今日から私は
翌朝。
少女は。
目を覚ました。
窓の外では。
鳥が鳴いていた。
朝日が差し込む病室。
柔らかな光が。
白い敷布も。
壁も。
花の飾られた棚も。
淡く照らしている。
……
研究施設の朝とは。
違った。
あそこでは。
決まった時間になると。
機械音声が流れる。
起床を命じられ。
課題。
検査。
訓練。
それが始まる。
ここには。
それがない。
……
静かだった。
穏やかだった。
少女は。
ぼんやりと。
天井を見上げる。
そして。
昨日のことを。
思い出した。
名前。
考える。
また明日。
……
意味は。
よくわからなかった。
けれど。
あの赤い髪の少女は。
本当に来る気がした。
理由はない。
ただ。
そう思った。
その時だった。
ばんっ。
勢いよく。
扉が開いた。
「決めた!!」
元気な声が。
病室へ響く。
少女は。
瞬きをした。
赤い髪。
翡翠色の瞳。
そして。
昨日と同じように。
本を抱えている。
いや。
今日は。
それだけではなかった。
腕の中には。
分厚い筆記帳。
赤い髪の少女は。
息を切らしながら。
寝台の横まで駆け寄った。
「決めたの!」
「……?」
「名前!」
少女は。
首を傾げる。
赤い髪の少女は。
待ちきれない様子で。
筆記帳を机へ広げた。
ばさっ。
頁が開く。
少女は。
視線を落とした。
そこには。
文字が並んでいた。
何度も。
何度も。
何度も。
同じ文字が。
書かれている。
OM-1
O-M1
OM1
O-M-1
……
少女は。
瞬きをした。
自分だった。
そこに書かれているのは。
自分だった。
研究記録ではない。
観察記録でもない。
実験報告書でもない。
ただ。
自分について。
書かれた文字だった。
少女は。
頁をめくる。
すると。
今度は。
おーえむわん
おーむぉわん
おーも……?
おもち?
そんな文字が。
並んでいた。
さらに。
頁をめくる。
余白に。
肌がもちもち
ほっぺもちもち
やわらかい
白い
おもち
……
大きく。
丸で囲まれている。
少女は。
じっと見つめる。
しばらく。
本当に。
しばらく。
見つめていた。
赤い髪の少女の顔が。
みるみる赤くなっていく。
「あっ。」
慌てた声。
「そこ見なくていいから!」
ばたばたと。
筆記帳を閉じようとする。
けれど。
少女は。
まだ頁を見ていた。
何頁も。
自分のことが。
書いてあった。
研究員が書く。
報告書とは違う。
数字がない。
評価がない。
観察結果もない。
ただ。
名前を考えた跡。
……
いや。
それだけではなかった。
少女は。
さらに頁をめくる。
花畑。
図書塔。
お庭。
星を見る。
一緒に本を読みたい。
もっとお話したい。
……
知らない言葉ばかりだった。
けれど。
どれも。
自分へ向けられていることだけは。
わかった。
……
どうして。
少女は。
少し考える。
どうして。
この人は。
こんなにも。
私のことを考えるのだろう。
少女は。
ゆっくりと。
顔を上げる。
赤い髪の少女は。
恥ずかしそうに。
頬を押さえていた。
「変かな……?」
小さな声。
「でもね。」
翡翠色の瞳が。
まっすぐ。
こちらを見る。
「ずっと考えたの。」
少女は。
黙って聞いている。
「おーえむわんも違うと思ったし。」
「おりじんなんとかも難しいし。」
「もっとこう……。」
言葉を探すように。
視線を泳がせる。
そして。
照れたように笑った。
「――おもちがいいなって思ったの。」
……
少女は。
言葉を失う。
おもち。
その音を。
頭の中で繰り返す。
おもち。
おもち。
おもち。
知らない言葉だった。
けれど。
不思議と。
嫌ではなかった。
赤い髪の少女は。
少しだけ。
不安そうな顔になる。
「だめかな?」
少女は。
考える。
……
名前。
研究施設では。
考えたこともなかった。
必要が。
なかったから。
O-M-1。
研究員達は。
そう呼んだ。
少女も。
そう答えた。
けれど。
それは。
名前というより。
識別番号だった。
呼ばれるから。
振り返る。
呼ばれるから。
返事をする。
ただ。
それだけ。
意味も。
知らない。
……
けれど。
今。
目の前には。
自分のためだけに。
何頁も使った。
筆記帳がある。
昨日から。
ずっと考えていた。
その跡がある。
少女は。
もう一度。
その文字を見る。
おもち。
大きく。
楽しそうに。
何度も。
書かれている。
そして。
ゆっくりと。
口を開いた。
「……おもち。」
……
初めてだった。
その名前を。
呼んだのは。
赤い髪の少女の顔が。
ぱっと明るくなる。
「そう!」
嬉しそうだった。
本当に。
嬉しそうだった。
赤い髪の少女は。
両手を握ったまま。
笑っている。
「おもち!!」
少女は。
もう一度。
呟く。
「おもち。」
……
不思議だった。
言葉が。
胸の中へ。
落ちていく。
O-M-1ではない。
Origin-0-Mirabilis-1でもない。
研究員達が。
呼ぶものではない。
目の前の少女だけが。
呼ぶ名前。
初めて。
与えられたもの。
初めて。
自分のために。
考えられたもの。
赤い髪の少女は。
笑った。
今にも。
飛び跳ねそうなくらい。
嬉しそうに。
「今日からあなたはおもち!!」
少女は。
その言葉を聞いていた。
……
おもち。
その名前を。
もう一度。
胸の内で繰り返す。
私のことを。
考えて。
作られた名前。
よく。
わからない。
でも。
笑いながら。
その名前をくれた。
胸の奥が。
少しだけ。
温かく感じる。
その感覚の意味は。
わからない。
それでも。
今まで。
空っぽだった場所に。
何かが。
残った気がした。
……
今日から。
私は。
――おもち。




