第5話 数字の切れた男
律が最後に動画を投稿したのは、3年前だった。
アカウントは残っている。
消してはいない。
だが、動いていない。
フォロワー数は、もう見なくなった。
正確には、“見ないようにしている”。
それでも、たまに確認してしまう。
九・八万人。
以前に比べてまた減っている。
昔は通知欄が止まらなかった。
投稿すれば伸びた。
適当に切り抜いても回った。
なのに今は、何も投稿していないのに、数字だけが死体みたいに腐っていく。
律はスマホを伏せた。
会社の給湯室。
昼休み。
紙コップのコーヒーはぬるい。
「見ちゃいますよね」
背後から声がした。
律は肩を揺らす。
振り返るまでもない。
九条慶だった。
いつもの黒いシャツ。
無駄に整った顔。
人を見下ろしてるわけでもないのに、なぜか神経を逆撫でする目。
「勝手にうろつかないでください」
「こちらにいると伺ったので」
「……何ですか?」
「見ちゃいますよね。数字」
慶は隣に立った。
「登録者とか、再生数とか。エゴサとか」
律は返事をしなかった。
代わりに、紙コップを握る指に力が入る。
「まだエゴサしてます?」
心臓が、一瞬だけ止まった。
律はゆっくり顔を上げる。
「……してませんけど」
「へえ」
慶は薄く笑った。
絶対、信じていない顔だった。
「“律 今”とか、“律 オワコン”とか。“解散 本当の理由”とか」
「……」
「検索候補、嫌でも出ますよね」
「……うるさいな」
思わず声が低くなる。
慶は気にした様子もない。
「でも、気になりますよね。自分が今どう見られてるか」
「別に」
「気にならない人は、“見てません”って即答しないですよ」
律は舌打ちした。
こいつは、人の嫌なところを突くのが上手い。
いや。
“わかってる”のだ。
律自身、もう気づいている。
数字に人生を壊されたくせに、まだ数字を見ている。
SNSを閉じたあとも。
動画をやめたあとも。
エゴサだけは、やめられなかった。
深夜。
眠れない時。
検索窓に、自分の名前を打ち込む。
『昔は好きだった』
『相方がかわいそう』
『消えて当然』
『結局、編集だけの人』
見なきゃいいのに。
毎回、ちゃんと傷つく。
「……仕事の話じゃないなら、戻りますけど」
律はコーヒーを流しに捨てた。
慶が後ろで笑う気配がした。
「怒りました?」
「怒ってません」
「じゃあ図星だ」
「……」
「笠原さんって、昔から反応がわかりやすいですよね」
その言葉に、律は振り返った。
「昔から?」
「ああ」
慶は自然に言った。
「昔、配信でコメント拾う時もそうだったじゃないですか。“刺さったコメント”だけ、ちょっと間が空く」
律の眉が動く。
慶は続ける。
「アンチには強がるのに、肯定には弱い」
「……なんでそんな細かいこと覚えてるんですか」
「見てたから」
即答だった。
律は言葉に詰まる。
慶はスマホを取り出した。
「これとか」
画面が向けられる。
そこには、見覚えのあるサムネイルが並んでいた。
『同棲カップル質問コーナー』
『喧嘩しました』
『【報告】今後について』
全部、自分の動画だった。
律の喉がひくりと鳴る。
「……なんで持ってるんですか」
「保存してあるので」
「は?」
「消えた動画もありますよね」
慶はスクロールする。
律が削除したはずの動画。
炎上して非公開にしたもの。
別れ話の直前に上げた配信。
全部、あった。
「……気持ち悪」
思わず本音が漏れる。
慶は少し笑った。
「よく言われます」
「普通、消した動画まで保存しないでしょ」
「でも、消えると二度と見れないじゃないですか」
その言い方が妙に静かで、律は返せなくなる。
慶はサムネイルを眺めながら言った。
「もったいないと思ってました」
「何が」
「笠原さんが消えるの」
給湯室の換気扇の音だけが響く。
律は目を逸らした。
「……別に、消えてないですけど」
「でも、“死んだアカウント”扱いですよね」
「……」
「更新止まった配信者って、みんなそうなる」
慶の声には、妙な実感があった。
「人って、数字が止まると、“もう終わった人”って判断するんですよ」
律は壁にもたれた。
終わった人。
何度も見た言葉だった。
元人気配信者。
元カップルYouTuber。
元インフルエンサー。
“元”。
今の律には、その肩書きしか残っていない。
「……別に、戻る気ないし」
そう言ったのに、慶は笑わなかった。
「戻らなくてもいいんじゃないですか」
「え?」
「同じ場所に戻る必要はないですよね」
慶はスマホをしまった。
「ただ、“数字が切れたから価値がない”って思い込むのは、もったいないと思いますけど」
「……」
「笠原さん、編集は今も上手いので」
その褒め方が、嫌だった。
配信者としてではなく。
裏方として評価される。
自分が“表舞台から降りた人間”だと突きつけられるみたいで。
「……九条さんって」
律は低く言う。
「なんでそんなに、俺のこと知ってるんですか」
慶は少しだけ考えるように黙った。
「たぶん」
そして、穏やかに笑う。
「青春だったからじゃないですか」
律は目を瞬いた。
冗談みたいな台詞だった。
でも慶は、本気で言っていた。
「大学の時、友達いなかったんですよ」
さらりと言う。
「だから、毎日見てました。あなたたちの動画」
「……」
「楽しそうで」
慶はそこで一度言葉を切る。
「羨ましかった」
律は何も返せなかった。
あの頃、自分たちは確かに笑っていた。
毎日撮影して。
編集して。
コメントを読んで。
数字が伸びるたびに、未来が広がる気がしていた。
でも。
終わった。
全部。
「……幻想ですよ」
律はぽつりと言う。
「動画なんて。見せたい部分だけ切り取ってるだけだし」
「知ってます」
慶はあっさり言った。
「編集してる本人が言うと重いですね」
「……」
「でも、切り取ったものでも、救われる人はいるので」
律は眉を寄せた。
慶はまっすぐこちらを見る。
「少なくとも、俺は好きでしたよ」
その目が、妙に真剣だった。
律は居心地が悪くなる。
褒められるのが苦手だった。
今さら、昔を肯定されるのも。
「……もう戻りませんから」
逃げるみたいに言う。
「配信とか、そういうの」
「別にいいんじゃないですか」
慶はまた同じことを言った。
「でも」
少しだけ笑う。
「律さん、完全には辞めてないですよね」
「……は?」
「本当に辞めた人って、アカウント消しますから」
図星だった。
律は、一度もアカウントを削除できなかった。
ログインできる状態のまま。
通知も切れず。
プロフィールも残したまま。
未練みたいに。
「……仕事戻ります」
律は給湯室を出た。
背中に視線を感じる。
廊下を歩きながら、ポケットのスマホが震えて、手に取る。
無意識に開く。
『律、最近どうしてるんだろ』
誰かのコメントだった。
たった一行。
それだけなのに。
律は、その画面を閉じられなかった。




