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【BL】元人気配信者ですが、古参ファンが怖すぎます  作者: 只野 唯


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14/17

第14話 生配信


 配信開始、三分前。

 律はカメラの前で、スマホを握ったまま動けなくなっていた。


「……やっぱ無理かも」


 小さく漏れる。

 胃が痛い。

 喉も乾く。

 目の前のモニターには、配信待機画面。


『九条慶 生配信』

『重大発表あり』


 待機人数は、既に二万人を超えていた。


 律はソファへ深く沈み込む。

 逃げたい。

 今すぐ帰りたい。

 そもそも、なんで了承したんだ。


 三日前。

 九条にさらっと言われたのだ。


『一回だけ、顔出しますか?』


 軽い口調だった。


『今の視聴者、笠原さん気になってるので』


 最悪だった。

 コメント欄では、最近ずっと名前が出ていた。


『編集してるの誰?』

『元リツミナの律?』

『本人出ないの?』


 慶はそれを見ながら、静かに言った。


『多分、一回出した方が楽になりますよ』

『隠す方が、人って見たがるので』


 その言葉に、律は反論できなかった。

 実際、そうだった。

 ネットは“見えないもの”を追いかける。

 隠すほど掘られる。

 考察される。

 勝手に物語にされる。


 だから。

 一回だけ。

 本当に一回だけ。

 そう思って了承した。

 なのに今、猛烈に後悔している。


「笠原さん」


 撮影室のドアが開く。

 九条慶だった。

 黒シャツ。

 いつも通り整った顔。

 この状況でも一切緊張していない。


「時間です」

「……無理です」


 即答だった。

 慶は少しだけ目を細める。


「緊張してます?」

「当たり前じゃないですか」


 律は吐き捨てる。


「俺は元配信者なんですよ」

「元、ではない気がしますけど」

「やめてくださいそういうの」


 慶は否定しなかった。

 ただ静かに近付く。


「手が震えてますね」

「……見ないでください」


 本当に震えていた。

 情けないくらいに。

 慶は数秒黙ってから、穏やかに言う。


「大丈夫ですよ」

「何が」

「どう転んでも、今日は数字出るので」

「最悪」


 律は額を押さえた。

 この男、本当にこういう時でもブレない。

 でも、少しだけ救われる。


 慶は、律が“どう見られるか”じゃなく、

 “どう反応されるか”を最初から受け入れていた。


 炎上も。

 嘲笑も。

 懐古も。


 全部込みで、見ようとしている。


「……九条さん」

「はい」

「俺、もしコメント見て死にたくなったら帰ります」

「その時は配信切りますよ」


 即答。


「笠原さん優先なので」


 その言い方が妙に自然で、律は少しだけ黙った。


 怖い。

 相変わらず。

 でも、今はその異常さに少し慣れてしまっている自分がいる。


 ◆◆◆


 配信開始。

 ライトが眩しい。


 カメラ。

 モニター。

 スタッフ。


 昔と同じ空気。

 でも、昔よりずっと怖い。


「こんばんは」


 慶がいつもの声で話し始める。

 コメント欄が高速で流れる。


『きた』

『待機してた』

『重大発表って何?』


 律は画面を見ないようにしていた。

 見たら終わる。


 でも。


「今日は、ちょっとゲストを呼んでます」


 慶がそう言った瞬間。


 コメント欄が一気に加速した。


『え』

『誰』

『まさか』


 慶が隣を見る。


「どうぞ」


 終わった。

 律は死んだ目のまま画面へ入る。


「……どうも」


 一秒。

 二秒。

 そして、コメント欄が爆発した。


『え?????』

『律!?!?!?』

『生きてた』

『うわ懐かし』

『本人!?』

『老けたな』

『痩せた?』

『いややつれてね?』

『まだ動画いたんだ』

『リツミナの律じゃん』


 心臓が跳ねる。

 息が浅い。

 全部見える。

 全部刺さる。

 律は反射的に視線を逸らした。


「……だから嫌だったんですよ」


 小声で言うと、慶が隣で少し笑う。


「でも、嬉しそうなコメントもありますよ」

「見たくないです」

「もう見てるでしょう」


 図星だった。

 止められない。

 コメント欄を追ってしまう。


『編集また見れて嬉しい』

『この編集やっぱ律だったんだ』

『空気感で分かった』

『昔のYouTube思い出す』


 胸の奥が熱くなる。

 懐かしい。

 怖い。

 嬉しい。

 気持ち悪い。

 感情がぐちゃぐちゃだった。


「……っ」


 律は口元を押さえる。

 ただの文字なのに、心が引っ張られる。

 昔と同じだ。

 褒められると、もっと欲しくなる。

 叩かれると、全部消したくなる。

 その両方が、一気に来る。


『元カノ元気そうなのにこいつだけ病んでて草』

『でも編集センスはマジである』

『なんか見ちゃうんだよなこの人』


 情緒が追いつかない。

 昔、自分を壊した場所に、また戻ってきてしまった。


「笠原さん」


 慶の声。


「呼吸して」


 その一言で、律は自分が息を止めていたことに気付く。

 慶は画面を見たまま、静かに続けた。


「大丈夫です」

「……何が」

「ちゃんと、帰ってきたって言われてますよ」


 律は返事ができなかった。

 コメント欄は今も流れている。


『老けた』

『懐かしい』

『生きてたんだ』

『また見れて嬉しい』

『この空気感好きだった』


 ぐちゃぐちゃだ。

 でも。

 そのぐちゃぐちゃの中心に、まだ自分がいる。

 それが、どうしようもなく苦しかった。

 そして同時に。

 少しだけ、気持ちよかった。


 ◆◆◆


 配信終了後。

 律は楽屋のソファへ座り込み、動けなくなっていた。


「……無理」


 顔を覆う。


「なんですかあれ」

「配信です」

「そういう意味じゃなくて」


 慶は隣へ座る。

 距離は近くない。

 触れもしない。


 でも、視線だけはずっと律を見ていた。


「笠原さん」

「……なんですか」

「戻ってきた感じ、しました?」


 律は数秒黙る。

 戻ってきた。

 その言葉が、一番怖かった。

 また呑まれる。

 また壊れる。

 なのに。


 コメント欄の、『帰ってきた』

 あの文字が、頭から離れなかった。


「……最悪ですよ」


 律が掠れた声で言う。


「また、欲しくなった」


 承認。

 数字。

 反応。

 その全部が欲しい。


 慶は静かに律を見る。


 そして、少しだけ嬉しそうに笑った。


「知ってます」


 その目を見た瞬間、律は背筋が冷えた。


 ああ、この男。

 最初から、こうなるのを分かってやったんだ。

 律がまた、画面へ戻りたくなることを。

 数字を欲しがることを。

 壊れながら、もう一回光の方を見ることを。

 全部。

 最初から。


「……ほんと、性格悪い」


 律が呟く。

 慶は穏やかに答えた。


「褒め言葉として受け取りますね」


 その声音は優しかった。

 だから余計に、危険だった。


 ◆◆◆


 配信翌日。

 律は最悪の目覚めを迎えていた。


 頭痛。

 吐き気。

 睡眠不足。


 なのに、目が覚めた瞬間にスマホを探してしまう。


「……終わってる」


 自分で呟きながら、

 通知を開く。


 切り抜き。

 感想。

 考察。

 まとめ。


『元リツミナ律、復活』

『九条慶との距離感が怖い』

『精神状態大丈夫そう?』


 最悪だった。

 特に最後。

 図星すぎる。


 律はベッドへ顔を埋めた。

 見なければいいのに、指が止まらない。

 コメント欄を開く。


『なんか痩せたな』

『前より人間っぽくて好き』

『目死んでるのに見ちゃう』

『編集また見れて嬉しい』

『九条との空気やばい』


 胸がざわつく。


 嬉しい。

 苦しい。

 怖い。


 感情が整理できない。

 昔と同じだった。

 数字を見ると、脳が焼ける。

 コメントを見ると、生き返る。

 でも同時に、少しずつ削られていく。


「……ダメだこれ」


 律はスマホを伏せる。

 五秒後、また手に取った。

 本当に終わっている。


 ◆◆◆


 昼。

 会社の会議室で律は編集用PCの前で、無言のまま素材を眺めていた。

 集中できない。

 昨日のコメントが、頭の中でずっと反響している。


『帰ってきた』

『また見れて嬉しい』


 あの言葉。

 欲しかった。

 認めたくないくらいに。


「寝てませんね」


 ドアを開けて入ってきた九条が開口一番に言う。


「……一応」

「三時間くらいですか」

「なんで分かるんですか」

「目元の感じで」


 何でも無いように言って、慶は律の隣へ来る。

 でも、相変わらず距離は近くない。


 触れない。

 囲わない。

 押し付けない。


 なのに、逃げられない感じだけがある。


「昨日、かなり伸びましたね」

「見ました」

「切り抜きも増えてます」

「見ました」

「コメント欄は?」

「……見ました」


 慶が少し笑う。


「素直ですね」

「止められないんですよ」


 律は低く吐き出す。


「分かってるんです。見たら病むって。でも、気になってしまう」


 昔からそうだった。

 賞賛も、悪意も。

 全部確認しないと落ち着かなかった。

 慶はしばらく黙っていた。

 それから静かに言う。


「笠原さんって、人に見られてないと呼吸できないですもんね」


 律の指が止まる。


「……」


「見られてないと、自分が存在してるって感じられないタイプ」


 図星だった。

 だから配信をしていた。

 だから数字に狂った。


 再生数。

 コメント。

 通知。


 あれがないと、自分が空っぽになる気がしていた。


「……九条さん」

「はい」

「知った風に言うのやめてくれません?」

「でも、事実です」


 即答。

 律は疲れたように笑った。


「ほんと、人の心ない」

「ありますよ」


 慶は静かに言う。


「かなり」


 その言い方が妙に真面目で、律は少しだけ黙った。

 慶はモニターを見る。


 再生数。

 コメント欄。

 視聴維持率。


 全部伸びている。


「昨日の配信で、チャンネルの空気変わりましたね」

「……そうですか?」

「はい。“人間味”が増えた」


「それ遠回しに、今まで味気なかったって言ってます?」

「いいえ。昨日の笠原さんかなり良かったですよ」


 律は眉を寄せる。


「情緒死んでましたけど」

『……』


 睨みつけたが、慶は平然としていた。


「人って、完璧な人間より、壊れそうな人間の方を見ますから」


 その瞬間。

 律はふと気付く。

 この男。

 やっぱり。

 最初から全部分かってやっている。

 律が、ネットに戻ればどうなるか。

 承認欲求が再燃することも。

 またコメント欄に依存し始めることも。

 全部。


「……九条さん」

「はい」

「俺、また壊れても知らないですよ」


 半分冗談みたいに言った。

 でも、慶は笑わなかった。


「知ってます」

「……」

「その時は、ちゃんと見てます」


 背筋が冷える。

 優しい言葉のはずなのに、妙に逃げ場がない。

 律は視線を逸らす。


「普通、止めません?」

「見ていたいので止めません」

「怖」


 慶が少し笑う。


「でも」


 静かな声。


「昨日、楽しそうでしたよ」


 律は否定できなかった。

 怖かった。

 苦しかった。

 それでも、画面の向こうを意識する。

 まだ自分を覚えてる人がいる。

 あれは、どうしようもなく気持ちよかった。

 そして。

 その感覚を、もう一度知ってしまった。


 ◆◆◆


 夜。

 帰宅後。

 律はソファへ座ったまま、またスマホを見ていた。


 切り抜き動画。


『元リツミナ律、現在がヤバすぎる』


「ほんと好きだなこいつら……」


 呟きながら再生する。

 昨日の自分。

 疲れた顔。

 不安定な笑い方。

 コメント欄。


『何か疲れてない?』

『この危うさ癖になる』

『九条が執着する理由ちょっと分かる』


 律はそこで指を止めた。


「……は?」


 意味が分からない。


 なのに。

 少しだけ、理解してしまった。

 九条慶は、多分。

 昔からずっと、こういう自分を見ていたのだ。


 笑えなくなっていく顔。

 壊れかけの精神。

 数字に呑まれる感じ。


 それを、綺麗だと言った。


「……気持ち悪」


 呟く。

 その直後、スマホが震えた。

 通知欄には、九条慶。


『まだコメント見てます?』


 律は数秒固まる。

 なんで分かる。

 本当に怖い。


『見てません』


 反射的に嘘を返す。

 すぐ既読。


『嘘ですね』

「……」

『笠原さん、今日みたいな日は寝なくなるので』


 律はスマホを睨む。

 見透かされすぎている。

 数秒後。

 また通知。


『でも昨日、かなり良かったですよ』


 短い文。

 それだけなのに、

 胸の奥が熱くなる。

 最悪だった。

 律はソファへ倒れ込む。


「……終わってる」


 自分が。

 もう一回、画面の光を欲しがり始めていることが。

 そんな自分を見ている人がいることを嬉しいと思っていることが。

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