第13話 壊したい人
慶は昔から、“壊れかけの人間”が好きだった。
成功者には興味がない。
完成された人間も、あまり面白くない。
綺麗なだけのものは、予測できる。
でも、壊れかけの人間は違う。
どこで崩れるか分からない。
どこで耐えきれなくなるか分からない。
だから見てしまう。
そして笠原律は、慶の人生で一番“目が離せない人間”だった。
◆◆◆
初めて“リツミナ”を見たのは、大学三年の頃だった。
ゼミの同期が、
「最近このカップルYouTuberが可愛い」
と騒いでいた。
だから、何となく動画を開いた。
最初の感想は、“うまい”だった。
企画自体は珍しくない。
同棲動画。
質問コーナー。
モーニングルーティン。
どこにでもある。
なのに妙に見てしまう。
途中で気付いた。
空気だ。
この動画、“生活の温度”を作るのが異様に上手い。
部屋の散らかり方。
沈黙。
笑うタイミング。
全部作られているのに、不自然じゃない。
そしてその空気を作っているのは、恐らく彼氏側だった。
笠原律。
当時の律は、まだちゃんと笑えていた。
でも。
慶が本当に興味を持ったのは、その少し後だ。
ある時期から、律の“間”が変わり始めた。
動画のテンポ。
沈黙。
カットの置き方。
微妙にノイズが混ざるようになった。
視聴者は気付かない。
でも慶には分かった。
この人、壊れ始めている。
◆◆◆
大学時代。
慶は一度だけ、リツミナのイベントを生で見に行ったことがある。
かなり前方の席だった。
ステージ。
照明。
歓声。
ファンは皆、美那を見ていた。
可愛い。
理想の彼女。
愛されキャラ。
実際、美那には華があった。
笑うだけで空気が変わる。
でも。
慶が見ていたのは、ずっと律だった。
ステージ袖へ流れる視線。
マイクを持つ指。
笑う前、一瞬だけ真顔になる癖。
その頃にはもう、律の笑顔は少し削れていた。
質問コーナーで、
『最近、喧嘩とかしますかー?』
と聞かれた時。
美那は明るく笑って返した。
『しますよ〜』
律も笑っていた。
でも、ほんの一瞬だけ。
律の目が、客席のどこも見ていなかった。
完全に空白だった。
「あ」
慶はその瞬間、息を止めた。
壊れてる。
そう思った。
でも同時に。
綺麗だとも思った。
人前で笑いながら、中身だけ死んでいく感じ。
普通なら隠しきれない。
なのに律は、編集と演出でそれを誤魔化していた。
だから余計に歪だった。
◆◆◆
深夜二時。
慶はノートPCでリツミナの動画を見返していた。
一時停止。
画面の中で、律が笑っている。
でも目だけが冷えている。
「……綺麗だな」
思わず呟いた。
普通、人は壊れる時に醜くなる。
余裕が消える。
取り繕えなくなる。
でも律は違った。
壊れながら、動画だけは綺麗に編集していた。
恋人との空気感。
幸福感。
理想感。
全部維持したまま、本人だけが削れていく。
それが異様だった。
慶は昔から、人間観察が好きだった。
人が崩れる瞬間。
我慢できなくなる瞬間。
欲望が漏れる瞬間。
そういうものに興味があった。
特に、“壊れそうなのに壊れきれない人間”。
笠原律は、まさにそれだった。
ある日の動画。
『最近忙しいですか?』
美那が笑いながら聞く。
律は少しだけ黙ってから笑った。
『まあ、ちょっと寝れてないかも』
軽いノリ。
でも、その“一拍”が妙に長かった。
慶はそこで確信した。
この人、限界が近い。
そこからだった。
慶が律を“見る”ようになったのは。
◆◆◆
SNS。
配信。
削除された投稿。
夜中に消える病んだツイート。
『数字落ちると普通に死にたくなる』
三分後には消えていた投稿。
でも慶はスクリーンショットを残していた。
別に悪意じゃない。
ただ、消えてしまいそうだったから。
記録しておきたかった。
観測していたかった。
ある日の酔った配信で、律はぽつりと言った。
『俺、多分動画やめたら空っぽなんだよね』
コメント欄は流れていた。
『そんなことない』
『応援してる』
でも慶は、画面を見ながら思っていた。
この人、本当に消えそうだな。
だからクリップを保存した。
消えた時、証拠までなくなるのが嫌だった。
◆◆◆
そして解散動画。
あれは傑作だった。
『これからは別々の道を歩きます』
穏やかな声。
綺麗な編集。
でも、カットの切り替えが妙に早かった。
律が無言になる瞬間を、全部切っている。
沈黙を消している。
恐らく本人の編集。
だから分かる。
これは、“壊れる音”を必死に隠した動画だ。
終わっている関係を、最後まで幸福そうに加工している。
その歪さに、慶は息が止まるほど惹かれた。
「……すごいな」
あの日、慶は一人で笑っていた。
普通なら可哀想だと思うのかもしれない。
でも慶は違った。
もっと見たいと思った。
この人、どこまで壊れるんだろう。
どこまで笑いながら崩れるんだろう。
知りたかった。
◆◆◆
数年後。
解散後の律の人気は低迷していた。
活動はほぼ停止状態。
SNSの更新は減少していく。
慶は全部見ていた。
特に、解散後の律は酷かった。
投稿時間が深夜ばかりになった。
ツイート内容が不安定だった。
『寝れない』
『数字って怖い』
『何者でもなくなる感じする』
そして朝には消えている。
慶はその全部を覚えていた。
だから。
編集会社の資料で、笠原律の名前を見つけた瞬間。
迷わなかった。
「絶対この人にする」
落ちぶれて。
裏方になって。
それでもまだ動画の仕事をしている。
笑ってしまった。
まだ生きてる。
しかも、まだ数字を捨てられていない。
最高だった。
◆◆◆
深夜。
九条慶は一人、オフィスにいた。
モニターには最新動画の管理画面。
再生数が伸びていた。
コメントを眺める。
『編集が癖になる』
『なんか不安になるのに見ちゃう』
『空気感すごい』
慶は静かにスクロールする。
その時。
新着通知。
『修正版書き出しました』
笠原律からの業務連絡。
短い文章。
それだけなのに、少し口元が緩む。
最近の律は、少しずつ変わってきていた。
数字に反応する顔。
コメントを見る時の目。
期待された時の表情。
全部、少しずつ生気が戻っている。
だから思う。
まだ壊せる。
もっと深く。
もっと綺麗に。
慶はスマホを伏せ、窓の外を見た。
東京の夜景。
光。
人。
そのどこかで、律がまた動画に呑まれ始めている。
昔、自分を壊したものに。
それを止める気は、慶にはなかった。
むしろ。
もっと見たいと思っている。
限界まで行った時、律はどんな顔をするのか。
知りたい。
「……楽しみだな」
静かな呟き。
今の自分の目は恋をしている人間によく似ているのかもしれない。
でも中身は、そんな綺麗なものじゃなかった。




