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第三話 長い一日

今日の検査は長かった。


朝の出力測定から始まり、魔力循環の観測、星導魔術適性評価、補助装置との同期確認、身体各部への侵食率測定と続き、気が付けば昼を過ぎていた。


昼食を終えた後も休憩はない。


午後には魔力制御訓練。


夕方には実技演習。


夜には適性評価報告。


そして全てが終わった頃には、研究施設の廊下はすっかり静かになっていた。


重たい足取りで自室の扉を開く。


静かな部屋だった。


広い部屋だった。


豪華な天蓋付きのベッド。


磨き上げられた家具。


壁一面を埋め尽くす本棚。


高価そうな装飾品。


研究員達はよく言っていた。


特別待遇だと。


重要な個体だからと。


けれど、よく分からなかった。


広いだけだった。


静かなだけだった。


そして何より。


一人だった。


部屋へ入って机を見る。


そして足を止めた。


机の上には新しい課題が積まれていた。


紙の束。


いや。


束という言葉では足りない。


分厚い魔術理論書。


術式計算問題集。


研究資料。


観察記録。


解析課題。


それらが何冊も重ねられている。


しばらく無言で見つめる。


今日の分は終わったはずだった。


検査も。


訓練も。


評価も。


全部終わったはずだった。


それなのに机の上には新しい仕事が置かれている。


いつ置かれたのだろう。


誰が持ってきたのだろう。


考えてみる。


けれど答えは出ない。


ただ。


そこにある。


まるで最初から置かれていたみたいに。


椅子へ座る。


魔導灯へ光が灯る。


白い光が机を照らした。


紙をめくる。


問題を読む。


術式を書く。


計算する。


答えを導く。


間違えない。


昔からそうだった。


だから褒められる。


「優秀だ」


「期待できる」


「奇跡だ」


「歴代最高だ」


研究員達はそう言う。


ペンを止める。


少しだけ考える。


優秀。


奇跡。


期待。


その言葉は。


誰に向けられているのだろう。


自分なのだろうか。


それとも。


星導魔術適性個体なのだろうか。


違いが分からなかった。


研究員達は自分を見る。


けれど。


本当に見ているのは結果だけな気がした。


数値。


記録。


出力。


適性。


成功率。


だから考えるのをやめた。


答えは出ないから。


また紙へ視線を落とす。


計算する。


書く。


終わらせる。


気付けば一冊目が終わっていた。


小さく息を吐く。


終わった。


そう思った。


だが机の端には次の資料が置かれている。


まだある。


終わらない。


また計算する。


また書く。


また読む。


また解く。


やがて二冊目が終わる。


そして三冊目が始まる。


どこまでやれば終わるのだろう。


ふとそんなことを思った。


世界を救うためだと研究員達は言う。


大切な役割なのだと言う。


必要なことなのだと言う。


だから頑張る。


それは分かる。


けれど。


世界を救ったらどうなるのだろう。


その後は。


何をするのだろう。


自分は。


どうなるのだろう。


答えは知らなかった。


誰も教えてくれなかった。


聞いたこともなかった。


時計はない。


だから時間は分からない。


ただ。


魔導灯の光だけが机を照らしていた。


文字が滲む。


視界が揺れる。


瞼が重い。


頭がぼんやりする。


眠い。


身体も重い。


今日の検査で魔力を使い過ぎたせいかもしれない。


けれど課題は残っている。


終わらない。


終わらせなければならない。


あと少し。


あと少しだけ。


そう思ってペンを動かした。


そして。


意識が途切れた。


次に目を開けた時。


朝だった。


『Origin-0-Mirabilis-1。起床時間です』


聞き慣れた機械音声。


ゆっくり顔を上げる。


頬に紙の跡が付いていた。


握ったままのペン。


途中で終わっている計算式。


開いたままの魔導書。


どうやら机へ突っ伏したまま朝を迎えたらしい。


眠ったという感覚はなかった。


ただ。


途中で意識がなくなっただけだった。


それでも特に何も思わない。


よくあることだったから。


椅子から立ち上がる。


少しだけ身体が重い。


肩も痛い。


首も痛い。


けれど検査がある。


訓練もある。


だから部屋を出る。


今日も同じ一日が始まる。


数日後。


出力試験の最中だった。


椅子へ座る。


床の魔法陣が光る。


研究員達は記録を取る。


いつもの光景。


いつもの検査。


ぱきり。


手首へ亀裂が走る。


白い肌が割れる。


その隙間から夜空の欠片みたいな光が漏れ出した。


蒼く。


銀色に輝きながら。


静かに零れていく。


痛みがある。


けれど我慢できる。


昔からそうだった。


研究員達は記録を続ける。


「出力上昇」


「侵食率更新」


「漏出確認」


「記録継続」


ぼんやりその声を聞いていた。


そして。


ふと思う。


もし。


自分が壊れたら。


この人達は悲しむのだろうか。


困るのだろうか。


怒るのだろうか。


少しだけ考える。


でも。


分からなかった。


だから考えるのをやめた。



夜。


部屋へ戻る途中。


ぽつりと呟いた。


「……なんのため?」


返事はない。


静かな沈黙だけが残る。


いつの間にか廊下の突き当たり


小さな窓の向こう。


夜空が見えていた。


月が浮かんでいる。


昨日と同じ場所に。


静かに。


何も言わず。


研究員は変わる。


検査内容も変わる。


課題は増える。


役割も増える。


でも。


月だけは変わらない。


毎日見ているはずなのに。


そのことが少しだけ不思議だった。


しばらく月を見つめる。


ただ。


何も考えずに。


課題も。


検査も。


期待も。


役割も。


ほんの少しだけ遠くなる。


窓の向こうには世界があった。


自分の知らない場所。


自分の知らない景色。


自分の知らない誰か。


月はその全てを見ているのだろうか。


そんなことを思った。


そして小さく呟く。


「……明日も同じ」


月は何も答えない。


あまりにも静かだった。


けれどその夜。


少女は初めて。


ほんの少しだけ。


同じ明日の先に何があるのかを考えていた。


それが希望なのか。


諦めなのか。


まだ自分でも分からないまま。

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