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第十二話 終わりの足音


赤い光だけは消えなかった。


風が吹く。


木々が揺れる。


葉が擦れる。


暗闇の中で。


赤い目だけが少女を見ていた。


じっと。


静かに。


逃がさないように。



枝が鳴る。


低い唸り声。


次の瞬間。


黒い影が飛び出した。


大きな身体。


濁った赤い目。


剥き出しの牙。


土が弾ける。


距離が消える。


衝撃。


少女の身体が吹き飛んだ。


地面を転がる。


石へぶつかる。


木の根へぶつかる。


枝が肌を裂く。


裸足の足裏が擦れる。


皮膚が剥がれる。


赤い跡が土の上へ残る。


肩が地面へ叩き付けられる。


鈍い音が響く。


肺から空気が押し出された。


腕の中から魔導書が離れる。


宙を舞う。


回転する。


落ちる。


泥水の中へ。


鈍い音が森へ沈んだ。


少女はしばらく動かなかった。


白い寝間着は泥だらけだった。


袖は裂けている。


腕には擦り傷。


脚には切り傷。


枝で裂かれた傷口から血が滲んでいた。


裸足の足裏は赤く染まっている。


転がるたびに開いた傷へ泥が入り込んでいた。


それでも。


少女は立ち上がらない。


ただ。


少し離れた場所へ落ちた魔導書を見ていた。


表紙が開いている。


泥が滲む。


頁が濡れる。


文字が崩れる。


計算式が滲む。


術式が読めなくなっていく。


何度も開いた頁だった。


課題を書き込み。


術式を書き込み。


計算を繰り返した本だった。


生まれてから。


ずっと傍にあったものだった。


泥が頁を覆う。


風が吹く。


一枚。


また一枚。


頁が捲れる。


貼り付く。


形が少しずつ失われていく。


けれど。


少女は手を伸ばさなかった。


拾おうとも思わなかった。


ただ見ていた。



低い唸り声。


少女は顔を上げる。


黒い影が近付いている。


赤い目。


大きな牙。


距離はもうなかった。


周囲の茂みでも葉が揺れる。


赤い光が動く。


一匹ではない。


二匹。


三匹。


もっといた。


暗闇の中で少女を囲んでいる。


訓練で習ったことがあった。


群れに囲まれたら逃げろ。


距離を取れ。


高所を確保しろ。


救援を呼べ。


全部覚えている。


けれど。


身体は動かなかった。


逃げるという考えが浮かばなかった。


魔獣が近付く。


少女は立ち上がらない。


逃げない。


魔法も使わない。


ただ。


近付いてくる魔獣を見ていた。


まるで。


他人事みたいに。



風が吹く。


泥の中で頁が揺れる。


一枚だけ。


千切れた紙が空へ舞った。


術式の書かれた頁だった。


風に運ばれる。


木々の向こうへ消える。


少女はそれを見送った。


追い掛けようとはしなかった。



衝撃。


牙が肩へ食い込む。


服が裂ける。


肉が抉れる。


血が飛ぶ。


白い布が赤く染まる。


肩口から滴った血が葉を濡らした。


身体が浮く。


木々が流れる。


空が揺れる。


地面が遠ざかる。


枝へぶつかる。


幹へぶつかる。


折れた枝が背中へ食い込む。


再び血が飛ぶ。


それでも。


少女の喉から悲鳴は出なかった。



さらに奥へ。


さらに深く。


森の闇の方へ。


黒い影が駆けていく。


木々が揺れる。


葉が舞う。


やがて。


それすら見えなくなった。


後ろには。


泥に沈んだ魔導書だけが残されていた。


開いた頁は水を吸い。


文字は滲み。


少しずつ読めなくなっていく。


風が吹く。


頁が揺れる。


けれど。


それを拾う者はもういなかった。

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