第三十五話 穏やかな午後
約束を交わしてから数日。
少女の部屋では、小さな鼻歌が聞こえていた。
双子の侍女が少女の身支度を整えている最中だった。
最後に髪飾りの位置を整える。
少女は待ちきれないように足元で小さく揺れた。
双子は思わず顔を見合わせる。
「姫様。」
「本日はとてもご機嫌でございますね。」
少女は照れくさそうに肩をすくめた。
「えへへ。」
「楽しみだから。」
双子は小さく微笑む。
「お祭りでございますか?」
「うん!」
「変装して歩く約束したの!」
少女はくるりと振り返る。
「二人も一緒だよ!」
双子は少しだけ困ったように笑う。
「私どもは護衛でございます。」
少女は首を傾げた。
「その日は護衛もお休みなの!」
その一言に、双子は思わず笑みをこぼした。
「ありがとうございます。」
◇
午前の授業はいつもより少なかった。
礼儀作法。
筆記。
午後になると。
自然と足が速くなっていた。
少女は庭園へ向かう。
白いガゼボでは、母が待っていた。
「いらっしゃい。」
「お母様!」
少女は駆け寄る。
母は娘の頭を優しく撫でた。
「今日は少しお庭を歩きましょうか。」
「うん!」
二人はゆっくりと花壇の小道を歩く。
風が吹くたび、色とりどりの花が揺れる。
母は一輪の花を指差した。
「これは春鈴花。」
「春になると一番に咲くお花なの。」
少女は花へ顔を近づけた。
「かわいい。」
母は小さく頷く。
「このお花はね。」
「茎が柔らかいから、輪っかも作れるのよ。」
少女は不思議そうに首を傾げた。
「輪っか?」
母は咲いている花ではなく、足元へ落ちていた花をそっと拾い上げる。
「落ちたお花で作りましょう。」
細い茎を指先で重ねていく。
少しずつ、小さな花の輪が形になっていく。
少女は目を輝かせた。
「すごい!」
「姫様もどうぞ。」
少女は母の真似をしながら、一本ずつ花を重ねる。
途中でほどけてしまう。
「あ……」
母は娘の手へそっと自分の手を添える。
「ゆっくり。」
「焦らなくても大丈夫。」
少女はもう一度編み直す。
少し歪だけれど、小さな花の輪ができあがった。
「できた。」
少女は母を見上げた。
「お母様。」
「これ。」
母は少しだけ目を丸くした。
「私に?」
少女はこくりと頷く。
母は花のリースを受け取り、優しく微笑んだ。
「ありがとう。」
「大切にするわ。」
そう言うと、母はリースをそっと自分の髪へ添える。
少女は照れくさそうに目を伏せた。
春風が吹き抜ける。
白い花が小さく揺れた。
少し歩く。
今度は薄い紫色の花が風に揺れていた。
「このお花。」
少女は目を輝かせた。
「お祭りにもあった!」
母は少し驚き、それから優しく笑った。
「よく覚えていたわね。」
少女は胸を張る。
「きれいだったから!」
母は花へ目を向けた。
「きっと、ガゼルに見つけてもらえてお花も嬉しいわね。」
歩きながら、少女は思い出したように尋ねる。
「ねえ、お母様。」
「変装したら、本当に町を歩ける?」
「ええ。」
「屋台も見られる?」
「もちろん。」
「甘いお菓子も食べていい?」
母はくすりと笑う。
「少しだけね。」
少女はさらに身を乗り出した。
「本屋さんも?」
「花屋さんも?」
「パン屋さんも?」
母は娘の前髪をそっと整えた。
「ええ。」
「全部行きましょう。」
少女は飛び上がりそうなくらい笑った。
「やった!」
少し離れた場所から双子がその様子を見守っている。
少女は双子へ振り向く。
「約束だからね!」
双子は顔を見合わせる。
「はい。」
「二人も一緒は絶対だからね。」
母は娘を見つめ、小さく笑った。
「二人とも困ってしまうわ。」
双子も少し照れながら微笑む。
庭園には優しい笑い声が広がった。
笑い声が落ち着くと。
少女は少しだけ考えた。
「あ。」
「お父様も一緒?」
母は少しだけ目を丸くした。
少し考えてから口を開く。
「お父様は国のお仕事があるから。」
「難しいかもしれないわ。」
少女は少しだけ残念そうに俯く。
「そっか……。」
母は娘の頭を優しく撫でた。
「でも。」
「お父様に、お祭りのお話をたくさん聞かせてあげましょう。」
「きっと喜ばれるわ。」
少女は小さく頷いた。
「うん。」
母は微笑む。
少女もつられて笑った。
春風が花々を揺らし、穏やかな時間が流れていた。
◇
夕暮れ。
気付けば空は茜色に染まっていた。
少女は双子とともに城へ戻る。
途中で足を止めた。
振り返る。
白いガゼボでは、髪に小さな花のリースを添えた母が、こちらへ手を振っている。
少女も満面の笑みで、大きく手を振り返した。
「また明日!」
母も優しく頷く。
「ええ。」
少女はもう一度大きく手を振る。
そのまま双子と歩き出した。
小さな背中が少しずつ遠ざかっていく。
その姿が見えなくなるまで。
母は静かに見送っていた。
やがて。
母付きの侍女が、そっと一歩近づく。
お母様は静かに立ち上がった。
その動きは、ほんの少しだけゆっくりだった。
侍女は思わず手を差し伸べる。
けれど、お母様は小さく首を横へ振る。
「大丈夫。」
そう言って、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべた。
侍女は何も言わず、一礼する。
母は少女が歩いていった方角を、しばらく見つめていた。
庭園には夕風が吹き抜け、花々が静かに揺れていた。




