第六話 人間ではないもの(2)
少女は言葉を失う。
左肩からは血が流れている。
床には自分の腕が転がっている。
痛みで立っているのも苦しい。
呼吸をするだけで身体が震える。
それなのに。
研究員達は誰も慌てなかった。
誰も駆け寄らなかった。
誰も心配しなかった。
「でも……」
少女の声は震えていた。
「腕……ない」
「再生する」
短い返答。
それだけだった。
まるで。
試験器具の部品が壊れた時みたいな口調だった。
少女は床を見る。
そこには自分の腕がある。
ついさっきまで自分の身体だったもの。
白い床に広がる血。
その中に転がる腕。
指先は少しだけ曲がっていた。
自分のものだった。
間違いなく。
自分のものだった。
なのに。
「器の損傷率を記録」
「切断後の魔力変動を確認」
「出力低下率〇・七パーセント」
「再生性能は想定範囲内」
「星導炉への影響なし」
「試験継続可能」
声だけが響く。
少女を見ていない。
痛みを見ていない。
血を見ていない。
数字を見ている。
結果を見ている。
現象を見ている。
そこにいる少女は。
誰の視界にも入っていなかった。
少女ではなく。
何か別のものだった。
少なくとも。
普通の人ではない何か。
「継続しろ」
研究員が言う。
少女は動かなかった。
動けなかった。
怖かった。
痛かった。
涙が止まらなかった。
けれど。
「継続」
もう一度命令が下る。
少女は震える身体を無理やり起こした。
腕は無い。
片腕だけ。
それでも戦う。
それしか知らなかったから。
それしか出来なかったから。
少女は涙で滲む視界のまま。
再び魔導人形へ向かって走った。
◇
夜。
部屋。
静かな部屋だった。
机の上には課題。
本棚には魔導書。
豪華な家具。
高価な調度品。
何も変わらない。
いつも通りの部屋だった。
違うのは。
少女の左腕が無いことだけだった。
包帯が巻かれた肩を見る。
痛みはまだ残っている。
ずきずきと脈打つ。
身体を動かす度に鈍い痛みが走る。
けれど研究員達は気にしていなかった。
明日には戻る。
そう言っていた。
少女はベッドへ横になる。
疲れていた。
考える力も残っていなかった。
だから。
眠った。
◇
翌朝。
『Origin-0-Mirabilis-1。起床時間です』
いつもの機械音声。
少女は目を開く。
ぼんやりと身体を起こす。
そして。
固まった。
腕があった。
昨日失った左腕。
確かに切断された左腕。
指を動かす。
動く。
握る。
握れる。
感覚もある。
痛くない。
まるで最初から何も無かったみたいに。
少女は長い間その腕を見つめていた。
何も言えなかった。
ただ見ていた。
理解出来なかった。
◇
朝食。
食堂。
研究員が近くを通る。
少女は珍しく声を掛けた。
「ねえ」
「なんだ」
「普通の人も」
少し迷う。
言葉を探す。
「腕って生えるの?」
研究員は足を止めた。
本当に一瞬だけ。
困ったような顔をした。
「生えない」
短い返答だった。
それだけだった。
そして去っていく。
少女は動けなかった。
普通は生えない。
失ったら終わり。
戻らない。
帰ってこない。
でも。
自分は戻った。
昨日まで無かった腕が。
当たり前みたいに。
そこにある。
◇
その日の夜。
部屋。
机。
本。
課題。
いつもなら終わっている時間だった。
だが。
少女は一文字も読めなかった。
左腕が視界に入る。
昨日。
なくなった腕。
切り落とされた腕。
床に転がっていた腕。
血の海の中にあった腕。
それが。
今はそこにある。
少女はそっと右手を伸ばした。
触れる。
温かい。
生きている。
感覚もある。
指先を摘まむ。
痛い。
ちゃんと痛い。
爪を立てる。
赤くなる。
血も通っている。
なのに。
おかしい。
どうしても。
おかしい気がした。
昨日。
確かに無かった。
確かに切れた。
確かに落ちた。
見た。
自分で見た。
なのに。
どうして。
少女は腕を強く掴んだ。
ぎり。
皮膚が白くなる。
痛い。
でも離さない。
それでも。
そこにある。
腕は消えない。
「……」
気持ち悪かった。
言葉に出来ない不快感だった。
本当は自分のものじゃない何かが。
肩から生えているみたいだった。
少女は立ち上がる。
壁へ近付く。
そして。
ごん。
左腕を壁へぶつけた。
鈍い音。
痛み。
赤くなる皮膚。
それでも止まらない。
ごん。
ごん。
ごん。
何度も。
何度も。
叩きつける。
やがて皮膚が裂けた。
血が滲む。
それでも。
腕はそこにあった。
消えない。
なくならない。
切れても。
戻る。
壊れても。
戻る。
まるで。
最初からそう作られているみたいに。
「……なんで」
ぽつりと漏れる。
返事はない。
「なんで私は」
少女は左腕を抱き締めた。
気持ち悪い。
怖い。
嫌だ。
昨日まで。
研究員も。
警備員も。
食堂の人も。
みんな同じだと思っていた。
でも違った。
普通の人は腕が生えない。
失ったら終わり。
戻らない。
帰ってこない。
だけど。
自分だけは違う。
それが。
たまらなく恐ろしかった。
少女は部屋を飛び出した。
気付けば長い廊下を歩いていた。
そして辿り着く。
最近よく来る場所。
廊下の突き当たり。
小さな窓。
外壁。
監視塔。
灰色の空。
昨日まで。
その向こうへ行きたいと思っていた。
海を見たいと思っていた。
森を歩いてみたいと思っていた。
鳥が飛んでいく先を知りたいと思っていた。
でも今は違う。
そんなことより。
もっと大きな疑問が胸の中にあった。
私は何なんだろう。
唇が震える。
涙が滲む。
そして。
誰にも聞こえない声で呟いた。
「……なんで私は」
胸が痛い。
苦しい。
怖い。
「みんなと同じじゃないの?」
その言葉は。
灰色の空へ届くことなく。
静かな廊下へ沈んでいった。




