第8話 編集者
九条慶のチャンネル登録者数は、十万人を超えていた。
動画投稿開始から、まだ二ヶ月。
異常な伸び方だった。
金融系YouTubeは本来、ここまで爆発しづらい。
地味だ。
堅い。
視聴習慣が付くまで時間がかかる。
もちろん理由はある。
九条自身に元々SNSでの知名度があったこと。
切り抜き文化と相性が良かったこと。
そして何より、“喋りが強い”。
『努力って、方向がズレると普通に損失ですよ』
『貯金だけで安心できる時代、もう終わってます』
『不安だから勉強するんです。不安が無い人は勉強しないので』
短い言葉が、やたら切り抜かれる。
怖い。
でも見てしまう。
コメント欄は、そんな空気で埋まっていた。
律は編集室でサムネを修正しながら、小さく息を吐く。
「……化け物かよ」
まだ半年も経っていない。
なのに案件相談メールは増え続けていた。
証券会社。
オンラインスクール。
家計簿アプリ。
数字が数字を呼ぶ。
慶はそれを当然みたいな顔で受け流していた。
切り抜かれた言葉はSNSで拡散される。
ショート動画から本編へ流れる。
綺麗な導線だった。
そして最近、コメント欄に増えている言葉がある。
『編集うますぎ』
『昔のYouTube感ある』
『なんか懐かしくて見ちゃう』
『テンポが気持ちいい』
『編集誰なんだろ』
律はモニターを見ながら、小さく息を吐いた。
「……見つかり始めてる」
編集者の存在なんて、普通は意識されない。
演者の後ろ。
裏方。
名前も出ない。
でも。
“違和感”が強い編集は、時々気付かれる。
間。
視線。
沈黙。
テロップ。
律の編集には癖がある。
本人が一番分かっていた。
「笠原さん」
後ろから声。
振り返ると、九条が立っていた。
今日は撮影終わりらしく、髪が少し乱れている。
なのに相変わらず画面映えしそうな顔だった。
「また編集褒められてますね」
慶がモニターを見る。
「……見てるんですか」
「かなり」
「暇なんですか」
「笠原さん関連は全部見てます」
「怖」
即答すると、慶が少し笑った。
最近分かってきた。
この男、“怖い”って言われると嬉しそうにする。
終わってる。
「でも本当に増えましたね」
慶がコメント欄をスクロールする。
『編集の間が気持ちいい』
『切り抜き方うますぎる』
『なんか昔のニコニコ〜YouTube初期っぽい空気ある』
律は視線を逸らした。
懐かしい。
その感覚。
昔、“リツミナ”が伸びていた頃もそうだった。
『編集好き』
『空気感がいい』
『ずっと見ちゃう』
動画の内容だけじゃなく、“チャンネルの空気”ごと好かれていた。
律は、それを作る側だった。
「嬉しいですか」
慶が聞く。
律は数秒黙った。
嘘をつこうとして、やめる。
「……ちょっと」
慶が目を細めた。
「正直ですね」
「今さら隠しても無駄そうなんで」
「はい。かなり分かりやすいです」
「腹立つな」
でも、否定できなかった。
嬉しい。
コメント欄で編集を褒められるたび、脳の奥が熱くなる。
動画一本で人生変わるような感覚。
数字が伸びる感覚。
誰かが自分の作ったものを見ている感覚。
あれは、一回知ると駄目だ。
忘れられない。
律は管理画面を開く。
最新動画。
投稿から二日で、再生数四十八万。
視聴維持率も高い。
コメント数も異常。
「……やっぱ数字強いな」
思わず呟く。
慶は隣で画面を見ていた。
「好きですよね」
「何がですか」
「数字」
律は少し黙る。
「……まあ」
「生き返ってる顔してます」
「それ言うの好きですね」
「事実なので」
律はマウスを握りながら、静かに画面を見た。
昔もそうだった。
通知が鳴るたび、嬉しかった。
再生数が伸びるたび、世界に存在を認められてる気がした。
でも同時に。
落ち始めた瞬間、全部が怖くなった。
数字が減る。
コメントが減る。
おすすめに乗らなくなる。
すると、自分自身まで価値が無くなった気がした。
だから壊れた。
美那にも依存した。
なのに。
また同じ場所へ戻りかけている。
「……良くないんですよね」
律が小さく言う。
「何がですか」
「これ」
管理画面を見つめたまま続ける。
「また楽しくなってる」
慶は少し黙った。
それから静かに言う。
「別に、楽しいのは悪くないでしょう」
「九条さんは分かってない」
律は笑った。
「これ、麻薬みたいなもんなんですよ」
数字。
通知。
承認。
一回ハマると、脳が忘れない。
「昔、再生数落ちた時」
律は画面を見たまま言う。
「本気で眠れなくなりました」
慶は何も言わない。
「起きた瞬間にアナリティクス見て」
「コメント欄巡回して」
「他の配信者と比べて」
気付けば、一日中数字のことを考えていた。
「人として終わってたと思う」
自嘲みたいに笑う。
でも慶は笑わなかった。
ただ静かに律を見る。
「でも」
慶が低く言う。
「あなた、あの頃よりマシですよ」
「……なんで分かるんですか」
「今は、ちゃんと自覚してるので」
律は少しだけ目を伏せた。
確かにそうだった。
昔は、“数字が全て”だと思っていた。
でも今は違う。
怖いと分かっている。
飲まれかけていると分かっている。
それでも。
気持ちいい。
通知欄が増えるたび、胸が熱くなる。
その時。
九条がふとスマホを差し出した。
「これ」
「……何ですか」
画面にはSNS。
切り抜き動画だった。
『九条慶、編集が映画みたいで草』
再生数、百三十万。
コメント欄。
『編集者センスありすぎ』
『この沈黙の入れ方天才』
『昔のYouTube黄金期感ある』
律は息を止めた。
画面の中。
九条が喋る前、一瞬だけ沈黙がある。
律が入れた“間”。
無意識に作った癖。
それが切り抜かれている。
「……最悪」
律が呟く。
「見つかってる」
「嬉しそうですね」
「うるさい」
でも。
口元が少し緩んでいる自覚はあった。
慶はそんな律を見て、静かに笑った。
「やっぱり」
「……何ですか」
「あなた、編集してる時が一番生きてますね」
その言葉に。
律は、反論できなかった。
気まずくて話を変える。
「そういえば、九条さん」
「はい」
向かい側で資料を読んでいた慶が顔を上げる。
「リモートで良くないですか?」
今日も、律は九条のオフィスに来ているが、別に編集データだけ受け取って家で作業してもいい。
今どき珍しくない。
なのに慶は、『直接話したいので』と言って、毎回律を呼ぶ。
もしくは律の会社に来る。
最初は打ち合わせだと思っていた。
でも最近は違う。
雑談。
確認。
サムネ相談。
別にオンラインで済む。
絶対に。
律はノートPCを閉じながら、とうとう口にした。
慶は瞬きもせず律を見た。
数秒、沈黙。
「分かりませんか?」
「何を」
「あなたに会う口実ですよ」
律の思考が、一瞬止まる。
「……は?」
慶は淡々としていた。
冗談を言った顔じゃない。
「いや」
律は眉を寄せる。
「怖いんですけど」
「よく言われます」
「それ、褒めてないです」
「知ってます」
平然としている。
律は頭を抱えたくなった。
この男、本当に距離感がおかしい。
普通、もっと隠すだろ。
建前とか。
仕事上の関係とか。
なのに慶は、妙なところだけ真っ直ぐだ。
「……会ってどうするんですか」
「会いたいだけなんで」
「だから怖いって言ってるんですけど」
慶は少しだけ笑った。
柔らかい笑みだった。
なのに、どこか粘着質で。
視線が離れない。
「笠原さん、表情変わりやすいですよね」
「は?」
「コメント欄見てる時と、編集してる時、全然違う顔してる」
律は思わず視線を逸らした。
図星だった。
再生数が伸びている時。
コメント欄に自分の名前が出た時。
自覚してる。
顔に出ている。
恥ずかしいくらいに。
「あと」
慶が続ける。
「褒めると、ちょっと機嫌よくなる」
「……なってません」
「なってます」
即答。
律は無意識に舌打ちした。
「人このこと、観察するの趣味なんですか」
「かなり」
「終わってる」
「笠原さんも似たようなものですよ」
「俺は違います」
「違いません」
慶は静かに言う。
「あなた、人の感情を見る編集してるので」
律は言葉に詰まる。
またそれだ。
この男は、編集の話をしているのに、時々、人間性そのものを暴いてくる。
「あなた、感情の死にかけが好きでしょう」
「……は?」
「完全に壊れる直前の空気」
背筋が冷えた。
「それを残すのが上手い」
律は反射的に否定しかけて、止まる。
思い出してしまった。
“解散動画”。
美那が笑っていた。
でも目だけが死んでいた。
あの時、律は。
その“死んだ瞬間”を一番綺麗に見える角度で残した。
消さなかった。
消せなかった。
「……最悪だ」
小さく呟くと、慶が少し目を細める。
「否定しないんですね」
「する気なくしました」
律は椅子へ深く座った。
「九条さんと話してると、自分の嫌な部分ばっか見える」
「見せてますから」
「最低」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
慶はまた笑った。
最近分かってきた。
この男、律が刺々しく返すほど楽しそうにする。
たぶん。
反応を見るのが好きなんだ。
「でも」
慶がふと真面目な声になる。
「ちゃんと元気になってきましたよね」
律は視線を止める。
「……何がですか」
「初めてあった時は、かなり死んだ顔をしていたので」
「失礼だな」
「目が」
慶は静かに言った。
「今はちゃんと、数字見て喜ぶ顔してます」
胸の奥がざわつく。
図星だった。
最近、自分でも分かる。
再生数を確認する回数が増えた。
エゴサもしている。
コメント欄も読む。
“元リツミナの編集?”
そう書かれていると、つい開いてしまう。
消えたかったはずなのに。
また見られたい。
その欲が、静かに戻ってきている。
「……良くないんですよ」
律は低く言った。
「これ」
「承認欲求ですか?」
「分かってるなら煽らないでください」
慶は少し黙った。
それから、静かに言う。
「でも、完全に死ぬよりマシです」
律は顔を上げる。
慶はいつもの穏やかな顔だった。
なのに。
その言葉だけ妙に本気だった。
「笠原さん」
「……はい」
「あなた、誰にも見られなくなった時、本当に消えそうだったので」
呼吸が止まる。
律は、何も言えなかった。
この男は怖い。
人の弱い部分へ躊躇なく入ってくる。
なのに。
その目だけは、妙に真剣だった。
まるで。
本当に、自分が消えないよう見張っているみたいに。




