第五十九話 とっておきの場所
姉は。
二人へ向き直る。
「姫様。」
「おもち様。」
「私達は。」
「少しの間。」
「侍女長のもとへ参ってまいります。」
妹は。
少しだけ肩を落とした。
「すぐ戻りますので。」
「それまで。」
「私達の部屋で。」
「お待ちください。」
姉は。
廊下の奥を指し示す。
「突き当たりを。」
「左へ曲がった。」
「一番奥のお部屋でございます。」
「ご自由にお入りください。」
赤い髪の少女は。
にこっと笑った。
「うん!」
「分かった!」
双子は。
深く一礼する。
そのまま。
執務室へ向かって歩き出した。
……
杖の音は。
もう聞こえない。
代わりに。
二人の足音だけが。
静かな廊下へ響いていた。
……
赤い髪の少女は。
その背中を見送る。
……
やがて。
姿が角へ消える。
……
「……。」
少女も。
静かに見送っていた。
……
赤い髪の少女は。
少女を見る。
……
「おもち。」
少女は。
赤い髪の少女を見る。
「……なに?」
赤い髪の少女は。
少しだけ悪戯っぽく笑った。
「待ってるだけじゃ。」
「もったいないよね。」
少女は。
小さく首を傾げる。
「……?」
赤い髪の少女は。
少女の左手を。
きゅっと握る。
「実はね。」
「まだ。」
「案内してない場所があるの。」
……
「私の。」
「とっておき!」
少女は。
目をぱちりと瞬かせる。
「……とっておき?」
「うん!」
赤い髪の少女は。
嬉しそうに頷いた。
「きっと。」
「おもちも。」
「好きになる場所だよ。」
少女は。
赤い髪の少女を見る。
……
「……。」
知らない場所。
また。
知らないもの。
……
もっと。
知りたい。
……
少女は。
小さく頷いた。
「いってみたい。」
赤い髪の少女は。
嬉しそうに笑う。
「よーし!」
「おもち!」
「走っちゃお!」
ぎゅっ。
繋いだ手を握る。
そのまま。
ぱたぱたと走り出した。
「わっ。」
少女は。
小さく目を丸くする。
でも。
繋いだ手は。
離さなかった。
二人は。
王城の廊下を。
駆け出した。
……
侍女棟を抜けた頃。
少女の足元が。
ふらりと揺れる。
……
このままじゃ。
転ぶ。
……
ぎゅっと。
繋いだ手を見る。
……
「が……。」
「ガゼル。」
「まって……。」
赤い髪の少女は。
はっと足を止めた。
「あっ!」
振り返る。
少女は。
少しだけ肩で息をしていた。
「ご、ごめん!」
「つい。」
「嬉しくなっちゃって!」
赤い髪の少女は。
照れくさそうに笑う。
少女は。
肩で息をしながら。
小さく頷いた。
「ちょっと。」
「休憩しよっか。」
二人は。
並んで腰を下ろす。
……
少女の呼吸は。
少しずつ落ち着いていく。
……
赤い髪の少女は。
少女を見る。
「もう。」
「大丈夫?」
少女は。
小さく頷く。
……
立ち上がる。
赤い髪の少女を見る。
「……走れる。」
赤い髪の少女は。
一瞬だけ目を丸くした。
ふっと笑う。
「うん。」
「ありがとう。」
「でも。」
「さっきのは忘れて。」
「今度は。」
「ゆっくり歩いて行こっか。」
少女は。
少しだけ首を傾げる。
「……ガゼル。」
「早く。」
「行きたくない?」
「私。」
「……走れる。」
……
赤い髪の少女は。
少しだけ考えた。
「行きたいよ。」
「すっごく。」
「早く見せたいもん。」
……
少女の眉が。
少しだけ下がる。
「……。」
赤い髪の少女は。
その表情を見て。
ふっと笑った。
「でも。」
「ゆっくり歩くのも。」
「好きなんだ。」
……
少女は。
赤い髪の少女を見る。
「……嘘。」
赤い髪の少女は。
ぴくっと肩を震わせた。
「えっ。」
「う、嘘じゃない。」
「もん。」
少女は。
小さく首を振る。
「ガゼル。」
「息。」
「上がってない。」
「私に。」
「合わせてる。」
……
赤い髪の少女は。
少しだけ頬を膨らませた。
「むぅ。」
「合わせてるけど。」
「嘘じゃないもん。」
……
「おもちが。」
「喜んでくれるかなって。」
「思ったら。」
……
「嬉しくて。」
「早く。」
「見てほしくなっちゃって。」
「でも。」
「おもちと。」
「ゆっくり歩くのも。」
「好き。」
「だから。」
「どっちも本当。」
少女は。
静かに聞いている。
……
赤い髪の少女は。
繋いだ手を。
きゅっと握る。
「おもちの言葉を借りるなら。」
「私も。」
「おもちの。」
「役に立ちたい。」
……
少女は。
小さく首を傾げる。
「それは……だめ。」
「ガゼルは。」
「私の。」
「役に立つ必要ない。」
……
赤い髪の少女は。
目を丸くした。
……
「……え。」
赤い髪の少女は。
眉が下がる。
「……やだ。」
「私も。」
「おもちの。」
「役に立ちたい。」
「だめかな……?」
少女は。
静かに首を振る。
「……だめ。」
赤い髪の少女は。
少女を。
まっすぐ見つめる。
「……どうして?」
……
少女は。
目を逸らさない。
「ガゼルには。」
「その必要がない。」
……
赤い髪の少女は。
しばらく。
少女を見つめた。
瞳が。
少しずつ潤んでいく。
……
「でも。」
「私は。」
「おもちの。」
「役に立ちたい。」
……
少女は。
小さく首を振る。
「必要ない。」
……
ぎゅっ。
少女の両手を。
自分の両手で包んだ。
「お願い。」
「私だって。」
「おもちの。」
「役に立ちたいよ……。」
「お願い。」
……
少女は。
固まる。
……
お願い。
……
お願いは。
断れない。
……
でも。
ガゼルは。
役に立つ必要なんてない。
廃棄されることもない。
……
それに。
そんなこと。
あってはならない。
潤んだ瞳が。
まっすぐ。
少女を見ていた。
……
ぽろり。
……
一粒。
涙が。
頬を伝った。
……
少女は。
目を見開く。
……
小さく口を開いた。
「その顔。」
……
「難しい。」
「……困る。」
……
「……え?」
赤い髪の少女は。
そっと目元へ触れる。
……
「あ……。」
赤い髪の少女は。
くるりと後ろを向いた。
袖で。
そっと目元を拭う。
「……ごめんね。」
「困らせちゃった。」
少女は。
その背中を見る。
「……順応。」
「できなくて。」
「ごめん……なさい。」
……
赤い髪の少女は。
少しだけ俯く。
……
「……うん。」
……
「……いこ。」
そっと。
少女へ手を差し出した。
……
少女は。
その手を見る。
……
小さく頷く。
そっと。
手を重ねた。
……
二人は。
歩き出す。
……
赤い髪の少女が。
一歩前。
少女が。
少しだけ後ろ。
……
いつもなら。
並んで歩く距離。
……
今日は。
ほんの少しだけ。
遠かった。
……
それでも。
繋いだ手は。
離れない。
……
誰も。
何も話さない。
二人は。
そのまま。
廊下を歩いていく。
◇
二人は。
しばらく。
言葉を交わさなかった。
……
王城の廊下は。
少しずつ姿を変えていく。
……
人の行き交う姿は減り。
静けさが。
ゆっくりと辺りを包み始めた。
窓から差し込む。
柔らかな陽の光。
磨き上げられた石畳へ。
木漏れ日のような影を落とす。
……
壁には。
一枚の絵画。
古い地図。
小さな本棚。
歴代の王達の肖像画。
時折。
本を抱えた文官が。
静かに頭を下げながら通り過ぎていく。
……
やがて。
二人は。
足を止めた。
……
目の前には。
王城の中でも。
ひときわ高くそびえる。
大きな塔。
白い石で積み上げられた。
円形の塔は。
天へ届きそうなほど高い。
幾重にも並ぶ。
細長い窓。
そこから零れる。
柔らかな光。
蔦が。
壁を優しく彩り。
季節の花々が。
塔の足元を静かに包んでいた。
……
大きな木製の扉。
何百年もの時を重ねた木目。
中央には。
星を象った紋章が。
静かに刻まれている。
……
……
少女は。
思わず。
目を見開いた。
「……。」
……
赤い髪の少女は。
少女を見る。
少しだけ照れくさそうに笑った。
「……着いたよ。」
「ここが。」
「私の。」
「とっておき。」
……
少女は。
もう一度。
塔を見上げる。
……
「……すごい。」
赤い髪の少女は。
その一言を聞いて。
ほっと息をついた。
それから。
嬉しそうに笑う。
「ふふっ。」
「中はね。」
「もっと。」
「びっくりするよ。」
……
大きな木製の扉へ。
小さな手を添える。
ぎぃ……。
ゆっくりと。
扉が開いていく。
◇
ひんやりとした空気が。
二人を包んだ。
……
紙の香り。
古い木の香り。
どこか懐かしい。
優しい匂いが漂っている。
……
少女は。
一歩。
足を踏み入れる。
……
「……。」
思わず。
息を呑んだ。
……
天井まで届く。
幾つもの本棚。
数え切れないほどの本が。
隙間なく並んでいる。
高い窓から。
柔らかな陽の光が差し込み。
舞い上がる小さな埃が。
きらきらと輝いていた。
……
奥へ続く。
らせん階段。
二階。
三階。
さらに上へ。
本棚は。
どこまでも続いている。
……
本を抱えた司書が。
二人へ気付く。
……
小さく一礼する。
赤い髪の少女も。
静かに会釈を返した。
……
それだけ。
誰も声を上げない。
誰も足を止めない。
皆。
それぞれの本へ向かって歩いている。
赤い髪の少女は。
小さく口を開く。
「みんな。」
「本を読みに来てるから。」
「静かなんだ。」
……
「だから。」
「私も。」
「この場所が好き。」
……
少女は。
返事をしなかった。
……
高く積み上げられた本棚。
差し込む陽の光。
静かに舞う埃。
……
目が。
あちらこちらへ動く。
「……。」
赤い髪の少女は。
そんな少女を見つめる。
……
ふふっ。
小さく微笑んだ。
「ちょっとだけ。」
「待っててね。」
少女は。
返事も忘れたまま。
小さく頷く。
赤い髪の少女は。
受付へ向かう。
……
司書は。
本を閉じる。
小さく一礼した。
赤い髪の少女も。
静かに会釈を返す。
……
二人は。
小さな声で。
何かを話している。
……
少女は。
その様子にも気付かない。
……
本棚を見上げる。
「……。」
やがて。
赤い髪の少女が戻ってきた。
手には。
細い紐が二本。
先端には。
小さな銀色の留め具が付いている。
「おもち。」
「手。」
「出して。」
……
少女は。
言われた通り。
両手を前へ差し出した。
……
赤い髪の少女は。
紐を。
少女の手首へ優しく結ぶ。
自分も。
もう一本を結んだ。
「これはね。」
「図書塔にいる間だけ。」
「付ける決まりなんだ。」
……
少女は。
手首を見る。
「……?」
赤い髪の少女は。
自分の紐へ。
そっと魔力を流した。
……
淡い光が。
紐の中を流れる。
「少しだけ。」
「魔力を込めてみて。」
少女は。
小さく頷く。
……
そっと。
魔力を流す。
……
紐が。
淡く輝いた。
「うん。」
「成功。」
「これでね。」
「図書塔の中にいる間は。」
「お互いが。」
「なんとなく。」
「どこにいるか。」
「分かるようになるの。」
「本に夢中になって。」
「迷子になっちゃう人が。」
「結構いるから。」
「……そうなんだ。」
少女は。
手首の紐を。
まじまじと見つめる。
……
指先で。
そっと触れる。
……
「……。」
……
たしかに。
ぼんやりと。
居場所を示されているような不思議な感覚。
少女は。
何度か。
紐を見つめた。
「……不思議。」
赤い髪の少女は。
くすっと笑う。
「でしょ?」
「でもね。」
「これくらいが。」
「ちょうどいいんだって。」
少女は。
首を傾げる。
「……?」
「強すぎる魔導具は。」
「身体にも。」
「魔力にも。」
「負担が掛かっちゃうんだって。」
……
「だから。」
「なんとなく感じる。」
「それくらいに。」
「作られてるんだって。」
少女は。
もう一度。
手首の紐を見る。
……
「……なるほど。」
小さく。
頷いた。
赤い髪の少女は。
手首の紐を。
小さく揺らした。
「これで。」
「迷子になっても。」
「安心だね。」
にこっと笑う。
「ここからは。」
「自由時間!」
「私も。」
「本を探すから。」
「おもちも。」
「気になる本を。」
「見てみてね。」
……
「それから。」
「何かあったら。」
「私を探して。」
「私も。」
「おもちを。」
「探すから。」
少女は。
小さく頷く。
「……うん。」
……
赤い髪の少女は。
ふっと微笑む。
「……じゃあ。」
「後で、ね。」
……
小さく手を振る。
……
少女も。
小さく手を上げた。
……
赤い髪の少女は。
本棚の奥へ。
歩き出す。
……
足が。
少しだけ遅くなる。
……
赤い髪の少女は。
振り返った。
……
少女は。
まだ。
そこにいた。
……
こちらを。
見ている。
……
「……あ。」
目が合った。
……
少女の足が。
一歩。
こちらへ動く。
赤い髪の少女は。
はっとする。
……
来てくれる。
……
ほんの少し。
嬉しくなった。
……
でも。
今は。
おもちの時間。
……
何も。
気付かなかったように。
本棚へ目を向ける。
……
並ぶ背表紙を。
一つ。
また一つ。
眺めながら。
そのまま。
歩いていく。
……
少女の足が。
止まった。
……
赤い髪の少女の背中が。
本棚の向こうへ。
消えていく。
……
少女は。
しばらく。
その場所を見つめていた。
……
左手。
物足りない。
……
少女は。
自分の左手を見る。
……
指を。
一度。
握る。
……
開く。
……
「……ガゼル。」
……
何も。
ない。
……
もう一度。
本棚の向こうを見る。
……
赤い髪は。
もう。
見えなかった。
……
少女は。
手首を見る。
……
細い紐。
……
ほんの少し。
魔力を流す。
……
ふわり。
……
ぼんやりと。
感じる。
……
あっち。
……
少しだけ。
心が軽くなったような気がした。
……
少女は。
小さく。
左手を握る。
……
それから。
顔を上げた。
……
周りを見る。
どこを見ても。
たくさんの本。
……
少女は。
ゆっくりと。
一歩を踏み出した。




