表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/28

第四話 小さな灯火

季節というものがあるらしい。


それを知ったのは、本の中だった。


研究施設の図書室には数え切れないほどの本がある。


魔術理論書。


研究論文。


歴史書。


魔物図鑑。


星導魔術研究録。


その中には一般向けの書籍も混ざっていた。


課題の合間にそうした本を読むことがある。


知らないことを知るのは嫌いではなかったからだ。


その日読んでいた本には、季節というものが書かれていた。


春。


夏。


秋。


冬。


世界には四つの季節があるらしい。


春には花が咲く。


夏には青空が広がる。


秋には木々が色付く。


冬には雪が降る。


ページをめくる。


挿絵には花畑が描かれていた。


どこまでも続く草原。


色とりどりの花。


青い空。


楽しそうに笑う人達。


じっと見つめる。


綺麗だと思った。


けれど。


同時によく分からなかった。


花の香りを知らない。


土の感触を知らない。


暖かな風を知らない。


だから想像が出来なかった。


本を閉じる。


部屋を出る。


長い廊下を歩く。


廊下の端。


小さな窓の前で立ち止まった。


窓の向こうには研究施設の景色が広がっている。


高い外壁。


監視塔。


白い建物。


灰色の空。


いつもの景色だった。


春が来ても。


夏が来ても。


秋が来ても。


冬が来ても。


きっと何も変わらない。


床はいつも冷たい。


壁も冷たい。


空気も冷たい。


季節というものは本当に存在するのだろうか。


よく分からなかった。


その日の検査は長かった。


星導魔術適性試験。


同期率測定。


魔力循環観測。


深層接続試験。


聞き慣れた名前ばかりだった。


意味も理解している。


けれど好きではない。


身体を固定される感覚も。


胸の奥へ手を突っ込まれるような感覚も。


身体の内側を何かが流れていく感覚も。


皮膚がひび割れる感覚も。


全部好きではなかった。


不快だった。


『出力上昇』


機械音声が響く。


床の魔法陣が蒼白く輝く。


胸の奥が熱くなる。


身体の中心で何かが脈打つ。


まるで小さな星が心臓の代わりに鼓動しているみたいだった。


ぱきり。


左腕へ亀裂が走る。


細いひびが肌を割る。


その隙間から蒼白い光が漏れ出した。


銀色。


蒼色。


薄紫。


夜空の欠片みたいな光だった。


痛い。


不快だ。


嫌だった。


それでも声は上げない。


昔からそうだったから。


研究員達は記録を続ける。


「侵食率更新」


「安定」


「継続」


誰も慌てない。


誰も心配しない。


それが当たり前だった。


やがて検査が終わる。


魔法陣の光が消える。


静寂が戻る。


研究員達は結果をまとめ始める。


その時だった。


「よく耐えた」


不意に声が掛かった。


思わず顔を上げる。


聞き慣れない言葉だった。


「そう?」


「ああ」


研究員は端末を見ながら頷く。


「君は希望だからな」


首を傾げる。


「希望?」


「世界を救う希望だ」


当たり前みたいに言う。


本気でそう思っているのが分かった。


だから頷いた。


「そうなんだ」


「そうだ」


会話は終わった。


研究員はそのまま去っていく。


白衣の背中が廊下の向こうへ消えていった。


しばらくその背中を見つめていた。


胸の奥が少しだけ温かかった。


検査の後に感じる疲労とも違う。


月を見た時の不思議な感覚とも違う。


なんだか少しだけ気分が良かった。


理由は分からない。


よく耐えたと言われたからだろうか。


希望だと言われたからだろうか。


分からない。


けれど。


悪い気分ではなかった。


こういう気持ちにも名前があるのだろうか。


もしあるのなら。


本のどこかに書いてあるのかもしれない。


そんなことを少しだけ考えた。


夜。


部屋。


机。


課題。


静かな時間。


紙へ視線を落とす。


魔力計算式。


修復理論。


星導魔術構築論。


難しい。


けれど解ける。


だから終わる。


終わったと思ったら次がある。


その繰り返しだった。


ふと。


本棚の隅に一冊の古い本を見つけた。


研究資料ではない。


色褪せた表紙。


角の擦り切れた絵本だった。


誰かが間違えて置いたのだろうか。


何となく手を伸ばす。


ぱらり。


ページを開く。


そこには一羽の鳥が描かれていた。


大きく翼を広げ。


青空の中を飛んでいる。


雲より高く。


どこまでも自由に。


しばらくその絵を見つめる。


綺麗だった。


空も。


鳥も。


雲も。


研究施設には存在しないものばかりだった。


だからだろうか。


目が離せなかった。


「……いいな」


小さな声が漏れる。


自分自身が驚いた。


羨ましいと思ったのだ。


初めて。


誰かを。


何かを。


羨ましいと思った。


鳥になりたいわけじゃない。


空を飛びたいわけでもない。


ただ。


自分で行き先を決められることが。


少しだけ羨ましかった。


その夜。


夢を見た。


広い草原だった。


見たこともない景色。


柔らかな風。


青い空。


揺れる草花。


そこに立っていた。


一人だった。


けれど寂しくなかった。


歩く。


好きな方向へ。


自由に。


誰にも命令されず。


誰にも呼び止められず。


ただ歩く。


それだけなのに。


不思議なくらい心が軽かった。


その時。


遠くで誰かが笑った気がした。


振り返る。


誰もいない。


風だけが吹いている。


けれど。


夢の中の自分は少しだけ笑った。


初めてだった。


夢の中で笑ったのは。

 

    ◇


朝。


『Origin-0-Mirabilis-1。起床時間です』


いつもの機械音声で目を覚ます。


いつもの天井。


いつもの部屋。


いつもの朝。


夢は消えていた。


草原も。


空も。


風も。


全部。


消えていた。


それでも。


胸の奥には何かが残っていた。


小さな灯火みたいに。


まだ名前はない。


けれど確かに存在するもの。


いつか季節を見てみたい。


花の香りを知ってみたい。


空を見上げてみたい。


その願いはまだ小さく。


言葉にもならないほど微かなものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ