第十四話 命の灯火(2)
「――――だめっ!!」
声が森へ響いた。
悲鳴にも似た声だった。
叫ぶつもりなんてなかった。
気付いた時には。
叫んでいた。
◇
心臓がうるさい。
胸が苦しい。
息が上手く吸えない。
目の前が真っ白になる。
血だらけの少女が見えた。
魔獣が見えた。
牙が見えた。
次の瞬間には。
身体が動いていた。
考えるより先だった。
◇
魔獣が唸る。
赤い瞳が揺れる。
牙が見える。
間に合わない。
そんな考えだけが頭を埋め尽くす。
少女は走った。
転びそうになりながら。
枝に服を引っ掛けながら。
息を切らしながら。
ただ間に合うように。
前へ。
前へ。
◇
瀕死の少女の前へ飛び出した。
魔獣達が唸る。
赤い瞳が揺れる。
牙が光る。
銀髪の少女を背に庇うように立つ。
少女は両手を強く胸へ当てた。
「お願い……!」
声が震える。
その瞬間だった。
柔らかな光が溢れ出した。
◇
白銀の光だった。
夜空の星を溶かしたような。
月光を集めたような。
優しい光。
少女の身体から放たれた光は。
波紋のように森の中へ広がっていく。
◇
魔獣達が反応した。
唸る。
牙を剥く。
後退る。
その瞳に浮かんでいたのは怒りではなかった。
嫌悪だった。
苦痛だった。
本能的な拒絶だった。
瘴気に侵された身体が。
その光を嫌う。
近付きたくないと叫ぶ。
獣達は低く唸りながら後退る。
一歩。
また一歩。
そして。
やがて森の闇へ消えていった。
逃げるように。
光から離れるように。
◇
魔獣達が去っていく。
少女は呆然とその背を見つめた。
肩で息をする。
心臓はいまだにうるさい。
膝が震えている。
何が起きたのか分からなかった。
遅れて。
恐怖だけが押し寄せてくる。
思わず座り込みそうになる。
けれど。
そんなことはどうでもよかった。
少女は銀髪の少女へ駆け寄った。
◇
「大丈夫!?」
返事はない。
少女は膝をつく。
その身体へ触れる。
冷たかった。
驚くほど。
冷たかった。
指先が震える。
傷だらけだった。
服は裂けている。
肌は血に汚れている。
折れた腕。
痣だらけの身体。
ひび割れた皮膚。
そして。
その隙間から漏れる淡い光。
見たことのない傷だった。
見たことのない状態だった。
何が起きているのか分からない。
それでも。
分かることが一つだけあった。
このままじゃ。
死んでしまう。
◇
「だめ……」
小さく呟く。
涙が滲む。
「だめだよ……」
声が震える。
胸が痛い。
苦しい。
どうして。
どうしてこんなことになっているの。
どうしてこんな小さな子が。
こんな傷だらけになっているの。
◇
少女は銀髪の少女を抱き起こした。
軽かった。
驚くほど。
細かった。
腕の中へ収まってしまうほど小さかった。
まるで。
少し力を入れただけで壊れてしまいそうだった。
◇
その時だった。
少女の瞼が微かに動く。
ゆっくり。
本当にゆっくり。
薄紫色の瞳が開いた。
焦点は合っていない。
ぼんやりしている。
今にも消えてしまいそうだった。
◇
少女は見た。
知らない顔だった。
赤い髪。
翡翠色の瞳。
月明かりを背にした少女。
泣きそうな顔をしていた。
どうして。
そんな顔をしているのだろう。
少女には分からなかった。
知らない人だった。
初めて見る顔だった。
なのに。
どうしてそんなに苦しそうなのだろう。
どうしてそんなに悲しそうなのだろう。
どうして。
泣いているのだろう。
◇
「よかった……」
少女の声が震える。
「よかった……」
泣きそうだった。
いや。
もう泣いていた。
瞳から涙が零れていた。
少女には理解できなかった。
自分のために泣く人なんて。
見たことがなかったから。
◇
少女はその小さな身体を強く抱き締めた。
消えてしまわないように。
どこかへ行ってしまわないように。
必死に。
本当に必死に。
その身体を抱き締めた。
そして。
叫ぶように言った。
「死んじゃだめ!!」
◇
その言葉は。
夜の森へ響いた。
月明かりの下へ響いた。
そして。
少女の胸の奥へ落ちていった。
◇
月が綺麗だった。
だから。
それでいいと思ったはずだった。
ここで終わるのだと。
そう思ったはずだった。
なのに。
「死んじゃだめ」
その言葉だけが。
消えなかった。
意識が沈んでいく。
世界が遠ざかっていく。
闇が広がっていく。
それでも。
その言葉だけは。
胸の奥で小さく灯っていた。
消えかけながら。
今にも消えてしまいそうになりながら。
それでも。
最後まで消えなかった。




