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第五十二話 交錯


――


暗闇だった。



音はない。



風もない。



少女は立っていた。



身体は見えなかった。



輪郭だけが。



夜へ溶けている。



星が静かに瞬いていた。



一つ。



また一つ。



淡く光る。



その中に。



あの光があった。



少女は見つめる。



以前よりも。



少しだけ近くに感じた。



胸が締め付けられる。



苦しい。



悲しい。



理由は分からない。



それでも。



目を逸らせなかった。



少女は小さく口を開く。



「……あなたは。」



言葉が止まる。



少しだけ息を吸う。



「……誰?」



返事はない。



ただ。


光は静かに瞬いていた。



何かを伝えようとしている。



そんな気がした。



耳を澄ます。



微かに。



声が聞こえる。



届きそうで。



届かない。



聞き取れない。



それでも。



何かを呼んでいる。



少女は。



一歩だけ前へ踏み出した。



「……私を。」



小さく呟く。



「……呼んでるの?」



光が揺れた。



胸が苦しい。



悲しさが溢れる。



涙が出そうになる。



「――もち。」



少女は顔を上げる。



「あたたかい……。」



「――おもち!!」




――




少女は勢いよく目を開けた。


強く抱き締められる。


……


少女は少しだけ目を丸くした。


「……ガゼル?」


返事はない。


ただ。


抱き締める力だけが少し強くなる。


……


「……どうしたの?」


しばらく。


返事は返ってこなかった。


……


やがて。


震える声が耳元で零れる。


「……よかった。」


「起きてくれた……。」


……


少女は小さく首を傾げる。


「……?」


……


ガゼルは少女の肩へ顔を埋めたまま。


小さく息を吐く。


「呼んでも。」


「全然起きないから……。」


……


少女は少しだけ考える。


……


昨日の記憶を辿る。


いつ眠ってしまったのか。


わからない。


思い出せない。


……


ガゼルは小さく首を横へ振った。


「……ごめんなさい。」


……


「急に抱きついちゃって。」


……


少女は首を横へ振る。


「……平気。」


……


ゆっくりと身体が離れた。


……


微笑もうとする。


……


けれど。


いつもの笑顔にはならなかった。


……


唇だけが。


少しだけ形を作る。


……


手は。


微かに震えていた。


……


「おもち。」


小さく名前を呼ぶ。


……


「どうだった?」


「よく……寝られた?」


……


「……うん。」


……


いつもと違う。


……


普段。


私はあまり人の顔を長く見られない。


それでも。


目が合うと。


目の前の人は。


いつも笑っていた。


……


今は違う。


目を伏せている。


笑ってるけど。


笑えていない。


……


私は。


何か間違えたのかもしれない。


……


この人を。


困らせたくない。


……


だから。


「……ガゼル。」


「私は……どうしたらいい?」


……


赤い髪の少女は慌てて首を横へ振った。


「え……。」


「ち、違う。」


……


「何も……しなくていいの。」


「おもちは。」


「おもちのままでいて。」


……


震える声。


……


「ごめんなさい。」


「……わ、私。」


「少し顔を洗ってくるね。」


……


「おもちは。」


「ゆっくりしていて。」


……


そう言い残すと。


赤い髪の少女は部屋を飛び出した。


……


扉が閉まる。


……


少女は。


閉じられた扉から目を離せなかった。


静かな部屋。


……


さっきまであった温もりだけが。


まだ肩へ残っている。


……


私は。


何か間違えた。


……


困らせてしまった。


……


何を。


間違えたんだろう。


……


わからない。


……


また。


頭の奥で。


誰かの声がした。


『普通じゃない。』


『気持ち悪い。』


……


少女は両手で頭を押さえた。


違う。


……


違うの?


本当……?


……


私は。


人にはなれない……。


……


ぱきり。


頬へ。


細いひびが浮かぶ。


……


頭の奥が。


鈍く痛んだ。


息が苦しい。


浅い呼吸を何度も繰り返す。


……


指先が。


左腕へ。


ゆっくりと伸びた。


……


かりっ。


爪が皮膚を引っかく。


……


だめ。


……


もっと。


迷惑をかける。


……


少女は震える指を。


ぎゅっと握り締めた。


……


「……うぅ。」


身体を小さく丸める。


……


「……ごめんなさい。」


……


「……ごめんなさい。」


……





赤い髪の少女は。


部屋を飛び出した。


……


扉が閉まる。


……


そのまま。


扉へ背中を預ける。


……


力が抜けた。


ずるりと。


その場へしゃがみ込む。


……


「っ……。」


唇を噛む。


震える肩を。


両腕で抱き締めた。


……


白銀の髪の少女の身体。


浮かび上がった傷。


苦しそうな表情。


頭の中へ何度も浮かぶ。


……


守りたいって。


決めたのに。


……


あの子のために。


私にできることをしたいって。


……


私といる時くらいは。


何も考えずに。


安心してほしいって。


……


それなのに。


私は……。


……


あの子は。


いつも。


どこか遠くを見ている。


……


まるで。


ここにはいないみたいに。


……


笑ってる顔が見たい。


……


一度でいいから。


心から笑う姿を。


見てみたい。


……


それなのに。


……


『私は……どうしたらいい?』



気を遣わせてしまった。


……


頬を伝う涙。


止まらない。


……


「……だめ。」


小さく呟く。


……


泣いてる場合じゃない。


……


苦しいのは。


私じゃない。


……


あの子の方なのに。


……


それなのに。


私は。


……


「……だめ。」


「こんなんじゃ。」


……


私が。


支えなきゃいけないのに。


……


また。


空回ってる。


……


本当に。


中途半端だ。


……


「――なさい。」


……


膝へ額をつける。


身体を小さく丸めた。


……


「……ごめんなさい。」


……


時間が経った気がした。


……


少女は袖で涙を拭う。


深く息を吸った。


ゆっくりと吐く。


……


大丈夫。


笑顔で。


迎えよう。


……


少女は扉へ手を掛けた。


……


扉を開く。


……


「おもち!」


「おまたせ!」


「きょうは――」


……


言葉が止まる。


……


目を見開いた。


……


白銀の髪の少女が。


身体を小さく丸めていた。


……


「……おもち?」


返事がない。


……


慌てて駆け寄る。


……


頬。


細いひび割れ。


……


左腕。


掻きむしった跡。


……


震える肩。


苦しそうな呼吸。


……


「っ……。」


赤い髪の少女は息を呑んだ。


……


慌てて膝をつく。


「おもち!」


……


――治さないと。


その一心だった。


身体へ手を伸ばす。


……


「……っ。」


白銀の髪の少女が。


小さく肩を震わせた。


……


震える手が。


頬へ伸びる。


……


細いひびを。


隠すように。


手のひらを当てた。


……


もう片方の手は。


掻きむしった左腕を。


ぎゅっと抱き寄せる。


……


「……ごめんなさい。」


掠れた声。


「……気持ち悪くて。」


……


「ごめんなさい……。」


……


赤い髪の少女は目を見開く。


伸ばした手が。


止まる。


……


違う。


違うの。


……


謝るのは。


おもちじゃない。


……


「違う……。」


震える声が漏れる。


……


「違うよ……。」


少女は何度も首を振った。


……


堪えていた涙が。


溢れ落ちる。


震える身体を。


強く抱き寄せた。


「おもちは……。」


「気持ち悪くなんかないよぉ……。」


「ごめんね……。」


……


「ごめんね……!」


「私が……!」


「私が……!」


その先は。


涙で言葉にならなかった。


……


白銀の髪の少女は。


抱き締められたまま。


ゆっくりと目を開ける。


……


頬へ。


温かい雫が落ちた。


……


また。


一粒。


……


赤い髪の少女が。


泣いていた。


……


いつもの笑顔を。


私が。


壊してしまった。


……


「……っ。」


少女の瞳からも。


涙が零れる。


……


小さな手が。


震えながら。


赤い髪の少女の服を。


ぎゅっと掴んだ。


……


「ご…め…っ。」


「ごめ……ねえ……。」


……


震える声。


嗚咽に掻き消される。


……


何度も。


何度も。


互いへ言葉を零す。


……


もう。


何を言っているのか。


わからなかった。


……


それでも。


二人は。


互いを抱き締めたまま。


泣き続けた。

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