第五十六話 まもるひと
赤い髪の少女は。
少女が追い付いてきたことに気付く。
嬉しそうに笑う。
「おもち!」
「次はね!」
少女の左手を。
きゅっと握る。
「騎士さんのお仕事を。」
「見に行こっか!」
少女は。
小さく首を傾げた。
「……大きい人?」
「うん!」
「今日は訓練してるみたい!」
赤い髪の少女は。
そのまま歩き出す。
少女も。
手を引かれながら歩く。
石畳の回廊を抜ける。
庭の景色が。
少しずつ遠ざかっていく。
やがて。
かんっ。
遠くから。
乾いた音が聞こえた。
……
少女は。
小さく目を丸くする。
音は。
少しずつ近付いてくる。
少女は。
繋いだ左手へ。
きゅっと。
力を込めた。
……
「おもち?」
赤い髪の少女は。
足を止める。
少女を見る。
「ガゼル。」
「……危険じゃない?」
……
赤い髪の少女は。
少しだけ目を丸くする。
すぐに。
照れたように笑った。
「おもちには。」
「お見通しか。」
……
「実はね。」
「ちょっとドキドキしてる。」
……
「今までは。」
「お父様と一緒だったから。」
「自分から見に行くの。」
「初めてなんだ。」
……
「でも。」
「おもちといっしょだから。」
「平気だよ!」
少女は。
赤い髪の少女を見つめる。
「……。」
「私が。」
「守る。」
……
赤い髪の少女は。
きょとんと目を丸くした。
少女を見る。
細い身体。
繋いだ左手。
思わず。
頬が緩む。
……
「ふふっ。」
「ありがとう。」
……
「それじゃあ。」
「頼りにしちゃおっかな。」
「私の騎士様。」
……
少女は。
小さく頷いた。
……
きゅっ。
ほんの少しだけ。
眉に力が入る。
「……頑張る。」
赤い髪の少女は。
その顔を見る。
「……っ。」
肩が小さく震えた。
「ふふっ。」
「頼もしいね。」
赤い髪の少女は。
嬉しそうに笑う。
少し後ろを歩く双子は。
そのやり取りを見つめていた。
妹は。
思わず口元を緩める。
姉も。
優しく微笑んだ。
言葉はない。
それだけで。
十分だった。
やがて。
大きな扉の前へ辿り着く。
「はぁっ!」
腹の底から響く掛け声。
がしゃり。
鎧が鳴る。
どんっ。
踏み込む音が。
足元まで伝わってきた。
赤い髪の少女は。
扉を見上げた。
「着いたよ。」
「訓練場!」
少女は。
扉を見つめる。
赤い髪の少女は。
少女の手を。
もう一度。
きゅっと握った。
扉を開く。
眩しい陽射しが。
二人を包み込む。
熱気が。
風に乗って押し寄せた。
少女は。
小さく目を丸くする。
頭の先から。
つま先まで。
びりりと震えた。
目の前では。
幾人もの騎士が。
木剣を交えていた。
汗が舞う。
鍛え上げられた身体。
迷いのない踏み込み。
木剣がぶつかるたび。
空気が震える。
誰一人。
声を緩めない。
足を止めない。
……
少女は。
目を丸くしたまま。
訓練を見つめる。
「……すごい。」
……
しばらく。
言葉が出なかった。
……
少女は。
自分の手を見る。
……
細い腕。
「……。」
赤い髪の少女も。
同じ景色を見つめていた。
目を丸くしたまま。
言葉を失っている。
……
少女は。
繋いだ左手はそのままに。
空いた右手で。
赤い髪の少女の腕へ。
ぎゅっと抱きついた。
……
赤い髪の少女は。
抱きついた右手を見る。
「……。」
胸の奥が。
ふわりと温かくなる。
繋いだ手を。
優しく握り返した。
……
「そこまで!!」
木剣を交えていた騎士達は。
一斉に動きを止めた。
訓練場に。
静寂が訪れる。
騎士団長は。
ゆっくりと辺りを見渡した。
その視線が。
訓練場の入口で止まる。
「姫様。」
騎士団長は。
一歩前へ出る。
「全員、整列!」
響き渡る号令。
騎士達は。
一斉に木剣を収める。
誰一人。
声を上げることなく。
素早く持ち場を離れた。
瞬く間に。
隊列が整う。
騎士団長は。
全員を見渡す。
「姫様へ。」
「礼!」
騎士達は。
一斉に胸へ拳を当てる。
「ようこそお越しくださいました!!」
騎士団長は。
顔を上げる。
……
「姫様。」
「本日は。」
「どのようなご用件でお越しでしょうか。」
赤い髪の少女は。
思わず息を呑む。
……
「えっと。」
「急に来ちゃってごめんなさい。」
「今日は。」
「みなさんの見学に参りました。」
赤い髪の少女は。
騎士達一人ひとりへ。
ゆっくりと視線を向けた。
……
赤い髪の少女は。
小さく頭を下げる。
「みなさん。」
「いつも。」
「この国を守ってくれて。」
「ありがとうございます。」
……
「みなさんがいるから。」
「この国の人たちは安心して毎日を過ごせています。」
「これからも。」
「よろしくお願いします。」
……
「どうか。」
「無理はされないでくださいね。」
……
赤い髪の少女は。
もう一度。
騎士達を見渡す。
そして。
深く頭を下げた。
……
訓練場が静まり返る。
騎士達は。
目を丸くしていた。
「…………。」
次の瞬間だった。
訓練場の熱気が。
一気に弾けた。
「うおおおおっ!!」
「姫様ー!!」
「ありがとうございます!!」
「この命に代えてもお守りします!!」
「もっと鍛えるぞー!!」
……
「お前たち。」
一歩。
前へ出る。
「調子に乗るな!!!」
騎士団長の一喝が。
訓練場へ響き渡る。
「返事は!」
「『承知いたしました!』だろうが!」
「「「承知いたしました!!」」」
「よし!!」
「訓練再開だ!!」
……
騎士団長は。
少女へ視線を向ける。
「お見苦しいところを。」
「お見せいたしました。」
「ご無礼を。」
「お許しください。」
……
「皆。」
「姫様を心よりお慕いしております。」
「嬉しさのあまり。」
「少々浮き足立ってしまったようです。」
赤い髪の少女は。
少しだけ頬を掻く。
「大丈夫です。」
「そんなに喜んでもらえるとは。」
「思ってなかったからびっくりしちゃいました。」
「あと。」
「いつもみたいに普通に話してくださいね。」
騎士団長は。
ふっと口元を緩める。
「助かる。」
「やっぱり。」
「いつもの調子の方が。」
「話しやすいな。」
そして。
少女へ視線を向けた。
少女は。
びくりと肩を震わせる。
眉を。
きゅっと寄せた。
赤い髪の少女の前へ。
身を寄せた。
……
騎士団長は。
とても大きかった。
……
見上げても。
まだ見上げる。
鍛えられた身体。
日に焼けた肌。
鋭い瞳。
少女は。
息を呑む。
熱い。
身体の奥から。
熱が伝わってくるようだった。
騎士団長は。
少女を見つめる。
少女も。
騎士団長を見つめ返す。
しばらく。
視線が交わる。
騎士団長は。
ふっと笑った。
「なるほど。」
「話に聞いていた通りだ。」
「不思議な空気を纏っているな。」
少女は。
首を傾げる。
……
「もし。」
「鍛えてみたくなったら。」
「いつでも訓練場に来るといい。」
少女は。
騎士達を見る。
木剣。
鍛え上げられた身体。
淀みのない動き。
「……無理。」
「私には。」
騎士団長は。
一瞬だけ目を丸くした。
そして。
「がっはっはっはっ!」
豪快な笑い声が。
訓練場へ響く。
「正直だな!」
「実に気持ちがいい!」
少女は。
不思議そうに首を傾げる。
騎士団長は。
穏やかに笑った。
「そうだな――」
「最初から。」
「あのように動ける者など。」
「一人もおらん。」
「騎士も。」
「最初は皆。」
「剣もまともに振れん。」
……
少女は。
一度だけ。
隣へ視線を向ける。
……
少女は小さく口を開く。
「……でも。」
「それじゃ。」
「守れ……ない?」
……
騎士団長は首を横に振る。
「人を護るということは。」
「剣を振るうことだけではない。」
「恐れ、迷い、何度も己の未熟さを知りながら。」
「それでもなお。」
「誰かの前へ立つことを選び続ける勇気だ。」
「お前が今。」
「姫様にくっついているのは」
「守ろうと思ったんじゃないのか?」
……
少女は。
小さく頷く。
騎士団長も。
力強く頷いた。
「うむ。」
「その意志が大事だ。」
「だがな。」
「勇気だけでは。」
「護れない日が来る。」
……
「その時。」
「もっと力があればと。」
「己を悔やむことになる。」
……
「だから鍛える。」
「剣を。」
「体を。」
「心を。」
……
「己を鍛えるのは。」
「誰かを傷つけるためではない。」
「護りたいものを。」
「最後まで護り抜くための備え。」
「ま。」
「積み重ねってやつだな。」
……
その言葉は。
二人の胸へ。
静かに響いた。
……
二人は。
見つめ合う。
……
翡翠色の瞳。
淡紫色の瞳。
二人の双眸が。
真っ直ぐに。
互いだけを映していた。
……
きゅっ。
繋いだ手へ。
同時に。
少しだけ力がこもる。
ただ。
相手の温もりだけが。
少しだけ近くなった。
……
騎士団長は。
二人を見つめる。
繋がれた手。
真っ直ぐに向けられた瞳。
その姿に。
ふっと口元を緩めた。
「がっはっはっ!」
「剣は振れなくてもいい。」
「だが。」
「知っておくことはできる。」
……
「よし!」
「ついて来い!」
「騎士が何を手に。」
「何を背負って戦っているのか。」
「一度見ていくといい。」
騎士団長は。
歩き始める。
四人も。
その後へ続いた。
……
騎士団長は。
ふと思い出したように。
肩越しに声を掛けた。
「侍女二人!」
「あの婆さんは。」
「元気にしとるか!」
……
妹は。
ぴくりと眉を寄せる。
……
姉は。
穏やかに微笑んだ。
……
「婆さん……?」
「どなたか。」
「存じ上げませんね。」
……
騎士団長は。
一瞬だけ目を丸くした。
……
「がっはっはっ!」
……
「お前たちも。」
「相変わらずだな!」
「まるであの婆さんが増えたようだ。」
……
騎士団長は。
豪快に笑う。
……
姉と妹は。
顔を見合わせる。
……
どこか。
納得がいかない。
そんな表情を浮かべた。
少女は。
二人を見る。
「……?」
今まで。
見たことのない表情だった。
……
姉は。
少女の視線に気付く。
少女を見る。
ふっと。
優しく微笑んだ。
妹も。
小さく笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ。」
「心配はいりません。」
小さな声だった。
少女は。
その笑顔を見て。
小さく頷いた。
やがて。
大きな扉の前で。
騎士団長は足を止めた。
「着いたぞ。」
「ここが武器保管庫だ。」
扉が開く。
……
ひんやりとした空気が。
頬を撫でた。
訓練場の熱気とは。
まるで違う。
……
少女は。
辺りを見回す。
棚が。
規則正しく並んでいる。
長剣。
短剣。
槍。
盾。
弓。
見覚えのある形だった。
……
けれど。
少女が知っているものとは。
どこか違う。
……
少女は。
一本の長剣を見る。
……
刀身に。
自分の顔が。
ぼんやりと映っていた。
……
少女は。
小さく首を傾げた。
……
さらに奥へ進む。
そこには。
古い武具が並んでいた。
……
欠けた盾。
折れた槍。
柄が擦り減った剣。
何度も研がれ。
細くなった刃。
何度も縫い直された革。
壁には。
勲章。
古びた旗。
……
少女は。
足を止める。
「……壊れてる。」
騎士団長は。
少女の視線を追う。
口元を緩めた。
「ここはな。」
「帰ってきた武器を置く場所だ。」
少女は。
首を傾げる。
「帰って……?」
騎士団長は。
一本の剣へ。
そっと手を添えた。
「そうだ。」
「壊れたんじゃない。」
「護った証だ。」
騎士団長は。
棚から一本の木剣を取る。
片手で。
ひょいと持ち上げた。
「ほれ。」
「持ってみろ。」
少女は。
そのまま受け取る。
ずどん。
木剣は。
床へ落ちた。
「……。」
少女は。
木剣を見る。
両手で。
柄を握る。
ぐっ。
ぴくりとも動かない。
「……くっ。」
踏ん張った足が。
小さく揺らぐ。
少女は。
その場へ。
膝をついた。
……
騎士団長は。
思わず目を丸くした。
「お、おい。」
「大丈夫か?」
赤い髪の少女は。
少女の隣へ駆け寄る。
そっと。
立ち上がらせる。
両手で。
少女の手を包んだ。
「おもち。」
「大丈夫?」
少女は。
こくりと頷く。
「……おもい。」
赤い髪の少女は。
木剣を見る。
「私も。」
「持ってみてもいいですか?」
騎士団長は。
にやりと笑う。
「無理はするなよ?」
赤い髪の少女は。
両手で柄を握る。
「ん……!」
木剣が。
少しだけ床を離れる。
「も、持てた……!」
「けど……!」
ぷるぷる。
腕が震える。
限界だった。
剣先を。
静かに床へ下ろす。
姉は。
目を細める。
「さすがです。」
「姫様。」
妹も。
嬉しそうに頷く。
……
妹は。
赤い髪の少女へ歩み寄る。
「失礼いたします。」
両手で。
木剣を受け取る。
「お返しいたします。」
妹は。
騎士団長へ木剣を差し出した。
騎士団長は。
木剣を受け取る。
ぽりぽり。
頭を掻いた。
「ま。」
「最初はそんなもんだ。」
「これが。」
「俺たちの命を支えてくれてる。」
「相棒ってわけだ。」
「なかなかに。」
「重いだろ。」
……
少女達は。
木剣を見つめる。
二人は。
その重さを。
静かに噛みしめた。
……
少女は。
騎士団長を見る。
「……騎士になったら。」
「ガゼルの。」
「役に立てる?」
騎士団長は。
一瞬だけ目を丸くした。
やがて。
豪快に笑う。
「がっはっはっ!」
「いい心意気だ!」
「よし!」
「今日から騎士団へ――」
「――だめですよ?」
騎士団長は。
ぴたりと口を止めた。
妹は。
にこりと微笑む。
「おもち様は。」
「姫様のおそばに。」
「いないと。」
「姫様が。」
「寂しくなってしまわれますから。」
赤い髪の少女は。
思わず目を丸くした。
「えっ。」
頬が。
ほんのり赤くなる。
騎士団長は。
赤い髪の少女を見る。
「ほぉ?」
「図星か?」
「――ち、ちがっ……!」
赤い髪の少女は。
慌てて首を振る。
少女は。
赤い髪の少女を見つめる。
「そう……。」
微かに口を開き。
俯いた。
赤い髪の少女は。
その様子に気付く。
「あっ。」
「ち、違うの!」
少女は。
少しだけ顔を上げる。
赤い髪の少女は。
おろおろと手を振った。
「その……。」
「違わなくない!」
「えっと……。」
「違うんだけど。」
「違わなくて……。」
双子は。
顔を見合わせる。
「ふふっ。」
騎士団長は。
豪快に笑った。
「がっはっはっ!」
「仲のいいことだ!」
赤い髪の少女は。
頬を膨らませる。
「もー!!」
騎士団長は。
さらに大きく笑った。
◇
見学を終え。
武器庫を後にする。
騎士団長は。
入口で足を止めた。
「いつでも訓練所に来てくれ。」
「あいつらも喜ぶだろう。」
赤い髪の少女は。
笑顔で頷く。
「ありがとうございました!」
少女も。
小さく頭を下げた。
「……ありがとう。」
騎士団長は。
少女を見る。
少しだけ。
真面目な表情になった。
「おもち。」
「迷いが出たら。」
「一人で抱えるな。」
……
「人を頼れ。」
「それも。」
「強さだぞ。」
少女は。
騎士団長を見つめる。
「……うん。」
小さく。
頷いた。
……
四人は。
武器庫を後にする。
騎士団長は。
その背中を見送る。
少女達の姿は。
少しずつ遠ざかっていく。
騎士団長は。
小さく息を吐いた。
「互いに。」
「支え合え。」
「独りになるんじゃないぞ。」
……
騎士団長は。
その背中が見えなくなるまで。
静かに見送っていた。




