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【BL】元人気配信者ですが、古参ファンが怖すぎます  作者: 只野 唯


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9/17

第9話 炎上と未公開


 動画が伸び始めると、必ず湧くものがある。

 考察。  

 切り抜き。  

 過去掘り。

 そして、“燃料”。


 ◆◆◆


 その日、律は会社の給湯室でコーヒーを淹れていた。

 スマホが震える。  

 通知。


『おすすめの動画』


 何気なく開いて、律は固まった。


『【悲報】元リツミナ律、現在がヤバすぎる』


 サムネには、数年前の自分の顔。  

 その横に、わざとらしい赤文字。


『彼女に捨てられた末路』


「……うわ」


 嫌な汗が滲む。

 動画時間、十二分。  

 再生数、すでに二十万。

 早すぎる。

 律は無意識にタップしていた。


『元人気カップルYouTuber“リツミナ”をご存知でしょうか?』


 軽薄なナレーション。


『当時は理想のカップルとして人気でしたが、解散後——』


 映るのは、美那の現在。

 テレビ出演。  

 企業案件。  

 夫とのツーショット。

 そこへ被せるように、昔の律の映像。


『一方、彼氏側はほぼ消えた模様』

『ヒモだったって噂もありますよね〜』


 コメント欄が流れる。


『美那ちゃん可哀想だった』

『寄生彼氏じゃん』

『そりゃ捨てられる』


 喉が詰まる。

 律は動画を止めた。

 心臓がうるさい。

 分かっていた。  

 いつか来ると思っていた。

 九条のチャンネルが伸びれば、編集者にも目が向く。  

 そして、ネットは“物語”が好きだ。

 成功した元カノ。  

 落ちぶれた元彼。

 分かりやすい。


「笠原くん?」


 背後から声がして、律は反射的にスマホを伏せた。

 同僚だった。


「顔色悪くない?」

「……寝不足で」

「大丈夫?最近忙しいもんね」


 律は曖昧に笑った。

 嫌な汗が止まらない。

 もし会社に知られたら。

 元配信者。  

 炎上中。  

 まとめ動画。

 面倒事を嫌う会社なら、切られてもおかしくない。

 律はそのままトイレへ逃げ込んだ。

 個室へ入り、便座に座る。

 呼吸が浅い。

 スマホは通知で埋まり始めていた。


『律ってあのリツミナの?』

『今更出てきてて草』

『また承認欲求出てきた?』


「……クソ」


 指先が震える。

 懐かしい感覚だった。

 炎上。  

 誰かに監視される感じ。  

 通知が止まらない感じ。

 昔は、これすら数字になった。

 でも今は違う。

 ただ、怖い。

 その時。

 スマホが鳴った。

 画面には九条慶と表示されている。

 律は数秒迷ってから通話を取った。


「……もしもし」

『動画、見ました?』


 静かな声だった。

 律は笑う。


「早いですね」

『伸びてるので』

「最悪ですよ」


 乾いた声が出る。


『会社に知られそうで』


 沈黙。

 数秒後、慶が言った。


『大丈夫です』

「……何が」

『もう対応してます』


 律は眉を寄せる。


「対応?」

『拡散元、何個か落としました』


 息が止まる。


「……は?」

『虚偽情報が多かったので』


 慶の声は穏やかだった。

 まるで、普通の事務連絡みたいに。


「あと、まとめアカウント側にも連絡しました」

「ちょ、待ってください」


 律は思わず声を荒げた。


「何してるんですか」

『火消しです』

「いや、そうじゃなくて」


 理解が追いつかない。


「なんでそこまで」

『放置すると面倒なので』

「俺の問題でしょう」

『今は僕のチャンネルにも関係あります』


 合理的な返答。

 なのに。

 それだけじゃないと分かってしまう。


「……九条さん」

『はい』

「なんでそこまでしてくれるんですか」


 通話の向こうが少し静かになる。

 律は唇を噛んだ。

 ずっと分からなかった。

 なんでこの男は、自分に執着するのか。

 元カップルYouTuber崩れ。  

 炎上中。  

 情緒不安定。

 普通、使いづらいだけだ。

 なのに。

 九条はずっと、自分を見ている。

 数秒後。

 慶が小さく笑った。


『気になるので』

「……は?」

『笠原さんのこと』


 ぞわ、と背筋が粟立つ。

 声色は穏やかなのに、妙に体温が低い。


「それ、答えになってないです」

『そうですか?』

「怖いんですよ、言い方が」


 慶がまた笑う。  

 低い笑い声。


『でも、放っておけないです』


 律は言葉を失った。

 言い方は軽いのに軽くない。

 でも。

 慶は本気でそう思っている声だった。


「……意味分かんないです」

『よく言われます』


 律は額を押さえる。

 怖い。

 本当にこの男は怖い。

 人との距離感が壊れている。

 なのに。

 通話を切りたくないと思ってしまう。


『あと』


 慶が静かに言う。


『今日、時間ありますか』

「……は?」

『少し見せたいものがあって』


 嫌な予感がした。


「なんですか」

『来れば分かります』

「いや怖いんですけど」

『お礼、したくないですか?』

「何を言って」

『僕に借りをつくったままでいいんですか?』


 律は黙る。

 火消しまでされて、何もしないのは気持ち悪い。  

 差し入れくらい持って行ったほうがいいんじゃないか。

 慶は静かに続ける。


『コーヒーだけでいいですよ』


 その声音が妙に自然で。

 律は結局、断れなかった。


 ◆◆◆


 深夜。

 九条慶のオフィスは、相変わらず静かだった。

 高層階。  

 ガラス張り。  

 夜景。

 生活感が薄い。


「……これ」


 律はコンビニ袋を差し出す。


「コーヒーです」

「ありがとうございます」


 慶は素直に受け取った。

 黒シャツ姿のまま、デスクへ戻る。


「座ってください」

「……何見せたいんですか」

「これです」


 大型モニターが点灯する。

 その瞬間。

 律の呼吸は止まった。


「……は?」


 画面の中に、自分がいた。

 若い。  

 今より少し痩せていて、髪も長い。

 隣には美那。

 二人並んでソファへ座っている。

 部屋は見覚えがあった。

 当時住んでいたマンション。  

 撮影用に白く整えたリビング。

 でも。

 律にはその動画に見覚えがなかった。

 少なくとも、“公開した記憶”はない。


『今日は質問コーナーやっていきまーす』


 美那が笑う。

 声が少し硬い。

 律も笑っている。

 でも目が死んでいる。

 慶は無言で再生を続けた。

 律は画面から目を離せない。


『結婚の予定ありますか?』


 テロップも入っていない、生素材。

 カメラの向こうで、当時のスタッフが少し笑う声まで入っている。

 美那が困ったように律を見る。


『どうする?』

『……別に普通に答えれば』


 声が低い。

 不機嫌なのが丸分かりだった。

 律は自分で自分の顔を見て、胃が重くなる。

 こんな顔してたのか。


『でも、期待されてるよね』

『期待されてるから何』


 空気が止まる。

 美那が一瞬だけ黙る。

 その沈黙が、生々しかった。

 動画の中の律は、苛立っている。

 笑えていない。

 隠そうともしていない。

 美那が無理やり口角を上げる。


『まあ、でも仲良くやってますので!』


 明るく言う。

 でも声が震えている。

 律はそこで、耐えきれず口を開いた。


「……止めてください」


 慶がリモコンを操作し、動画が止まる。

 静寂。

 律は画面を睨んだまま動けなかった。

 見せたいものがある。

 そう言われて来たことを、心底後悔した。


「……なんですか、これ」


 声が掠れる。

 慶は落ち着いた顔で答えた。 


「未公開データです」

「いや、そうじゃなくて」


 律は振り返る。


「なんで、あなたが持ってるんですか」


 慶は数秒沈黙した。

 そして静かに言う。


「知り合い経由で、消える前に保存しました」


 意味が分からなかった。


「……は?」

「当時、リツミナの編集に関わってた人がいたので」

「……」

「バックアップデータが流れることって、あるんですね」


 律の背中が冷える。

 慶は平然としていた。

 まるで大したことじゃないみたいに。


「保存って……何年前の話だと思ってるんですか」

「五年前ですね」

「なんで残してるんですか」

「好きだったので」


 即答だった。

 律は言葉を失う。

 好きだった。

 その言葉が怖い。

 ファンの“好き”とは違う。

 熱狂でも憧れでもない。

 もっと静かで、粘着質なもの。

 慶は再びモニターを見る。


「この頃のあなた、かなり限界でしたよね」

「……」

「今見ると分かります」


 律は笑いそうになった。

 限界。

 そんな言葉で済む状態じゃなかった。

 動画が伸びないだけで眠れなくなった。  

 数字が落ちると吐き気がした。  

 案件メールが来ない日、自分が社会から消える気がした。

 なのに。

 カメラの前では笑わなければいけない。

 理想のカップルでいなければいけない。


「……昔のことです」


 律が低く言うと、慶は静かに首を傾げた。


「本当に?」

「は?」

「まだ終わってない顔してますよ」


 その言葉に、律は反射的に睨み返した。


「……何が言いたいんですか」

「別に」


 慶は穏やかだった。


「ただ、あなたって壊れる過程が綺麗だなと思って」


 ぞわり、と鳥肌が立つ。

 律は立ち上がった。


「気持ち悪い」


 思わず口から出る。

 慶は否定しなかった。

 むしろ少し笑った。


「よく言われます」

「普通、こんなの保存しないでしょ」

「普通じゃないので」

「……」

「あなたも、普通じゃなかったですよ」


 律は息を呑む。

 慶は続けた。


「動画のコメント、一日中見てたでしょう」

「……」

「深夜三時くらいに病んだツイート消してた」

「……なんで知ってるんですか」

「見てたので」


 当たり前みたいに言う。

 律は寒気を覚えた。

 この男は。

 どこまで知っている?


「九条さん」


 律は慎重に言葉を選ぶ。


「あなた、俺のこと監視してたんですか」

「監視はしてません」

「じゃあ何なんですか」


 慶は少し考えるように沈黙した。

 そして。


「観測、ですかね」


 と、言った。

 その答えが、一番怖かった。

 監視より執着が深い気がする。

 律は無意識に一歩下がる。

 慶はそんな律を静かに見ていた。


「あなた、昔から消えそうだったので」

「……」

「見てないと、本当にいなくなりそうで」


 律は返事ができなかった。

 意味が分からない。

 理解したくない。

 なのに。

 胸の奥がざわつく。

 誰にも気付かれていなかったと思っていた。

 自分が壊れていたこと。  

 笑えなくなっていたこと。  

 消えたがっていたこと。

 でも。

 この男だけは見ていた。

 ずっと。


「……最悪だ」


 律が吐き捨てると、慶は少しだけ目を細めた。


「褒め言葉として受け取っておきます」


 本当に嬉しそうだった。

 律は逃げるように視線を逸らす。

 モニターには、停止した映像。

 過去の自分と美那。

 二人とも笑っている。

 でも今なら分かる。

 あの頃、全部終わっていた。

 編集で誤魔化していただけだ。

 沈黙を切って。  

 空気を削って。  

 破綻を隠して。

 綺麗な動画に加工していた。

 そして九条慶は、その“削った部分”ばかり見ている。


「続き、見ますか?」


 慶が静かに尋ねる。

 律は反射的に首を振った。


「……見たくない」

「そうですか」


 慶は素直にモニターを消した。

 部屋が暗くなる。

 ガラス窓の向こうには夜景。

 都会の光。

 その中で、慶だけが妙に静かだった。


「でも」


 慶がぽつりと言う。


「僕は好きでしたよ」

「……何を」

「あなたが、壊れながら笑ってる感じ」


 律は息を止めた。

 普通なら怒るべきだった。

 怖がるべきだった。

 なのに。

 どこかで理解してしまう。

 この男は、成功していた頃の自分じゃなくて。

 壊れていく自分を見ていた。

 落ちていく自分を。

 画面の端で笑えなくなっていた、あの頃の自分を。

 慶は椅子へもたれたまま、静かに言う。


「だから今、結構楽しいです」

「……」

「またあなたを見れるので」


 律は言葉を失った。

 怖い。

 本当に怖い。

 なのに。

 心のどこかが、その視線に安心してしまっている自分がいた。

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