第1話 おすすめ欄の亡霊
動画の書き出しバーを眺めながら、笠原律は欠伸を噛み殺した。
深夜一時。
編集室には、パソコンのファン音だけが低く響いている。
モニターには企業案件のPR動画。
健康食品の紹介だった。
『毎朝スッキリ!』
『飲むだけ簡単!』
画面の中で笑っている女は、自分が何を売っているのかも理解していない顔をしている。
律はタイムラインを切って、BGMを一フレームだけ後ろへずらした。
「笠原くん、まだいたの?」
背後から声がして、律はヘッドホンをずらした。
上司の笹田が、コンビニ袋を片手に立っている。
「これ終わったら帰ります」
「無理しないでねー。最近またクライアント増えてるし」
そう言って去っていく背中を見送りながら、律は曖昧に笑った。
別に、仕事熱心なわけじゃない。
家に帰ってもやることがないだけだ。
ワンルーム。
コンビニ飯。
眠れない夜。
たまに酒を飲む。
たまに昔の動画を見る。
それだけ。
書き出しが終わるまでの間、律は無意識にスマホを開いた。
SNSアプリを開く。
検索欄に文字を入力する。
流れるように指が勝手に動く。
『水瀬美那』
エンターを押した瞬間、嫌になる。
何年経ってもやめられない。
画面には、美那の笑顔が並んでいた。
昼の情報番組。
ママ向け雑誌。
企業タイアップ。
夫婦ショット。
『憧れ夫婦ランキング入り!』
記事の文字が目に入って、律はスマホを伏せた。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
美那とは昔、付き合っていた。
大学生で同棲して。
動画を始めて。
気付けば登録者が増えて。
「律」と「美那」から付いたYouTubeの名前の“リツミナ”は、いつの間にかブランドになっていた。
ベストカップルYouTuber。
理想の恋人。
結婚してほしい二人。
コメント欄は、そんな言葉で埋まっていた。
でも実際は、後半になるほど恋人どころか艶っぽいことなんてまるでしていなかった。
撮影。
案件。
数字。
投稿時間。
キスすら、サムネ用だった。
最後の方は、美那が何を考えていたのかも分からない。
ただある日、
『もう、一人でやっていきたい』
と言われた。
解散動画は綺麗にまとめた。
お互い笑って。
応援してくださいって言って。
最後まで感じよく終わった。
編集したのは律自身だった。
一番綺麗に見えるカットを選んで。
一番穏やかに聞こえる声を使って。
そうやって、自分たちの終わりを動画にした。
その後、美那は一人で売れた。
律は売れなかった。
それだけだ。
パソコンが書き出し完了の通知を鳴らす。
律はデータを確認して、共有フォルダへ投げ込んだ。
時計を見る。
一時三十七分。
終電はもうない。
「……歩いて帰るか」
会社を出ると、夜風が妙に冷たかった。
コンビニで缶コーヒーを買って歩く。
駅前の大型ビジョンには、バラエティ番組の広告が流れていた。
笑い声。
派手なテロップ。
明るい音楽。
昔は、ああいう場所に自分も近かった気がする。
いや。
近かったんじゃない。
一瞬だけ、映っていただけだ。
帰宅して、さっとシャワーを浴びてベッドへ倒れ込む。
暗い部屋の中、スマホだけが光っていた。
おすすめ動画欄。
そこに、見覚えのあるサムネが表示されていた。
『【懐かし】今見るとヤバいカップルYouTuber5選』
「うわ……」
反射的に閉じようとして、止まる。
動画時間は十五分。
サムネには昔の自分と美那が映っていた。
再生数、百二十万。
律は数秒迷ってから、タップした。
『第一位は、リツミナです!』
軽薄なナレーション。
『当時は理想のカップルとして大人気!しかし現在は——』
律は途中で動画を閉じた。
心臓がざわつく。
息苦しい。
「……クソ」
スマホを放り投げ、目を閉じる。
なのに、頭の中では昔の通知音が鳴り続けていた。
コメント。
DM。
再生数。
数字が伸びる快感。
誰かに見られている感覚。
あれが忘れられない。
消えたいくせに、まだ見てほしい。
自分でも気持ち悪いと思う。
翌日。
律は寝不足のまま会社へ向かった。
午前中は修正対応。
昼はコンビニのおにぎり。
午後は字幕入れ。
淡々とした作業。
夕方近く、笹田が編集室へ顔を出した。
「笠原くん、ちょっと会議室いい?」
「……はい」
律はヘッドホンを外して立ち上がる。
「新規案件ですか?」
「まあそんな感じ。結構大きめ」
会議室の扉を開けた瞬間、律は少しだけ足を止めた。
男が一人、窓際に座っていた。
黒のシャツ。
無駄のない腕時計。
年齢は三十前後だろうか。
静かな男だった。
なのに妙に目を引く。
律は一瞬で理解する。
この人、演者向きだ。
カメラの前に立つ人間の空気をしている。
自然と視線を集めてしまうタイプ。
昔の美那と同じだ。
そこら辺のアイドルより可愛くて、笑うだけで空気が変わった元恋人。
それに比べて自分は、鼻筋は通っている方かもしれないけど目立つ顔じゃない。
身長も平均。
華もない。
イベントでランウェイを歩かされた映像なんて、二度と見たくなかった。
男は律を見ると、ゆっくり立ち上がった。
差し出された名刺。
九条慶。
投資会社と、動画メディア運営会社の代表取締役。
律は軽く会釈する。
「笠原です」
「動画、見ました」
一瞬、心臓が止まりそうになる。
「……どの動画ですか」
「今のも、昔のも」
慶はそう言って笑った。
柔らかい笑みだった。
でもなぜか、背筋が冷える。
笹田が横から説明する。
「九条さん、SNSで最近かなり伸ばしてる人でさ。編集チーム探してるんだって」
「なるほど……」
律は椅子へ座った。
慶の視線を感じる。
値踏みされているような。
観察されているような。
妙な感覚。
「笠原さんを指名したのは、僕です」
律は顔を上げた。
「……俺を?」
「はい」
慶は迷いなく頷く。
「以前から、笠原さんの編集が好きだったので」
その言葉に、律は曖昧に笑った。
昔のことを言われるのは苦手だった。
気まずい。
そして惨めだ。
「いや、まあ……昔の話なんで」
「そうですか?」
慶は静かに言った。
「僕は、今の方が興味ありますけど」
意味が分からず、律は眉を寄せる。
慶はその表情を見て、少しだけ笑った。
まるで。
反応を観察しているみたいに。
「今回の案件、受けていただけますか」
「内容によりますけど」
「断られるとは思ってません」
「……なんでです?」
何気なく聞いたつもりだった。
でも慶は一拍置いてから、穏やかに答えた。
「今なら断られないと思ったので」
ぞわり、と背中が粟立つ。
その言い方。
まるで。
自分の事情を知っているみたいだった。
再生数が落ちたことも。
仕事を選べる立場じゃないことも。
過去を引きずってることも。
全部。
見透かされている気がした。
会議室の空調が、やけに寒い。
律は無意識に指先を握り締めた。
九条慶は、静かにこちらを見ていた。
逃がさないみたいな目で。




