第四十七話 元気
少女が。
王城で暮らし始めてから。
二か月余りが過ぎていた。
……。
窓辺へ歩く。
以前なら。
数歩歩くだけでも息が上がっていた。
今は違う。
ゆっくりとではあるが。
自分の足で立ち。
自分の足で歩けるようになっていた。
腕や首へ巻かれていた包帯も。
もう外れている。
残るのは。
薄く刻まれた傷跡だけだった。
……。
少女は窓の外を見つめる。
眩しい朝日。
庭いっぱいに咲く花々。
風に揺れる木々。
窓の中から眺める景色だけは。
もう見慣れていた。
それでも。
少女は少しだけ目を細める。
「……まぶしい。」
研究施設にあったのは。
白い照明だけ。
朝も。
昼も。
夜も。
そこに違いはなかった。
だから。
太陽の光は。
今でも少しだけ眩しかった。
……。
少女は窓辺へ手を添える。
ぼんやりと外を眺める。
今日も。
穏やかな朝だった。
こんこん。
静かな音が部屋へ響く。
「おもち!」
弾むような声だった。
少女はゆっくりと振り返る。
扉が開く。
赤い髪の少女が。
嬉しそうな笑顔で立っていた。
その後ろでは。
双子の侍女が静かに一礼する。
少女の口元が。
ほんの少しだけ綻んだ。
「ガゼル。」
赤い髪の少女は足早に部屋へ入ってきた。
そのまま。
少女の隣まで歩いてくる。
「おはよ!」
「体調はどう?」
少女は小さく頷く。
「……平気。」
赤い髪の少女はほっと胸を撫で下ろした。
「よかった。」
少しだけ考える。
それから。
少女を見つめた。
「あのね。」
「おもちがよかったらなんだけど。」
「今日は。」
「お父様に会ってもらってもいいかな?」
少女は小さく首を傾げる。
「お父様?」
「うん。」
「この国の王様。」
「おもちとお話したいんだって。」
……
少女は少しだけ考えた。
「……よくわからない。」
それから。
赤い髪の少女を見る。
「ガゼルは。」
「そうした方がいい?」
赤い髪の少女は少しだけ目を丸くした。
「えっ?」
小さく声を漏らす。
視線を泳がせた。
「えーっと……。」
「これからのこともあるし。」
「おもちが嫌じゃないなら。」
「会ってほしい……かな。」
少女は静かに頷いた。
「……わかった。」
「そうする。」
赤い髪の少女は嬉しそうに笑う。
「ありがとう。」
「でも。」
「途中で辛くなったら。」
「すぐ教えてね?」
「無理はだめだからね。」
少女は小さく頷く。
「うん。」
少女はゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ。」
「行こっか。」
赤い髪の少女が笑う。
少女は小さく頷いた。
姉が静かに扉を開く。
妹は少女の歩幅に合わせるように、一歩後ろへ下がった。
四人は部屋を後にする。
……
廊下。
窓から差し込む朝日が。
白い床を柔らかく照らしていた。
少女はゆっくりと歩く。
……
病室の外。
こんなに長い廊下を歩くのは。
初めてだった。
思わず。
きょろきょろと辺りを見回す。
高い天井。
大きな窓。
壁には見たこともない絵画や装飾が並んでいる。
……
遠くから。
規則正しい足音が近づいてくる。
銀色の鎧を身にまとった騎士達。
その視線が。
少女の上を一瞬だけ通る。
けれど。
誰も無遠慮に見つめようとはしなかった。
赤い髪の少女の前で足を止める。
「姫様。」
深く一礼する。
赤い髪の少女は。
穏やかに微笑み返した。
騎士達も。
わずかに表情を和らげる。
少女は。
そのやり取りを静かに見つめていた。
……
行き交う人々が。
赤い髪の少女を見つけるたび。
足を止める。
静かに一礼する。
赤い髪の少女は。
その一人ひとりへ。
優しく微笑み返した。
少女は歩きながら。
その光景を見つめる。
王城には。
こんなにもたくさんの人がいる。
誰もが忙しそうに歩き。
それでも。
赤い髪の少女を見つけるたび。
足を止めて一礼していた。
……
少女はもう一度。
廊下を見渡す。
広い。
明るい。
そして。
とても賑やかだった。
少女はゆっくりと歩き続ける。
広い廊下。
見慣れない景色。
一歩。
また一歩。
歩みを重ねていく。
……
少しだけ息が上がる。
胸が小さく上下する。
立ち止まるほどではない。
それでも。
まだ身体は本調子ではなかった。
赤い髪の少女は。
そんな少女の様子を横目で見つめる。
何も言わない。
少女も。
何も言わない。
……
やがて。
赤い髪の少女が足を止めた。
少女も立ち止まる。
「おもち。」
「私ね。」
「ちょっと緊張してきちゃった。」
照れくさそうに笑う。
「だから。」
「少しだけ。」
「休憩に付き合ってくれる?」
……
少女は少しだけ目を丸くした。
それから。
静かに頷く。
赤い髪の少女は。
近くの窓辺へ歩く。
窓枠へそっと手を添えた。
少女へ手招きする。
「おもちも。」
「きて。」
「風が気持ちいいよ。」
少女は静かに頷く。
ゆっくりと隣へ並んだ。
「……高い。」
赤い髪の少女は。
くすりと笑う。
「高いよね。」
「でも。」
「景色は綺麗でしょ?」
少女は窓の外を見る。
「……きれい。」
赤い髪の少女は。
窓の外を眺めるふりをしながら。
隣へ視線を向けた。
少女の胸が。
小さく上下している。
それでも。
先ほどより。
呼吸は少しだけ落ち着いていた。
赤い髪の少女は。
ほっとしたように頬を緩める。
「少し。」
「落ち着いたかも。」
少女はその横顔を見つめる。
「……平気?」
赤い髪の少女は優しく笑う。
「うん。」
「ありがとう。」
少しだけ間を置く。
それから。
少女へ右手を差し出した。
「もう少しだけ。」
「手を繋いでくれる?」
少女は差し出された手を見る。
少しだけ考える。
それから。
そっと自分の手を重ねた。
冷えた指先へ。
体温が伝わる。
赤い髪の少女は嬉しそうに微笑んだ。
「これなら。」
「頑張れそう。」
後ろで見守っていた姉は。
優しく目を細める。
妹も小さく微笑んだ。
二人とも。
何も言わなかった。
少女は小さく頷く。
「……うん。」
二人は手を繋いだまま。
ゆっくりと歩き始める。
……
窓。
扉。
窓。
扉。
また窓。
また扉。
……
まだ続く。
やがて。
少女の足が。
次第に重くなっていく。
繋いだ手が。
わずかに下がった。
「……。」
「王様。」
「……遠い。」
赤い髪の少女は。
くすりと笑う。
「そうだね。」
「私も。」
「小さい頃は。」
「なんでこんなに広いんだろうって思ってた。」
少女は小さく息を吐く。
「……。」
「疲れた。」
赤い髪の少女は思わず吹き出した。
「ふふっ。」
「うん。」
「私も疲れちゃった。」
「もう少しだけ。」
「ここで休んでいこ?」
少女は素直に頷いた。
「……うん。」
二人は長椅子へ腰掛ける。
柔らかな風が頬を撫でた。
双子の姉は少女の前へしゃがみ込む。
「失礼いたします。」
白い布を取り出す。
額へ浮かんだ小さな汗を。
そっと拭った。
少女は静かに目を瞬かせる。
少しだけ。
不思議そうに姉を見つめた。
姉は優しく微笑む。
「無理は禁物でございます。」
少女は小さく頷いた。
……
姉は立ち上がり。
ぽつりと漏らす。
「……可愛い。」
妹が小さくため息をつく。
「……仕事中。」
「……はい。」
……
少女は廊下の先を見る。
「……ガゼル。」
赤い髪の少女が振り向く。
「ん?」
「毎日。」
「ここ歩くの?」
赤い髪の少女は頷く。
「うん。」
「毎日だよ。」
少女は廊下の先を見る。
それから。
赤い髪の少女を見る。
「……。」
「ガゼル。」
「元気。」
赤い髪の少女は一瞬きょとんとする。
それから。
思わず吹き出した。
「ふふっ。」
「そうかな?」
赤い髪の少女は。
えへんと胸を張る。
「だって。」
「私は。」
「元気が取り柄だからね。」
少女は。
自分の足を見る。
長椅子から浮かせる。
ゆっくりと。
小さく揺らした。
右。
左。
また右。
ほんの少しだけ。
動く。
……
ぽつりと呟く。
「……すごい。」
赤い髪の少女は。
少女を見る。
それから。
何に感心したのか気付いた。
くすりと笑う。
繋いだ手を。
ふわりと持ち上げる。
「おもちも。」
「元気になるんだよー。」
そう言って。
自分も長椅子に座ったまま。
足をぶらぶらと揺らした。
……
少し休んだあと。
二人はゆっくりと立ち上がる。
繋いだ手を離さないまま。
再び歩き始めた。
窓の外には。
手入れの行き届いた庭園。
噴水。
色とりどりの花々。
少女は歩きながら。
何度も視線を巡らせる。
窓の向こうへ。
目を奪われていた。
……
やがて。
赤い髪の少女が足を止める。
少女も足を止めた。
目の前には。
一枚の大きな扉。
今まで通ってきた扉とは。
比べものにならないほど重厚だった。
金色の装飾。
丁寧に彫られた紋章。
その両脇には。
銀色の鎧を纏った二人の騎士が立っている。
少女は見上げる。
「……大きい。」
思わず小さく呟いた。
赤い髪の少女はくすりと笑う。
「騎士さんだからね。」
少女はもう一度。
騎士を見上げた。
「……大きい。」
二人の騎士は。
赤い髪の少女へ深く一礼した。
「姫様。」
赤い髪の少女も柔らかく微笑み返す。
「お疲れ様です。」
騎士達は。
わずかに表情を和らげた。
「ありがとうございます。」
赤い髪の少女は。
重厚な扉を見上げる。
繋いだ手へ。
わずかに力が入った。
少女は手を見る。
それから。
赤い髪の少女を見上げた。
「……ガゼル?」
赤い髪の少女は少しだけ目を丸くする。
「あっ。」
照れくさそうに笑った。
「ごめんね。」
「ちょっとだけ。」
「緊張しちゃって。」
少女は静かに赤い髪の少女を見つめる。
赤い髪の少女は小さく頷いた。
「でも。」
「大丈夫。」
「おもちも一緒だから。」
少女は静かに頷く。
「うん。」
二人の騎士が。
再び静かに一礼する。
そのうちの一人が。
扉へ向き直った。
「陛下。」
「姫様がお見えです。」
部屋の中から。
返事はない。
……
やがて。
扉の向こうから。
低く落ち着いた声が響く。
「入れ。」




