第八話 空っぽの器(1)
毎晩。
毎晩。
毎晩。
夢を見る。
眠るのが怖くなるくらい。
目を閉じるのが嫌になるくらい。
同じ夢だった。
白い廊下。
どこまでも続く白い廊下。
研究施設によく似ているのに。
どこか違う。
静かすぎた。
機械音がない。
足音もない。
誰の声もしない。
まるで世界から音だけが消えてしまったみたいだった。
その先に。
一人の少年が立っている。
白い髪。
青白い顔。
細い身体。
少しだけ寂しそうな笑顔。
第七個体。
もういなくなった少年。
少年は振り返る。
そして。
笑う。
『こっちにおいで』
少女は首を振る。
嫌だった。
行きたくなかった。
けれど。
身体が動かない。
足が床へ縫い付けられたみたいに動かない。
『大丈夫』
少年が近付いてくる。
『破裂するとね』
一歩。
『とっても痛いんだ』
また一歩。
『腕が無くなるより』
また一歩。
『もっと痛い』
冷たい指先が。
少女の左腕へ触れた。
ぶく。
小さな音。
皮膚の下で。
何かが膨らむ。
ぶく。
ぶく。
ぶく。
透明な気泡だった。
生き物みたいに蠢いている。
皮膚の下を這い回っている。
『ほら』
少年が笑う。
『始まった』
ぱん。
左腕が弾けた。
血。
肉。
骨。
蒼白い光。
少女は悲鳴を上げる。
だが終わらない。
ぶく。
ぶく。
ぶく。
肩。
胸。
腹。
脚。
気泡が全身へ広がっていく。
『ねえ』
少年の声。
『もう頑張らなくていいよ』
首。
『もう検査しなくていい』
頬。
『もう苦しくない』
顔。
ぶく。
ぶく。
ぶく。
視界いっぱいに膨らむ気泡。
『こっちにおいで』
少年が微笑む。
『楽になるよ』
ぱん。
「――っ!!」
少女は飛び起きた。
呼吸が出来ない。
胸が苦しい。
心臓が暴れている。
汗で寝間着が肌へ張り付いていた。
暗い部屋。
静かな部屋。
誰もいない。
それなのに。
怖かった。
とても。
怖かった。
気付けば。
右手が左腕を掻いていた。
掻く。
掻く。
掻く。
無意識だった。
自分でも止められない。
爪が皮膚へ食い込む。
赤くなる。
血が滲む。
それでも止まらない。
夢の中で最初に壊れるのは。
いつも左腕だった。
切り落とされた腕。
生えてきた腕。
普通じゃない腕。
掻く。
掻く。
掻く。
気付けば朝になっていた。
◇
『Origin-0-Mirabilis-1。起床時間です』
機械音声が流れる。
いつもと同じ朝。
けれど。
少女は動かなかった。
ベッドの隅へ身体を寄せる。
膝を抱える。
毛布を握る。
出たくない。
研究へ行きたくない。
訓練場へ行きたくない。
限界値測定をしたくない。
怖い。
怖い。
怖い。
時間だけが過ぎていく。
それでも身体は動かなかった。
また左腕を掻く。
掻く。
掻く。
掻く。
皮膚が赤くなる。
血が滲む。
止まらない。
止め方が分からない。
やがて。
扉の電子ロックが解除される音がした。
研究員だった。
「起床命令に従え」
少女は首を振る。
「いや」
研究員が固まる。
本当に一瞬だけ。
驚いた顔をした。
「研究へ向かえ」
「いや」
「命令だ」
「いや」
声が震える。
身体も震える。
左腕を掻く手だけが止まらない。
研究員は端末へ何かを入力した。
「連れて行け」
数秒後。
警備員が部屋へ入ってくる。
少女は後退った。
壁。
ベッド。
机。
逃げ場はない。
「やだ」
警備員が腕を掴む。
「離して」
引き剥がされる。
「やだ」
足が床を擦る。
「やだ」
涙が溢れる。
怖い。
怖い。
怖い。
「やだぁっ!!」
叫び声が部屋へ響いた。
そして。
その瞬間だった。
少女は研究員の白衣へ縋り付いた。
両手で掴む。
必死に。
本当に必死に。
今まで一度もしたことがないくらい。
必死に。
「お願い」
震える声。
「怖い」
涙が落ちる。
「本当に痛いの」
「腕なくなったの」
「夢も見るの」
「ぶくぶくってなるの」
「破裂するかもしれない」
言葉が止まらない。
胸の奥から溢れてくる。
「頭がおかしくなりそう」
「お願い」
「代わって」
「お願いだから」
「他のことならなんでもするから」
「だから――」
助けて。
その言葉を言おうとした。
その時。
少女は研究員の顔を見た。
そこにあったのは。
心配ではなかった。
同情でもなかった。
恐怖だった。
理解できないものを見る目。
嫌悪。
拒絶。
そして。
研究員の口から。
思わず漏れた言葉。
「……離れろ」
少女は固まった。
研究員は少女を見ていた。
いや。
見ていなかった。
見ているのは。
再生する腕。
理解できない身体。
Origin-0-Mirabilis-1。
そして。
研究員は小さく呟いた。
「気持ち悪い」
世界から音が消えた。




