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第五話 願い

その日。


少女は珍しく手持ち無沙汰だった。


課題は終わっている。


検査も終わっている。


訓練も終わっている。

次の指示もまだ来ていない。

机の上には片付けられた課題の束が積まれ、本棚には読み終えた魔導書が整然と並んでいる。


部屋の中は静かだった。

あまりにも静かだった。


いつもなら本を開く。

新しい知識を覚える。

課題の予習をする。

そうして時間を潰す。


けれど今日は違った。

何となく本を開く気になれなかった。

机へ向かう気にもなれなかった。


少女はしばらく椅子へ座ったまま部屋を見回す。

豪華な天蓋付きのベッド。

高価そうな家具。

壁一面を埋める本棚。

十分すぎるほど広い部屋。


けれど。


窓はない。

外を見る場所はない。

少女はゆっくり立ち上がった。

少女は壁についている端末に向かう。


「廊下に出たい」


『理由を入力してください』


「散歩」


『Origin-0-Mirabilis-1』


『外出許可を承認』


『移動可能区域を開放します』


『行動制限時間 三〇分』


『行動記録を開始します』


『制限時間終了後、警告を発します』


扉が自動的に開く。


長い廊下を歩く。


最近よく来る場所があった。


廊下の突き当たり。


小さな窓。


大人達は気にも留めない場所だった。


けれど少女は好きだった。


外が見えるから。


少女は窓の前へ立つ。


今日も空が見える。


高い外壁。


監視塔。


遠くまで続く研究施設。


そして。


その向こうの空。


少しだけ青かった。


その時だった。


一羽の鳥が飛んだ。


白い鳥だった。


外壁の向こうから現れ。


風に乗るように空を横切り。


迷いなく遠くへ飛んでいく。


少女は思わず目で追った。


やがて鳥は小さくなり。


空へ溶けるように消えた。


見えなくなった後も。


しばらく空を見続ける。


どこへ行くのだろう。


そんなことを考えた。


    ◇


その日の夕食。


食堂にはいつも通り人がいた。


研究員達。


技術者達。


警備員達。


忙しそうな大人達。


少女はいつもの席へ座る。


少し離れた席。


誰も座らない席。


昔からそうだった。


ふと。


近くを通った研究員へ声を掛ける。


少女から話し掛けることは珍しい。


研究員も少し驚いた顔をした。


「なにか」


「鳥」


「鳥?」


「どこに行くの?」


研究員は少しだけ考える。


そして。


「さあな」


と言った。


「知らない」


「知らないの?」


「ああ」


「興味がない」


それだけだった。


研究員は去っていく。


少女はスープへ視線を落とした。


少しだけ不思議だった。


研究員達は何でも知っていると思っていた。


でも違った。


知らないこともあるらしい。


そのことが少し意外だった。


夜。


部屋へ戻る。


明日も検査がある。


明日も訓練がある。


明日も課題がある。


それは分かっていた。


それでも。


最近は時々考えることがあった。


成功したら。


役目を果たしたら。


その時。


自分は何をしているのだろう。


答えは分からない。


誰も教えてくれない。


だから考えても仕方がない。


翌日。


実技試験。


広い訓練場。


巨大な魔法陣。


補助装置。


観測機器。


研究員達。


少女は中央へ立っていた。


今日も限界試験だった。


「出力上昇」


魔力が流れる。


胸の奥が熱い。


身体の中心が脈打つ。


補助装置が低く唸る。


銀色の導線が青白く発光する。


「さらに上げろ」


研究員が言う。


少女は従う。


慣れていた。


痛みにも。


苦しみにも。


命令にも。


全部。


慣れていた。


ぱきり。


手首。


ぱき。


首元。


ぱきり。


頬。


細い亀裂が走る。


蒼白い光が漏れる。


夜空の欠片みたいだった。


綺麗だった。


でも痛い。


息が苦しい。


身体が重い。


それでも少女は立ち続けた。


やがて試験が終わる。


魔法陣の光が消える。


補助装置の音も止まる。


研究員達が記録をまとめ始める。


少女はその場で小さく息を吐いた。


苦しかった。


痛かった。


でも。


今日は少しだけ聞いてみたいことがあった。


少女は研究員へ声を掛ける。


「ねえ」


研究員が顔を上げる。


「なんだ」


少女は少しだけ迷う。


胸の奥が落ち着かない。


でも。


聞いてみたかった。


「私」


小さな声。


「頑張った?」


研究員は一瞬だけ目を瞬く。


予想していなかった質問だったのかもしれない。


けれど。


すぐに頷いた。


「ああ」


短い返事。


「十分だ」


それだけだった。


会話は終わる。


研究員はまた資料へ視線を戻した。


いつもなら。


それで終わりだった。


けれど。


今日は違った。


少女は廊下を歩きながら考えていた。


頑張った。


十分だ。


その言葉を何度も思い返す。


胸の奥が少しだけ温かかった。


理由は分からない。


痛みが消えたわけではない。


疲労も残っている。


それなのに。


少しだけ気分が良かった。


誰かに認められたかったのだろうか。


分からない。


でも。


悪くない気分だった。


誰も見ていない廊下で。


少女はほんの少しだけ笑った。


その夜。


ベッドへ横になりながら。


少女は考えていた。


鳥のこと。


空のこと。


そして。


今日の言葉のこと。


頑張った。


十分だ。


その言葉を思い返すたび。


胸の奥が少し温かくなる。


そして。


ふと。


小さく呟いた。


「成功したら」


静かな部屋。


誰もいない。


「いつか」


目を閉じる。


「外に行けるのかな」


鳥みたいに。


好きな場所へ。


行けるのかな。


答える人はいなかった。


けれど。


その願いは消えなかった。


胸の奥で小さく灯り続ける。


まだ名前もない。


けれど確かに存在する願いだった。


その願いを抱いたまま。


少女は静かに眠りへ落ちていった。

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