第十八話 考えごと
病室を出たあとも。
少女の言葉は頭から離れなかった。
『親も』
『名前も』
『わからない』
廊下を歩く。
窓の外では青空が広がっている。
鳥が飛んでいる。
風が吹いている。
けれど。
赤い髪の少女の頭の中には。
ずっと銀髪の少女がいた。
名前がない。
本当に?
そんなことあるの?
少女にはよく分からなかった。
名前は最初からあるものだと思っていた。
呼ばれるもの。
返事をするもの。
当たり前のもの。
それが無いなんて。
考えたこともなかった。
◇
「姫様」
勉強部屋だった。
王城専属の教師が本を開いている。
机の上には歴史書。
建国史の授業だった。
「姫様」
返事はない。
少女は筆記帳を見つめていた。
そこには何度も書かれた文字。
Origin-Mirabilis
OM1
OM-1
O-M1
O-M-1
書き方もよく分からない。
そもそも1はどこから来たのだろう。
「姫様」
「はっ!?」
少女が飛び上がる。
教師は眼鏡の奥から静かに見ていた。
「王国建国史はそこまで面白い内容でしたか?」
「ご、ごめんなさい……」
少女は小さくなる。
教師は机へ視線を落とした。
筆記帳の端。
そこに並ぶ謎の文字。
「秘密の研究でしょうか」
「ち、違います!」
慌てて筆記帳を閉じる。
教師は何も言わない。
ただ少しだけ微笑んでいた。
◇
昼食。
侍女達に囲まれながら食事をしている。
けれど。
少女はまた筆記帳を開いていた。
パンも進まない。
スープも冷めていく。
「姫様」
「ん?」
「先ほどからパンを一口しか召し上がっておりません」
「あ」
本当だった。
少女は慌ててパンを齧る。
そしてまた筆記帳を見る。
そこには。
おーえむわん
おーむわん
おーも
うーん
ちがう
そんな文字が増えていた。
◇
午後。
魔術理論の授業。
少女は机へ突っ伏していた。
昨夜も病室から帰ったあと。
ずっと考えていたからだ。
「姫様」
返事なし。
「姫様」
返事なし。
「姫様!」
返事なし。
教師は立ち上がる。
そして。
分厚い本を一冊。
少女の頭へ載せた。
さらに一冊。
さらにもう一冊。
「ふみゃっ!?」
少女が飛び起きる。
本が崩れ落ちた。
「五冊目です」
「まだ増えてたんですか!?」
「居眠り防止です」
「首が折れますー!」
教師はため息を吐いた。
「昨夜はお休みになられましたか?」
少女は目を逸らした。
◇
放課後。
図書塔だった。
本が並んでいる。
高い棚。
静かな空間。
少女は一冊の本を開いていた。
人名辞典だった。
古い名前。
王族の名前。
英雄の名前。
たくさん載っている。
けれど。
どれも違う気がした。
少女は筆記帳を開く。
そこには新しい文字が増えていた。
はやく元気になりますように
好きな花は?
好きな本は?
好きな食べ物は?
甘いもの好きかな?
さらに。
花畑
図書塔
お庭
お買い物
星を見る
海
雪
そして。
その下に小さな文字。
もっとお話したい
一緒に本を読みたい
お庭を見せたい
気付けば。
筆記帳にはそんな言葉まで増えていた。
少女は少しだけ首を傾げる。
名前を考えていたはずなのに。
いつの間にか。
別のことばかり書いていた。
少女はページをめくる。
けれど。
また銀髪の少女のことを考えていた。
◇
夜。
自室。
机の上にはランプの灯り。
窓の外には星空。
少女は一人で筆記帳を開いていた。
ページはほとんど埋まっている。
おーえむわん
おーむわん
おーも
おも?
ほっぺもちもち
おもち?
そんな文字まで増えていた。
少女は頬杖をつく。
「おーも……」
小さく呟く。
「――おもち……?」
少し考える。
変だろうか。
でも。
嫌じゃない。
もう一度書く。
おもち
そして。
その文字へ小さく丸を付けた。
そこには下手な落書きが並んでいた。
銀色の髪。
本を読む姿。
眠っている姿。
笑っていない顔。
どれも同じ少女だった。
全然似ていない。
けれど。
誰を描いたのかはすぐ分かる。
白い髪。
白い肌。
柔らかそうな頬。
病室で眠っていた顔。
手を握った時の温もり。
不思議な子だった。
何も知らない。
名前もない。
笑わない。
なのに。
気付けばずっと考えてしまう。
風が吹いたら消えてしまいそうで。
放っておけなかった。
少女は筆記帳を見る。
丸で囲まれた文字。
おもち
しばらく見つめる。
そして。
その周りへ花を描く。
星を描く。
小さな鳥を描く。
最後に。
銀髪の少女の落書きの隣へ。
少し迷ってから。
小さく書いた。
お友達
少女はそれを見つめる。
しばらく。
本当にしばらく。
見つめたあと。
小さく頷いた。
「うん」
◇
翌朝。
少女は日の出と同時に飛び起きる。
筆記帳を抱える。
部屋を飛び出す。
廊下を走る。
侍女達の声が後ろから聞こえた。
「姫様!?」
けれど止まらない。
病室の前へ辿り着く。
勢いよく扉を開いた。
ばんっ。
「決めた!!」




