第3話 初投稿
三日後。
律は結局、九条のオフィスへ来ていた。
「……よろしくお願いします」
自分で言いながら、負けた気分になる。
断れなかった。
正確には、断る理由が弱かった。
条件は悪くない。
報酬もかなりいい。
企画もちゃんとしている。
何より。
久しぶりだった。
“自分を必要としてくる仕事”。
九条はデスク越しに微笑む。
「ありがとうございます」
「まだ長期でやるかは決めてないですけど」
「はい」
「合わなかったら普通に抜けます」
「もちろん」
返事がやけに素直で逆に怖い。
もっと囲い込んでくるタイプかと思った。
なのに。
九条は無理に距離を詰めない。
ただ静かに見ている。
それが余計に落ち着かない。
「まず一本、試しにお願いしたいです」
九条がモニターを律へ向ける。
企画タイトル。
『なぜ人は投資が怖いのか』
律は少し眉を上げた。
「……地味ですね」
「地味ですか?」
「もっと“新NISAで人生逆転!”みたいなのかと」
「そういうの、嫌いなので」
九条はさらっと言った。
「そんな上手い話はありませんから」
「まあ、伸びますけどね」
「だから嫌なんです」
律は少しだけ意外に思う。
もっと数字至上主義かと思っていた。
でも九条は、数字を理解した上で距離を取っている感じがする。
それが妙に厄介だった。
「台本、先に送ってあります」
律はデータを開く。
読み始めて、数秒で気付いた。
喋りがうまい。
というか。
“聞かせる言葉”を知っている。
『投資って、怖いですよね』
そんな入りから始まっていた。
普通ならもっと強い言葉を使う。
でも九条は違う。
『損したらどうしよう』
『自分だけ置いていかれそう』
『知識がないのが恥ずかしい』
感情を一個ずつ拾っていく。
視聴者へ、“お前だけじゃない”と語りかけるみたいに。
「……これ自分で書いたんですか」
「はい」
「意外」
「何がです?」
「もっとこう、ロジカル一本かと思ってました」
九条は少し笑った。
「人って、感情で動きますから」
その言い方が妙に自然で、律は少し黙る。
やっぱりこの人は、人間をよく見ている。
多分、見過ぎるくらいに。
「撮影素材、今日中に渡します」
九条が言う。
「編集方針は基本お任せで」
「……そんな丸投げでいいんですか」
「笠原さんの編集が見たいので」
またそれだ。
真っ直ぐ言う。
躊躇なく。
律は視線を逸らした。
「期待しすぎですよ」
「してますよ」
即答。
律は思わず顔を上げる。
九条は平然としていた。
「あなた、期待されるの嫌いですか」
「……好きじゃないです」
「でも欲しいでしょう」
息が止まる。
その一言が、やけに深い場所へ刺さった。
欲しい。
本当は。
期待されたい。
必要とされたい。
見てほしい。
だから壊れた。
だからまだ、おすすめ欄を見てしまう。
「……九条さん」
「はい」
「人の地雷踏むの上手いって言われません?」
「よく言われます」
悪びれもしない。
律は疲れたように息を吐く。
「ほんと怖い」
「でも断らなかった」
律は言葉に詰まる。
図星だった。
九条はそれ以上追及しない。
ただ穏やかに言った。
「楽しみにしてます」
その瞬間。
胸の奥が少し熱くなる。
期待される感覚。
もう嫌というほど痛い目を見たはずなのに。
それでも。
律はまだ、誰かに「楽しみ」と言われることを捨てられなかった。
◆◆◆
帰り際。
エレベーターを待っていると、後ろから九条が声をかけた。
「笠原さん」
「……はい」
「一個だけ」
律が振り返る。
九条は静かな顔で言った。
「あなた、自分で思ってるより目を引きますよ」
「……またそれ」
「本当なので」
「元相方に比べたら全然ですよ」
反射的に出た言葉だった。
でも。
九条は少しだけ目を細める。
「比べてる時点で、まだ呪われてますね」
律の呼吸が止まった。
エレベーターが開く。
なのにすぐ乗れなかった。
九条はそんな律を見ながら、静かに笑っていた。
まるで。
ずっと前から、そうなると分かっていたみたいに。
◆◆◆
初投稿の公開時間は、金曜の二十時だった。
律はその時間、編集室にいた。
モニターには動画の管理画面。
『なぜ人は投資が怖いのか』
再生数は、公開三十分で二万を超えていた。
「……は?」
律は思わず画面へ顔を近付ける。
異常に初速が早い。
もちろん九条慶という名前の影響はある。
SNSのフォロワーは10万以上で既に知名度がある。
顔も強い。
話題性もある。
でも、それだけじゃない。
視聴維持率。
数字を見た瞬間、律は息を止めた。
「えぐ……」
落ちていない。
普通、金融系は途中離脱が激しい。
特に初心者向け動画は長い。
なのに。
コメント欄が増え続けている。
『めちゃくちゃ分かりやすい』
『なんか見ちゃう』
『この人話し方怖いのに安心する』
怖いのに安心する。
律はそのコメントを見て、妙に納得した。
九条慶という男は矛盾している。
冷たいのに、言葉は優しい。
理性的なのに、人の不安へ踏み込む。
だから目が離せない。
「笠原さん」
後ろから声がして、律は振り返った。
九条が立っていた。
黒シャツにジャケット。
相変わらず画面映えしそうな顔。
「数字、見てました?」
「……見ますよ普通」
「嬉しそうですね」
「別に」
即答したのに、九条は少し笑った。
見抜かれている。
悔しい。
でも。
嬉しかった。
久しぶりだった。
数字が伸びる瞬間をリアルタイムで見る感覚。
通知。
コメント。
再生数。
じわじわ上がっていく数字が、脳を焼く。
ああ、これだ。
昔、自分を壊したもの。
「もう十万いきますね」
九条がモニターを見る。
律は口元を押さえた。
「……初投稿で?」
「かなりいい方です」
「かなりどころじゃないでしょ」
律は再生グラフを見る。
伸び方が綺麗すぎる。
サムネ。
タイトル。
導入。
全部ハマっている。
特に冒頭。
『投資って、怖いですよね』
あの入り。
律は編集時、あえて数秒だけ“間”を残した。
九条が視聴者を見るカット。
喋る前の沈黙。
あれが効いている。
不安になる。
だから見てしまう。
コメント欄にも書かれていた。
『最初の間、なんか引き込まれた』
律は無意識に笑っていた。
編集者として、これ以上気持ちいい瞬間はない。
「笠原さん」
「……はい」
「やっぱりあなたで正解でした」
律の笑みが止まる。
九条は画面を見たまま続けた。
「人を不安にさせるのが上手い」
「……褒め方が下手すぎて終わってます」
「でも事実でしょう」
否定できない。
律は昔から、“気になる違和感”を作るのが得意だった。
視聴者が離脱する直前を感覚で分かる。
どこで切ればいいか。
どこで沈黙を入れるか。
それだけは異様に分かった。
「あと」
九条が言う。
「コメント欄、あなたの話してる人いますよ」
律は眉を寄せる。
「は?」
九条がコメントをスクロールする。
『編集うますぎる』
『昔のYouTubeっぽさある』
『これ元リツミナの編集してた人?』
律の指先が止まる。
心臓がざわついた。
見つかる。
また。
『編集懐かしい』
『あの頃の空気感ある』
頭の奥が熱くなる。
嫌なのに。
気持ちいい。
まだ覚えられている。
消えてなかった。
「……最悪」
律が呟く。
九条は隣で少し笑った。
「嬉しいくせに」
「うるさい」
「承認欲求、完全には死んでないですもんね」
その言葉に、律は反論できなかった。
死んでない。
むしろ。
久しぶりに餌を与えられて、静かに目を覚まし始めている。
律はコメント欄を閉じようとして、また開いた。
止められない。
九条はそんな律を見ていた。
静かに。
観察するみたいに。
でも。
どこか満足そうに。
「……何ですか」
律が警戒する。
九条は穏やかに言った。
「ちゃんと生き返りそうだなと思って」
ぞく、とした。
その言い方。
まるで。
死にかけの人間を拾って、少しずつ呼吸させているみたいだった。
律は視線を逸らす。
危ない。
この男、本当に危ない。
なのに。
もっと見られたいと思ってしまう。
その瞬間、動画の再生数が十万を超えた。
通知音が、静かな編集室に響いた。




