第三十四話 約束
庭園には春風が吹いていた。
花々の間を抜ける小道を。
少女は侍女に案内されながら歩いていく。
花々が咲き誇る庭園の奥。
白いガゼボには、小さな丸いテーブルが置かれ、紅茶の香りが穏やかな風に乗って漂っている。
そこでは、お母様が優しく微笑んで待っていた。
「いらっしゃい、ガゼル。」
少女の表情がぱっと明るくなる。
「お母様!」
嬉しそうに駆け寄ると、母は優しく頭を撫でた。
「今日は一緒にお茶をいただきましょう。」
「うん!」
少女は椅子へ腰掛ける。
母付きの侍女が、二人の前へ温かな紅茶を置いた。
「どうぞ。」
静かに一礼すると、侍女は音もなく下がる。
少し離れた場所では、双子の侍女が静かに控えていた。
少女の視線は、何度も双子へ向かう。
昨日の出来事が、まだ心の中に残っていた。
双子もまた、少女の様子を気に掛けている。
母は紅茶を口に運ぶ。
「昨日から。」
「ずっと二人のことが気になるのね。」
少女は少しだけ驚いた。
「……うん。」
「傷は治ったのに。」
「まだ心配で。」
「二人が傷ついたことが……悲しかった。」
母は優しく微笑んだ。
「そう。」
「きっとあの子達も。」
「あなたを悲しませてしまったことが一番つらかったはずよ。」
少女はそっと双子を見る。
双子も少女へ気付き、少しだけ困ったように微笑んだ。
少女もつられて、小さく笑う。
母はその様子を見届けると、静かに続けた。
「人を想うということは。」
「一人だけが我慢することではないの。」
「想われる人も。」
「また、あなたを大切に想っているのよ。」
少女はゆっくりと頷いた。
「……うん。」
穏やかな空気が流れる。
母は少し悪戯っぽく微笑んだ。
「だから。」
「ガゼルも笑っていてあげて。」
「大切な人は。」
「あなたの笑顔を見ると、安心するものよ。」
少女は少しだけ考えた。
それから。
にこっと笑った。
「うん!」
母は安心したように微笑んだ。
母は紅茶を口元へ運ぶ。
小さく咳をした。
「……。」
けれどすぐに微笑み、カップを置く。
少女は気付かない。
少し離れた場所に立つ双子だけが、一瞬だけ視線を交わした。
母は何事もなかったように、娘の笑顔を見つめる。
「その笑顔なら。」
「きっと、お祭りも楽しめそうね。」
少女はきょとんと首を傾げた。
「お祭り?」
母は小さく頷く。
「ええ。」
「もうすぐ王族として参加する日でしょう。」
「今年はガゼルも。」
「私の隣で参加してみましょうか。」
「ほんと!?」
少女の瞳が輝く。
「町のみなさんが楽しんでいる姿を、一緒に見ましょう。」
少女は嬉しそうに笑った。
「楽しみ!」
その笑顔を見て、母は穏やかに微笑んだ。
穏やかな風が花々を揺らす。
母は娘の笑顔を静かに見つめていた。
◇
数日後。
祭の日。
王都は春の花々と人々の笑顔で彩られていた。
祭りの始まりに合わせ、王家は大聖堂を訪れる。
母は祭壇の前へ静かに立った。
少女もその隣へ並ぶ。
澄んだ鐘の音が響く。
母は静かに両手を重ねた。
淡い光が足元から広がる。
優しい星の光は大聖堂を包み込み、色とりどりの花々が風に乗って舞い上がった。
集まった人々から、小さな歓声が上がる。
「今年も実り多き春となりますように。」
母の穏やかな声が広場へ響く。
祈りが終わると、町中に鐘の音が鳴り渡った。
祭の始まりである。
その後。
母と少女は馬車へ乗り込み、城下町を巡った。
「王妃様!」
「姫様!」
人々は笑顔で手を振る。
母も穏やかな笑顔で手を振り返した。
その瞬間。
沿道の人々が一斉に頭を下げる。
幼い子どもが花束を抱え、背伸びをしながら母へ差し出した。
母は馬車を少しだけ止めてもらうと、花を受け取り、優しく頭を撫でる。
子どもは嬉しそうに笑った。
少し離れた場所では、お年寄りの女性が目元を押さえている。
「……ありがとうございます。」
小さく呟くその声を、少女は耳にした。
少女は隣に座る母を見上げる。
母は変わらぬ笑顔で、人々へ手を振り続けていた。
花びらが舞い、子どもたちは嬉しそうに駆け回る。
少女も母に教えられるように、小さく手を振った。
やがて馬車は王城への帰路につく。
少女は窓の外を名残惜しそうに眺めていた。
母はその横顔を見つめ、小さく微笑む。
「町を歩いてみたくなった?」
少女は照れたように笑う。
「……うん。」
「お花がとても綺麗だった。」
母は優しく頷いた。
「王族としては難しいけれど。」
「いつか。」
「変装をして。」
「二人でゆっくり歩いてみましょう。」
少女は目を丸くした。
「ほんと?」
母は少し悪戯っぽく微笑んだ。
「ええ。」
「屋台を見たり。」
「お花を眺めたり。」
「甘いお菓子も食べましょう。」
少女の瞳がきらきらと輝いた。
「約束?」
母はにこりと微笑む。
「ええ。」
「約束よ。」
少女は嬉しそうに両手を胸の前で合わせる。
「あっ!」
「じゃあ。」
「約束のやつする!」
母はくすりと笑った。
「ええ。」
「しましょう。」
母は右手を差し出す。
少女は嬉しそうにその手へ自分の小さな手を重ねた。
重なった手の間へ。
淡い星明かりがふわりと灯る。
母は優しく微笑む。
「星に誓いを。」
少女も満面の笑みで応える。
「星に誓いを!」
春風が馬車の窓を優しく揺らした。
少女は嬉しそうに鼻歌を口ずさむ。
その約束が叶う日を、心から楽しみにしていた。
母は娘の髪を優しく撫でる。
その手は、いつもより少しだけ長く。
穏やかな春風だけが、二人の間を静かに吹き抜けていった。
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