第2話 プレゼン
九条慶との顔合わせから3週間後。
律は編集室のデスクで、ぼんやりモニターを眺めていた。
企業案件の字幕修正。
単純作業。
なのに集中できない。
『今なら断られないと思ったので』
あの声が、頭に残っていた。
静かな声だった。
怒っているわけでも、見下しているわけでもない。
なのに妙に刺さる。
まるで、自分の価値が落ちたタイミングを正確に見計らわれたみたいだった。
「笠原くん」
笹田が編集室へ顔を出す。
「今日、九条さん来るから会議室お願い」
「……今日でしたっけ」
「言ったじゃん。企画のプレゼンは後日って」
律は小さく息を吐いた。
正直、受ける気はない。
ただ。
断る理由もなかった。
仕事は必要だ。
最近は単価の安い案件ばかり増えている。
元配信者なんて肩書きは、編集業界では何の価値にもならない。
むしろ扱いづらいだけだ。
律は立ち上がり、ペットボトルの水を一本持って会議室へ向かった。
◆◆◆
会議室には既に九条がいた。
黒シャツ。
ノートPC。
資料。
変わらず無駄がない。
前回と同じなのに、やっぱり妙に目を引く。
この人、絶対カメラ映えする。
律は席へ座りながら思う。
昔から分かる。
伸びる人間には“圧”がある。
画面越しでも視線を止めてしまう空気。
美那もそうだった。
サムネに映るだけで再生数が変わった。
自分には最後までそれがなかった。
「こんにちは」
九条が視線を上げる。
「どうも」
律は曖昧に返した。
九条はPCを操作し、資料をモニターへ映す。
そこにシンプルなタイトルが表示される。
『金融リテラシー系動画メディア事業』
「最初はYouTubeを中心に。将来的にはアプリとオンラインサロンも考えてます」
「……はあ」
「単刀直入に言います」
律は内心で少しだけ構えた。
「今の金融系YouTubeは、二極化してます」
投資煽り。
暴落系。
切り抜き。
グラフが表示され、九条が淡々と話し始める。
「不安を煽る動画は伸びる。でも、信頼は残らない」
九条の声は落ち着いていた。
プレゼンなのに妙に静かだ。
普通、もっと熱を入れる。
でもこの男は違う。
感情を抑えているのに、なぜか聞かされてしまう。
「僕がやりたいのは、“長く見られるチャンネル”です」
律は少しだけ眉を上げた。
「長く?」
「はい」
九条がスライドを切り替える。
「短期的な炎上や煽りじゃなく、視聴習慣になるメディアを作りたい」
「……」
「そのためには、“信頼できそう”に見える空気が必要です」
その瞬間。
律は少しだけ理解した。
この男、動画を“空気”で考えている。
だからその空気感を作れる編集者を探している。
でも、だからこそ理解出来ない。
「……九条さん」
「はい」
「俺じゃなくてもよくないですか?」
思わず口から出る。
話を聞きながら、ずっと頭に浮かんでいた言葉があった。
——俺じゃないだろ。
金融系。
最近よく見るジャンルだ。
堅実。
知的。
信頼感。
そういう空気が必要になる。
なのに。
なんで元カップルYouTuber崩れに頼むんだ。
しかもなんなら今ちょっと炎上している。
笹田が「あっ」と小さく反応する。
普段ならこんな言い方しない。
クライアント相手に。
でも律はどうしても気になった。
「金融系って、もっとこう……」
言葉を探した。
でも、思いつかなくてそのまま口に出す。
「ちゃんとした編集の人いるじゃないですか」
「ちゃんとした編集?」
九条が静かに聞き返す。
「いや、なんていうか……誠実さとか、信頼感が必要なんじゃないですか?」
自分で言いながら少し惨めになる。
つまり。
自分には無いと言っているのと同じだった。
九条は数秒、律を見ていた。
それからふっと笑う。
「もっと実績ある編集者がいます」
「いますね」
いたたまれなくて言い切ると、九条はあっさり頷いた。
「でも、その人達は綺麗すぎる」
「……綺麗?」
「笠原さんの編集って、あなたが自分で思ってるよりかなり癖がありますよ」
「……は?」
急になんの話か分からなくて聞き返す。
「僕はね、見続けたくなる空気感が欲しいんです」
それはそれはさっき聞いた。
『短期的な炎上や煽りじゃなく、視聴習慣になるメディアを作りたい』
だからこそ信頼感のある編集者が必要なのでは?
俺じゃない。
もう一度そう言おうとして九条を見る。
九条は律を静かに見ていた。
「笠原さんには、作れる」
「買い被りですよ」
「いいえ」
即答だった。
「リツミナ、見てましたから」
律は表情を消した。
またその名前。
「あなた達、企画は普通でした」
「……は?」
さっきから、この男の言い方は癇に障る。
「ドッキリも、同棲動画も、別に珍しくない」
かなり失礼なことを、九条は淡々と言った。
「でも、見てしまった」
「……」
「生活感の見せ方が上手かった」
律は何も言えなかった。
図星だった。
リツミナが伸びた理由は、美那の顔だけじゃない。
“理想の恋人の空気感”を作ったからだ。
部屋の散らかり方から。
会話の間。
笑うタイミングまで。
全部調整していた。
九条がPCを操作する。
見せられたのは、律が担当した企業PR動画だった。
昨日公開されたばかりのやつ。
「この間の取り方」
再生される。
女性タレントが商品を持ち上げる。
普通なら明るいBGMを敷きっぱなしにする場面。
でも律は一瞬だけ音を落としていた。
わずか〇・数秒。
ほとんど誰も気付かないレベル。
でも。
その“間”のせいで、視聴者は無意識に画面を見る。
「人を不安にさせる編集が上手い」
ぞく、とした。
九条は穏やかな顔のまま続ける。
「違和感を残すんです」
「続きが気になるように」
「視聴者の感情を引っ掛ける」
自分が編集した動画をクライアントにここまで細かく分析されたのは初めてだった。
「お金を動かすのは、結局“人間”なんですよ」
九条が言う。
「お金そのものじゃなくて」
妙に説得力があった。
「だから、綺麗なだけの編集はいらない」
九条は律を見る。
「それに、あなたの編集なら、いい意味で人間の嫌な部分を見せられます。あなたは、“切り抜かれる人間”を作るのが上手いから」
ぞわ、とした。
その言い方。
まるで。
自分の中身まで解析されているみたいだった。
この男は、かなり危ない。
たぶん、人を観察するのが好きなんだ。
弱ってるところとか。
壊れかけてる部分とか。
そういうものを見つける目をしている。
律は言葉を失う。
「……俺の編集、そんな性格悪いですか」
「かなり」
九条が少し笑う。
綺麗な笑顔だった。
だから余計に怖い。
「でも」
九条は静かに言った。
「僕はそこが好きです」
律の背筋が、ゆっくり冷えた。
褒められてるのか分からない。
でも。
胸の奥がざわついた。
理解された感覚に近い。
律は誤魔化すように椅子へ深く座る。
「……やっぱり買い被りすぎですよ」
「そうですか?」
「ただ性格悪いだけかもしれないし」
「それも才能です」
即答だった。
笹田が苦笑している。
律は居心地が悪くなる。
この男、距離の詰め方がおかしい。
まだ初対面なのに。
なのに妙にこちらの核心へ触れてくる。
「ちなみに」
九条がさらりと言う。
「笠原さんの顔出しも将来的には考えてます」
「は?」
律は思わず顔を上げた。
「いやいやいや」
「俺編集ですよね?」
「まずは、です」
「まずは?」
「笠原さん、カメラ映り悪くないので」
律は反射的に眉をしかめた。
昔、散々言われた。
『リツミナの彼氏の方』
『美那がいなかったら埋もれてる』
華がない。
地味。
隣にいるから成立してる。
ずっとそうだった。
だから。
九条みたいな本物に、“本当に目立つ人間”にそう言われると妙に腹が立つ。
「買い被りですって」
「いいえ」
九条は静かに笑った。
「あなた、自分が思ってるより人を惹きつけますよ」
その言い方が妙に自然で。
営業トークっぽく聞こえないのが余計に厄介だった。
律は視線を逸らす。
この男、本当に危ない。
直感的にそう思う。
人の欲しい言葉を、躊躇なく差し込んでくる。
しかも。
計算してるように見えない。
本気で言っている目だった。
「で、どうします?」
九条が穏やかに聞く。
「受けてくれますか」
律は少し黙る。
断る理由はある。
胡散臭い。
怖い。
距離感がおかしい。
でも。
久しぶりだった。
自分の編集を、ここまで“見られた”感覚。
それが少しだけ気持ち悪くて。
少しだけ、嬉しかった。




