第33章 第二次中華戦争 終盤(1973〜1975) ― 北中国の総攻勢、日本軍の持久戦、そして“凍結された勝敗” ―
■ 1. 1973年
北中国、ソ連の全面支援で“第三次大攻勢”を開始
● 1973年1月
ソ連は北中国に対し、
T-62戦車
Mig-23戦闘機
SA-6地対空ミサイル
大量の小火器 を供与し、北中国軍は史上最大規模に増強される。
● 1973年3月
前。
北中国軍は広西・雲南で同時攻勢を開始。 ゲリラ+正規軍の複合攻勢で国府軍は崩壊寸
● 1973年6月
北中国軍が広西省の主要都市を制圧。 国府軍は沿岸部に後退。
これは史実の「1972年北ベトナム大攻勢」に相当するが、 規模は3倍以上。
■ 2. 1973年後半
日本軍、台湾(日本領)からの補給で“沿岸都市国家”を死守
国府(華南政府)は
広州
福州
厦門 の沿岸都市のみを保持。
しかし台湾が日本領であるため、 日本軍は台湾から無制限に補給できる。
● 1973年8月
日本軍は広州・福州を要塞化し、 北中国軍の攻勢を撃退。
● 1973年12月
北中国軍は沿岸都市を落とせず、 戦線は再び膠着。
■ 3. 1974年
北中国、ゲリラ戦を強化し“都市包囲戦”へ移行
北中国は正面攻勢で日本軍を突破できないと判断し、 都市包囲戦+補給線攻撃へ戦略転
換。
● 1974年2月
広州周辺の農村地帯が北中国ゲリラに制圧される。
● 1974年5月
日本軍の補給線が常に襲撃され、 都市は孤立状態に。
● 1974年10月
国府軍はほぼ戦闘不能となり、 日本軍が単独で都市を維持する状態に。
これは史実の「南ベトナム政府の弱体化」に相当するが、 日本軍がいるため崩壊はしな
い。
■ 4. 1975年初頭
北中国、満州工業地帯を総動員し“最終攻勢”を準備
● 1975年1月
北中国は満州の工業力を総動員し、
砲兵
戦車
補給物資 を大量生産。
● 1975年3月
北中国軍は広西・雲南で最終攻勢を開始。 国府軍は完全に崩壊。
● 1975年5月
北中国軍は広州北方30kmまで進出。 日本軍は都市を死守。
■ 5. 1975年夏
日本軍、米軍と共同で“広州空輸作戦”を実施
広州が包囲され、陸路補給が不可能となる。
● 1975年6月
日本軍・米軍は台湾(日本領)から 大規模空輸作戦を実施。
C-130輸送機
P-3哨戒機
海軍航空隊
これにより広州は辛うじて持ちこたえる。
史実の「ベルリン空輸」に近い構造。
■ 6. 1975年秋
北中国、広州・福州を落とせず、戦争は“凍結”へ
北中国は
補給線の限界
ソ連の支援疲れ
日本軍の空海優勢 により、沿岸都市を落とせない。
● 1975年10月
北中国軍は攻勢を停止。 戦線は完全に固定化。
● 1975年12月
日本・米国・北中国・国府の間で **「香港休戦協定」**が締結される。
■ 7. 休戦協定の内容(1975年12月)
● 北中国
広西・雲南の内陸部を保持
華南の農村地帯を支配
沿岸都市への攻撃停止
● 日本・国府
広州・福州・厦門を保持
台湾(日本領)を完全確保
南シナ海の制海権を維持
● 米国
空軍・海軍の撤退を開始
日本に地域安保を委譲
● 結果
中国大陸は“都市国家 vs 農村国家”の二重構造に固定化。
■ 8. 戦争の帰結
第二次中華戦争は 勝者なき戦争となる。
● 北中国
→ 内陸を支配するが沿岸都市を奪えず → 経済は疲弊 → 軍事国家化が進む
● 国府(華南)
→ 沿岸都市国家として辛うじて生存 → 日本の保護下で存続
● 日本
→ 台湾(日本領)を完全確保 → 南シナ海の制海権を維持 → しかし長期戦で社会疲弊
● 米国
→ 日本にアジア安保を委譲 → 史実より早くアジアから手を引く
第二次中華戦争 終盤まとめ(1973〜1975)
この世界線では、第二次中華戦争終盤は 史実のベトナム戦争終盤よりも複雑で、勝
敗が凍結される形で終わる。
● 1973年
北中国の第三次大攻勢 日本軍が沿岸都市を死守
● 1974年
都市包囲戦が激化 国府軍はほぼ崩壊
● 1975年
北中国の最終攻勢 日本軍が空輸で広州を維持 戦線が凍結 香港休戦協定で戦争終結
● 結果
中国大陸は南北分断+都市国家化
台湾は日本領のまま
日本はアジア安保の中心国家へ
北中国は軍事国家化
• • 国府は沿岸都市国家として生存




