幕間 流子操作
「泣いてるところ悪ぃが、ロニの充電の時間だ」
サモはそう言ってラトの身体を片腕で抱え上げた。
ラトはだらんと両腕を床に伸ばした状態で運ばれる。
長い灰色の通路を通過して、作業台があった方とは反対に回る。そのあいだ、綺麗とは言えない床が何度か目に入った。泥がついたままだったり、どこかの植物なのか、緑色の長細いものが張り付いていたりする。
助かった。
そのことにホッとしている自分がいて、心底嫌な気分になった。
ミロは最後、笑っていた。
会ってすぐの自分に名付けられて、知らないところに連れて行かれて、助からないと知っていたのに、なぜあんな笑顔ができたんだろう。
そのうち、ロニの隣の床に座らされたが、ラトは顔を上げられなかった。すぐ横で、灰色の毛の壁が呼吸している。
自分の手を見た。白い指の間には、もう何も残っていない。けれど、そこだけまだ小さな手の形に空いている気がした。
サモの手が首元に伸びてきた。
そこには、取り付けられたばかりの丸いポートがある。入力と、出力のための穴。
ラトはそれを思い出して、少し肩をすくめた。
「……オレ、充電に使われるのか?」
サモはケーブルを手にしたまま、ラトを見た。
「前にも言ったろ。才能あるって」
ラトは何も言わなかった。
サモもそれ以上は言わず、淡々と作業を続ける。
ケーブルが差し込まれた。
痛みはなかった。ただ、自分の奥にあるものが、外へ向かって細く流れていくような感じがした。
ロニは床に伏せていた。金属枠に覆われた片目は閉じられている。眠っているようだった。
船内は静かだった。
完全な無音ではない。
壁のスクリーンでは、知らない広告のようなものが流れていた。明るい色の文字が切り替わり、聞き取れない宣伝文句が小さく鳴っている。隣のスクリーンでは、航路図らしい線の上を光点が進み、そのたびに短い電子音がした。
その音だけが、何も知らないように普通だった。
ラトは、ぼそりと言った。
「……なんで」
サモは接続部を確認していた手を止めた。
「なんでミロは、名前だけであんなに喜んでたんだろ」
サモはしばらく黙っていた。
それから、近くの椅子に座りながら答えた。
「あの民族には名前がない」
「……え?」
「信仰だとよ」
「信仰?」
「海に還るだの、神に会うだの、楽園があるだの。海の底には神の戸があって、何年かに一度、そこから神がこの星を見るんだと。
そういう話だ。だから子どもに名前はいらねぇ。どうせ還るものに、呼び名はいらんってことらしい」
ラトは黙った。
ミロが語り板を抱いて、自分の胸を指していた。
ぼくが、ミロ。
ミロ。
何度も、何度も。
「名前は、いるだろ」
ラトは言った。
サモは目を細めた。
「いると思うやつもいる。いらんと思うやつもいる」
「……サモは?」
「俺はいると思う」
ロニの耳が、ぴくりと動いた。
けれど、目は開かなかった。
サモは続けた。
「ただ、呼べるものは残る」
「……」
「今のお前みたいにな」
ラトは何も言い返せなかった。
名前をつけなければよかったとは思わない。
けれど、名前をつけたから、失ったものはただの「あの子」ではなくなった。
ミロだった。
ラトがそう呼んだ。ミロは嬉しそうに笑った。
そして、落ちていった。
指を曲げようとしたが、うまく力が入らない。
あのときと同じだった。
「……なあ」
ラトはようやく顔を上げた。
上からのライトに照らされて、サモの顔はより深い影を作っている。
「最後にオレを助けたやつ。棒みたいな、灰色の。あれ、なんなんだ?」
「あれは流子操作だ」
サモは短く答えた。
「りゅうし……?」
「俺たちの中に流れるエネルギー……流力っていうんだが、それを使って、周りの流れをいじる。可転体が使う技術だ。武器にも道具にもなる」
「周りの流れ?」
「あーまあ、要するに、そこにあるものを、そうなれって方向へ押すんだ」
ラトは自分の手を見た。
「それができたら、ミロを助けられたのか」
サモはすぐには答えなかった。
船内の広告音が、妙に明るく鳴った。
「さあな」
「……さあなって」
「あの状況じゃ分からん。できたかもしれんし、できなかったかもしれん」
サモは言った。
「少なくとも、お前はまだ知らなかった。それだけだ。それに、ミロを救ったとしても、本人が苦しむだけだ」
ラトは唇を噛んだ。
ミロは、きっと救えなかった。
ロニの言葉も、サモの言葉も、嘘ではないのだと思う。たとえ掴み上げられても、船に乗せられても、ミロは別の苦しみの中で弱っていったのかもしれない。
それでも、指の間から抜けていった感覚は消えなかった。
知らなかった。
できなかった。
それだけで終わらせたくない。
そう思うのが傲慢だというのは分かっている。救えるなんて、簡単に思っちゃいけない。
それでも、ほんの少し知っているだけで、ほんの少し手が届くだけで、守れるものがあるなら。
ラトは顔を上げた。
「……それでも……教えてほしい」
サモはロニの方を見た。
「今は充電中だ」
「そのあとで」
サモは答えずロニを見つめる。
ロニは、ゆるくあくびのように大口をあけ、目を閉じたまま言った。
「構わん。さっきはそこまで使っていない」
「おい、無理すんな」
「……大丈夫だ」
サモはその言葉を信用している様子はなかったが、ため息をついてラトのポートに手をかけた。ケーブルを引き抜き、それをぐるぐると手に巻いて近くの岩のようなテーブルに置くと、そのまま椅子にどかっと座った。ガチャリと金属がどこかに当たる音が響く。
「さて、と……とりあえずそこに座れ」
ラトは慎重に立ち上がりながら、サモが指さした椅子のほうへ近づく。それを引こうとして、つい力が入ってしまい、椅子が後ろへ倒れた。
「あ……」
「ああ、それ、思いのほか軽いんだ。そうは見えねぇだろ?」
楽しそうなサモの声を聞きながら、ラトは椅子を起こす。見た限りでは岩の塊で、尻がつくところだけが平坦に削られているようだった。やっと腰を落とすと、サモの方を見た。
「まあ、流子操作に限らねぇが、俺は人に教えんのが苦手だ。それをわかったうえで聞くってことでいいな?」
ラトはなんとなくその気がしていたので、とくに驚かなかった。大人しく首を縦に振る。
「よし。それなら、流子操作ってのは、さっきも言ったが、流力を使って、周りにある流子を自分がイメージした形に誘導する技術で――」
「流子? 誘導?」
ラトはわけが分からず聞き返す。
「なんと言やあいいか……まあ、つまりあれだ、気合で形を作るんだ」
一ミリも分からなかった。
たぶん、顔にそう書いてあったのだろう。サモが少しだけ眉をしかめた。
「えっとつまり……?」
「つまりだな……現象を想像するんだ。物体じゃねぇぞ。たとえば、さっきお前を助けたときに使った工具、あるだろ?あれは、お前を助けられる形になれ、と思ったからああなった。棒と棒が硬く密着してお前のところに届けられたってことだ」
サモはそう言いながら、腰につけていた取っ手の長い灰色の金属棒を取り出す。
ラトはつい、「あ!」と声を出した。
さっき目の前に出てきた変な形のもの。それがまさしくサモの手にある棒だった。さらにテーブルのうえに何本か出してみせた金属棒は、地球でも見たことのあるような変哲もないものに見える。
「いいか、やってみるから、見とけ」
サモはそう言って、一本の棒を持ち、もう片方の手で二本を持ち上げる。そして、少し手に力が入ったように見えたその瞬間、カチン!と鋭い音がしてまるで磁石のように三本がくっついた。
「ほら、引き離してみろ」
ラトはサモから渡された三本のうち二本の端を両手に持って、左右に思い切り引っ張った。
まるでびくともしなかった。こういうものは、左右が駄目でも前後にずらせば動くと学校で聞いたことがあったが、全く動かない。まるで最初からそういう形だったかのようだ。
「すげぇ……」
ついラトからそんな言葉が出る。
「これは、流子……あー……なんて言ったっけかな、この世にある原子?分子?よくわからねぇか、そういうもんがなりたい形に誘導された結果、ここに落ち着いた状態だ」
「なりたい形?」
「おう。俺は今、くっつけとは思ってない。人を助けるための形になれと思っている。その結果、俺に合わせてこの棒がくっついたんだ。流子レベルでくっついてるから、俺が解除しない限りは二度と離れねぇ。基本的には、な」
ラトは説明があまり理解できなかった。
ただ、イメージしたらきっとなにかが起こる、それだけが理解できた。
……理解になっていないような気もしたが。
「お、オレもやってみていい?」
「おう、いいぞ」
ラトは、まだくっついていない棒をサモから借り、それを両手で持ってみた。
人を助ける形……人を助ける……
脳裏に自分が掴んだ棒が浮かび上がる。
その瞬間、バァン!と激しい音をたてて、棒が吹き飛んだ。船内のどこかに当たったような乾いた音が響いたが、片方の棒はラトの腕に刺さっている。
「あ……」
「ま、最初はそんなもんだ」
サモはゆるく笑いながら言った。
「刺さった……んだけど……」
ラトは顔を青くしながらサモを見つめる。
「おう、抜けばいいだろ」
その軽い返答に、ラトは困惑しながらその棒に手をかけた。見るからに深々と刺さっている。なのに、痛みがまるでない。ただ、刺さっているという感覚だけはあった。
ラトはおそるおそる引き抜いた。
血は出ない。そのかわり、棒によって開けられた穴の周りがもぞもぞと動く嫌な感覚に襲われた。目を見開いて見ていると、穴がみるみるうちに閉じていった。触っても何もない。
ラトはゾッとした。




