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第五十一話 体温


夕食は。


部屋で済ませた。


まだ本調子ではない。


治療師の判断で、部屋で休みながら過ごすことになっていた。


……


食事を終えると。


少女と赤い髪の少女は並んで絵本を読んでいた。


ページをめくる音だけが部屋へ響く。


……


「今日はね。」


赤い髪の少女が嬉しそうに笑う。


「初めて。」


「ちゃんとお風呂に入れるんだよ。」


少女は本から顔を上げる。


「……ちゃんと?」


「うん。」


「今までは傷の治療があったから。」


「身体を拭いてもらうだけだったでしょう?」


「でも今日は。」


「治療師さんから、お湯に入ってもいいって許可が出たの。」


「だから一緒に入ろ!」


少女は小さく頷いた。


「……うん。」


よくわからない。


でも。


ガゼルが楽しそう。


……


こんこん。


扉が叩かれる。


「姫様。」


「ご準備が整いました。」


双子の声だった。


「はーい!」


赤い髪の少女は勢いよく立ち上がる。


少女も本を閉じて立ち上がった。


……


一歩。


踏み出した、その時。


ふらり。


身体が傾く。


「あ……。」


力が入らない。


倒れかけた身体を。


赤い髪の少女が慌てて抱き留めた。


「おもち!」


少女は目を丸くする。


「……平気。」


小さく口を開く。


足へ力を入れる。


動けない。


……


双子がすぐに駆け寄る。


「本日は歩かれ過ぎたのでしょう。」


「お身体がまだ追いついておりません。」


赤い髪の少女は少女を見つめた。


「……頑張りすぎちゃったね。」


「本当に大丈夫……?」


赤い髪の少女は少し心配そうに尋ねる。


「……うん。」


少女は小さく頷いた。


双子の一人が穏やかに微笑む。


「王城のお湯には。」


「疲労の回復を促す魔法の術式が施されております。」


「もちろん。」


「すぐに元通りというわけではございませんが。」


「お身体を休めるには十分な効果がございます。」


もう一人も続ける。


「温かいお湯だけでも、お身体は楽になります。」


「本日は私どももお手伝いいたします。」


「どうぞご安心ください。」


赤い髪の少女はほっと息をついた。


「そっか。」


「でも。」


「絶対に無理はしないこと。」


「少しでも辛かったら、すぐに言って……?」


「約束だよ?」


……


少女は小さく頷く。


「……約束。」


……


赤い髪の少女はようやく微笑んだ。


「よし!」


「じゃあ、一緒に入ろ!」


少女は。


赤い髪の少女を見る。


……


一緒に。


お風呂。


わずかに視線を逸らした。


「……うん。」


……


姉は少女の前へしゃがみ込む。


「おもち様。」


「失礼いたします。」


少女は小さく頷く。


何も言わず。


細い腕をそっと首へ回した。


……


姉は少女を背負い。


ゆっくりと立ち上がる。


「姉さん。」


「平気?」


妹が心配そうに尋ねる。


姉は小さく頷いた。


「……とても軽い。」


小さく漏れた声。


その言葉は。


すぐ隣にいた妹だけが聞き取った。


「……。」


妹は何も言わない。


ただ。


少しだけ表情を曇らせた。


……


「それでは。」


「参りましょう。」


双子はゆっくりと歩き出す。


……


廊下を進む。


窓の外は。


すっかり夕暮れ色へ染まっていた。


やがて。


一枚の扉の前で足を止める。


妹が扉を開いた。


ふわり。


温かな空気が少女の頬を撫でる。


白い湯気。


聞き慣れない水音。


初めて感じる匂い。


少女は小さく目を瞬かせた。


……


双子は少女の前へ進み出る。


「おもち様。」


「お召し替えのお手伝いをさせていただきます。」


「失礼いたします。」


少女は小さく頷いた。


双子は丁寧に衣服を脱がせ。


長い銀色の髪を後ろへ流し。


湯浴みに邪魔にならぬよう、優しく整えていく。


身支度を終えると。


少女は。


湯気の向こうを見つめた。


そして。


一歩。


浴室へ足を踏み入れた。


……


赤い髪の少女も。


その後ろから浴室へ入る。


一歩。


踏み出して。


ふと足を止めた。


……


そういえば。


誰かとお風呂に入るの初めてかも……!?


……


頬へ手を添える。


「……な、なんだか。」


「急に恥ずかしくなってきちゃった……。」


小さく照れ笑いを浮かべる。


……


少女は。


そんな赤い髪の少女を見る。


「……?」


首を小さく傾げた。


……


ガゼルの顔が。


少し赤い気がした。


……


少女は。


ゆっくりと浴室を見回した。


白い湯気。


磨き上げられた床。


壁へ埋め込まれた小さな魔石。


その下から。


絶え間なく流れ続けるお湯。


……


少女は足を止める。


流れ落ちるお湯を見つめた。


「……お湯。」


小さく呟く。


「最初から……。」


赤い髪の少女は振り向いた。


「ん?」


少女は。


流れ続けるお湯から目を離さない。


「……どうして?」


赤い髪の少女は嬉しそうに笑った。


「魔石はわかる?」


少女は小さく頷く。


「……知ってる。」


赤い髪の少女も頷いた。


「王城にはね。」


「お湯を作る魔石があるの。」


「その魔石に魔力を込めると。」


「お水を温めて。」


「お湯が出るようになってるんだよ。」


赤い髪の少女は頬を軽く掻いた。


「……たぶん。」


「そんな感じ!」


姉が小さく微笑む。


「姫様の仰る通りでございます。」


「魔石には、あらかじめ術式が刻まれております。」


「魔力を流すことで、その術式が起動し、お湯を作り出しております。」


……


少女は。


壁の魔石を見つめる。


「……魔石。」


「すごい。」


姉が穏やかに続けた。


「王都では一般のご家庭にも普及しております。」


「もっとも。」


「温水用の魔石は高価でございますので。」


「地方では薪でお湯を沸かすお宅も少なくございません。」


少女は。


もう一度。


魔石を見る。


術式。


魔力の流れ。


視線を巡らせる。


……


「……なるほど。」


小さく漏れた声。


赤い髪の少女は首を傾げる。


「おもち?」


少女は小さく頷く。


「魔石が。」


「温めてる。」


赤い髪の少女は少しだけ胸を張った。


「魔法ってすごいよね!」


少女は軽く頷く。


流れ続けるお湯へ手を伸ばす。


指先へ。


温かな雫が落ちた。


……


「あたたかい。」


その一言だけが。


湯気の中へ溶けていった。


双子は。


二人の髪へお湯を流していく。


さらさらと。


長い髪が指の間を流れていった。


……


赤い髪の少女は。


隣を見て目を丸くする。


「おもちって。」


「髪、とっても長いよね。」


「立つと床につきそう。」


少女は自分の髪を見る。


「……そう?」


「うん!」


「すっごく綺麗!」


赤い髪の少女は嬉しそうに笑う。


「白くてきらきらしてて。」


「少しだけ紫にも見えるんだよ。」


妹は優しく髪を梳きながら微笑んだ。


「姫様は、魔力の色が基本的には瞳へ表れることをご存知でしょうか。」


赤い髪の少女は首を振る。


「ごく稀に。」


「魔力を多く宿す方は、髪にもその色が宿ると聞いたことがございます。」


少女の髪を梳いていた妹は。


ふと。


小さく目を開いた。


……


「それにしても。」


「……不思議なお髪でございます。」


「銀色のお髪へ。」


「まるで魔力が滲むように、淡い紫が溶け込んでおります。」


「このようなお髪は。」


「私も初めて拝見いたしました。」


少女は黙って髪を見つめる。


濡れた髪は。


湯気の中で。


淡く紫色を映していた。


「……知らなかった。」


……


赤い髪の少女は。


自分の髪を摘まんで眺める。


「いいなぁ。」


「私の髪には何にもないや。」


少女は首を小さく傾げた。


「……ある。」


「え?」


赤い髪の少女が振り向く。


少女はガゼルの髪を見つめていた。


「……金色。」


「緑も。」


「流れてる。」


赤い髪の少女は目をぱちぱちと瞬かせる。


「えぇ?」


「ほんと?」


自分の髪を何度も見てみる。


けれど。


いつもの赤い髪にしか見えない。


エステラは少女とガゼルを見比べ。


少しだけ考え込む。


「……確かに。」


「陽の光を受けた時など。」


「ごく稀に、金色や緑色が揺らめいて見えることがございます。」


セレスも静かに頷いた。


「私も、そのように感じたことがございます。」


「光の反射かと思っておりましたが……。」


赤い髪の少女は嬉しそうに笑う。


「えへへ。」


「じゃあ私にもあるんだ。」


少女は赤い髪を見つめる。


宝石のような深い赤。


その中を。


金色と緑色の光が。


穏やかに流れていた。


少女は小さく頷く。


……


ガゼル。


……きれい。


……


妹は静かに立ち上がる。


「それでは。」


「湯船へご案内いたします。」


少女は小さく頷く。


双子に支えられながら。


一歩ずつ。


ゆっくりと湯船へ近づいた。


……


白い湯気が。


ふわりと立ち上っている。


少女は湯船を見つめた。


湯気の向こうで。


お湯が静かに揺れている。


……


「熱くはございません。」


「ゆっくりお入りください。」


少女は恐る恐る足先をお湯へ入れた。


……


「……。」


ぴくりと肩が揺れる。


少しだけ目を丸くした。


……


「……あたたかい。」


小さく呟く。


双子は優しく身体を支えた。


少女はゆっくりと湯船へ身体を沈めていく。


お湯が。


足を包む。


膝を包む。


腰を包む。


肩まで温もりが広がった。


……


少女は静かに目を閉じる。


「……すごい。」


「全部。」


「……ぽかぽかする。」


赤い髪の少女は。


その言葉を聞いて。


嬉しそうに微笑んだ。


何も言わない。


ただ。


隣でゆっくりと湯船へ浸かる。


肩までお湯へ浸かったまま。


静かに息を吐いた。


……


温かい。


身体の奥まで。


ゆっくりと。


温もりが染み込んでいく。


冷え切っていた身体が。


少しずつ。


ほどけていく。


肩の力が抜ける。


指先の強張りも。


少しずつ消えていった。


……


少女はぼんやりと湯気を見つめる。


白い湯気が。


ゆらゆらと揺れる。


耳へ届くのは。


お湯の揺れる音だけ。


ちゃぷん。


ちゃぷん。


心地よい音が。


浴室へ響いていた。


……


少女の瞼が。


ゆっくりと下がる。


こくり。


小さく頭が揺れた。


赤い髪の少女は目を瞬かせる。


「……おもち?」


返事はない。


少女は肩までお湯へ浸かったまま。


規則正しい寝息を立て始めていた。


……


赤い髪の少女は。


しばらく少女を見つめる。


そして。


くすっと笑った。


「……寝ちゃった。」


妹は小さく微笑んだ。


「……お湯から上がりましょうか。」


返事はない。


少女は穏やかな寝息を立てている。


姉と妹は顔を見合わせる。


苦笑しながら。


そっと少女の身体を支えた。


……


お湯から身体を上げる。


雫が静かに床へ落ちていく。


ぽたり。


ぽたり。


……


その時だった。


妹の手が。


小さく止まる。


……


温もりを帯びた白い肌へ。


幾つもの傷跡が浮かび上がっていた。


細い切り傷。


古い裂傷。


ひび割れたような痕。


何度も治っては。


また傷ついたことが分かる跡。


小さな身体には。


あまりにも多すぎた。


……


赤い髪の少女も。


その傷跡へ視線を向ける。


笑顔が消えた。


……


何も言えない。


胸の奥が。


ぎゅっと苦しくなる。


……


妹は静かに息を呑む。


姉も。


ただ少女を見つめていた。


……


     ◇


夜。


窓の外では。


虫の音が静かに響いていた。


……


部屋の灯りは落とされている。


窓から差し込む淡い月明かりだけが。


部屋を照らしていた。


……


少女は。


穏やかな寝息を立てている。


目を覚ますことなく。


そのまま寝台へ運ばれていた。


月明かりは。


眠る少女の髪へ降り注ぐ。


白銀の髪へ。


淡い紫が溶け込む。


どこか幻想的で。


まるで。


夜空の星が宿っているようだった。


……


赤い髪の少女は。


その光景を見つめる。


綺麗だった。


あまりにも。


綺麗……。


……


侍女が話してくれた言葉が過る。


魔力を多く宿す者だけが持つ。


その姿。


……


小さく目を伏せる。


……


赤い髪の少女は。


隣で静かに横になる。


眠れない。


何度目を閉じても。


先程までの光景が浮かぶ。


……


温かな肌へ。


静かに浮かび上がった。


無数の傷跡。


……


胸の奥が。


ぎゅっと痛んだ。


……


赤い髪の少女は。


そっと身体を向ける。


少女の寝顔を見る。


規則正しい寝息。


苦しそうな様子はない。


安心しきった寝顔だった。


……


小さく息を吐く。


そして。


そっと。


少女の手へ自分の手を重ねた。


月明かりに照らされた手は。


白く。


傷一つないように見えた。


……


それでも。


赤い髪の少女の瞳には。


先程見た傷跡が。


消えずに残っていた。


……


いつも握る手。


冷たい。


私の温度を。


少しずつ吸い上げていく。


……


それでいい。


できることなら全部。


持っていって。


……


少女の唇が。


小さく動いた。


「……ガゼル。」


寝言だった。


赤い髪の少女は目を丸くする。


そして。


ふっと微笑んだ。


手を。


握り返す。


……


「おやすみ。」


……


「おもち。」

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