第六十話 図書塔
本棚の間を。
歩いていく。
……
高い。
見上げる。
……
棚は。
少女の背丈を。
遥かに越えていた。
上へ。
さらに上へ。
幾段にも並ぶ本。
高い場所には。
細い梯子が掛けられている。
……
窓から差し込んだ光が。
棚と棚の隙間を抜ける。
長く伸びた影が。
床へ落ちていた。
……
少女は。
その中を歩く。
……
並ぶ本。
一冊。
また一冊。
……
見たこともない題名。
知らない文字。
綺麗な装丁。
厚い本。
薄い本。
……
革で覆われたもの。
布で包まれたもの。
角の擦れたもの。
まだ。
真新しいもの。
……
少女は。
足を止める。
一冊を。
手に取った。
……
少し重い。
両手で抱える。
……
ぱらり。
紙をめくる。
……
絵。
知らない花。
知らない鳥。
知らない街。
……
色鮮やかな屋根。
大きな橋。
見たことのない形の船。
……
「……。」
もう一枚。
めくる。
……
知らない。
……
ぱらり。
……
これも。
知らない。
……
少女の指が。
紙の端を辿る。
……
やがて。
ぱたん。
本を閉じる。
背表紙を確かめて。
元の場所へ。
丁寧に戻した。
……
また歩く。
……
赤い背表紙。
青い背表紙。
金色の文字。
……
隣の棚には。
花の模様。
その向こうには。
星が描かれている。
……
本棚を一つ越えるたび。
並んでいるものが。
変わっていく。
……
紙をめくる音。
羽根ペンが。
紙を擦る音。
遠くで。
本が棚へ戻される。
小さな音。
……
少女の足音も。
その中へ混ざっていく。
……
少女は。
立ち止まった。
本棚を見上げる。
……
一冊。
また一冊。
……
どれを読んでも。
いい。
……
研究施設にも。
本はあった。
……
魔術理論。
術式構築。
魔力循環。
魔導工学。
……
本棚は。
ここに負けないくらい。
並んでいた。
……
分厚い専門書。
術式の記録。
古い研究書。
新しくまとめられた論文。
……
必要なものは。
揃っていた。
……
けれど。
少女が読む本は。
いつも。
決められていた。
……
渡された本を開く。
指定された頁を読む。
覚える。
理解する。
……
読み終えれば。
次。
……
本棚の前で。
立ち止まることはなかった。
……
どれにしようかと。
迷うこともなかった。
……
少女は。
目の前の本棚を見る。
……
右を見る。
左を見る。
……
上を見る。
……
「……。」
どれでも。
いい。
……
少女は。
しばらく。
その場から動かなかった。
……
右を見る。
……
左を見る。
……
たくさんある。
……
ありすぎて。
分からない。
……
少女は。
もう一度。
歩き始めた。
……
一つ。
棚を通り過ぎる。
……
『植物と薬草』
……
次。
……
『王国の歴史』
……
その向こう。
……
『世界の動物』
……
少女は。
歩いていく。
……
時折。
足を止める。
背表紙を見る。
……
知らないものばかり。
……
気になる。
……
でも。
どれを手に取ればいいのか。
分からない。
……
また。
歩く。
やがて。
少女の足が。
ぴたりと止まった。
……
目の前。
棚の上部に。
小さな札が掛けられている。
……
『高等魔術理論』
「……。」
少女は。
じっと。
その文字を見つめる。
一歩。
近づく。
……
棚には。
分厚い本が。
隙間なく並んでいた。
……
『複合術式構築における位相制御』
『精霊契約と術式接続の相互作用』
『魔力循環系における逆流現象の解析』
少女の目が。
一冊ずつ。
背表紙を追っていく。
……
知ってる。
……
これも。
読んだことがある。
……
少女は。
さらに奥を見る。
……
一冊。
古びた本があった。
他の本よりも。
ずっと厚い。
……
背表紙には。
擦れた金色の文字。
『多重魔術式の相互干渉と崩壊限界』
「……。」
少女の足が。
止まる。
……
手を伸ばす。
……
届かない。
……
もう一度。
伸ばす。
……
指先が。
背表紙の下へ触れた。
……
ぐっ。
本を引き抜く。
……
ずしり。
……
少女の両腕が。
少しだけ下がった。
「……っ。」
……
両手で抱え直す。
……
近くの机まで運ぶ。
どん。
……
椅子へ座る。
ぱらり。
……
少女の目が。
文字を追う。
……
一頁。
……
また。
一頁。
……
指先が止まった。
……
術式の重なり。
魔力同士が。
互いへ及ぼす影響。
……
「……。」
もう一度。
同じ行を読む。
……
その下に。
小さく記された。
別の理論。
……
『空間干渉については――』
……
少女は。
顔を上げた。
……
本棚を見る。
……
「……。」
けれど。
すぐには動かなかった。
……
開いた本へ。
指先を置く。
……
目を閉じる。
……
ほんの少し。
魔力を流す。
……
ふわり。
……
少女の髪が。
淡い紫を帯びる。
……
本から。
微かな揺らぎが返ってきた。
……
古い。
小さな魔力。
……
少女は。
顔を上げる。
……
同じもの。
……
似た揺らぎが。
いくつか。
遠くにある。
……
少女は。
本を閉じた。
両手で抱える。
……
歩き出す。
……
一つ。
本棚を越える。
……
まだ。
向こう。
……
もう一つ。
……
少し。
揺らぎが。
強くなる。
……
少女は。
棚の間を。
奥へ。
奥へ。
歩いていく。
……
やがて。
足を止めた。
……
『空間干渉』
……
「……。」
少女の視線が。
棚を上っていく。
……
一段。
二段。
……
さらに上。
……
あった。
……
分厚い。
濃紺の本。
……
『高次空間干渉における座標固定理論』
……
少女は。
手を伸ばす。
……
届かない。
……
もう一度。
背伸びをする。
……
指先すら。
届かない。
……
「……。」
少女は。
辺りを見る。
……
本棚の端。
小さな足場台が。
置かれていた。
……
少女は。
そこまで歩く。
両手で持ち上げる。
……
少し。
重い。
……
とことこ。
……
本棚の前まで運ぶ。
……
こと。
……
足場台を置く。
……
片足を乗せる。
……
もう片方。
……
少女の身体が。
少しだけ高くなる。
……
手を伸ばす。
……
まだ。
少し遠い。
……
つま先立ちになる。
……
指先が。
背表紙へ触れた。
……
「……。」
ぐっ。
……
少しずつ。
本を引き出す。
……
ずる。
……
ずしっ。
……
少女の身体が。
小さく揺れた。
……
本を。
胸いっぱいに抱える。
……
「……とれた。」
……
足場台から。
慎重に降りる。
……
本を開く。
……
ぱらり。
……
複雑な術式。
幾重にも重なる。
空間座標。
……
術式による座標の固定。
境界の形成。
……
少女の目が。
止まる。
……
『魔力場境界との干渉について――』
……
「……。」
指先が。
頁へ触れる。
……
ふわり。
……
また。
微かな揺らぎ。
……
少女は。
顔を上げた。
……
今度は。
もっと奥。
……
『魔力場境界理論』
少女は。
本を抱える。
……
歩き出す。
……
また。
揺らぎを辿る。
一つ。
棚を越える。
……
『高密度魔力場の形成と崩壊』
どん。
……
『多層術式構築における境界接続』
……
どん。
……
『空間歪曲現象と魔力場の相関』
……
どん。
……
一冊。
また一冊。
……
少女の前に。
本が積み上がっていく。
……
いつの間にか。
最初にいた場所から。
ずいぶん奥まで来ていた。
……
人の姿も。
少なくなっている。
……
並ぶ本は。
どれも分厚く。
背表紙には。
細かな文字ばかり。
……
少女は。
そんなことにも。
気付いていない。
……
大きな本棚に囲まれた。
小さな机。
……
その椅子に。
ちょこんと座る。
……
身体の横には。
積み上げられた。
何冊もの専門書。
……
少女は。
その一冊を開く。
……
頁いっぱいに広がる。
複雑な術式図。
……
「……。」
指先が。
一本の魔力経路を辿る。
……
ここから。
ここ。
……
一度。
迂回している。
……
少女は。
首を傾げた。
「……ここ。」
……
もう一度。
辿る。
……
「いらない。」
……
視線が。
机の端へ向かう。
……
硝子瓶。
羽根ペン。
その隣には。
何枚かの紙が。
綺麗に重ねられていた。
……
少女は。
一枚。
手元へ引き寄せる。
羽根ペンを取る。
……
さら。
……
紙の上へ。
一本の線を引く。
……
もう一本。
……
本に描かれた術式を。
小さく書き写していく。
……
魔力の流れ。
接続点。
干渉箇所。
……
途中で。
羽根ペンが止まる。
……
「……。」
本を見る。
紙を見る。
……
さらさら。
……
一つ。
線を消す。
代わりに。
二つの接続点を。
直接繋いだ。
……
その横へ。
小さな文字を書き込む。
……
『第三経路不要』
『第二接続点より直接流入』
『干渉率低下』
……
少女は。
じっと。
自分の書いた術式を見る。
……
首を傾げる。
……
「……まだ。」
……
羽根ペンが。
再び動き出す。
……
さら。
さらさら。
……
今度は。
別の経路。
……
一度書いて。
止まる。
……
消す。
……
また書く。
……
気付けば。
一枚だった紙は。
細かな文字と。
いくつもの術式で。
埋め尽くされていた。
……
少女は。
新しい紙へ手を伸ばす。
……
二枚目。
……
ぱらり。
本の頁を戻す。
……
さらさら。
……
誰かに。
言われたわけではない。
……
覚えろとも。
直せとも。
言われていない。
……
それでも。
少女の手は。
止まらなかった。
……
本を読む。
考える。
書く。
……
また。
本を読む。
「……。」
少女は。
気付いていなかった。
……
いつの間にか。
ほんの少し。
机へ身を乗り出していたことに。
……
ぱらり。
……
「……違う。」
さらさら。
……
「ここは。」
「先に。」
……
羽根ペンが。
紙の上を走る。
……
「第三経路。」
「いらない。」
……
ぱらり。
……
「……これ。」
「繋がる。」
……
さらさら。
……
机の上には。
いつの間にか。
何枚もの紙が。
広がっていた。
……
術式。
計算式。
魔力経路。
小さな文字。
……
書き終えた紙を。
端へ押す。
……
新しい紙を取る。
……
ぱらり。
ぱらり。
……
目が。
文字を追う。
……
頁をめくる指が。
止まらない。
……
「……ここ。」
「違う。」
……
さらさら。
……
「これなら。」
「干渉しない。」
……
次。
……
ぱらり。
……
次。
……
さらさら。
……
読む。
考える。
書く。
……
その間に。
ほとんど。
隙間がない。
……
「……ん?」
少女の後ろを。
一人の男が。
通り過ぎた。
……
濃紺の外套。
胸元には。
王宮魔導師の紋章。
……
数歩。
進む。
……
足が止まった。
……
振り返る。
……
小さな少女。
……
その周りには。
積み上げられた。
何冊もの専門書。
……
机いっぱいに。
散らばった紙。
……
「……。」
男は。
眉を寄せる。
……
『高次空間干渉における座標固定理論』
『魔力場境界理論』
『高密度魔力場の形成と崩壊』
『空間歪曲現象と魔力場の相関』
……
どれも。
王宮魔導師でさえ。
容易には手を出さない。
専門書だった。
……
「お嬢ちゃん。」
……
ぱらり。
……
「ここを。」
「こっちに……。」
……
さらさら。
……
返事はない。
……
男は。
もう一歩。
近づいた。
「それ。」
「読んでるのかい?」
……
「……違う。」
……
男が。
目を瞬く。
「え?」
……
「そこじゃない。」
「先に。」
「分ける……。」
……
さらさら。
……
男へ。
答えたわけではなかった。
……
少女の目は。
一度も。
本から離れていない。
……
「……。」
男は。
少女の手元を見る。
……
一枚。
手前にあった紙へ。
目を落とす。
……
「…………。」
術式。
……
見覚えがある。
……
先ほどまで。
少女が読んでいた本に。
記されていたもの。
……
そのはずだった。
……
男の目が。
細くなる。
……
違う。
……
所々。
式が。
書き換えられている。
……
「……なんだ。」
「これは……。」
……
視線で。
式を追う。
……
一つ目。
……
二つ目。
……
三つ目。
……
眉間に。
皺が寄る。
……
難解だった。
……
見たことのない。
展開式。
……
既存の術式から。
あまりにも離れている。
……
「こんなもの……。」
成立するはずがない。
……
そう思いながら。
最初へ戻る。
……
一つずつ。
追い直す。
……
「……。」
……
追える。
……
次も。
……
その次も。
……
繋がっている。
……
複雑だったはずの魔力経路が。
一つずつ。
解かれていく。
……
不要な接続は。
削られ。
……
重なっていた経路は。
まとめられ。
……
最後には。
一本の術式として。
収束している。
……
「……美しい。」
男の口から。
言葉が漏れた。
……
あまりに。
無駄が。
ない。
……
難解なはずなのに。
一度。
道筋が見えてしまえば。
どうして今まで。
この形ではなかったのか。
分からなくなる。
……
「君。」
……
ぱらり。
……
「この式は。」
「君が書いたのかな?」
……
「……こっち。」
「余る。」
……
さらさら。
……
「なら。」
「ここから……。」
……
聞こえていない。
……
それどころか。
男が一枚を読み終えるより先に。
……
また一枚。
新しい紙が。
机の端へ滑ってきた。
……
「……おいおい。」
……
男は。
新しい紙を見る。
……
また。
違う術式。
……
「ちょっと待て。」
……
少女は。
待たない。
……
ぱらり。
ぱらり。
……
さらさら。
……
「ここ。」
「二つに……。」
……
「……違う。」
……
紙を引き寄せる。
……
書く。
……
押しやる。
……
次。
……
男は。
少女を見る。
……
それから。
机いっぱいに散らばる紙を見る。
……
一体。
何枚ある。
……
「……。」
その時。
別の王宮魔導師が。
足を止めた。
「何をしているのです?」
……
男は。
答えなかった。
……
一枚の紙を。
差し出す。
……
「これを見てくれ。」
「?」
……
受け取る。
……
「……なんだこれは。」
……
「最後まで読んでみてくれ。」
……
「……。」
……
もう一人の顔から。
少しずつ。
表情が消えていく。
……
「待て。」
「この変換は……。」
……
「そこじゃない。」
「その先だ。」
……
「……。」
……
「成立してるだろ。」
……
「…………なぜ?」
……
ぱらり。
……
二人が。
少女を見る。
……
「……ここ。」
「いらない。」
……
さらさら。
……
また。
紙が一枚。
増えた。
……
「……。」
……
やがて。
もう一人。
……
また。
一人。
……
足を止める。
……
「何を見ている?」
「術式だ。」
「誰の?」
……
視線が。
一斉に。
小さな少女へ向く。
……
「……あの子の。」
……
「は?」
……
机を囲む人が。
少しずつ。
増えていく。
……
「これは。」
「どこから持ってきた?」
「本人が書いている。」
「まさか。」
「見ていろ。」
……
ぱらり。
……
「……違う。」
……
さらさら。
……
「ここを。」
「こうして……。」
……
一枚。
……
また。
一枚。
……
「…………。」
……
誰かが。
息を呑む。
……
「速すぎる。」
……
「読んでいるのか?」
……
「読んでいる。」
……
「いや。」
「読んでいるだけじゃない。」
……
「その場で。」
「組み直してる……。」
……
ざわ。
……
ざわ。
……
普段なら。
誰も声を重ねない。
図書塔。
……
けれど。
今だけは。
小さなざわめきが。
生まれていた。
……
「お嬢ちゃん。」
「少しいいか?」
……
「……。」
……
「聞こえてない。」
「さっきからだ。」
……
「おーい。」
……
少女の目の前で。
手が振られる。
……
少女は。
僅かに身体を傾けた。
……
手を避ける。
……
ぱらり。
……
「……ここ。」
「見えない……。」
……
「…………。」
……
人が。
また増える。
……
積み上がった専門書。
散乱する紙。
その中心で。
小さな少女だけが。
変わらず。
羽根ペンを走らせている。
……
ざわ。
……
ざわ。
……
その時。
人垣の向こうで。
赤い髪の少女が。
足を止めた。
……
「……?」
……
いつもは。
静かな図書塔。
……
そこだけ。
人が集まっている。
……
赤い髪の少女は。
手首を見る。
……
紐から伝わる。
ぼんやりとした感覚。
……
「……。」
……
あっち。
……
赤い髪の少女は。
ゆっくり。
顔を上げる。
……
人垣を見る。
……
「……え。」
……
もう一度。
手首を見る。
……
「おもち……?」
……
赤い髪の少女は。
人垣へ近づく。
……
「ご、ごめんなさい。」
「通してください。」
……
「姫様?」
「姫様だ。」
……
人々が。
慌てて道を開ける。
……
赤い髪の少女は。
その間を抜ける。
……
そして。
足を止めた。
……
「……。」
……
小さな机。
積み上げられた。
何冊もの専門書。
……
その周りには。
紙。
紙。
紙。
……
術式。
計算式。
細かな文字。
……
机から溢れ。
椅子の横にまで。
重なっている。
……
その真ん中。
……
少女は。
小さな身体を。
机へ寄せていた。
……
ぱらり。
……
「……ここ。」
「先に。」
……
さらさら。
……
「違う……。」
……
紙を押しやる。
……
次。
……
ぱらり。
ぱらり。
……
「……。」
赤い髪の少女は。
少女を見つめる。
……
一人の魔導師が。
興奮した様子で。
口を開いた。
「姫様。」
「このお嬢さんは。」
「一体。」
「何者なのですか?」
……
別の魔導師も。
一枚の紙を手にしている。
「これほどの知識を。」
「この年齢で……。」
「それだけではありません。」
「既存の理論を。」
「その場で再構築しているのです。」
……
「この展開式をご覧ください。」
「私も。」
「初めは誤りかと思いました。」
「ですが。」
「追えば追うほど。」
「無駄がない。」
……
「これほど美しい術式は。」
「見たことがありません。」
……
ざわ。
……
「どなたに師事を?」
「高名な賢者の血縁でしょうか。」
「いや。」
「それだけでは説明が……。」
……
「姫様。」
「この子の知識は。」
「国の魔術体系そのものを――」
……
「世界の常識さえ。」
「覆すかもしれません。」
……
赤い髪の少女は。
何も答えなかった。
……
視線は。
ずっと。
少女へ向いている。
……
ぱらり。
……
「……ここ。」
「二つ……。」
……
さらさら。
……
「先に。」
「繋いで……。」
……
一枚。
押しやる。
……
すぐに。
次の紙へ。
手を伸ばす。
……
赤い髪の少女は。
その手を見る。
……
速い。
……
あまりにも。
速い。
……
本を読む。
……
書く。
……
次。
……
読む。
……
書く。
……
また。
次。
……
止まらない。
……
「……。」
……
すごい。
……
きっと。
すごいことなんだと思う。
……
自分には。
何を書いているのか。
わからない。
……
でも。
……
これが。
普通じゃないことだけは。
分かった。
……
赤い髪の少女の眉が。
少しだけ下がる。
……
どうして。
……
こんなに。
急ぐんだろう。
……
誰も。
急いでなんて。
言ってないのに。
……
誰も。
次をやれなんて。
言ってないのに。
……
少女の手は。
止まらない。
……
「……おもち。」
……
ぱらり。
……
「ここ……。」
……
聞こえていない。
……
赤い髪の少女は。
もう一歩。
近づく。
……
少女の隣へ。
しゃがみ込んだ。
……
「おもち。」
……
羽根ペンを持つ。
小さな手へ。
自分の手を。
重ねる。
……
ぴたり。
……
羽根ペンが。
止まった。
……
「……。」
少女の目が。
紙を見たまま。
止まる。
……
赤い髪の少女は。
優しく笑う。
「もう。」
「大丈夫だよ。」
……
少女の瞳が。
僅かに動く。
……
「……?」
……
ゆっくり。
赤い髪の少女を見る。
……
「ガゼル……?」
……
「うん。」
……
赤い髪の少女は。
重ねた手を。
離さなかった。
「迎えにきたよ。」
……
少女は。
瞬きをする。
……
一度。
……
もう一度。
……
ようやく。
周囲を見る。
……
「……?」
……
人。
……
右にも。
……
左にも。
……
後ろにも。
……
知らない人。
……
たくさん。
……
「……なに。」
「これ……。」
……
その言葉を。
待っていたかのように。
「君!」
「先ほどの術式だが――」
「この変換はどうやって!?」
「どこで高等魔術を学んだ?」
「師は誰だ?」
「この第四式は実証したのか?」
「空間干渉まで理解しているのか?」
……
一斉に。
声が降ってくる。
……
少女の肩が。
びくりと跳ねた。
……
「……っ。」
……
人。
声。
質問。
……
次から。
次へ。
……
「この式は君が?」
「こちらも説明してほしい。」
「その魔力経路は――」
……
少女の瞳が。
揺れる。
……
白い部屋。
……
紙。
……
声。
……
「説明しろ。」
……
「答えなさい。」
……
「次。」
……
「まだ終わっていない。」
……
「……っ。」
少女の呼吸が。
止まる。
……
身体が。
小さく縮こまった。
……
赤い髪の少女は。
すぐに気付いた。
……
「おもち。」
……
ぎゅっ。
……
少女の身体を。
抱き締める。
……
「大丈夫。」
……
少女の耳元で。
優しく囁く。
……
「大丈夫だよ。」
……
少女の指が。
赤い髪の少女の服を。
きゅっと掴んだ。
……
「皆さん。」
「やめてくだ――」
「――皆様。」
……
凛とした声が。
図書塔へ響いた。
……
ざわめきが。
止まる。
……
人垣の向こう。
二人の侍女が。
立っていた。
……
姉は。
真っ直ぐ。
人々を見据える。
……
「この場は。」
「皆様。」
「お収めください。」
……
柔らかな声。
……
けれど。
誰一人。
口を挟まない。
……
「こちらの方は。」
「陛下より。」
「勅命にて。」
「護衛を命じられているお方です。」
……
空気が。
変わる。
……
「本人の許可なく。」
「取り囲み。」
「問い質すことは。」
「お控えください。」
……
魔導師達が。
互いに顔を見合わせる。
……
「し、しかし。」
「我々はただ――」
「存じております。」
……
姉は。
穏やかに微笑む。
……
「皆様が。」
「魔術を愛しておられることも。」
「そこにあるものが。」
「どれほど価値あるものなのかも。」
……
「ですが。」
……
視線が。
少女へ向く。
……
「それと。」
「この方を怯えさせてよいことは。」
「別のお話でございます。」
……
「……。」
……
誰も。
言葉を返さなかった。
……
妹が。
その横を通り過ぎる。
……
「では。」
「皆様。」
「少しだけ。」
「下がっていただけますか?」
……
にこり。
……
人々が。
一歩。
また一歩。
離れていく。
……
「ありがとうございます。」
……
妹も。
少女達の方へ向かおうとする。
……
その途中。
……
ぴたり。
足が止まった。
……
「……。」
……
一人の魔導師。
……
その手が。
外套の内側へ。
入ろうとしていた。
……
僅かに覗く。
一枚の紙。
……
妹は。
にっこりと笑った。
「そちら。」
……
魔導師の肩が。
跳ねる。
……
「……はい?」
……
「右手に。」
「お持ちのものです。」
……
「…………。」
……
「こちらへ。」
……
妹が。
手を差し出す。
……
「いや。」
「これはその。」
「極めて貴重な資料でして。」
……
「はい。」
「ですので。」
「こちらへ。」
……
笑顔は。
崩れない。
……
「…………。」
……
魔導師は。
ゆっくりと。
紙を差し出した。
……
妹は。
受け取る。
……
「ありがとうございます。」
……
そして。
周囲を見渡した。
……
「他にも。」
「お持ちの方は。」
「いらっしゃいますか?」
……
「……。」
……
誰も。
動かない。
……
妹の笑顔が。
ほんの少し。
深くなる。
……
「いらっしゃいますね?」
……
「…………。」
……
一枚。
……
また。
一枚。
……
魔導師達の懐から。
紙が戻ってくる。
……
姉は。
額へ。
片手を添えた。
……
「まったく……。」
……
妹は。
回収した紙を。
丁寧に揃える。
……
「こちらは。」
「すべて。」
「この方がお書きになったものです。」
……
「持ち出しは。」
「ご遠慮ください。」
……
最後の一枚を。
机へ戻す。
……
その間も。
赤い髪の少女は。
少女を。
抱き締めたままだった。
……
少女は。
その腕の中から。
戻ってきた紙を見る。
……
それから。
周りの人を見る。
……
何が。
起きているのか。
まだ。
よく分からなかった。
……
少女は。
机を見る。
……
積み上がった本。
散らばった紙。
羽根ペン。
……
ただ。
読んでいた。
……
気になったから。
考えた。
……
分からないものを。
探した。
……
違うと思ったところを。
書き直した。
……
それだけ。
……
その時。
一人の魔導師が。
前へ出た。
……
双子が。
すぐに反応する。
……
姉が。
少女達の前へ。
一歩出る。
「申し訳ございません。」
「これ以上は――」
「待ってください。」
……
魔導師は。
足を止めた。
……
それ以上。
近づかない。
……
「危害を加えるつもりはありません。」
……
両手を。
見える位置へ出す。
……
「ただ。」
「一つだけ。」
「この子に。」
「渡したいものがあります。」
……
姉は。
魔導師を見つめる。
……
しばらく。
そのまま。
……
やがて。
小さく頷いた。
……
「その場で。」
「お願いいたします。」
……
「もちろんです。」
……
魔導師は。
積み上げられた本へ。
目を向ける。
……
一冊。
見覚えのある背表紙。
……
ふっと。
口元が緩んだ。
……
その本は。
数年前。
自分が書いたものだった。
……
そして。
少女の紙を見る。
……
そこには。
その続きがあった。
魔導師は。
少女を見る。
……
深く。
頭を下げる。
……
「まず。」
「謝らせてください。」
……
少女は。
目を瞬く。
……
「驚かせてしまって。」
「申し訳ありませんでした。」
……
「あなたが。」
「あまりにも素晴らしいものを。」
「書いていたものですから。」
……
魔導師は。
少し困ったように笑う。
……
「つい。」
「我を忘れてしまいました。」
……
少女は。
魔導師を見る。
……
それから。
赤い髪の少女を見る。
……
赤い髪の少女は。
少女を抱いたまま。
小さく頷いた。
……
少女は。
もう一度。
魔導師を見る。
……
「……うん。」
……
魔導師は。
ほっと。
息を吐いた。
……
「ありがとう。」
……
外套の内側へ。
ゆっくりと手を入れる。
……
双子の視線が。
その手を追う。
……
取り出したのは。
一冊の。
薄い冊子だった。
……
深い青色の表紙。
……
銀色の文字。
……
中央には。
星を象った。
紋章が刻まれている。
……
魔導師は。
それを。
両手で持つ。
……
「君ほどの才能なら。」
「必要ないものかもしれない。」
……
「でも。」
「もし。」
「もう少し。」
「大きくなったら。」
……
魔導師は。
柔らかく笑った。
……
「ここにおいで。」
……
少女は。
冊子を見る。
……
表紙には。
大きな文字。
……
『アステリア星導魔法学院』
……
「……がくいん?」
……
「そう。」
……
「魔術を。」
「学ぶ場所だよ。」
……
少女の瞳が。
僅かに動く。
……
学ぶ。
……
魔術を。
……
「そこには。」
「今日。」
「君が見つけたものより。」
「もっとたくさんの。」
「知識を得られるはずだよ。」
……
少女は。
冊子を見る。
……
知らないこと。
……
指先が。
ほんの少し動いた。
……
魔導師は。
それを見て。
微笑む。
……
「それに。」
「君一人で。」
「全部を考えなくてもいい。」
……
「同じものを好きな人達と。」
「一緒に考えることもできる。」
「君のような子が世界中から集まってくるよ。」
……
少女は。
ゆっくりと。
手を伸ばす。
……
冊子を。
受け取る。
……
表紙を見る。
……
指先で。
銀色の紋章へ触れる。
……
赤い髪の少女も。
その冊子を。
覗き込んだ。
……
「魔法学院……。」
……
魔導師は。
二人を見て。
ふっと笑った。
「僕も。」
「よくそこにいるからね。」
……
少女は。
顔を上げる。
……
「待ってるよ。」
……
魔導師は。
小さく手を振った。
……
そのまま。
くるりと振り返る。
……
「さあ。」
「みんな。」
……
集まっていた魔導師達を。
ぐるりと見渡す。
……
「勝手だけど。」
「僕の顔に免じて。」
「今日は。」
「ここでお開き。」
……
「え。」
「しかし――」
「いいもの。」
「見られたよねー?」
……
にこり。
……
「……。」
……
魔導師達が。
口を閉じる。
……
「それじゃ。」
「解散。」
……
ぱん。
軽く。
手を叩く。
……
「ほらほら。」
「図書塔は。」
「静かにするところだよ。」
……
「あなたが。」
「一番騒いでいたような……。」
……
誰かが。
小さく呟く。
……
「ん?」
……
「……なんでもありません。」
……
一人。
また一人。
……
魔導師達が。
散っていく。
……
それでも。
何人かは。
名残惜しそうに。
少女の机を見る。
……
「持って帰っちゃ。」
「だめだからねー。」
……
「…………。」
……
外套へ伸びかけた手が。
止まる。
……
妹が。
にっこりと微笑んだ。
……
やがて。
人垣はなくなった。
……
図書塔に。
いつもの静けさが。
戻っていく。
……
赤い髪の少女は。
去っていく魔導師の背中を見る。
……
「……。」
……
小さく。
首を傾げた。
「ねえ。」
……
双子を見る。
「私。」
「あの人。」
「どこかで。」
「見たことある気がする。」
……
「誰だっけ?」
……
双子は。
顔を見合わせた。
……
姉が。
口を開く。
「世界でも。」
「指折りの大魔導師。」
「そのお一人でございます。」
……
「……え?」
……
赤い髪の少女は。
もう一度。
魔導師が去った方を見る。
……
もう。
姿はない。
……
「大魔導師……?」
……
「はい。」
妹が。
小さく頷く。
「まだ。」
「お若い方ですので。」
「姫様も。」
「ほとんど。」
「お会いになられたことはありません。」
……
「王城へ。」
「いらっしゃらないことも。」
「多いですから。」
……
赤い髪の少女は。
目をぱちぱちさせる。
……
「……そんな。」
「すごい人だったんだ。」
……
少女は。
手元を見る。
……
深い青色の冊子。
……
『アステリア星導魔法学院』
……
「……。」
……
世界でも。
指折りの。
大魔導師。
……
少女には。
それが。
どれくらいすごいことなのか。
よく分からなかった。
……
ただ。
……
待ってるよ。
……
その言葉だけが。
少し。
耳に残っていた。
……
「さて。」
……
姉の声が。
すぐ後ろから聞こえた。
……
赤い髪の少女の肩が。
ぴくりと跳ねる。
……
「姫様。」
……
「……。」
……
赤い髪の少女は。
ゆっくりと。
振り返る。
……
姉は。
にこりと。
微笑んでいた。
……
その隣。
妹も。
にこりと。
微笑んでいる。
……
「……あ。」
……
赤い髪の少女の頬が。
引きつった。
……
「お、おかえり。」
……
「はい。」
「ただいま戻りました。」
……
「姫様。」
「私達。」
「申し上げましたよね?」
……
「私どもの部屋で。」
「お待ちくださいと。」
……
赤い髪の少女は。
目を逸らす。
……
「……言ってた。」
……
「そうですよね。」
妹が。
一歩。
前へ出る。
……
「なのに。」
「戻ってみれば。」
「誰もいない。」
……
「廊下を探しても。」
「いない。」
……
「中庭にも。」
「いない。」
……
「姫様の部屋にも。」
「いない。」
……
「すっごく。」
「探したんですよ!」
……
赤い髪の少女は。
小さくなる。
……
「……ごめんなさい。」
……
姉は。
腰へ手を添える。
「しかも。」
「ようやく見つけたと思えば。」
……
机を見る。
……
積み上げられた本。
散らばった紙。
……
それから。
少女を見る。
……
最後に。
赤い髪の少女を見る。
……
「なぜ。」
「このようなことに。」
「なっているのでしょうか。」
……
赤い髪の少女は。
少女を見る。
……
少女も。
赤い髪の少女を見る。
「……?」
……
赤い髪の少女は。
慌てて首を振った。
「おもちは悪くないよ!」
……
即答だった。
……
「私が。」
「連れてきたの。」
……
「おもちに。」
「とっておきの場所を。」
「見せたくて……。」
……
妹は。
大きく息を吸う。
……
「姫様ぁ……。」
……
「ご、ごめんなさい。」
姉は。
額へ。
片手を添えた。
……
「おもち様。」
……
少女の肩が。
小さく跳ねる。
……
姉は。
少女を見る。
「おもち様も。」
「次からは。」
「姫様が。」
「突然走り出されましたら。」
一度。
赤い髪の少女を見る。
「止めてくださいませ。」
少女は。
少し考える。
「……止める。」
……
「はい。」
「お願いいたします。」
赤い髪の少女は。
目を丸くする。
「えっ。」
「おもち!?」
……
少女は。
赤い髪の少女を見る。
「……止める。」
……
「そんなぁ。」
……
姉が。
思わず。
吹き出す。
「ふふっ。」
妹も。
小さく息を吐いた。
「まったく。」
「お二人とも。」
「目を離すと。」
「何をなさるか。」
「分かりません。」
姉は。
小さく息を吐いた。
「さて。」
「そろそろ。」
「夕食のお時間でございます。」
「参りましょう。」
……
「はーい。」
……
双子は。
机の上へ目を向ける。
……
積み上がった本を。
手早く棚へ戻し。
散らばった紙を。
丁寧にまとめていく。
……
ほどなくして。
机の上は。
元の姿へ戻った。
……
四人は。
図書塔の入口へ向かう。
……
高い本棚の間を。
歩いていく。
……
少女は。
時折。
並ぶ背表紙へ。
目を向けていた。
……
やがて。
大きな扉が。
見えてくる。
……
姉が。
扉へ手を伸ばした。
「……まって。」
……
ぴたり。
三人の足が止まる。
……
赤い髪の少女が。
振り返った。
「おもち?」
少女は。
三人を見る。
「……ちょっと。」
そう言って。
来た道を。
戻っていく。
……
ほどなくして。
少女は。
一冊の本を抱えて。
戻ってきた。
……
先ほどまでの。
分厚い魔術書とは違う。
……
深い緑色の表紙。
色とりどりの花が。
描かれている。
『王国植物図鑑』
少女は。
その本を。
両手で抱える。
「……これ。」
「持っていきたい。」
……
赤い髪の少女は。
首を傾げる。
「植物の本?」
「……うん。」
少女は。
表紙を見る。
それから。
赤い髪の少女を見る。
「ガゼルの。」
「好きな。」
「花。」
……
「もっと知りたい。」
……
赤い髪の少女は。
目を丸くした。
……
「……私の?」
少女は。
こくりと頷く。
……
赤い髪の少女の顔が。
ぱっと綻んだ。
「うん!」
……
少女の隣へ。
駆け寄る。
……
一緒に。
植物図鑑を覗き込む。
「探そ!」
「私の好きなお花。」
「おもちに。」
「いっぱい教えてあげる!」
……
少女は。
少しだけ目を丸くする。
……
「……いっぱい?」
「いっぱい!」
……
赤い髪の少女は。
嬉しそうに笑う。
「夜に一緒に見ようね!」
……
少女は。
植物図鑑を抱えたまま。
小さく頷いた。
「……うん。」
◇
四人は。
受付へ向かう。
……
少女は。
植物図鑑を。
両手で抱えていた。
……
受付の司書へ。
本を差し出す。
……
司書は。
表紙を確かめると。
小さな札へ。
さらさらと。
何かを書き込んだ。
……
「どうぞ。」
……
戻ってきた本を。
少女は。
もう一度。
大切そうに抱える。
……
「……ありがとう。」
……
それから。
二人は。
手首へ結ばれていた紐を。
解いていく。
……
少女は。
外した紐を見る。
……
ほんの少し。
魔力を流す。
……
「……。」
……
さっきまで。
ぼんやりと感じていた。
赤い髪の少女の気配。
……
もう。
分からない。
……
少女は。
紐を。
司書へ返した。
……
赤い髪の少女も。
自分の紐を返す。
「ありがとうございました。」
……
司書は。
静かに一礼した。
……
四人は。
大きな扉へ向かう。
……
少女の腕には。
一冊の植物図鑑。
……
来た時には。
何も持っていなかった。
……
今は。
自分で選んだ本を。
抱えている。
……
大きな扉が。
ゆっくりと開く。
……
夕暮れの光が。
図書塔の中へ差し込んだ。




