↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/91

心は空模様


少女は。


目を開けた。


……


朝の光が。


カーテンの隙間から差し込んでいる。


ぼんやりと。


天井を見る。


「ん……。」


両腕を上へ伸ばして。


ぐーっと。


身体を伸ばす。


「よく寝た……。」


腕を下ろし。


部屋の時計へ目を向ける。


「少し。」


「寝すぎたみたい。」


小さく欠伸をする。


顔を横へ向ける。


「おはよう。」


「おもち。」


……


返事がない。


少女は。


瞬きをする。


隣。


……


白い枕。


布団だけが残っていた。


「……おもち?」


返事はない。


少女は身体を起こし。


隣を見る。


「おもちいる?」


部屋を見回す。


窓辺。


椅子。


机。


「……おもち?」


……


返事はない。


少女は布団を跳ね除け。


寝台から足を下ろす。


「お手洗いかな……?」


扉を見る。


それなら。


すぐに戻ってくる。


少女はそのまま。


扉を見つめる。


……


待つ。


……


右手の指が動く。


きゅっ。


何もない手のひらを握る。


眠るまで。


そこにあった小さな手。


もう一度。


きゅっ。


……


けれど。


指先に触れるものはない。


何も聞こえない。


足音も。


扉の向こうから戻ってくる気配も。


ない。


少女は立ち上がる。


「……おもち?」


もう一度。


呼ぶ。


返事はない。


胸の奥がざわつく。


いつから。


いないの?


少女はもう一度。


部屋を見る。


……


いない。


どこにもいない。


胸が。


どくんと鳴った。


「おもち……。」


……


昨日。


二人でいなくなった。


城の中を歩いていた。


もし。


また一人で。


どこかへ――


少女は衣装棚へ向かう。


扉を開け。


服を掴む。


袖へ腕を通し。


ボタンを留める。


一つ。


また一つ。


「……っ。」


指がうまく動かない。


それでも留める。


リボンを結ぶ。


片方が長い。


……


構わない。


髪へ手を伸ばす。


寝癖の残った赤い髪。


……


そのまま。


扉へ向かう。


「おもち……。」


取っ手を掴む。


扉を開ける。


どん。


「きゃっ。」


「……わわ。」


少女は。


よろめく。


……


目の前。


白銀色の髪。


大きく目を見開く。


「ガゼル?」


少女は。


その顔を見る。


淡い紫の瞳。


……


間違えない。


「……おもち。」


少女は。


赤い髪の少女を見る。


「おはよう。」


首を少し傾げる。


「ガゼル。」


「……なに?」


少女は胸元を指差す。


「リボン。」


赤い髪の少女は瞬きをする。


「曲がってる。」


「……。」


少女の目が。


そのまま赤い髪へ向く。


いつもは綺麗に整えられている髪が。


今日はところどころ跳ねている。


「髪も。」


「……。」


赤い髪の少女は。


自分の髪へ手を伸ばす。


そこでようやく。


自分の姿を見る。


……


掛け違えたボタン。


片方だけ長くなったリボン。


寝癖の残った赤い髪。


……


赤い髪の少女は。


少女を見る。


綺麗にまとめられた白銀色の髪。


見慣れない給仕服。


胸元には。


少し歪んだリボン。


足元には靴。


……


「……おもち。」


「なに?」


「どこに。」


「行ってたの?」


「セレスと。」


「エステラのところ。」


少女は後ろを向く。


双子が立っている。


……


赤い髪の少女は二人を見て。


もう一度。


少女を見る。


「どうして。」


「何も言わずに。」


「いなくなったの?」


……


少女は瞬きをする。


少し考える。


「姫様。」


姉が一歩。


前へ出る。


「それは――」


「セレス。」


姉の言葉が止まる。


赤い髪の少女は。


少女を見たまま口を開く。


「私は。」


「おもちに聞きたいの。」


……


姉は二人を見る。


やがて一歩下がった。


「……失礼いたしました。」


少女は。


赤い髪の少女を見る。


少し考える。


「そういえば。」


「言ってなかった。」


……


赤い髪の少女の眉が。


わずかに寄る。


少女はその顔を見る。


「言わないと。」


「いけない?」


……


赤い髪の少女の眉が。


ぴくりと動く。


小さく口を開く。


「それは……。」


……


言葉が止まる。


違う。


そうじゃない。


おもちがどこへ行くのか。


決めたいわけじゃない。


少女が。


首を傾げる。


……


「ガゼル。」


「怒ってる……?」


「怒って……。」


赤い髪の少女は俯く。


曲がった自分のリボンが。


目に入る。


「……心配したの。」


少女は瞬きをする。


「……心配?」


「うん。」


赤い髪の少女は顔を上げる。


「起きたら。」


「おもちがいなくて。」


「呼んでも。」


「返事がなくて。」


「どこにいるのか。」


「分からなくて。」


……


「……怖かった。」


少女は。


赤い髪の少女を見る。


俯いた顔。


曲がった胸元のリボン。


乱れたままの赤い髪。


少女は。


少し首を傾げる。


「ガゼル。」


「……なに?」


「また。」


「泣く?」


赤い髪の少女の眉が。


ぴくりと動く。


「……泣かない。」


「……そう。」


少女は頷く。


赤い髪の少女は俯いたまま。


小さく口を開いた。


「どうして。」


「そんなこと聞くの……。」


……


「ガゼルは……。」


少し。


言葉が止まる。


「私がいると。」


「泣く……。」


赤い髪の少女は。


目を見開き顔を上げる。


「え……?」


少女は。


赤い髪の少女を見る。


「私が。」


「いるから。」


「ガゼルは。」


「……泣くの?」


……


「いなくなったら。」


「泣かない?」


「違う……。」


「……違うの?」


「違うよ……。」


赤い髪の少女の眉が下がる。


「今。」


「言ったのに……。」


声が震える。


「おもちが。」


「いなくて。」


「怖かったって。」


翡翠色の瞳に涙が滲む。


「どうして……。」


一粒。


頬を伝う。


「どうして。」


「そうなるの……。」


少女は。


その涙を見る。


「……。」


赤い髪の少女は唇をきゅっと結ぶ。


「おもちなんか。」


「知らない……!」


姉へ抱きつく。


姉は少し目を丸くして。


すぐに。


赤い髪の少女の頭へ手を置く。


優しく撫でる。


少女はその様子を見る。


「……?」


知らない。


……


少し考える。


分からない。


隣を見る。


妹と目が合う。


「……知らないって。」


「どういうこと?」


「なにか間違えた……?」


妹は少女を見る。


姉に抱きついたままの赤い髪の少女を見て。


もう一度。


少女を見る。


「おもち様。」


「なに?」


「とりあえず。」


「朝食へ行きましょうか。」


少女は瞬きをする。


「ガゼルは?」


「姫様は。」


「姉さんと後から参ります。」


少女は。


赤い髪の少女を見る。


姉の胸元へ顔を埋めたまま。


こちらを見ない。


「……そうなんだ。」


妹は少女へ手を差し出す。


少女はその手を見て。


手を重ねる。


「では。」


「行きましょう。」


「……うん。」


……


二人は廊下を歩いていく。


足音が。


少しずつ遠ざかっていく。


赤い髪の少女は。


姉の胸元へ顔を埋めたまま動かない。


姉の手が。


赤い髪を優しく撫でる。


「……セレス。」


「はい。」


「さっきは。」


「ごめんね……。」


姉は。


小さく首を横へ振る。


「私。」


「おもちに聞きたかったの……。」


姉は頷く。


「ちゃんと。」


「おもちから聞きたかった。」


「はい。」


少女は。


姉の胸元へもう少し顔を埋める。


「でも。」


「わからない……。」


姉の手が。


赤い髪を撫でる。


「昨日。」


「ちゃんと言ったのに……。」


「はい。」


「今日も。」


「言ったのに……。」


姉は何も言わず。


少女の言葉を聞いている。


「なのに。」


「どうして。」


「いなくなったらなんて。」


「言うの……。」


姉の手は止まらない。


何度も。


赤い髪を撫でてくれる。


少女はその腕の中で。


小さく鼻を啜る。


……


「……おもち。」


「行っちゃった。」


「……そうですね。」


優しい声が返ってくる。


少女は目を閉じる。


もう少しだけ。


姉へ身体を預けた。


……


しばらくして。


姉が少女の頭をひと撫でする。


「姫様。」


「朝食はどうされますか?」


少女は顔を上げる。


「……食べる。」


それから。


自分の胸元を見る。


曲がったリボン。


掛け違えたボタン。


髪へ手を伸ばせば。


寝癖の残った赤い髪。


「でも。」


少女は。


自分の姿を見下ろす。


「この格好じゃ。」


「はしたないから。」


「ちゃんと整えたい。」


「そうですね。」


……


姉は。


頬を緩める。


「ですが。」


「はしたない姫様も。」


「とても可憐ですよ。」


「……。」


少女は。


姉を見る。


姉は。


楽しそうに目を細める。


「投影機があれば。」


「残しておきたいくらいです。」


「もう……。」


少女の頬が。


少し膨らむ。


「それなら。」


「もっとちゃんとしてるときにして?」


「ふふ。」


「私は。」


「どのようなお姿でも。」


「残しておきたいですよ。」


少女は。


姉から顔を逸らす。


「……っ。」


「セレスって変!」


くるりと。


背を向ける。


「お部屋戻る!」


そのまま。


歩き出す。


……


姉は。


その背中を見送り。


頬を緩めた。


やがて。


そのあとを追った。


     ◇


少女は。


鏡の前に立っていた。


一つ。


ボタンを外す。


もう一つ。


掛け違えたところまで戻る。


その後ろでは。


姉が赤い髪へ櫛を通している。


さらり。


寝癖が整えられていく。


少女は鏡を見る。


ふと。


白銀色の少女の朝の姿を思い出す。


「……セレス。」


「はい。」


「今日のおもち。」


姉の手が。


髪をまとめていく。


「とっても可愛かったけど。」


「何があったの?」


姉は頬を緩める。


「実は――」


少女は。


ボタンを留め直しながら。


姉の話を聞いた。


……


夜明け前。


一人で双子の部屋を訪ねてきたこと。


服の着方を教えてほしいと頼まれたこと。


髪も。


自分でできるようになりたいと言ったこと。


……


「そうだったんだ……。」


少女の頬が少し緩む。


微かに口が開く。


「おもち。」


「自分で着られたんだ。」


最後のボタンを留める。


少女は鏡を見る。


……


ふと。


今朝の白銀色の少女が浮かぶ。


給仕服。


綺麗にまとめられた白銀色の髪。


胸元には。


少し歪んだリボン。


……


『ガゼル。』


『リボン。』


『曲がってる。』


……


少女は。


自分の胸元を見る。


直したばかりのリボン。


頬が。


ぷくっと膨らむ。


「……おもちのだって。」


「曲がってたもん。」


姉の手が。


ぴたりと止まる。


「ふふ。」


少女は鏡の中の姉を見る。


「なに?」


「いいえ。」


姉は何事もなかったように。


赤い髪をまとめていく。


その指が。


器用に赤い髪を動かしている。


少女は。


鏡越しにその手元を見る。


「ねえ。」


「セレス。」


「私も。」


少女は少し考える。


「今日のおもちと。」


「同じ髪型にしたら。」


「おもち。」


「何か言ってくれるかな?」


姉の手が。


一瞬止まる。


……


鏡越しに。


二人の目が合う。


姉は頬を緩めた。


「してみますか?」


少女の顔が。


少しだけ明るくなる。


「お願い。」


姉は赤い髪をいくつかに分け。


指の間へすくい上げる。


重ねて。


折り込んで。


留める。


するり。


赤い髪が。


姉の指の間を通っていく。


少女は鏡越しに。


その手元を見ていた。


一つ。


また一つ。


髪が綺麗にまとめられていく。


やがて。


姉の手が髪から離れる。


「できましたよ。」


少女は鏡を見る。


……


綺麗にまとめられた赤い髪。


今朝見た。


白銀色の少女と同じ髪型。


少女は右へ顔を向け。


左へ。


後ろを確かめる。


頬が緩む。


「おもち。」


「気づくかな。」


姉も頬を緩める。


「きっと気づかれますよ。」


少女はもう一度。


鏡を見る。


「えへへ。」


     ◇


二人は。


廊下を歩いていた。


朝の王城には。


行き交う人の姿も増えている。


少女はその中を歩いていく。


一歩。


また一歩。


……


ふと。


少女の手が動く。


いつもなら。


そこにある小さな手。


……


今日は。


ない。


少女は自分の手を見る。


指を少し曲げる。


それから。


隣を歩く姉を見る。


「……セレス。」


「はい。」


少女は少し迷って。


手を差し出す。


「今日。」


「手。」


「繋いでほしい。」


……


姉の足が止まる。


少女も足を止める。


「セレス?」


姉は。


差し出された小さな手を見る。


「……はい。」


「もちろんです。」


その手を取る。


きゅっ。


少女の指が。


姉の手を握る。


……


二人はまた歩き出す。


姉の口元が緩む。


少女はそんな姉を見上げる。


「セレス。」


「なんだか嬉しそう。」


姉は前を向いたまま歩いていく。


「そう見えますか?」


「うん。」


「気のせいですよ。」


少女は。


繋いだ手を見る。


「そう?」


「ええ。」


     ◇


二人は食堂へ入る。


朝の食卓には料理が並び。


温かな湯気が立ち上っている。


少女は中を見る。


……


いつもの席。


その隣。


……


いない。


少女は食堂を見回す。


「おもち。」


「まだ来てないのかな?」


姉も食堂の中へ目を向ける。


「そのようですね。」


少し考えて。


「もしかすると。」


「エステラと一般食堂へ。」


「行かれたのかもしれませんね。」


「一般食堂……。」


少女は。


隣の席を見る。


空いたままの椅子。


「……そっか。」


少しだけ。


肩が下がる。


……


やがて。


少女は顔を上げる。


「おもち。」


「朝早くに。」


「そっちへ行ったんだよね?」


「そうですね。」


「だったら。」


少女は姉を見る。


「二人とも。」


「まだ朝食。」


「食べてなかったんじゃない?」


「そうですね。」


「セレスも?」


「はい。」


少女は食卓を見る。


もう一度。


姉を見る。


「じゃあ。」


「一緒に食べようよ。」


姉は頬を緩める。


「お気遣いありがとうございます。」


「ですが。」


「私は――」


「だめ。」


姉は瞬きをする。


「食べないと。」


「元気でないよ。」


「姫様。」


「私は後ほど。」


「だめ。」


「……姫様?」


少女は椅子へ座る。


けれど。


食事には手をつけない。


「姫様。」


「いただかないのですか?」


「うん。」


少女は姉を見る。


「セレスが。」


「食べるって言ってくれるまで。」


「私も食べない。」


……


「姫様。」


「朝食のあとは授業もございますよ。」


「ですから。」


「召し上がってください。」


「セレスも。」


……


少女はじっと姉を見る。


姉も少女を見る。


やがて。


姉が小さく息を吐く。


「……わかりました。」


少女の顔が明るくなる。


「一緒に食べる?」


「それはできません。」


「むぅ。」


「ですが。」


姉は食卓へ手を伸ばし。


籠から小さなパンを一つ取る。


「こちらをいただきます。」


少女はパンを見る。


姉を見る。


「一つだけ?」


「一つだけです。」


少女は少し考える。


「ちゃんと。」


「全部食べる?」


姉は頬を緩める。


「はい。」


少女はようやく。


自分の食事へ手を伸ばす。


「じゃあ。」


「私も食べる。」


満足そうに。


頷いた。


     ◇


朝食を終える。


少女は口元を布で拭い。


椅子から立ち上がる。


「セレス。」


「はい。」


「今日は。」


「午前だけだったよね?」


「はい。」


「午前中はいつも通り授業を。」


「午後からは自由時間となっております。」


少女は頷く。


「おもちも。」


「一緒だよね?」


「その予定でございます。」


少女は。


自分の髪へ手を伸ばす。


綺麗にまとめられた赤い髪。


指先で。


確かめるように触れる。


……


頬が緩む。


「そっか。」


少女は。


椅子から立ち上がる。


「じゃあ。」


「行こっか。」


「はい。」


少女は。


弾むような足取りで。


食堂を出ていった。


姉も。


そのあとに続く。


    ◇


授業の時間。


少女は。


席に座っていた。


机の上には。


開かれた教本。


その隣。


扉を見る。


……


開かない。


もう一度。


隣を見る。


「……おもち。」


廊下から。


足音が聞こえる。


少女は顔を上げる。


扉が開く。


入ってきたのは。


授業を担当する教師だった。


「おはようございます。」


少女は姿勢を正す。


「おはようございます。」


教師は机へ教本を置き。


空いた席を見る。


「もうお一方は。」


「本日、欠席されると連絡をいただいております。」


「……欠席?」


「はい。」


教師が教本を開く。


「では。」


「授業を始めます。」


「本日は世界の歴史について。」


「その始まりから。」


少女も教本を開く。


……


教師が頁をめくる。


「遥か昔。」


「天より巨大な煌石が落下しました。」


……


「人々はこの出来事を。」


「明けの明星と――」


……


「そして――」


「明けの明星以降――」


「世界には魔力が満ち始め――」


「それらを――」


「魔石――」


……


少女は。


教本へ目を落とす。


知っている。


幼い頃から。


何度も教わってきたこと。


頁には。


世界の歴史が綴られている。


少女は一枚。


頁をめくる。


……


隣を見る。


空いたままの席。


……


おもち。


何してるんだろう。


エステラと一緒にいる。


先生にも。


欠席するとちゃんと伝わっていた。


だから。


大丈夫。


……


少女は教本へ目を戻す。


『言わないと。』


『いけない?』


……


頁の端に置いた指が止まる。


言わないと。


いけない。


……


少女は眉を寄せる。


違う。


そうじゃない。


おもちがどこへ行くのか。


決めたいわけじゃない。


行きたいところへ行っていい。


やりたいことをしていい。


それは。


今も変わらない。


……


でも。


朝。


目を覚ましたらいなかった。


呼んでも返事がなかった。


どこにいるのかも分からなかった。


また。


どこかへ行ってしまったのかと思った。


……


怖かった。


少女は。


教本へ目を落としたまま。


唇をきゅっと結ぶ。


だから。


どこへ行くのか。


教えてほしい。


……


でも。


それは。


言わないといけないってこと?


好きにしていいって。


言ったのに。


少女は首を傾げる。


……


分からない。


『私がいると。』


『泣く……?』


指先に力が入る。


違う。


それは。


もっと違う。


『いなくなったら。』


『泣かない?』


……


昨日。


言った。


毎日が楽しいって。


ありがとうって。


明日からもよろしくねって。


今日だって。


言った。


いなくて怖かったって。


……


それなのに。


少女の頬が。


ぷくっと膨らむ。


教本へ目を戻し。


文字を追う。


一行。


二行。


……


今度は。


朝の自分が浮かぶ。


『おもちなんか。』


『知らない……!』


少女の眉が下がる。


……


言いすぎた。


知らないなんて。


思ってない。


むしろ。


少女は隣を見る。


空いた席。


……


会いたい。


今朝。


同じにしてもらった髪だって。


まだ見てもらってない。


少女は自分の髪へ指先を伸ばす。


……


途中で止める。


朝食にも来なかった。


授業にも来ない。


……


もしかして。


私のこと。


避けてる……?


少女の眉が。


さらに下がる。


私が。


あんなこと言ったから?


胸の奥がきゅっとなる。


……


でも。


朝の白銀色の少女が浮かぶ。


『……知らないって。』


『どういうこと?』


少女の眉が。


ぴくりと動く。


頬がまた膨らむ。


……


知らないって言ったのに。


それも。


分かってなかった。


「……わからずや。」


少女は空いた席をちらりと見る。


けれど。


そこには誰もいない。


……


膨らんでいた頬が。


少しずつ戻っていく。


少女は自分の髪へ触れる。


「……会いたいな。」


……


教師の声が。


教室に響いている。


ことん。


……


少女の頭に。


重みが加わる。


「……。」


背筋が。


ぴんと伸びる。


覚えのある重み。


少女は目だけを上へ向ける。


「……先生。」


「はい。」


教師は。


少女を見下ろしている。


「どなたに。」


「会いたいのですか?」


「……っ。」


少女は目を見開く。


……


今。


声に出てた。


「ご、ごめんなさい……。」


教師が。


小さく息を吐く。


「さて。」


「本日は何冊までいきますか?」


「……先生。」


少女の眉が下がる。


「意地悪。」


「言わないで……。」


「ふふ。」


教師は口元を緩める。


「姫様も。」


「想い人のできるお年頃なのですね。」


「ち、違います!」


少女は顔を赤くして立ち上がる。


ごとん。


……


頭に乗っていた本が。


床へ落ちた。


少女は床を見る。


教師も床を見る。


……


少女は。


ゆっくり教師を見る。


「このような言葉に乱されているくらいです。」


「授業に集中して。」


「まずは心を落ち着かせてください。」


少女の頬は。


まだ赤い。


「……はい。」


床へ屈み。


落ちた本を拾う。


椅子へ座る。


少女は両手で本を持ち上げ。


ことん。


自分の頭へ乗せる。


背筋を伸ばす。


……


教師は教壇へ戻る。


授業が再開される。


少女は今度こそ。


教師の話へ耳を傾けた。


教本を読み。


黒板の文字を書き写す。


頁をめくる。


……


けれど。


ふとした拍子に。


隣の席へ目が向く。


そのたびに。


教本へ戻す。


……


しばらくして。


また。


隣を見る。


「……。」


頭の上。


……


本が一冊。


増えていた。


少女は何も言わず。


姿勢を正す。


……


やがて。


授業の終わりを告げる鐘が鳴る。


教師は教本を閉じる。


「では。」


「本日はここまでにいたしましょう。」


少女は。


小さく息を吐く。


頭の上から本を下ろし。


教本を閉じる。


「ありがとうございました。」


     ◇


少女は教室を出る。


廊下には。


姉が待っていた。


片手には。


小さな籠。


「姫様。」


「お疲れ様でした。」


少女は姉を見る。


「……うん。」


姉は。


少女の顔を見る。


いつもより。


少し下がった眉。


……


少女は何も言わない。


姉も何も聞かない。


代わりに。


手にした籠を少し持ち上げる。


「姫様。」


「今日はとてもよいお天気です。」


少女は窓の外を見る。


青い空。


庭園には。


陽の光が降り注いでいる。


「少し。」


「お庭でお茶にしませんか?」


少女は庭園を見る。


それから。


姉を見る。


「……セレスも?」


「もちろんです。」


もう一度。


外を見る。


「……うん。」


「行く。」


姉は頬を緩める。


「では。」


「参りましょうか。」


「うん。」


少女は。


姉の後ろを歩いていく。


廊下には。


人の姿が行き交っている。


少女の目が。


すれ違う人へ向く。


前から来る侍女。


その後ろ。


廊下の先。


……


角を曲がる。


また。


人の姿。


少女の目がそちらへ向く。


「……いない。」


前を歩く。


姉の背中が少し遠ざかる。


少女は足を速め。


姉の隣へ追いつく。


二人はそのまま。


廊下を歩いていった。


     ◇


庭園へ出る。


陽の光が。


花々の上へ降り注いでいる。


少女は。


眩しそうに目を細める。


「……。」


今日は。


やけに眩しい。


……


風が吹き。


赤い髪が揺れる。


少女は。


姉の後ろを歩いていく。


やがて。


庭園の奥。


見慣れた白いガゼボが見えてくる。


少女の足が。


少し緩む。


「ここ……。」


「はい。」


姉はガゼボへ足を進める。


「こちらで。」


「いただきましょうか。」


少女は白い柱を見る。


中に置かれた。


椅子と机。


「うん。」


二人はガゼボへ入る。


姉は籠を机へ置き。


蓋を開ける。


中から茶器を取り出していく。


少女は椅子へ座り。


庭園を見る。


花が。


風に揺れている。


姉は何も聞かない。


茶葉を入れ。


湯を注ぐ。


ふわり。


香りが広がる。


少女は。


その様子をぼんやりと見ていた。


姉が少女の前へカップを置く。


「どうぞ。」


「ありがとう。」


少女は両手でカップを持ち。


一口。


口をつける。


……


あたたかい。


姉も向かいの椅子へ腰を下ろす。


風が。


ガゼボを抜けていく。


少女は。


揺れる花々を眺めていた。


「……セレス。」


「はい。」


少女はカップへ目を落とす。


「私。」


「おもちに。」


……


少し。


言葉が止まる。


「嫌われちゃったのかな。」


姉は少女を見る。


少女は俯いたまま。


カップを持っている。


「ひどいこと。」


「言っちゃったから。」


「あれからずっと。」


「会えてない……。」


「避けられてるのかも……。」


少女の指が。


カップの縁をなぞる。


「どうしたらいいのか。」


「……分からない。」


「何を言っても。」


「うまく伝わらなくて……。」


姉は何も言わず。


少女の言葉を待っている。


「セレスとエステラは。」


少女は少し考える。


「私の。」


「お姉ちゃんみたいでしょ。」


姉の目が。


僅かに丸くなる。


少女はカップへ目を戻す。


「でも。」


「おもちは。」


「同じくらいの歳の……。」


言葉が止まる。


「と、とも……。」


……


少女は口を閉じる。


友達。


そう呼んでもいいのかな。


眉を下げる。


……


「私。」


「誰かと喧嘩したこともない。」


「同じくらいの歳の子と。」


「いっぱい笑ったこともない。」


少女は顔を上げる。


「何か間違っちゃったのかな……。」


「ただ。」


「仲良くなりたいのに……。」


……


ぽたり。


少女は瞬きをする。


カップの中。


小さな波紋が広がっていく。


ぽたり。


もう一つ。


少女は頬へ手を伸ばす。


……


濡れている。


「また……。」


「泣きたくなんかないのに……。」


袖で目元を拭う。


けれど。


また涙が零れる。


ぽたり。


……


「……私が。」


「いっぱい泣いちゃうから。」


姉は少女を見る。


「……おもち。」


「困っちゃう……。」


少女は袖で。


もう一度目元を拭う。


姉は頬を緩めた。


「そうですね。」


少女は瞬きをする。


「姫様は。」


「ちょっぴり泣き虫です。」


「……え?」


少女は顔を上げる。


姉は変わらず。


微笑んでいる。


「ですが。」


「私は嬉しいですよ。」


少女は目を丸くする。


「……どうして?」


姉は少し。


庭園へ目を向ける。


風に揺れる花々。


「おもち様と出会われる前の姫様は。」


少女は姉を見る。


「王妃様に代わり。」


「陛下をお支えしようと。」


「いつも一生懸命でございました。」


「ご自分のことはいつも後回しにされて。」


「皆様の前では笑顔で。」


「夜遅くまで勉学にも励まれて。」


姉は少女へ目を戻す。


「泣くこともありませんでした。」


……


少女は何も言わない。


「泣かなかった。」


「というより。」


姉の目が。


僅かに細くなる。


「泣こうとなさらなかった。」


「私はそのように思っております。」


……


「ですから。」


姉は少女へ微笑む。


「おもち様とご一緒にいるときの姫様は。」


「心から笑って。」


「泣いて。」


「怒って。」


「一人の人として。」


「おもち様と向き合っておられます。」


姉は頬を緩める。


「そのお姿を見ていられるだけで。」


「私は安心するのです。」


少女は姉を見る。


頬には。


まだ涙の跡が残っている。


「でも。」


「そのせいで。」


「おもちが困ってる……。」


「ふふ。」


姉が小さく笑う。


「困ってもよいのですよ。」


少女は瞬きをする。


「……いいの?」


「はい。」


姉はカップを両手で包む。


「友達同士。」


「ぶつかってしまうことはあります。」


「何を考えているのか分からなくなったり。」


「うまく伝わらなかったり。」


「時には。」


「喧嘩をしてしまったり。」


……


「大人になると。」


姉は庭園へ目を向ける。


「喧嘩をすることさえ。」


「難しくなります。」


「言いたいことを飲み込んで。」


「笑って終わらせてしまうこともありますから。」


姉は少し目を細める。


「それは。」


「少し寂しいものですよ。」


少女は瞬きをする。


「子供のうちは。」


「もっと心のままに。」


「ぶつかってよいのです。」


「泣いて。」


「怒って。」


「それでも。」


「また仲良くなりたいと思える。」


姉は少女を見る。


「とても素敵なことだと。」


「私は思います。」


少女はカップへ目を落とす。


……


「姫様が。」


「おもち様のことを分からなくなって。」


「こうしてたくさん考えておられるように。」


「おもち様にも。」


「姫様のことで分からないことが。」


「たくさんあるのでしょう。」


少女の指が。


僅かに動く。


「でも。」


姉は微笑む。


「おもち様も。」


「姫様のことを知ろうとしておられる。」


「だからこそ。」


「分からないことを考えるのではありませんか?」


少女は顔を上げる。


「……私のことを?」


「はい。」


姉は微笑む。


「ですから。」


「一度で伝わらなくても。」


「よいのではありませんか?」


少女は瞬きをする。


「伝わらなければ。」


「もう一度。」


「それでも伝わらなければ。」


「また。」


姉は少女を見る。


「何度でも。」


「ぶつかればよいのです。」


「そして。」


「待って差し上げてください。」


少女は。


カップを持ったまま。


姉の言葉を聞いている。


「おもち様は。」


「きっと。」


「おもち様なりに考えて。」


「必ず応えてくださいますから。」


姉は頬を緩める。


「それは。」


「姫様が一番。」


「ご存じなのではありませんか?」


少女はカップへ目を落とす。


……


「……そっか。」


……


最初は。


必死だった。


森で。


初めて見つけたとき。


細い身体。


傷だらけの手足。


今にも消えてしまいそうで。


……


ただ。


生きてほしかった。


それだけだった。


城へ来てからも。


少女はほとんど何も言わなかった。


何を見ても。


何を聞いても。


ただ。


そこにいるだけ。


……


本当に。


何もかもが抜け落ちてしまったように。


空っぽだった。


元気になってほしい。


……


その先のことなんて。


考えたこともなかった。


それなのに。


今は。


自分の足で歩いている。


行きたいところを。


自分で決めて。


やりたいことを見つけて。


少女は自分の手を見る。


その手を。


今では握ってくれる。


名前だって呼んでくれる。


……


そして。


私は。


もっと話したい。


もっと知りたい。


もっと一緒にいたい。


……


仲良くなりたい。


少女は顔を上げる。


頬には。


まだ涙の跡が残っている。


けれど。


その顔には笑みが浮かんでいた。


「ありがとう。」


「セレス。」


姉は微笑む。


「私。」


「欲張りになってた。」


少女は袖で。


残っていた涙を拭う。


「でも。」


「欲張りでも。」


「いいんだよね!」


姉の頬が緩む。


「はい。」


少女は椅子から立ち上がる。


「私。」


「おもちに。」


「会いたい!」


姉は少女を見上げる。


「ふふ。」


「それでこそ。」


「姫様です。」


     ◇


二人は。


庭園を歩いていた。


姉の手には。


空になった籠。


少女はその隣を歩いていく。


「……ねえ。」


「セレス。」


「はい。」


「そういえば。」


少女は姉を見る。


「セレスだって。」


「まだ子供じゃないの?」


姉は瞬きをする。


……


「姫様よりは。」


「大人ですよ。」


「でも。」


「子供でしょ?」


「……。」


少女は姉を見る。


姉も少女を見る。


「そういうことに。」


「しておきましょうか。」


少女の頬が緩む。


「ふふ。」


「なんですか?」


「なんでもないよー。」


少女は前を向く。


庭園の先。


王城へ続く道。


……


陽の光が。


降り注いでいる。


少女は。


眩しそうに目を細める。


さっきと。


同じ光。


少女は空を見上げる。


青い空が。


どこまでも広がっている。


「いい天気。」


姉は。


少女を見る。


「はい、とても。」


少女の頬が緩む。


その足が。


少しずつ速くなる。


一歩。


二歩。


やがて。


小走りになる。


姉との距離が開いていく。


少女は振り返る。


「セレス。」


「早くいこ!」


姉は小さく息を吐く。


けれど。


その頬は緩んでいる。


「はい。」


「ただいま。」


少女は前を向き。


また駆けていく。


姉も。


そのあとを歩いていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。