第四十三話 継承と消失
数日が過ぎた。
窓の外には。
穏やかな朝日が差し込んでいる。
……
少女は鏡の前へ立っていた。
頬の赤みはもうない。
喉の痛みも消えた。
左腕にはまだ細い包帯が巻かれている。
…
少女はそっと包帯へ触れた。
少しだけ痛い。
それでも。
昨日よりずっと軽かった。
……
少女は鏡の中の自分を見つめる。
少しだけ痩せた顔。
泣き腫らした瞼も。
ようやく元に戻ってきていた。
小さく息を吸う。
「……うん。」
小さく頷く。
「今日から。」
「がんばろう。」
こんこん。
扉を叩く音が部屋へ響く。
「姫様。」
「お支度が整いました。」
少女は小さく頷く。
「はーい。」
扉を開ける。
双子が静かに礼をした。
……
「陛下がお呼びです。」
少女は少しだけ目を瞬かせる。
「お父様が?」
姉は頷いた。
「はい。」
「宰相様もお待ちです。」
……
少女は胸へ手を添えた。
小さく深呼吸をする。
いっぱい泣いた。
いっぱい支えてもらった。
だから。
もう大丈夫。
迷いのない頷きだった。
「……わかった。」
「いこう。」
王城の廊下を歩く。
革靴が。
一歩ずつ床を打つ。
スカートの裾が揺れる。
窓から朝日が差し込む。
遠くから。
人の話し声が聞こえた。
城内の侍女達が足を止める。
「おはようございます。」
「姫様。」
少女は微笑む。
「おはようございます。」
少女は微笑みながら歩いていく。
その背中を見つめる。
双子は目を合わせた。
小さく頷く。
何も言わない。
それだけで十分だった。
……
王城は。
少しずつ。
いつもの朝を取り戻していた。
……
大きな扉の前で足を止める。
扉の前に立っていた騎士が。
少女へ気づく。
姿勢を正した。
胸へ拳を添え。
深く一礼する。
「姫様。」
少女は小さく微笑んだ。
「おはようございます。」
騎士の表情が。
わずかに和らぐ。
ゆっくりと扉を開く。
「姫様がお見えです。」
……
部屋へ入る。
王は執務机の前に立っていた。
隣には宰相。
少女は二人へ礼をする。
「お父様。」
「お呼びでしょうか。」
王は答えない。
ただ。
少女を見つめていた。
……
部屋へ沈黙が落ちる。
少女も。
王から目を逸らさない。
……
やがて。
王はゆっくりと頷いた。
「……迷いは晴れたようだな。」
低く。
落ち着いた声だった。
少女は小さく目を見開く。
王の唇が微かに動いた。
……
少女には。
聞き取れなかった。
王は軽く咳払いをし、話を続ける。
「その顔ならば。」
「話ができる。」
少女は静かに頷いた。
……
王は小さく息を吐く。
「王妃の葬儀の日。」
「私は。」
「お前へ。」
「これから歩む道を示した。」
少女は頷く。
「……はい。」
……
「だが。」
「あの日のお前は。」
「まだ答えを持ってはいなかった。」
少女は黙って聞いていた。
……
王は真っ直ぐ娘を見る。
「今。」
「ここへ来たお前は違う。」
「その目を見れば分かる。」
「お前なりの。」
「答えを見つけている。」
……
部屋へ静寂が落ちる。
王はゆっくりと娘へ歩み寄った。
少女の前で足を止める。
……
「そして今日。」
「その一歩を踏み出す。」
……
「王妃亡き今。」
「お前は私の娘である前に。」
「本当の意味で。」
「この国の王女となる。」
……
「これから。」
「王妃が担ってきたものを学ぶ。」
「民を想うこと。」
「国を背負うこと。」
「そして。」
「誰かの希望であり続けることだ。」
……
「決して楽な道ではない。」
「何度も心は折れるだろう。」
「それでも。」
「王族は歩みを止めてはならない。」
……
「私は。」
「国王として。」
「誰よりも前へ立とう。」
「道は。」
「私が切り開く。」
「だから。」
「お前は王女として。」
「振り返り。」
「誰一人取り残さぬよう。」
「その背中を支えなさい。」
「だからこそ。」
「私はお前へ命じる。」
「今日より。」
「王女として、人々の希望となる道を歩め。」
……
少女は王を見つめた。
父ではない。
国王だった。
……
お父様も。
お母様を失った。
それでも。
前を向いている。
……
真っ直ぐ道を示してくれている。
……
私も。
応えたい。
……
少女は小さく息を吸う。
胸へ手を添える。
「……はい。」
芯のある返事だった。
……
王は頷く。
「よい。」
その一言だけだった。
……
ゆっくりと。
少女の頭へ手を置いた。
……
大きな手だった。
変わらない感触。
……
王は何も言わない。
ただ。
静かに頭へ手を置いていた。
……
やがて。
王は手を離す。
その時。
指先が。
髪を一度だけ。
優しく撫でた。
……
少女の瞳が揺れる。
涙が滲む。
……
少女は小さく息を止めた。
唇をきゅっと結ぶ。
胸へ添えた手へ。
小さく力を込めた。
……
王は静かに背を向ける。
「宰相。」
「頼む。」
……
宰相は深く頭を下げた。
「はっ。」
それから。
少女へ一礼する。
「姫様。」
「本日より。」
「王女教育へ。」
「新たな内容が加わります。」
……
「基礎医学。」
「政治。」
「外交。」
「そして。」
「王族としての在り方。」
……
少女は小さく目を丸くした。
宰相は穏やかに微笑む。
「とは申しましても。」
「姫様はまだ幼いご年齢でございます。」
「政治や外交は。」
「まず陛下のお側で。」
「学んでいただくところから始めます。」
……
「会議への同席。」
「ご来賓へのご挨拶。」
「少しずつ。」
「ご経験を積んでいただきます。」
……
「ご安心ください。」
「いきなり全てをお任せすることはございません。」
「姫様の歩幅に合わせて。」
「一歩ずつ進めてまいりましょう。」
少女は少しだけ目を瞬かせる。
「……そうなんだ。」
ほっとしたように。
肩の力が少しだけ抜けた。
……
宰相も穏やかに頷く。
「はい。」
「ご安心ください。」
「私達も。」
「姫様のお側で。」
「精一杯お支えいたします。」
王は静かに口を開く。
「厳しい道になる。」
「だが。」
「お前なら歩めると。」
「私は信じている。」
……
「……ありがとうございます。」
少女は胸へ手を添える。
真っ直ぐ王を見つめた。
「お母様みたいな。」
「優しい王女に……。」
「みんなが。」
「安心して笑えるように。」
「頑張ります。」
王は小さく頷く。
「今日から始めよう。」
……
それから。
少女の日々は大きく変わった。
朝早く起き。
礼儀を学び。
歴史を学び。
政治を学ぶ。
星癒術を磨き。
夜遅くまで机へ向かった。
休める時間は。
少しずつ減っていった。
それでも。
少女は一度も弱音を吐かなかった。
……
そうして。
少女は。
少しずつ。
"ガゼル"でいられる時間を。
手放していった。




