第五十話 日々のはじまり
二人は。
静かに本を読んでいた。
……
こんこん。
扉が小さく叩かれる。
「姫様。」
「昼食の準備が整いました。」
「また。」
「おもち様のお部屋のご用意がございますので。」
「申し訳ございませんが。」
「しばらくお部屋をお借りいたします。」
赤い髪の少女は顔を上げる。
「わかった。」
「すぐに行くね。」
……
少女は。
本へ目を落としたまま。
文字を追っていた。
……
「おもち。」
「ご飯だよ。」
……
「……うん。」
……
ページがめくられる。
……
「おもち?」
「……うん。」
……
また。
ページがめくられる。
……
「行こ?」
「……うん。」
……
赤い髪の少女は。
少女を見つめる。
……
返事は返ってくる。
けれど。
一向に動く気配がない。
……
「もう。」
「返事だけじゃだめー。」
困ったように笑う。
そっと。
少女の読んでいる本を覗き込んだ。
『基礎魔法 上級編』
文字と式が。
びっしりと並んでいる。
……
ページを指差し。
小さく呟く。
「ここ……難しい。」
赤い髪の少女は。
少しだけ目を丸くした。
「え?」
本を見つめる。
……
「うーん……。」
「やっぱり。」
「私には全然わかんない。」
困ったように笑う。
「おもちも。」
「難しいんだね。」
……
「……。」
唇が。
小さく動く。
……
静かに文字を追い続けていた。
……
赤い髪の少女は。
少女が読んでいた本を。
ひょいっと持ち上げた。
「続きは。」
「ご飯を食べてからにしよ?」
少女は。
目をぱちぱちと瞬かせた。
……
赤い髪の少女が持つ本を見る。
それから。
赤い髪の少女を見る。
「……うん。」
少女は立ち上がる。
差し出された本を受け取る。
そのまま。
大切そうに抱えた。
赤い髪の少女は。
思わず笑う。
「本も一緒なんだね。」
少女は。
小さく頷いた。
……
少女は。
閉じた本を抱えたまま。
部屋を出る。
……
廊下。
広い。
少女は。
その先を見つめた。
……
「……。」
小さく足を止める。
赤い髪の少女は振り返る。
「おもち?」
少女は廊下を見つめたまま。
小さく口を開く。
「……また。」
「遠い……?」
赤い髪の少女は。
一瞬きょとんとした。
それから。
くすっと笑う。
「大丈夫。」
「すぐそこだよ。」
……
少女は。
小さく息を吐いた。
「……よかった。」
赤い髪の少女は思わず笑う。
「今日は。」
「いっぱい歩いたもんね。」
「歩けそう?」
少女は。
小さく頷いた。
「ふふっ。」
「食堂は。」
「すぐだから安心して。」
赤い髪の少女は。
少女の手をそっと握る。
「行こ。」
「……うん。」
……
歩き出す。
一歩。
また一歩。
……
けれど。
少女の歩幅は小さい。
繋いだ手が。
少しだけ後ろへ残る。
……
赤い髪の少女は振り返る。
「……あれ?」
「おもち?」
少女は。
その場へしゃがみ込んだ。
本を抱えたまま。
動かない。
……
「……疲れた。」
赤い髪の少女は目を丸くする。
「えぇっ!?」
「休んだら歩ける?」
少女は小さく首を横に振る。
「……むり。」
……
「……ごはん。」
「いらない。」
赤い髪の少女は慌てた。
「だめだよ!」
「ちゃんと食べないと!」
……
もう歩きたくない。
……
少女は。
しゃがんだまま。
動かない。
……
赤い髪の少女は。
少しだけ考える。
「……よし。」
少女の前へしゃがみ込む。
「乗って!」
少女は。
小さく顔を上げた。
よくわからない。
でも。
ガゼルのいうことだから。
……
ゆっくりと。
背中へ身体を預ける。
「よいしょ……!」
赤い髪の少女は立ち上がる。
……
「~~っ。」
これは。
無理かも。
……
一歩。
……
二歩。
……
おもちは辛くないかな。
「おもち……。」
「だ、大丈夫…?」
少女は。
静かに背中へ乗っていた。
……
ほとんど。
引きずられている。
……
その様子を見ていた騎士が。
思わず駆け寄った。
「姫様。」
「私がお運びいたします。」
「え?」
次の瞬間。
少女は。
ひょいっと抱き上げられる。
「わ。」
……
少女は。
小さく目を丸くした。
……
騎士は。
赤い髪の少女を見る。
「場所は。」
「食堂でよろしいでしょうか。」
赤い髪の少女は。
慌てて頷く。
「う、うん!」
「ありがとう!」
騎士は一礼した。
そのまま歩き出す。
少女の白銀色の髪が。
歩みに合わせて。
小さく揺れる。
……
赤い髪の少女は。
その隣を歩きながら。
抱き上げられた少女を見上げた。
……
「……。」
「おもちって。」
「もしかして。」
「歩くの。」
「嫌……?」
……
少女は。
ほんの少しだけ。
目を逸らす。
……
「……うん。」
赤い髪の少女は。
くすっと笑った。
「もう。」
「おもちってば。」
◇
食堂は。
本当にすぐだった。
……
騎士は。
ゆっくりと少女を床へ降ろす。
「失礼いたしました。」
少女は小さく頷く。
騎士は一礼した。
昼食の準備を終えていた姉は。
その様子を見て。
少しだけ目を丸くする。
……?
……抱っこ?
「おもち様……?」
視線は。
少女から。
去っていく騎士へ移る。
……
「ご苦労様でございました。」
姉は丁寧に一礼した。
騎士も一礼を返す。
……
すれ違う瞬間。
姉は。
小さな声で呟いた。
「……羨ましい。」
騎士は思わず足を止める。
「……はい?」
姉は。
小さく首を傾げた。
「……?」
数秒。
見つめ合う。
……
やがて。
「……気のせい、か。」
小さく頭を掻く。
……
赤い髪の少女は。
騎士向かって。
にこりと微笑む。
「ありがとう!」
小さく手を振った。
騎士は慌てて姿勢を正す。
一礼すると。
廊下の向こうへ歩いていった。
……
姉は。
話を切り替えるように。
二人の少女へ静かに一礼する。
「お食事のご用意が整っております。」
「どうぞ。」
……
赤い髪の少女は席へ座る。
少女も隣へ座った。
運ばれてくる料理を見つめる。
皿が置かれるたび。
視線も。
そっと動いた。
……
いい匂い。
……
きてよかった。
……
少女は。
小さく目を瞬かせた。
赤い髪の少女は。
そんな少女を見て。
小さく微笑んだ。
……
姉は。
二人の前へ。
最後の料理を置く。
「本日は魚の香草焼きでございます。」
「おもち様が召し上がりやすいよう、あらかじめお切りいたしました。」
……
少女は。
赤い髪の少女の皿を見る。
それから。
自分の皿を見る。
……
どれも。
小さく切り分けられていた。
……
姉を見上げた。
姉は。
穏やかに微笑む。
……
少女は。
小さく頭を下げた。
……
二人は。
胸へ右手を添える。
「命の恵みに。」
……
少女は。
パンを口へ運ぶ。
それから。
魚にも手を伸ばした。
食べられた量は。
全部で二割ほど。
それでも。
昨日より。
ずっと多かった。
姉は。
食事の終わった皿を下げる。
赤い髪の少女は。
嬉しそうに微笑んだ。
「おいしかった!」
「それじゃあ。」
「お部屋に戻ろっか。」
……
少女は。
部屋の方を見る。
……
少しだけ。
足を止めた。
……
赤い髪の少女は。
何も言わず。
少女の手を握る。
「行こ!」
少女は。
握られた手を見る。
……
部屋までは。
すぐだった。
少女は。
小さく頷く。
そのまま。
赤い髪の少女に手を引かれて歩き出した。
◇
二人は。
手を繋いだまま。
部屋へ戻る。
扉が開いていた。
妹と侍従達が。
最後の荷物を運び終えたところだった。
……
妹は。
二人の存在に気付く。
「姫様。」
「おもち様。」
一礼。
「ちょうどお部屋の準備が整いました。」
二人の少女は。
部屋を見渡す。
新しい衣装棚。
小さな引き出し。
少しだけ変わった部屋。
赤い髪の少女は。
嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。」
「みんな。」
「準備してくれてありがとう。」
「お疲れ様。」
……
侍従たちは。
穏やかに微笑む。
一礼すると。
どこか嬉しそうな表情のまま。
静かに部屋を後にした。
……
赤い髪の少女は。
新しく置かれた衣装棚に近づく。
「あっ。」
目を輝かせた。
「そうだ!」
少女を見る。
「おもち。」
「ずっと病衣だったもんね!」
「今度。」
「宮廷御用達の仕立て屋さんにお願いして。」
「お洋服いっぱい仕立ててもらお!」
「おもちは絶対。」
「可愛いお洋服が似合うよ!」
……
少女は。
赤い髪の少女を見る。
「……。」
少しだけ首を傾げた。
「そんなに。」
「いるの……?」
「いる!」
「いっぱい必要!」
赤い髪の少女の瞳が。
ぱっと輝いた。
「おもちって。」
「髪がすっごく綺麗な銀色だから。」
「白いお洋服も絶対似合うよね。」
「でも。」
「瞳の色に合わせて。」
「ラベンダー色も可愛いかも!」
「あっ。」
何かを思いつくたびに。
赤い髪の少女の表情が。
ころころと変わっていく。
「淡い水色もいいなぁ。」
「花の刺繍とか入れても素敵かも!」
「それとも――」
止まりそうにない。
「……。」
少女は。
自分の病衣を見る。
……
この服。
楽なのに。
「これで。」
「困ってない。」
「――だめです。」
部屋の入り口から。
静かな声が届く。
三人が振り向く。
昼食の片付けを終えた姉が。
眼鏡の位置をそっと直しながら。
部屋へ戻ってきていた。
「おもち様。」
「病衣は療養中のお召し物でございます。」
「普段着。」
「寝間着。」
「外出着。」
「季節ごとのお洋服。」
「最低限でも必要でございます。」
「ほら!」
赤い髪の少女が。
嬉しそうに頷く。
「ね!」
「白もいいけど。」
「淡いラベンダーも絶対似合うと思うの!」
「刺繍は星も素敵!」
姉も穏やかに頷く。
「ええ。」
「銀糸との相性もよろしいかと。」
「わぁ!」
……
妹は。
小さく息を吐いた。
「はぁ……。」
額へそっと手を添える。
「姉さん!」
「姫様!」
「話が早すぎます。」
二人は。
同時に振り向いた。
「まずは。」
「おもち様のご体調が最優先!」
「採寸も。」
「仕立ても。」
「元気になってからですっ!」
「……あっ。」
二人の声が重なる。
……
少女は。
本を開く。
ぱらり。
部屋へ。
紙をめくる音だけが響いていた。
……
妹は軽く咳払いをする。
「姫様。」
「おもち様の。」
「明日からお召しになるお洋服は。」
「こちらで見繕わせていただきます。」
赤い髪の少女は。
嬉しそうに頷く。
「ありがとう!」
双子は。
新しく整えられた部屋を見渡す。
それから。
小さく顔を見合わせた。
赤い髪の少女を見る。
「姫様。」
「よろしければ。」
「改めて。」
「おもち様へ自己紹介をさせていただいてもよろしいでしょうか。」
赤い髪の少女は。
ぱっと微笑む。
「そうだね!」
「せっかくだもん!」
「お願い!」
……
双子は。
少女へ向き直る。
一礼する。
……
少女も。
二人を見る。
それから。
手にしていた本を見る。
……
ぱたん。
本を閉じた。
小さく抱え直す。
双子へ向き直った。
……
「改めまして。」
「私はセレスと申します。」
「これから。」
「姫様とともに。」
「おもち様のお世話も務めさせていただきます。」
妹も。
一歩前へ出る。
「私はエステラです。」
「よろしくお願いいたします。」
赤い髪の少女が。
嬉しそうに笑う。
「この二人はね。」
「私が一番信頼している二人なの。」
「だから。」
「きっと、おもちの力にもなってくれるよ。」
……
少女は。
頭を小さく下げる。
二人を見る。
……
よく似た顔立ち。
後ろで綺麗に結い上げられた黒髪。
淡いプラチナグレーの瞳。
白い花の髪飾り。
黒と白を基調とした侍女服。
違うのは。
一人が丸眼鏡を掛けていること。
それだけだった。
……
少女は。
妹を見る。
「……。」
「眼鏡。」
「なくても。」
「見えるの?」
双子は。
少しだけ目を丸くする。
やがて。
ふわりと微笑んだ。
「ええ。」
姉がそう答えると。
丸眼鏡へ手を添える。
ゆっくりと外した。
「こちらは。」
「飾りでございますので。」
少女は。
瞬きをする。
姉は。
優しく微笑む。
「その方が。」
「安心していただけることが多いのでございます。」
……
少女は。
姉を見る。
妹を見る。
もう一度。
姉を見る。
……
「掛けてみられますか?」
少女は。
小さく頷く。
……
丸眼鏡を受け取る。
両手で持ち。
そっと掛けた。
……
赤い髪の少女の瞳が。
ぱっと輝く。
「おもち似合ってる!」
「かわいい!」
少女は。
首を傾げる。
「私も!」
赤い髪の少女は。
楽しそうに眼鏡を借りる。
そのまま掛けた。
くるりと振り向く。
「どう?」
少女は。
赤い髪の少女を見る。
……
ガゼルが眼鏡を掛けている。
……
「眼鏡。」
「掛けた。」
……
赤い髪の少女は思わず笑う。
「そこじゃないよー!」
双子は。
二人のやり取りを見つめる。
……
思わず。
顔を見合わせて微笑んだ。
……
少女は。
借りた丸眼鏡を。
両手で返す。
……
姉は。
穏やかに微笑む。
「ありがとうございます。」
ゆっくりと眼鏡を掛け直した。
……
赤い髪の少女は。
はっとした。
「そういえば。」
「ちゃんと自己紹介できていなかったから。」
「私もするね!」
……
姿勢を正す。
胸へ右手を添える。
少女に向かって優雅に一礼した。
「私は。」
「ガゼル・アステルガード。」
「アステルガード王国第一王女です。」
「改めまして。」
「よろしくお願いいたします。」
……
……どう?
かっこよく決まったかな?
……
少女は。
小さく頷く。
「ガゼル。」
「お姫様。」
「知ってる。」
……
赤い髪の少女は。
頬を膨らませた。
「もー!!」
「さっきから。」
「そういうことじゃないよー!」
少女は。
小さく首を傾げた。
「……?」
赤い髪の少女は。
その顔を見て。
思わず吹き出した。
「ふふっ。」
「もういいや!」
「改めて。」
「よろしくね。」
……
少女は。
赤い髪の少女を見る。
「ガゼル。」
丸眼鏡の侍女を見る。
「セレス。」
もう一人の侍女を見る。
「エステラ。」
……
「よろ……しく。」
確かめるように呟く。
小さく頭を下げた。
……
赤い髪の少女は。
目を丸くする。
……
頬が。
ぱっと綻ぶ。
……
次の瞬間。
勢いよく抱きついた。
……
少女は。
突然身体へ伝わった温もりに。
目をぱちぱちと瞬かせる。
……
「……くるしい。」
部屋には。
楽しそうな笑い声が。
響いていた。




