第4話 解散動画
九条慶のチャンネルは、順調に伸びていた。
初投稿から一ヶ月。
登録者は五万人を超え、切り抜き動画も増え始めている。
『この人なんか怖い』
『言ってること正しいのに不安になる』
『でも見ちゃう』
コメント欄にはそんな言葉が並んでいた。
律は会議室でそれを眺めながら、無意識に口元を押さえる。
――分かる。
九条慶は、妙に中毒性がある。
感情を大きく動かすタイプじゃない。
叫ばないし、煽らない。
なのに、視線が止まる。
そして何より厄介なのが、自分の編集と異様に噛み合うことだった。
沈黙。
視線。
一瞬の間。
律が入れた“違和感”を、九条は自然に成立させる。
そのせいで、動画に妙な空気が生まれていた。
「笠原さん」
声がして、律は顔を上げる。
今日も黒シャツの九条がいた。
そうだ。今はミーティング中だった。
「次の動画、かなり反応良さそうです」
「そうですね」
律はモニターへ視線を戻す。
分析画面。
視聴維持率。
コメント推移。
数字を見るだけで分かる。
このチャンネルは今、アルゴリズムに好かれ始めている。
「切り抜きも増えましたね」
九条が言う。
「……まあ、切り抜きやすいと思います」
「どうしてです?」
律は少し迷ってから答えた。
「喋りが短いからです」
「短い?」
「今って、長い説明より“刺さる一言”の方が回るんで」
九条は静かに頷く。
「なるほど」
「あと」
律はタイムラインを開く。
「切り抜かれる人って、“続きを見たくなる空気”があるんですよ」
「空気」
「説明しづらいですけど」
律は少しだけ苦笑する。
「喋り終わったあと、一瞬黙るじゃないですか」
「ああ」
「あれ、かなりいいです」
九条は少し考えるように視線を落とした。
「無意識でした」
「天然でやってるならタチ悪いですね」
律が言うと、九条が少し笑う。
「褒めてます?」
「半分くらいは」
九条はモニターへ近付く。
律が編集している画面を覗き込みながら、静かに言った。
「やっぱり、あなた編集上手いですね」
「……どうも」
「特に」
九条の指が、タイムライン上のカットを示す。
「切り捨てる編集が上手い」
その瞬間。
律の指が止まった。
「……切り捨てる?」
「その動画にいらない感情は残さない」
九条は自然に続ける。
「余韻は残すのに、未練は切る」
ぞく、と背筋が冷えた。
その言葉で、律の脳裏に、ある動画が浮かぶ。
◆◆◆
『今日は皆さんにご報告があります』
白い部屋。
柔らかい照明。
並んで座る自分と美那。
“リツミナ解散動画”。
再生数、百七十万。
当時、急上昇に入った動画。
『私たち、別々の道を歩むことになりました』
美那は笑っていた。
綺麗だった。
最後まで。
コメント欄は、
『悲しいけど応援します』
『二人とも幸せになって』
『最後まで素敵』
そんな言葉で埋まっていた。
炎上もしなかった。
揉めもしなかった。
理想的な終わり方。
少なくとも、視聴者にはそう見えた。
でも実際は違う。
撮影前の空気は、最悪だった。
◆◆◆
『もう限界』
美那は、ソファへ座ったまま言った。
部屋には撮影機材が散乱していた。
リングライト。
三脚。
案件商品の箱。
生活と仕事の境界なんて、とっくに消えていた。
『最近の律、ずっと数字の話しかしない』
『仕事なんだから当たり前だろ』
『寝る前まで再生数ずっと見てるじゃん』
『見なきゃ分析出来ないだろ』
声が強くなる。
でも止められなかった。
再生数が落ちると怖かった。
案件が減ると、自分の価値ごと消える気がした。
『私、もう無理』
美那は静かに言った。
『恋人やってる感じしない』
「……」
『マネージャーみたい』
律は何も返せなかった。
本当は気付いていた。
自分が壊れてきていること。
数字で機嫌が変わること。
伸びないだけで眠れなくなること。
でも、止まれなかった。
見られなくなるのが怖かった。
『一人でやっていきたい』
美那はそう言った。
泣いてはいなかった。
だから、本気だと分かった。
律は長い沈黙のあと、絞り出す。
『……解散動画は撮るから』
『うん』
その返事だけで、全部終わった。
◆◆◆
撮影当日。
律は、異様なくらい冷静だった。
カメラ位置。
照明。
BGM。
全部自分で決めた。
“円満に見える終わり方”。
それだけを考えていた。
美那が沈黙した部分は切った。
険しい顔も消した。
声が震えた部分は使わなかった。
代わりに。
柔らかく笑った瞬間だけを繋げた。
まるで、本当に前向きな別れだったみたいに。
動画公開後。
コメント欄は優しかった。
『最後まで素敵な二人』
『理想のカップルだった』
『円満でよかった』
律は、そのコメントを朝まで読み続けた。
途中から、自分でも何が本当なのか分からなくなった。
綺麗に編集すれば、終わり方すら加工できる。
あの時初めて、編集って怖いと思った。
◆◆◆
「笠原さん?」
九条の声で現実へ戻る。
律は瞬きをする。
「……すみません」
「嫌なこと思い出しました?」
「別に」
反射的に返す。
九条は数秒だけ律を見ていた。
「解散動画、かなり綺麗でしたよね」
心臓が嫌な音を立てる。
「……見たんですか」
「かなり」
九条はあっさり答えた。
「すごかったです」
「何が」
「空気が完全に終わってるのに、ちゃんと“円満”に見えた」
律の呼吸が止まりかける。
普通の視聴者は気付かなかった。
気付かないように編集したから。
沈黙を削って。
声色を揃えて。
視線を繋いで。
終わった恋愛を、“綺麗な思い出”へ加工した。
「あなた」
九条が静かに言う。
「動画内では、感情を切るの上手いですよね」
「……」
「だから、人が見続ける」
律は何も言えなかった。
この男、見過ぎだ。
普通、そこまで気付かない。
「気持ち悪いですよ」
思わず呟く。
「そこまで見てるの」
九条は少し笑った。
「よく言われます」
「褒めてません」
「分かってます」
律は視線を逸らした。
怖い。
でも。
少しだけ安心している自分がいる。
誰にも気付かれなかったと思っていた。
あの動画の、壊れかけた空気。
それを、この男だけは見抜いていた。
「……九条さん」
「はい」
「人間観察、趣味なんですか」
「仕事みたいなものです」
「最悪だ」
律が言うと、九条が少し笑う。
その時。
モニターに、新しいコメント通知が流れた。
『編集、元リツミナっぽい』
律の指先が止まる。
『間の使い方懐かしい』
『この編集好きだった』
胸の奥が熱くなる。
まだ覚えられている。
消えていなかった。
「……最悪」
律が小さく呟く。
九条はそんな律を見ながら、
静かに言った。
「嬉しいくせに」
否定できなかった。




