第32章 第二次中華戦争 中盤(1968〜1972) ― 北中国の大攻勢、日本軍の反撃、そして泥沼化の極致 ―
■ 1. 1968年
北中国、満州工業地帯を総動員し“華南大攻勢”を開始
● 1968年1月
北中国(中華人民共和国)は、 満州工業地帯(鞍山・撫順・長春)をフル稼働させ、 ゲ
リラ戦から 正規軍+ゲリラの複合攻勢へ移行。
● 1968年3月
「華南解放軍」10万人規模が広西・雲南で一斉蜂起。 国府軍は各地で敗退。
● 1968年6月
北中国正規軍が広西北部に越境侵入。 これは史実の「テト攻勢」に相当するが、 規模は
3〜4倍。
■ 2. 1968年後半
日本軍、台湾(日本領)から大規模増援を派遣
台湾が日本領であるため、 日本軍は台湾を“巨大な前線基地”として自由に使える。
● 1968年7月
日本陸軍:台湾駐留3個師団+本土から2個師団を華南へ派遣 日本海軍:南シナ海艦隊を
増強 日本空軍:F-104・F-4戦闘機を投入
● 目的
国府軍の崩壊阻止
北中国の補給線遮断
華南沿岸都市の死守
日本軍は 米軍よりも多くの兵力を投入する。
■ 3. 1969年
戦争は“ゲリラ戦+正規戦+空海戦”の三重構造へ
● 1969年2月
北中国ゲリラが広西・雲南の山岳地帯を制圧。 国府軍は沿岸部に押し込まれる。
● 1969年5月
日本軍は空海戦で圧倒するが、 内陸のゲリラ戦では苦戦。
● 1969年10月
北中国は満州からの補給線を維持し、 ゲリラをさらに増強。
戦争は 完全な泥沼に突入。
■ 4. 1970年
北中国、ソ連の支援で“第二次大攻勢”を実施
● 1970年1月
ソ連が北中国に大量の武器供与
AK-47
RPG-7
SA-7携帯地対空ミサイル
T-55戦車
Mig-21戦闘機
● 1970年4月
北中国軍が広西北部で大攻勢。 国府軍は壊滅的損害。
● 1970年6月
日本軍が広州・福州を死守。 台湾(日本領)への避難民が急増。
■ 5. 1970年後半
日本軍、華南沿岸を保持するが内陸で苦戦
● 日本軍の強み
海軍力
空軍力
補給力(台湾が日本領のため安定)
国府軍の再編能力
● 日本軍の弱み
山岳ゲリラ戦に不慣れ
国府軍の腐敗
北中国の補給線を切れない
結果として、 沿岸は日本軍が保持、内陸は北中国ゲリラが支配 という二重構造が形成さ
れる。
■ 6. 1971年
北中国、華南の“農村包囲都市”戦略を本格化
毛沢東は第一次中華戦争で失敗した 「正面攻勢」ではなく、 農村包囲都市戦略を採用。
● 1971年3月
広西・雲南の農村地帯の80%が北中国側に。
● 1971年7月
日本軍は都市部を保持するが、 補給線が常にゲリラに脅かされる。
● 1971年末
国府政府は広州・福州・厦門の“沿岸都市国家”に縮小。
これは史実の南ベトナムの縮小に近いが、 日本軍がいるため完全崩壊はしない。
■ 7. 1972年
日本軍、米軍と共同で“華南安定化作戦”を開始
日本は
台湾(日本領)
南シナ海
東南アジア の安全保障を守るため、 戦争の長期化を容認できない。
● 1972年2月
日本軍・米軍が共同で 「華南安定化作戦」を開始。
● 内容
北中国補給線の空爆
ゲリラ支配地域の掃討
国府軍の再編
沿岸都市の要塞化
台湾からの補給強化
● 1972年末
戦線は再び膠着。 北中国は内陸を保持、日本軍は沿岸を保持。
第二次中華戦争 中盤まとめ(1968〜1972)
この世界線では、第二次中華戦争中盤は 史実のベトナム戦争の“テト攻勢〜ニクソン
期”に相当するが、 規模は数倍、期間も長期化する。
● 1968年
北中国が満州工業地帯を総動員し大攻勢 日本軍が台湾から大規模派兵
● 1969年
ゲリラ戦+正規戦+空海戦の三重構造へ
● 1970年
ソ連が北中国を全面支援 日本軍は沿岸を保持、内陸で苦戦
● 1971年
北中国が農村包囲都市戦略を本格化 国府は沿岸都市国家に縮小
● 1972年
日本・米国が華南安定化作戦 戦線は再び膠着




