として解析できます」
「航路?」
俺が尋ねる。
「はい」
「一つの記憶から、次の記憶へ進む経路」
「選択」
「反応」
「他者との関係」
「人格は、固定された物体ではありません」
「多数の経験を通過して現在へ至る、航路に近い」
ナビゲーターであるレナらしい見方。
「できる?」
「私一人では不可能です」
レナの金色の瞳が、百七十三本の光を見る。
「しかし、ミラの救難記録」
「サヤの追跡記録」
「ミサキの人格診断」
「エリスの契約記録」
「すべてを組み合わせれば、所属確率を算出できます」
「俺は?」
「レンには、全体の流れを見てください」
「SOUL REPAIRで?」
「使わずに」
「見える範囲だけ」
レナは俺を見る。
「修復する必要はありません」
「欠けている場所を教えてください」
能力を使わない。
直さない。
自分の身体を燃料にしない。
それでも、俺に見えるものはある。
「やってみる」
「十四時間」
サヤが言う。
「時間内に終わらなければ、約束どおりイオナを優先する」
「ああ」
◇
解析を開始した。
ミラが、百年以上前の救難記録から人格分類方式を探す。
『旧救難規則では、人格記録へ本名を付与しません』
「なぜ?」
『捕虜』
『迫害対象』
『違法人格』
『身元の秘匿を希望する救助者が存在したためです』
「では、どう見分ける?」
『本人が選択した識別名』
『記憶鍵』
『重要人物との関係』
『本人だけが答えられる質問』
「《ウェイフェアラー》は、人格記録を運んだことがあるのか?」
短い沈黙。
『記録の一部を発見』
『正式任務ではありません』
『救難対象、人格保有個体二百四十一』
『目的地、不明』
「いつ?」
『百十三年前』
「《ORIGIN REGISTRY》が関係してる?」
『名称記録は消去されています』
完全な答えではない。
だが、予想していたことが一つ確かになった。
《ウェイフェアラー》は、ただ人間の身体を運ぶ救難船ではなかった。
人格そのものを救助した過去がある。
「隠し区画は、そのため?」
『可能性が高い』
「船長は?」
『記録なし』
「また失われてるのか」
『意図的に削除された痕跡があります』
「誰が?」
『不明』
新しい謎ではない。
既存の空白の形が、少しだけ見えた。
誰かが、《ウェイフェアラー》を使って人格を逃がした。
そして、その痕跡を消した。
「解析を続けます」
レナが言う。
過去を知りたい。
だが、今は百七十三の人格が先。
◇
四時間。
記録の所属候補を分類。
百七十三のうち、個人識別可能性が高いものは六十一。
残りは複数の人格が混在。
七時間。
サヤの過去の追跡記録から、イオナに関連する感情反応を十二件発見。
《WORKER-13》へ関連する作業記録を三十四件発見。
九時間。
解析が止まった。
「同じ場所へ戻ってる」
俺は表示を見る。
百七十三本の光。
どれをたどっても、中央の暗い領域へ入る。
その先。
再び、別の人格の記録へ出る。
「中継記録が消されています」
レナが言う。
「誰が、どの名前へ続くか」
「対応表だけがありません」
「回収実働体が隠してる?」
エリスが尋ねる。
「違う」
サヤが答えた。
「最初から名前を保存していない」
「人格へ識別番号を付け」
「使える機能だけを分類した」
「名前は回収に不要だから」
白い回収者は、誰の名前も呼ばなかった。
名前を知らないのではない。
必要がない。
人間を、機能で管理するなら。
名前は邪魔になる。
「このままでは、名簿を復元できません」
レナの声。
「残り時間は?」
『優先抽出期限まで、四時間四十七分』
ミラが答える。
「約束どおりだ」
サヤが立ち上がる。
「まだ時間はある」
「四時間で、九時間止まっていた問題を解けるのか?」
「探す」
「私は、イオナを失う危険を取らない」
「ほかの百七十二人を危険にする」
「知っている!」
初めて、サヤが声を荒らげた。
静かな船内に響く。
「知っている」
もう一度。
今度は低く。
「それでも、私は妹を選ぶ」
「お前も《WORKER-13》を選びたいはずだ」
「ああ」
「なら、なぜ私を止める」
「止めたいんじゃない」
「後悔してほしくない」
「私は十七年前から後悔している」
「救えるときに救えなかった」
「次は、ほかの誰を壊しても救う」
サヤの右手が、抽出装置へ伸びる。
エリスが前へ出ようとする。
俺は止めた。
「サヤ」
「何だ」
「今、イオナを抽出して」
「それが本当にイオナじゃなかったら?」
手が止まる。
「身体情報だけで選べない」
「名前の対応表もない」
「似た感情」
「似た記憶」
「妹を思うサヤ自身の記録まで、回収者が持っているかもしれない」
「それでも選べる?」
「選ぶ」
「イオナじゃない人格が、イオナとして目覚めても?」
サヤは答えなかった。
「それは、妹を助けることじゃない」
「サヤが妹だと思いたい人を作ることになる」
黒い人工眼が俺を見る。
「では、どうしろと言う」
「分からない」
「時間を使った結果が、それか」
「でも、できていないことを成功だとは言わない」
サヤの手が震えている。
「あと四時間」
「最後まで探す」
「見つからなければ?」
「そのときは」
言葉が止まる。
サヤへ何を求める。
妹を諦めろとは言えない。
百七十二人を危険にしろとも言えない。
「俺も一緒に選ぶ」
「責任を分けたつもりか?」
「違う」
「俺もサーティーンを選びたい人間だから」
「きれいな正解がなければ」
「互いに、自分が何を欲しがってるか隠さず決める」
サヤの手が、抽出装置から離れた。
「四時間だ」
「ああ」
「それで終わりだ」
◇
解析開始から十一時間。
ミサキが休息を命じた。
「無理」
俺は答えた。
「左手の震えが強くなってる」
「能力は使ってない」
「集中も体力を使う」
「あと三時間」
「だから、十分休む」
「十分も?」
「嫌なら十五分」
「増えてる」
「交渉よ」
《MOURNING STAR》には寝台が一つしかない。
医療台も一つ。
椅子も、サヤの操縦席だけ。
俺は医療台へ。
レナは隣の壁へ背を預ける。
エリスは武器保管箱を椅子代わりに。
ミサキは床へ保温布を敷く。
「サヤは?」
俺が尋ねる。
「眠らない」
解析装置の前から答える。
「十七年?」
「必要なときは短時間休止する」
「最後に寝台で寝たのは?」
「覚えていない」
「今、十五分寝て」
「必要ない」
「判断を間違えたら?」
「間違えない」
「さっき、イオナか分からない記録を抽出しようとした」
サヤの人工眼が俺へ向く。
「喧嘩を売ってるのか」
「休ませようとしてる」
「方法が悪い」
エリスが笑う。
「船長は、人を怒らせる才能があるね」
「追跡者を寝かせる方法を知ってる?」
「睡眠薬」
「ミサキ」
「本人の同意なしには使わない」
「では、力ずく」
レナが右腕だけで立ち上がろうとする。
「レナまで何を言ってるんだ」
「サヤの判断能力維持は必要です」
「あなたも休むの」
ミサキに止められる。
サヤが、俺たちを見る。
一人用の船。
声のなかった船。
今は、狭い部屋に五人。
誰がどこで休むかを言い争っている。
「十五分だけだ」
サヤが折れた。
「寝台は使わない」
「では、ここ」
エリスが武器箱の半分を空ける。
「硬い」
「床よりまし」
「お前は?」
「機械腕を固定すれば、立ったままでも寝られる」
「人間として正しい寝方なのか?」
「私の身体には合ってる」
サヤは武器箱へ座った。
壁へ背をつける。
目を閉じない。
「眠れない?」
俺が尋ねる。
「追跡対象と同じ部屋で眠る者はいない」
「契約がある」
「契約を破る人間もいる」
「俺は右半身が動かない」
「左手は動く」
「それで何ができる」
「お前は、白い回収者の動きを見切った」
「油断しないのは分かった」
俺は目を閉じる。
「なら、俺が先に寝る」
「何のつもりだ」
「俺はサヤを信用する」
「勝手だな」
「少しは」
眠るつもりはなかった。
だが、身体は思った以上に疲れていた。
意識が沈みかける。
その直前。
右手へ冷たい感触。
レナの手。
「見張っています」
小さな声。
「レナも休め」
「低出力待機です」
「それ、寝るのと同じじゃない?」
「違います」
「では、隣に来て」
口にしてから。
少しだけ恥ずかしくなる。
医療台は狭い。
成人二人が横になれば、身体が触れる。
「必要ですか?」
「レナも壁より楽だろ」
「それだけですか?」
金色の瞳が、近くで俺を見る。
「そばにいてほしい」
今度は、目をそらさず言った。
レナの胸部炉が、かすかに明るくなる。
「了解しました」
彼女は右腕と左脚を使い、慎重に医療台へ上がる。
動かない左腕を胸元へ固定。
俺の動かない右側へ横になる。
肩が触れる。
冷たい人工皮膚。
だが、少しずつ温度が伝わる。
「狭いな」
「レンが呼びました」
「嫌とは言ってない」
「私も言っていません」
レナの右手が、俺の左手へ重なる。
以前は、介助のため。
身体状態を確かめるため。
今は、どちらでもない。
「おやすみ、レナ」
「十五分だけです」
「おやすみは?」
短い沈黙。
「おやすみなさい、レン」
目を閉じる。
向かい側。
武器箱に座ったサヤも、いつの間にか人工眼を閉じていた。
十七年。
一人で追跡を続けてきた女が。
追跡対象と、同じ部屋で眠っている。
◇
目を覚ましたのは、十三分後だった。
警告音ではない。
ピコの声。
『対応表ではなく、順序』
「何?」
遠隔通信。
『人格記録の識別方法』
『対応表ではなく、順序』
レナの金色の瞳が開く。
サヤも同時に立ち上がった。
「説明しろ」
『WORKER-13の作業記録を解析』
『同一個体の記録には、必ず作業時刻が付与されています』
「時刻でつなぐ?」
俺は上体を起こそうとする。
レナが背中を支えた。
『否定』
『人格記録は時刻を変更されています』
『しかし、行動の前後関係は変更されていません』
「どうして?」
『原因の後に、結果が存在するため』
ピコが表示を送る。
サーティーンの記録。
起動。
命令。
作業。
故障。
停止。
時刻は消されても。
何かを見た後に動いた。
守る対象を認識した後、前へ出た。
その順番までは変えられない。
「人格を、名前から探すんじゃない」
俺は表示を見る。
「選んだ行動の順番から探す」
百七十三本の光。
固定された棚として見るから、分からなかった。
これは、航路。
レナが言ったとおり。
「レナ」
「解析します」
金色の瞳に、光の流れが映る。
「サヤ」
「イオナが、必ず選んだ行動は?」
「私の左側を歩いた」
「なぜ?」
「私の右耳が聞こえにくかったから」
「話すときは、必ず左へ回った」
「ほかには?」
「食べ物を半分残した」
「私が空腹だと言わなくても」
「記録を探す」
ミサキが感情反応を分類。
エリスが行動へ伴う物資記録を照合。
ミラが救難形式へ変換。
ガイが回収実働体との接続を維持。
ピコが、前後関係を追跡する。
俺は全体を見る。
能力は使わない。
光へ触れない。
ただ。
流れが途切れる場所を探す。
「あそこ」
中央の暗い領域。
「記録が消えてるんじゃない」
「全員が、一度そこを通ってる」
「共通の出来事?」
レナが拡大する。
「回収された瞬間です」
「人格ごとの記録が、そこで分割されています」
「その前と後を、行動順でつなげれば」
「名簿を作れる!」
解析が加速する。
『人格候補、一』
『識別名、不明』
『人格候補、二』
『識別名、不明』
最初は名前がない。
それでも、一人ずつの境界が生まれる。
七人。
二十二人。
五十八人。
百一人。
サヤが表示から目を離さない。
「イオナは?」
「まだ」
残り時間。
一時間十二分。
百四十二人。
百六十人。
百七十一人。
最後の二つ。
一つは。
誰かの左側へ移動する記録。
食料を二分し。
大きい方を他者へ渡す。
恐怖を感じると、自分ではなく姉の名前を呼ぶ。
『人格候補、百七十二』
『記憶鍵との一致を確認』
『推定識別名――イオナ・グレン』
サヤの身体が動かなくなった。
黒い人工眼。
生身の右目。
両方で、その名前を見つめている。
「いた」
声が震える。
「本当に」
「いた」
だが、抽出はしない。
今はまだ。
境界を見つけただけ。
それでも、サヤは装置へ手を伸ばさなかった。
最後の一人。
作業命令。
資材運搬。
故障。
停止。
再起動。
保護対象を認識。
命令されていない進路変更。
自分の身体を、解体機と谷へ落とす。
『人格候補、百七十三』
『機体識別――WORKER-13』
胸元の記録媒体が光った。
『……確認……』
雑音。
『全対象……識別……』
「サーティーン?」
『保護……準備……完了』
通信は短い。
それでも。
以前より、はっきりしていた。
『名簿を確定しますか?』
ミラが尋ねる。
「待って」
俺は言った。
「本人の名前が分からない人もいる」
『百七十一名について、正式名を確認できません』
「識別番号だけをつける?」
「それでは回収者と同じです」
レナが言う。
「仮の名前を選べる状態まで、人格を保護する」
「目覚めた後に、自分で名乗ってもらう」
サヤが答えた。
俺たちは彼女を見る。
「イオナを先に出さないのか?」
「境界は見つかった」
「急いで壊す必要はない」
「残り全員を、読み取り専用領域へ移す」
「それが終わってから」
サヤの目は、妹の名前を見たまま。
「本人に、私のところへ戻りたいか聞く」
十七年間。
妹を取り戻すことだけを考えてきた人。
そのサヤが。
妹の返事を待つと言った。
「エリス」
「記録した」
「契約を更新」
「百七十三人格の安全分離を優先」
「イオナ・グレンの優先抽出権は、一時停止」
「本人の反応確認後、再協議」
「サヤ?」
「認める」
残り時間、十九分。
「全人格を読み取り専用領域へ!」
ガイが回線を固定。
ピコが行動順の目録を転送。
ミラが救難記録形式へ変換。
レナが一人ずつの経路を分離。
ミサキが人格反応の損傷を監視。
エリスが、記録の所有権を《ORIGIN REGISTRY》から本人へ変更する契約鍵を打ち込む。
最後に。
百七十三本の光が、互いに重ならない位置へ並んだ。
『人格記録の保護を確認』
『回収実働体から、管理権限を分離』
『残存隔離時間、十一分』
「間に合った?」
『はい』
ミラが答えた。
『百七十三の人格記録は、回収実働体が破壊されても保持されます』
白い液体が、隔離槽の中で激しく動く。
『不正な権限変更を確認』
『正常化を要求』
『人格記録は《ORIGIN REGISTRY》の資産です』
「違う」
サヤが隔離槽の前へ立つ。
「名前が分からなくても」
「身体がなくても」
「誰かにとって役に立たなくても」
「本人のものだ」
『要求を拒否』
「聞いていない」
サヤが隔離装置を操作する。
「これは、命令だ」
『外部拘束区画を再展開』
記録を失った回収実働体だけが、船外へ押し出される。
黒い球状隔離殻。
《MOURNING STAR》の金属索が切り離される。
「廃棄するのか?」
俺が尋ねる。
「違う」
サヤが航路を設定する。
「《ORIGIN REGISTRY》へ返す」
「百七十三人分の空席だけを持たせて」
隔離殻が発射される。
誰もいない宙域へ。
白い回収者は、追わない。
追えない。
自分が回収したはずの人格を、一人も持たずに遠ざかっていく。
戦って壊したわけではない。
誰かを犠牲にしたわけでもない。
名前へ続く道を見つけ。
所有権を本人へ戻した。
俺たちの勝ちだった。
◇
解析終了後。
《MOURNING STAR》の船内に、久しぶりに音がなくなった。
静か。
だが、最初に入ったときとは違う。
壁面の保護記録には、百七十三の光。
一人ずつ。
別々に。
名前が分からない者も、境界はある。
混ぜられていない。
「次は、イオナとサーティーンの反応を確認する」
ミサキが言う。
「今日はここまで」
「時間は?」
サヤが尋ねる。
「休んでから」
「今すぐできる」
「判断を間違えたばかりでしょう」
「結果的には間違えていない」
「レンに止められたから」
「止められてはいない」
「言い方を変えない」
二人のやり取りを聞きながら、俺は医療台へ身体を預けた。
能力は使わなかった。
意識もある。
右半身は動かないまま。
それでも、倒れてはいない。
「レン」
レナが右手を差し出す。
「握っても?」
俺は左手を伸ばす。
自分から、彼女の手を取った。
「今回は、俺から」
「はい」
「役に立てたと思う?」
「もちろんです」
「もう少し具体的に」
レナの瞳がわずかに揺れる。
「褒めてほしいのですか?」
「少し」
「珍しいですね」
「たまには」
レナは考える。
「レンが全体の流れを見たことで、百七十三の人格を分離できました」
「能力へ頼らず」
「約束を守り」
「サヤの妹も、サーティーンも、ほかの全員も失わなかった」
「船長代行として」
少し間。
「一人の男性としても、立派だったと思います」
胸が熱くなる。
「最後の部分、もう一度」
「拒否します」
「記録してない?」
『記録済み』
遠隔回線からミラの声。
「ミラ、後で送って」
「削除してください!」
レナの胸部炉が明るくなる。
サヤが、ほんの少し笑った。
妹の名前を見つけた後。
初めて見せる笑い方だった。
「寝台を使え」
サヤが俺たちへ言う。
「サヤは?」
「床でいい」
「またそれ?」
「私は、この船の環境に慣れている」
「追跡対象と同じ寝台では眠れない?」
俺が尋ねる。
「三人は狭い」
「二人なら?」
エリスが口を挟む。
「レンとサヤ」
「却下します」
レナの声。
「今度は何の理由?」
「レンの右半身を監視する必要があります」
「ミサキがいる」
「私が担当します」
「では、私とサヤ?」
「なぜ一緒に寝たがるのですか?」
「一人用の船で、みんながどう寝るか興味がある」
「今夜は全員、別々に休む」
ミサキが決める。
「レンは医療台」
「レナは唯一の寝台」
「サヤは操縦席」
「エリスは武器箱」
「私は保温布」
「医師の場所が一番悪くない?」
「患者が休めばいいの」
結局。
レナは寝台を使わず、医療台の隣へ座った。
サヤも操縦席へ行かず、解析装置の前へ。
エリスは本当に武器箱へ横になる。
ミサキは保温布を広げた。
誰も、予定された場所で眠らない。
「統率が取れていない」
サヤが言う。
「《ウェイフェアラー》では普通です」
レナが答える。
「ここは私の船だ」
「今夜だけ、慣れてください」
サヤは反論しなかった。
目を閉じる。
同じ部屋。
追跡者。
追跡対象。
医師。
査定官。
ナビゲーター。
立場も目的も違う。
それでも今夜は。
百七十三の名前を守るという、同じ仕事を終えた者たちだった。
照明が落ちる。
壁面では。
二つの光だけが、ほかより強く瞬いていた。
『イオナ・グレン』
『WORKER-13』
どちらも。
まだ目覚めてはいない。
だが、消えてもいない。
次は、こちらから呼ぶ。
識別番号ではなく。
本人へ届く名前で。
第19話では、回収実働体に保存されていた百七十三の人格記録を、安全に分離することへ成功しました。
《ORIGIN REGISTRY》は人格を名前ではなく、利用可能な機能として分類していました。
それに対しレンたちは、記憶の内容ではなく「何を経験し、その後に何を選んだか」という行動の順序から、一人ずつの境界を復元しています。
レンは《SOUL REPAIR》を使わず、観察と仲間への指示によって明確な勝利を得ました。
また、《ウェイフェアラー》が百十三年前にも、多数の人格記録を秘密裏に救助していたことが判明します。
サヤは妹イオナの優先抽出を望んでいましたが、最後には本人の反応を確認してから決める道を選びました。
次回は、イオナ・グレンと《WORKER-13》に残された人格断片を一人ずつ確認します。
第20話「残された声は、蘇生ではない」へ続きます。




