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第十六話 また来るから


赤い髪の少女は、本当に不思議そうな顔をしていた。


まるで。


どうしてそんなことを聞くのか分からない。


そんな顔だった。


「なんで……泣いてるの?」


少女がもう一度尋ねる。


赤い髪の少女はぱちぱちと瞬きをしたあと。


当たり前みたいに答えた。


「心配だったから! もう起きないのかと思ったよ!」


少女は黙る。


意味が分からなかった。


言葉は知っている。


本にも書いてあった。


心配。


誰かを気に掛けること。


危険を案じること。


不安になること。


知識としては知っていた。


けれど。


自分へ向けられたことはなかった。


だから。


うまく理解できなかった。


「……?」


首を傾げる。


赤い髪の少女は少し慌てたように身を乗り出した。


その拍子に長い髪がさらりと肩から零れ落ちる。


「だって三日も起きなかったんだよ?」


「三日」


「うん」


少女は瞬きをした。


三日。


よく分からない。


眠っていた時間が長いことだけは分かった。


赤い髪の少女は握ったままの左手へ視線を落とす。


その手は今も離れていない。


両手で包むように握られたまま。


少女はそれを見ていた。


不思議だった。


研究員はしなかった。


治療術師もしなかった。


誰も。


こんなふうに触れなかった。


「ずっと苦しそうだったし」


「……」


「ずっとうなされてたし」


「……」


「だから」


少女は少しだけ笑った。


安心したような。


泣きそうなような。


そんな笑顔だった。


「起きてくれてよかった」


少女は答えない。


答え方が分からなかった。


起きた。


生きている。


それで。


どうしてそんな顔になるのか。


分からなかった。


けれど。


嘘を言っているようには見えなかった。


だから。


ただ聞いていた。


窓から差し込む朝の光が部屋を照らしている。


白いカーテンが風に揺れる。


どこかから鳥の声が聞こえていた。


研究施設では聞いたことのない音だった。


静かな部屋だった。


けれど。


研究施設の静けさとは違った。


冷たくない。


どこか柔らかい静けさだった。


少女はぼんやりと部屋を見回す。


大きな窓。


白い壁。


木製の家具。


花の飾られた小さな机。


知らないものばかりだった。


そして。


知らない場所だった。


「ここ」


少女は小さく呟く。


「?」


「ここは?」


赤い髪の少女の表情が少し明るくなった。


「お城だよ!」


嬉しそうだった。


まるで自分の家を紹介するみたいに。


「おしろ」


「うん」


少女はその言葉を繰り返す。


本で読んだことはある。


王様が住む場所。


貴族が住む場所。


そういうものらしい。


実際に見るのは初めてだった。


「あなたは森で倒れてたの」


赤い髪の少女が言う。


「すっごく怪我してて」


その時。


少女の脳裏に。


森の光景が少しだけ蘇る。


暗い森。


赤い目。


牙。


冷たい土。


そして。


『死んじゃだめ!!』


あの声。


少女はゆっくりと目の前の赤い髪を見る。


少し考える。


長く。


ぼんやりと。


そして。


「……あ」


小さな声が漏れた。


赤い髪の少女が首を傾げる。


「?」


「いた」


「いた?」


少女は答える。


ゆっくりと。


確かめるように。


「森で」


「……」


「泣いてた人」


一瞬。


赤い髪の少女の顔が真っ赤になった。


「なっ」


「な、泣いてないよ!?」


すごい勢いだった。


少女は少し驚く。


今まで見たことのない反応だった。


研究員は怒ることはあっても。


こんなふうに慌てたりしなかった。


「泣いてた」


「泣いてない!」


「泣いてた」


「泣いてないもん!」


部屋へ声が響く。


赤い髪の少女は視線を逸らした。


もごもごと。


言い訳するみたいに呟く。


「だ、だって……」


「あなたが、し、しんでしまうと思ったから」


思い出したのか。


赤い髪の少女の瞳が、また少し潤む。


不思議だった。


でも。


少しだけ。


本当に少しだけ。


さっきより部屋が明るくなった気がした。


その時だった。


部屋の外から慌ただしい声が聞こえてくる。


「姫様ー!」


「姫様! どちらにおられますかー!」


「また勝手に抜け出して……!」


赤い髪の少女の肩がびくりと跳ねた。


「あ」


嫌な予感がした顔だった。


声はどんどん近付いてくる。


「姫様ー!」


「先生がお探しですー!」


「わーもうそんな時間!?」


赤い髪の少女は慌てて立ち上がった。


けれど。


立ち上がってからも。


一瞬だけ。


握った左手を離さない。


まるで。


本当に起きているか確かめるみたいに。


ぎゅっと。


少しだけ力を込める。


「ちゃんと寝てること!」


慌てた声。


「まだ怪我してるんだからね!」


少女は黙って見ていた。


「絶対無理しちゃだめ!」


そして。


赤い髪の少女は振り返る。


翡翠色の瞳がまっすぐこちらを見る。


優しい瞳だった。


「また来るから!」


赤い髪の少女は言った。


本当に当たり前みたいに。


明日も会うことが決まっているみたいに。


「どこにも行っちゃだめだよ!」


そう言い残して。


ばたばたと部屋を飛び出していく。


扉が閉まる。


静寂が戻る。


少女はしばらく扉を見つめていた。


その時。


扉が静かに開く。


入ってきたのは年配の女性だった。


白を基調とした治療衣。


落ち着いた足取り。


薬草の香り。


手には木製の盆が載せられている。


盆の上には包帯と薬瓶。


そして湯気の立つ小さなカップが置かれていた。


「お目覚めになられたのですね」


穏やかな声だった。


少女は何も答えない。


女性は気にした様子もなく微笑む。


「傷の様子を見せていただいてもよろしいですか?」


少女は黙ったまま頷いた。


女性は慣れた手つきで包帯を解いていく。


やがて。


ほんの僅かに手が止まった。


本来ならまだ残っているはずの深い傷。


それがもう塞がり始めていた。


女性は何も言わない。


ただ静かに包帯を巻き直した。


「順調ですね」


それだけだった。


少女は意味が分からないまま聞いていた。


やがて包帯交換が終わる。


女性は小さなカップを差し出した。


「お薬です」


少女は受け取る。


黒い液体だった。


迷わず飲む。


そして数秒後。


少女の眉が少しだけ動いた。


苦かった。


今まで飲んだどの薬よりも。


ずっと苦かった。


女性は少し笑う。


「良かった」


「……?」


「苦味は分かるみたいですね」


少女は首を傾げる。


意味は分からない。


ただ。


「とても苦い」


それだけ答えた。


女性は優しく頷いた。


「そうですね」


「とても苦い薬ですから」


やがて女性は立ち上がる。


片付けながら言った。


「姫様がお喜びになります」


少女は顔を上げる。


「姫様?」


あの赤い髪の少女が浮かんだ。


「毎日ここへ来られていましたから」


女性は少し笑う。


「朝も」


「昼も」


「夜も」


「空いた時間には必ず」


少女は黙る。


理解できない。


どうして。


その疑問だけが浮かぶ。


「きっとこの後も必ず飛んでこられますよ」


女性はそう言って。


静かに部屋を出て行った。


再び静寂が戻る。


少女は天井を見上げる。


木目のある天井。


柔らかな光。


知らない場所。


知らない人達。


そして。


赤い髪の少女。


その少女だけは。


本当にまた来る気がした。


根拠はない。


理由も分からない。


ただ。


あの少女は。


約束を守るのだろうと思った。


少女はゆっくりと目を閉じる。


眠りへ落ちる直前。


頭の中に残ったのは。


『また来るから!』


という言葉だった。


それは。


少女の知らない。


少し不思議な言葉だった。

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