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第四十八話 信じるということ


騎士が静かに扉を開く。


重厚な扉が。


ゆっくりと左右へ開いていく。


少女は部屋の中を見る。


……


広い。


そう思った。


高い天井。


大きな窓。


壁一面に並ぶ本棚。


大きな机には。


書類が幾重にも積み重ねられている。


その奥。


一人の男が立っていた。


漆黒の髪。


無駄のない身体。


真っ直ぐ伸びた背筋。


鋭い眼差し。


赤い髪の少女は繋いでいた手を離す。


一歩前へ出る。


深く一礼した。


「お父様。」


王は小さく頷く。


「来たか。」


赤い髪の少女は顔を上げる。


「お待たせいたしました。」


王は娘を見つめる。


それから。


静かに少女へ視線を移した。


……


「その子か。」


少女も王を見つめ返す。


しばらく。


二人は何も話さなかった。


……


ぽつりと呟いた。


「……狼。」


一瞬。


赤い髪の少女の口元が緩む。


「……ふっ。」


思わず漏れた小さな笑い。


その瞬間。


「……あ。」


我に返る。


慌てて口元を押さえた。


恐る恐る。


王を見る。


……


王は少女を見つめたまま。


「……ふっ。」


ほんのわずかに。


口元を緩めた。


次の瞬間には。


何事もなかったかのように表情を戻す。


部屋は静まり返っていた。


双子は思わず顔を見合わせる。


少女は小さく首を傾げる。


「……?」


部屋の隅で控えていた宰相が。


小さく咳払いをした。


「失礼いたします。」


その一言で。


止まっていた空気が静かに動き始める。


王は静かに頷いた。


宰相は一歩前へ出る。


少女へ穏やかな視線を向けた。


「これから。」


「いくつか、お尋ねしたいことがございます。」


「お身体に障らない範囲で構いません。」


「ご協力いただけますでしょうか。」


少女は小さく頷く。


「……うん。」


「ありがとうございます。」


「それでは。」


「はじめに。」


「お名前を、お聞かせいただいてもよろしいでしょうか。」


赤い髪の少女が少女を見る。


……


「……おもち。」


「私の名前。」


宰相は静かに頷いた。


「おもち殿。」


少しだけ間を置く。



「この世界について。」


「どれほど、ご存じでしょうか。」


……


少女は少しだけ考える。


私の知ってること。  


……


「魔法は。」


「知ってる。」


「文字も。」


「書けると……思う。」


少しだけ言葉が止まる。


少女は。


隣に立つ赤い髪の少女を見る。


ガゼル。


これから。


知りたいこと。


赤い髪の少女は。


優しく微笑んだ。


少女は静かにその笑顔を見つめる。


それから。


ぽつりと答えた。


「でも。」


「……それ以外。」


「知らない。」


宰相は静かに頷いた。


「承知いたしました。」


……


「森で魔獣に襲われていたと伺っております。」


「それは事実でございますか。」

 

少女は静かに頷く。


「ありがとうございます。」


「では。」


「何故、森にいらっしゃったのでしょうか。」


少女は考える。


……


わからない。


でも。


答えないと。


少女は口を開く。


「……。」


「扉が。」


小さく息を吸う。


……


やだ。


破裂音。


助けて。


「開いていて。」


「気が付いたら……。」


そこで。


言葉が止まる。


少女の呼吸が浅くなった。


胸を押さえる。


どくん。


どくん。


鼓動が早くなる。


「……ぁ。」


視線が揺れる。


身体が小さく震えた。


その場へしゃがみ込む。


両手で頭を抱えた。


「おもち!」


赤い髪の少女がすぐ隣へしゃがみ込む。


背中へそっと手を添えた。


「大丈夫。」


「私がいるよ。」


「無理に話さなくていい。」


少女は小さく震えながら。


ゆっくりと息を整えていく。


赤い髪の少女は宰相を見る。


「宰相さん。」


「おもちの事情は。」


「私も知りません。」

 

……


「でも。」


「もう少しだけ。」


「待ってもらえませんか。」  


……


「私の友達です。」


「それだけじゃ……。」


「だめですか。」


……


宰相は静かに目を伏せた。


「しかし。」


「姫様――」


「よい。」


低く落ち着いた声が響く。


宰相は口を閉じる。


王はを赤い髪の少女を見据えた。


……


「姫よ。」


「友達だから信じろと?」


赤い髪の少女は目を丸くする。


「そ……。」


少しだけ言葉に詰まる。


それでも。


小さく頷いた。


「その、通りです。」


王は小さく首を横へ振る。


……


「それだけでは。」


「本当に守りたいものも守れない。」


静かな声が部屋へ響く。


「もし。」


「私や。」


「お前を慕う侍女達が。」


「お前の判断を信じた結果。」


「命を落としたとしても。」


王は真っ直ぐ娘を見据える。


「お前は。」


「同じことを口にできるか。」


……


王は一歩も動かない。


その鋭い眼差しは。


娘だけを見据えていた。


「今一度。」


「私達を納得させる理由を述べてみよ。」


赤い髪の少女は。


震える少女を見る。


苦しそうに呼吸を繰り返している。


その背中へ添えた手が。


きゅっと。


少女を引き寄せる。


ゆっくりと顔を上げた。


真っ直ぐ王を見つめる。


「……それでも。」


「私は。」


「おもちを信じます。」


……


「それが。」


「いまの私の答えです。」


……


王は静かに口を開く。


「だめだ。」


「理由になっていない。」


赤い髪の少女は。


握った拳へ小さく力を込めた。


それでも。


視線だけは逸らさない。


「理由じゃありません。」


「私が信じると決めました。」


部屋は再び静まり返る。


王は娘から目を逸らさない。


……


「ならば。」


「その者がお前を裏切ったとしても。」


「お前は胸を張って。」


「その判断は正しかったと言えるか。」


赤い髪の少女は。


言葉を失う。


少女を見る。


苦しそうに呼吸を繰り返している。


震える肩。


今も消えない傷。


赤い髪の少女は。


そっと少女を抱き寄せた。


小さな身体を。


優しく包み込む。


ゆっくりと顔を上げる。


真っ直ぐ王を見つめた。


「おもちの……。」


小さく息を吸う。


「この姿を見て。」


「どうしてそんなことが言えるんですか。」


部屋が静まり返る。


赤い髪の少女の瞳には。


涙が滲んでいた。


「この二か月。」


「ずっと。」


「おもちの側で過ごしてきました。」


……


「出会った頃は。」


「空っぽで。」


「消えてしまいそうで。」


……


「それでも。」


「少しずつ。」


「話してくれるようになって。」


……


「二人で初めて。」


「窓から星を見た日は。」


「綺麗だって。」


「ずっと見ていました。」


……


「手を繋ぐと。」


「いつも手が冷たくて。」


……


「初めてパンを食べた時は。」


「『ふわふわ。』って。」


「不思議そうに。」


「何度も触っていました。」


……


「それに。」


「眠れない夜の次の日は。」


「猫みたいに隠れちゃうし。」


……


「今日だって。」


「ここまで一緒に歩いてきました。」


一度だけ。


少女を見つめる。


「私は。」


「おもちに何があったのか知りません。」


……


「でも。」


「ここでのおもちは。」


「私が見てきました。」


視線を王へ戻す。


「だから。」


「私は。」


「信じます。」


……


「この子の力になりたい。」


「それに理由が必要なんですか。」


静寂が流れる。


王は何も答えない。


赤い髪の少女は。


一度だけ唇を噛んだ。


それでも。


涙を拭こうとはしなかった。


「たとえ。」


「信じる人が。」


「私だけになったとしても。」


「私は。」


「おもちの隣にずっといます。」


一度だけ。


息を吸う。


少しだけ。


声が震えた。


「だって。」


「一人ぼっちは。」


「寂しいもん。」


誰も口を開かなかった。


赤い髪の少女は。


涙を浮かべたまま。


少女を抱き寄せていた。


……


王は。


静かに歩き出す。


一歩。


また一歩。


少女達の前で足を止めた。


ゆっくりと。


膝を折る。


少女と視線を合わせる。


それから。


手を伸ばした。


少女の身体が。


小さく強張る。


反射的に。


目を閉じた。


……


大きな手が。


そっと頭へ触れる。


優しく撫でた。


「辛い思いをさせてしまったな。」


少女は静かに目を瞬かせる。


それから。


「失礼する。」


そう一言だけ告げると。


大きな腕が。


少女の身体をそっと抱き上げた。


「……!?」


思わず小さく目を丸くする。


景色が。


ふわりと持ち上がる。


王は片腕だけで身体を支える。


「まだ本調子ではあるまい。」


少女は少しだけ視線を巡らせた。


いつもより。


ずっと景色が遠い。


ぽつりと呟く。


「……高い。」


ほんの一瞬。


王の口元が緩む。


「……ふっ。」


小さく笑った。


「そうか。」


「高いか。」


少女は小さく頷く。


「……うん。」


……


赤い髪の少女は。


目を見開いたまま。


わずかに口を開いていた。


「お父様……。」


王は少女を抱えたまま。


赤い髪の少女を見る。


「姫よ。」


「先程の答えで十分だ。」


赤い髪の少女は目を見開く。


「……え?」


王は続ける。


「この者の事情は。」


「既に把握している。」


「…………。」


数秒。


赤い髪の少女は固まった。


「じゃあなんで――」


思わず声が大きくなる。


はっとする。


慌てて口を押さえた。


王が小さく口を開く。


「お前を試した。」


「それだけだ。」


「……。」


赤い髪の少女は俯く。


「…………。」


誰にも聞こえないほど小さく。


「――――。」


ぽつりと漏らす。


……


ゆっくりと顔を上げる。


表情から。


感情が静かに消える。


視線だけを。


じとっと王へ向けた。


……


少女は二人を見比べる。


それから。


王を見上げた。


……


小さく眉を寄せる。


ゆっくりと。


拳を握る。


そして。


……


ぽすっ。


王の胸を軽く叩いた。


「ガゼル。」


「困らせたら。」


「だめ。」


赤い髪の少女は思わず顔を上げた。


「お、おもち……。」


宰相は小さく目を丸くする。


双子も思わず息をのむ。


王は少女を見つめる。


……


ほんのわずかに。


口元が緩む。


「……ふっ。」


「それは。」


「失礼した。」


……


もう片方の手を。


少女の小さな手へ添える。


「許してもらえるだろうか。」


少女は王を見つめる。


……


しばらく。


何も言わなかった。


やがて。


小さく頷く。


「……うん。」


王も小さく頷き返した。


そのまま。


少女を片腕へ抱えたまま。


宰相へ視線を向けた。


「宰相。」


「はっ。」


宰相は一歩前へ出る。


「それでは。」


「今後について、ご説明いたします。」


「おもち殿は。」


「本日より。」


「生活環境を変更いたします。」


赤い髪の少女は。


じとっと王を見つめていた。


……


「お父様。」


王は視線だけを向ける。


「なんだ。」


「……おもち。」


「返してください。」


……


王は少女を見る。


それから。


赤い髪の少女を見る。


「守るのではなかったのか。」


……


「……。」


じとっ。


視線だけが。


さらに鋭くなった。


宰相は小さく咳払いをする。


「……陛下。」


「説明を続けてもよろしいでしょうか。」


「ああ。」


王は何事もなかったかのように頷く。


宰相は手元の書類を開く。


「それでは。」


「今後についてご説明いたします。」


「まず。」


「おもち殿は、本日をもって病室での療養を終了していただきます。」


少女は静かに首を傾げた。


「……?」


「もちろん。」


「無理をしていただくという意味ではございません。」


「引き続き治療と経過観察は継続いたします。」


「ただし。」


「日常生活につきましては、姫様と共に行動していただきます。」


「先程。」


「この世界については、あまりご存じないと伺いました。」


「今後は。」


「姫様と共に。」


「この国の歴史。」


「文化。」


「人々の暮らし。」


「そして。」


「この世界について。」


「少しずつ学んでいただきます。」


少女は小さく瞬きをした。


「……ガゼルと。」


「一緒?」


「はい。」


「食事。」


「授業。」


「散策。」


「可能な限り、姫様と共にお過ごしいただきます。」


少女は抱えられたまま。


赤い髪の少女を見る。


「ガゼル。」


赤い髪の少女は。


まだ少しだけ頬を膨らませたまま。


「……うん。」


小さく頷いた。


宰相は続ける。


「それに伴い。」


「本日より。」


「お部屋も姫様のお部屋へ移っていただきます。」


少女は目を丸くする。


「……一緒。」


「はい。」


「侍女二名につきましても。」


「お二人のお世話を担当いたします。」


姉と妹は静かに一礼した。


「承知しております。」


王は小さく頷く。


それから。


赤い髪の少女を見る。


「姫。」


「お前の一日の予定も。」


「調整しておいた。」


赤い髪の少女は目を瞬かせる。


「……え?」


「できる限り。」


「その者と共に過ごせ。」


「側にいてやれ。」


赤い髪の少女は。


少しだけ目を見開いた。


その言葉の意味を。


ゆっくりと噛みしめる。


「……はい。」


少女は静かに赤い髪の少女を見る。


赤い髪の少女も。


少女を見つめ返した。


少しだけ。


頬を緩める。


「これからは。」


「もっと一緒にいられるね。」


少女は小さく頷く。


「うん。」


……


少しだけ。


王を見上げる。


「……王様。」


「おろして。」


王は何も言わない。


静かに少女を床へ降ろした。


少女はそのまま。


赤い髪の少女の隣へ歩く。


赤い髪の少女は少女を見る。


それから。


ゆっくりと王を見る。


「……。」


じとっ。


視線だけが。


さらに鋭くなった。


王は静かに頷く。


……


「今日はもうよい。」


「ゆっくり休め。」


赤い髪の少女は。


小さく一礼した。


顔を上げる。


じとっ。


王を見つめたまま。


「……失礼いたします。」


少女も小さく頭を下げる。


「……。」


双子も続けて礼をする。


騎士が静かに扉を開いた。


赤い髪の少女は。


少女の手をそっと握る。


少女も握り返した。


二人は部屋を後にする。


重厚な扉が。


静かに閉まる。


部屋の中には。


再び静かな空気だけが残った。


……


部屋の扉が閉まる。


足音が遠ざかる。


しばらく。


誰も口を開かなかった。


……


やがて。


宰相が小さく笑う。


「陛下。」

  

「姫様には。」


「少々厳し過ぎたのではございませんか。」


王は窓の外へ視線を向けたまま。


「……。」


宰相は肩を竦める。


「姫様。」


「最後は完全に拗ねておられました。」


ほんの少しだけ間が空く。


「しかし。」


「一度信じたものを。」


「最後まで信じ抜くお姿。」


「まるで。」


「王妃様を見ているようでした。」


その言葉に。


王は静かに目を閉じる。


……


「……ふっ。」


小さく口元が緩む。


「そうだな。」


……


窓の外へ視線を向けたまま。


「ガゼルには。」


「これくらいでちょうどいい。」


その表情には。


ほんの少しだけ。


笑みが残っていた。

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