余白に縺れる
扉が。
ゆっくりと開く。
姉。
妹。
その後ろに。
白い治療衣を着た。
年配の治療師。
少女の左手は。
隣の少女の手を。
握ったまま。
……
姉が先に部屋へ入る。
けれど。
寝台へは近づかない。
壁際。
ランタン型の魔道具の前で足を止めた。
指先がその側面へ触れる。
淡い魔力が流れ込む。
ランタンの中に。
小さな光が灯った。
じんわりと。
その周囲へ明るさが広がっていく。
眩しくはない。
寝台の周り。
姉の姿。
扉のそばに立つ妹。
治療師の顔も。
さっきより、はっきりと見える。
姉はそのまま明かりのそばに立つ。
妹も扉のそばから動かない。
治療師だけが。
少し前へ出た。
「姫様。」
少女は顔を上げる。
「おいたわしや……。」
治療師の眉が下がる。
それから。
寝台から少し離れたところで足を止めた。
「おそばへ参っても、よろしいでしょうか?」
少女はその顔を見る。
知っている人。
何度も城で見た。
「……うん。」
「ありがとうございます。」
治療師が寝台のそばへ来る。
「まず。」
「いくつか確認させてくださいね。」
少女は小さく頷く。
「息苦しくはございませんか?」
「今は。」
「大丈夫。」
「胸に痛みは?」
少女は一度、息を吸う。
胸が膨らむ。
右肩から。
背中にかけて。
鈍い痛みが走った。
眉が。
少し寄る。
「……痛い。」
「こちらですね。」
治療師が右肩を見る。
少女もそちらへ視線を落とす。
「では。」
「脈も確認いたしますね。」
「お手に触れても?」
「うん。」
治療師の指が左手首へ触れる。
隣の少女と繋いだ手。
その少し上。
指先が脈を辿る。
しばらく。
そのまま。
「……大丈夫。」
「脈は落ち着いております。」
指が離れる。
少女は小さく息を吐く。
「ですが。」
治療師がもう一度、右肩を見る。
「しばらくは、お身体の痛みが続くでしょう。」
「全身を強く打ちつけておられます。」
「なにより。」
「右肩は絶対に安静です。」
少女の指が寝間着の上から、右肩の近くへ触れる。
「傷がかなり深うございます。」
「無理に動かせば、治りも遅くなりますから。」
少女は治療師を見る。
「治る?」
「ええ。」
すぐに治療師が頷く。
「時間は少しかかりますが。」
「しっかりと休んでいただければ、きちんと。」
少女は治療師を見る。
「ただ。」
治療師が少し困ったように笑う。
「難儀なことに。」
「姫様の星癒魔法は、ご自身には作用いたしませんので……。」
少女は右肩を見る。
「しばらくは、治そうとなさらず。」
「休むことです。」
「……うん。」
少女は頷く。
その拍子に。
視界へ自分の髪が落ちた。
白に近い。
淡い色。
少女の左手は。
まだ隣の少女と繋がっている。
右手を動かそうとして。
肩が痛む。
やめる。
髪だけを目で追った。
「……髪は?」
治療師が少女を見る。
「このまま?」
「いいえ。」
治療師の表情が柔らかくなる。
「歴代の星癒魔法について残された記録にも。」
「似た例がございます。」
「本当?」
「ええ。」
「星癒魔法を大きく使った際。」
「術者の生命力が著しく失われ、髪の色が薄くなった。」
「そのような記述が、いくつか残されております。」
少女は自分の髪を見る。
「ですから。」
「しっかり食べて、よく休むことです。」
「生命力が戻れば。」
「少しずつ以前のような、きれいな赤色へ戻ってまいりますよ。」
治療師が笑う。
少女はもう一度、自分の髪を見る。
戻る。
……
隣へ視線を向ける。
白銀の中に。
淡い色が混じった髪。
「おもちは?」
治療師も隣の少女を見る。
「おもち様については、以前から私もお身体を診ております。」
隣の少女が治療師を見る。
「傷が時間とともに元へ戻っていくことも、承知しております。」
「ですが。」
治療師の視線がその髪へ移る。
「今回のような変化は、私も初めて見ました。」
「医学的には、はっきりとしたことを申し上げられません。」
隣の少女が。
自分の髪へ左手を伸ばそうとして。
止まる。
少女と。
手を繋いでいる。
そのまま、髪へ視線だけを向けた。
「髪から。」
「ガゼルの魔力が。」
「流れてる。」
「……なるほど。」
治療師の目が少し細くなる。
「専門家ほど魔法学に明るくはありませんので、憶測ですが。」
「魔力経路に。」
「他者の魔力が流れ込んだことによる。」
「一時的な変化。」
「その可能性はございますね。」
「戻る?」
「それは。」
「なんとも。」
治療師は少し考える。
「一時的なものなのか。」
「このまま定着するものなのか。」
「現時点では判断できません。」
「ただ。」
「魔力を意図的に枯渇させることで、元へ戻る可能性。」
「あるいは。」
「時間の経過とともに。」
「魔力経路が馴染み。」
「自然と戻る可能性も考えられます。」
隣の少女が少し首を傾げる。
「試す?」
「いけません。」
すぐだった。
隣の少女が治療師を見る。
「今のおもち様に、魔力を枯渇させるようなことは。」
「絶対になさらないでくださいね。」
「……うん。」
少女は隣の少女を見る。
それから。
自分の髪。
隣の少女の髪。
同じ。
淡い色。
「じゃあ。」
「お揃いは。」
……
「今だけなんだ……。」
隣の少女が少女を見る。
少女はもう一度、二人の髪を見る。
治療師がふっと笑う。
「それから。」
少女が顔を上げる。
「お二人には、魔力の回復を助けるお薬と。」
「傷の治りを促すお薬を用意しております。」
隣の少女の眉が寄った。
「毎日、食後にきちんと飲んでくださいね。」
「嫌。」
少女が隣を見る。
治療師も隣の少女を見る。
……
扉のそばから声がした。
「おもち様。」
隣の少女がそちらを見る。
妹が扉のそばから。
じっとこちらを見ている。
「嫌。」
「おもち様。」
……
隣の少女は少女を見る。
「エステラ。」
「私に。」
「厳しい。」
少女は少し目を丸くする。
それから隣の少女を見る。
「おもち。」
「薬は飲もう?」
「ガゼルまで……。」
隣の少女の眉がさらに寄る。
「あれ。」
「すごく苦い。」
少女の表情が少し止まる。
「……そんなに?」
「うん。」
「ずっと。」
「苦い。」
「……。」
少女は治療師を見る。
治療師が小さく笑った。
「良薬は口に苦し。」
「ですよ。」
少女は少しだけ不安そうに。
薬の入ってくるであろう扉の方を見る。
それから頷いた。
「はぁい。」
治療師が隣の少女を見る。
……
返事はない。
……
「おもち様。」
また。
扉のそばから妹の声。
隣の少女の眉がきゅっと寄る。
「う……ん。」
……
治療師が。
ふふふ。
小さく笑う。
それから少女を見る。
「姫様も意識が戻られて。」
「本当に、よろしゅうございました。」
少女は治療師を見る。
「ですが。」
表情が少し真面目になる。
「絶対安静ですよ。」
「はい。」
少女は頷く。
治療師が立ち上がる。
それから姉と妹を見る。
「では。」
「何かございましたら、すぐにお声掛けください。」
「はい。」
姉が頭を下げる。
妹も。
「承知しました。」
治療師が少女へ一礼する。
「それでは、失礼いたします。」
妹が扉を開く。
「私もご一緒します。」
治療師と妹が部屋を出ていく。
扉が静かに閉じられる。
……
部屋には。
少女と。
隣の少女。
そして姉。
三人だけが残った。
姉は少女を見る。
けれど。
明かりのそばから動かない。
「それでは。」
「私も扉の前で待機しておりますので。」
「何かございましたら、いつでもお声掛けください。」
頭を下げる。
姉が扉へ向かおうとする。
「せ。」
足が止まる。
……
「セレス。」
姉が振り返る。
「はい。」
少女は姉を見る。
「さっきは。」
声が。
少し詰まる。
「その……。」
……
「ごめんなさい。」
姉の瞳が。
僅かに揺れる。
「姫様。」
少女は掛け布の上へ左手をつく。
隣の少女の手が離れる。
身体を起こそうとする。
「っ――!」
右肩。
背中。
鋭い痛みが。
一気に走る。
「ぅ……っ。」
腕から力が抜ける。
「姫様……!」
姉が一歩、踏み出す。
手が伸びる。
……
けれど。
止まる。
少女は荒くなった息を吐く。
右肩を動かさないように。
身体を戻す。
……
姉はすぐそこにいる。
でも。
それ以上。
近づかない。
少女はその姿を見る。
「セレス。」
「……はい。」
「こっちに。」
姉の目が。
少し開く。
「きて。」
……
少女が左手を伸ばす。
「手。」
「貸して。」
一度。
姉の唇が動く。
「……はい。」
寝台へ近づく。
姉の手が差し出される。
少女はその手を掴む。
……
布。
指先に。
柔らかな感触。
少女の目が手元へ落ちる。
姉の手。
白い包帯が巻かれている。
……
「……。」
少女は顔を上げる。
姉を見る。
その唇。
端に。
細い傷。
……
包帯。
唇の傷。
……
少女の指に力が入る。
「セレス……。」
「はい。」
……
セレスも。
自分を。
責めたんだ。
……
少女は姉の手を握ったまま。
もう一度、身体を起こす。
「姫様。」
「大丈夫……。」
姉の手へ力を借りる。
少しずつ身体を起こす。
右肩が。
ずきりと痛む。
「っ……。」
眉が寄る。
それでも。
背中を枕へ預ける。
息を吐く。
……
少女は握った手を離さない。
「私。」
姉を見る。
「勝手なことして。」
……
「セレスに。」
「いっぱい。」
「迷惑かけた。」
姉の指が。
僅かに動く。
「それに。」
少女は包帯を見る。
それから。
唇の傷。
「いっぱい。」
「心配も。」
「かけた。」
……
「ごめんなさい。」
姉が何かを言おうとする。
けれど。
少女はその前に。
手をきゅっと握る。
「私が。」
「勝手に。」
「決めて。」
「勝手に。」
「行ったから。」
……
声が小さくなる。
「セレスまで。」
「こんなに。」
……
少女は姉の手を見る。
「ごめんなさい。」
……
姉の手が。
僅かに震える。
「……姫様。」
姉が視線を落とす。
「姫様にまで。」
「謝罪をさせてしまうなど……。」
……
少女は姉を見る。
「此度のことは。」
「私の判断の誤りでございます。」
「私がもっと慎重であれば。」
「姫様を。」
「危険な目に遭わせることも。」
「ございませんでした。」
……
姉の指が。
少女の手の中で。
僅かに強張る。
「どのような。」
「処罰でも。」
「お受けいたします。」
……
隣の少女が姉を見る。
「セレス。」
姉が顔を上げる。
「また。」
……
「怒られる。」
「……え?」
少女は隣の少女を見る。
姉の表情が。
僅かに固まる。
「おもち?」
隣の少女は姉を見る。
……
姉が小さく息を吐く。
「私の不甲斐なさゆえです。」
「どうか、お気になさらないでください。」
……
少女は姉を見る。
それから隣の少女を見る。
「おもち。」
「なにがあったの?」
隣の少女は少し首を傾げる。
「セレス。」
「侍女。」
「やめようとした。」
……
少女の目が。
大きくなる。
「……え?」
「でも。」
隣の少女が続ける。
「それも。」
「やめた。」
……
少女は姉を見る。
姉は何も言わない。
ただ。
視線を落としている。
……
胸の奥から。
息が抜ける。
「……よかった。」
声が。
小さく零れる。
……
視界が滲む。
少女は瞬きをする。
けれど。
滲みは消えない。
握った手へ。
力が入る。
「セレス。」
姉が顔を上げる。
「はい。」
……
「いなく……。」
声が震える。
「ならないで。」
姉の瞳が揺れる。
少女はその手を離さない。
「それが。」
「私からの。」
「お願い。」
……
頬を。
涙が伝う。
「処罰とか。」
「そんなのじゃないよ。」
「私。」
一度、息を吸う。
「セレスが。」
「いないと……。」
……
「なにも。」
「できないよ。」
……
姉の唇が。
僅かに震える。
「姫様……。」
声も震えていた。
少女は握った手を離さない。
「姫様には。」
姉が視線を落とす。
「情けないお姿を、お見せしてしまいました。」
「……え。」
少女の眉が寄る。
ふと扉を見る。
「まさか。」
姉へ視線を戻す。
「エステラも。」
「同じこと。」
「思ってないよね?」
「妹は。」
姉が小さく首を振る。
「私よりずっと、しっかり者ですので。」
「セレス。」
少し強い声。
姉の言葉が止まる。
少女は握っている手を見る。
白い包帯。
顔を上げれば。
唇に残る傷。
「もう。」
「自分のこと。」
「傷つけないで。」
姉の瞳が揺れる。
「あなたと。」
「エステラが。」
「いなかったら。」
少女の声が。
少し震える。
「きっと。」
「私。」
「今頃。」
「つぶれてた。」
……
「エステラは。」
「まっすぐで。」
少女は姉を見る。
「セレスは。」
「やさしくて。」
「いつも。」
「見守ってくれてる。」
……
姉の目から。
涙がひとつ落ちる。
「だから。」
「もう。」
「いなくならないで。」
姉が俯く。
「……はい。」
もう一度。
涙が落ちる。
「はい……。」
その時。
扉が開いた。
「姉さん!!!」
姉の肩が。
びくりと跳ねる。
「エステラ!!」
少女も思わず声を上げる。
「けほっ。」
「けほ……っ。」
「姫様!?」
妹の顔がすぐに少女へ向く。
「だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫……。」
咳をひとつ堪える。
「エステラ。」
「はい。」
「あなたも。」
少女は妹を見る。
「こっちに。」
「来て。」
妹が立ち止まる。
「……私も、ですか?」
「うん。」
「二人とも。」
「こっちに。」
……
妹が寝台へ近づく。
少女は姉の手を握ったまま、妹を見る。
「エステラ。」
「はい。」
「私。」
少し。
視線を落とす。
「エステラにも。」
「いっぱい。」
「迷惑かけた。」
……
「ごめんなさい。」
妹は少女を見る。
何も言わない。
少女が少しだけ首を傾ける。
「……許して。」
一度。
言葉が止まる。
「くれる?」
「許しません。」
「……え。」
妹の手が伸びる。
少女の頬をつまむ。
「ひゃ。」
「ほんとに。」
むに。
「私たちの妹は。」
もう片方も。
むに。
「どうして。」
「こう。」
「飛び出してしまうんでしょうか。」
「えふてら……。」
少女の声が少し潰れる。
妹の口元が持ち上がる。
いたずらっぽい笑み。
「反省してください。」
「……してる。」
「足りません。」
「してる……。」
姉が涙の残る目で二人を見る。
それから。
ほんの少し笑った。
……
隣の少女が三人を見る。
「みんな。」
「笑ってる。」
……
その口元が。
少し上がる。
妹がすぐにそちらを見る。
「そこの。」
隣の少女が瞬きをする。
「末っ子もですよ。」
「……私?」
「あなたです。」
……
隣の少女の。
口元が止まる。
……
少女はそんな隣の少女を見て。
少しだけ笑う。
……
しばらくして。
ふと。
何かが引っかかった。
……
少女は窓を見る。
外は。
暗い。
……
「ねえ。」
姉と妹が少女を見る。
「今日。」
「いつ……?」
妹が少し首を傾げる。
「いつ、と申しますと?」
「日にち。」
……
姉が答える。
「星耀八日。」
「日曜でございます。」
……
少女の目が。
止まる。
「八日……?」
「はい。」
……
少女は視線を落とす。
……
星耀二日。
あの書状。
……
数日後。
……
少女の顔が上がる。
「もう。」
「来てるの……?」
……
姉は少女を見る。
それから。
小さく頷いた。
……
隣で。
布の擦れる音がする。
少女が顔を向ける。
……
隣の少女が。
掛け布を引き上げている。
肩。
口元。
鼻。
……
そのまま。
頭まで。
すっぽりと隠れた。
「おもち……。」
……
返事はない。
少女は掛け布の上へ左手を置く。
丸くなった。
その辺り。
……
布の下で。
少しだけ動く。
……
姉が二人を見る。
「さて。」
「本日はもう遅い時間ですので。」
「お二人とも、ゆっくりお休みください。」
少女が姉を見る。
「明日は。」
姉の表情が。
少しだけ改まる。
「陛下が直々に。」
「あの日、何があったのかお尋ねになられると思います。」
……
掛け布の下が。
僅かに動く。
少女はその上に置いた手を動かさない。
「お父様が……?」
「はい。」
……
妹が少女を見る。
「ですから。」
「難しいことは明日です。」
「今日はもう、お休みになってください。」
……
少女はしばらく姉と妹を見る。
それから頷く。
「……うん。」
……
部屋の灯りが落とされる。
寝台のそばに。
淡い灯りだけが残った。
……
姉と妹が扉へ向かう。
「それでは。」
姉が振り返る。
「おやすみなさいませ。」
妹も頭を下げる。
「おやすみなさいませ。」
少女は掛け布の上へ手を置いたまま、二人を見る。
「おやすみなさい。」
……
少しして。
掛け布の中から。
小さな声。
「……おやすみ。」
妹の口元が緩む。
「はい。」
……
扉が開く。
姉と妹が廊下へ出る。
その前に。
姉がもう一度、振り返った。
「何かございましたら、すぐにお呼びください。」
「私どもは扉の前におりますので。」
……
少女の眉が。
少し下がる。
「でも。」
「二人も。」
「休んで。」
……
「もう。」
「大丈夫だから。」
姉と妹が顔を見合わせる。
……
姉が困ったように笑った。
「このくらいは、させてください。」
……
妹も小さく頷く。
少女はしばらく二人を見る。
……
「……わかった。」
「はい。」
……
「おやすみ。」
「おやすみなさいませ。」
……
扉が。
ゆっくりと。
閉じていく。
……
最後まで。
二人の姿が。
見えていた。
……
かちゃ。
扉が。
閉じた。




