閑話.姉弟の会話:side.楓
蜻蛉商会の一室。人界組に貸された部屋。
「姉ちゃん、大丈夫なの?」
真尋がぼそっと言う。それに、楓は首を傾げた。
「大丈夫って、何が?」
「いつも、あの神様のところに行ってるけど、酷いこととかされてないかなって……その、気になって……」
言いにくそうに視線を逸らしながら、真尋は声を落とす。
「えぇ? 奏太君が?」
「いや、あの神様がっていうか……周りの奴ら……」
栞や晦、朔から聞いた話では、真尋は以前、楓が不在の間に人界の日向家を訪れた奏太に対して不用意に詰るような真似をして、眷属達を随分と怒らせたらしい。よくよく聞けば、楓を思っての発言だったようではあるが、その時の返り討ちが真尋には随分と響いているようだ。何をされたのかは頑なに教えてもらえないが、燐鳳と巽に対しては特に怯えている。
楓からすれば、燐鳳はわかるにしても、巽は随分と接しやすいほうだと思うけれど。
「大丈夫だよ。皆、奏太君が大好きで、守りたいだけだから」
楓にとっても真尋にとっても、『秩序の神』は御伽噺に出てくる神様だった。鬼の世界で闇を祓って人界と妖界を護った御先祖様であり、勇気ある主人公。日向家に由来するから、桃太郎や浦島太郎なんかよりも身近だけれど、今までは、歴史上の人物に、何処かで大きく誇張された尾ヒレがついたものだろうと思っていた。里の者達が語る思い出話ですら、子どもを喜ばせる物語だと思っていたくらいだ。
けれど、鬼界に連れて来られて、本物の『秩序の神』に出会い、その物語が突然、現実世界に降りてきた。しかも、その立派なはずの主人公は、周囲を無双するような英雄では無かった。神の重圧に必死に耐え、味方であるはずの眷属に途方もない期間虐げられ続け、それでも笑顔で永遠の時を生き続けなければならない、ただの心優しい『日向奏太』という少年だった。
「真尋様、楓様は我らが御守りしていますので、御心配なさらず。それに、燐鳳様や妖界の武官達は置いておいても、亘達は元々、気心の知れた里の者ですから」
晦が眉尻を下げて真尋を見る。それに、朔も頷いた。
「燐鳳様も、奏太様の御心を守ることが第一なので、奏太様がお嫌いになるようなことはなさらないと、巽が」
「けど、あの玄ってやつも、あの神様の眷属だったんだろ?」
真尋は、襲われたときのことを思い出したのか、ブルッと身震いをする。
「あの者は、今は、先代秩序の神の拠点であった塔に囚われているようです。とは言え、警戒は必要ですね。本来ならば、奏太様も共に人界に避難した方が良いのでしょうけれど、王城に行くまでの道中も、王城内の関所も危険だと」
栞は、そう言いつつ嘆息した。
「奏太様をあんな風にしてしまうなんて……柊士様が、あちらでどれ程、御心を痛めていらっしゃるか……」
「柊士様って、栞が仕えてた、十代前の日向家の当主でしょ? 奏太君、時々、その人の名前を呼んでるって聞いたけど」
楓の言葉に、栞はコクと頷く。
「ええ。誰よりも、奏太様の行く末を案じていらっしゃいました。本当に」
すると、真尋が何かを思い出すようにしながら、天井を仰いだ。
「自分が死んでも言葉を届けられるようにって、呪物に『幸せに』って声を残すくらいだもんなぁ。あとから、あの人が神様だって知って、神様って完璧じゃないんだなって思った」
「奏太様は、人であった三百年前から、その姿も、御心も、何も変わっていらっしゃいません。あの頃の、普通の少年のときのまま。学校に通い、友人と笑い合い、柊士様に面倒事を運んで来ては困らせ、護衛役と喧嘩し、案内役に心配させ、家にお帰りになれば、よく食べ、よく眠り、また、御役目に飛び回る。本当に、楓様と同じような守り手様の時のまま。だからこそ、御心を壊されてしまったのです」
完璧な神様なら、あんな風に傷ついたりしない。自分達と同じ年頃の少年が、神を背負わされ、その存在自体を——自分のまま生きていること自体を、二百年も否定され続けたのだ。それは、どれ程過酷な生だっただろう。
「お散歩と、お花と、思い出と、護衛役の言葉で、少しでも心が解れてよかったよね」
「楓様の陽の気も、ですよ。昔、奏太様に陽の気が不足されると、柊士様が気の力を分けていらっしゃったものです。少しずつ、普通に愛され生きていた頃を思い出されているのでしょう。ただ、そこにいて良いと言われていた頃のことを」
栞は、そう言いつつ、奏太の部屋がある方に、心配気に視線を向けた。
「存在することが罪だなんて、そんなこと、あるわけないのに」
楓が呟くと、栞は小さく、フフッと笑った。
「楓様は、やはり、日向の守り手様ですね。奏太様の夢の中で、柊士様が同じことを仰っていました。私が見せる夢は過去の記憶から作られるので、柊士様が仰るだろうことしか、夢として現れないのですよ」
「楓様は、結様にもよく似ていらっしゃるからなぁ。結様の護衛役だった亘が何も言えなくなるほどに」
「結様は、どんな人だったの?」
晦の言葉に楓が身を乗り出すと、晦と朔は顔を見合わせる。その様子を見て、栞は苦笑した。
「仔犬だった二人は、よく結様に捕まって撫で回されていましたね。明るく、お優しく、時に強引で、誰よりも愛情深い方でした。柊士様と奏太様に、同じ守り手様としてお説教できるのは、結様——いえ、白月様だけでした。お二人によく似ていらっしゃる楓様だからこそ、奏太様も、御心を少しずつ許されていらっしゃるのかもしれませんね」
「……そっか。そうだったらいいな」
ずっと一人で、少年のまま、世界を守りギリギリまで耐えてきた神様。その力に、自分が少しでもなれているなら。
「……俺……俺も、眷属とか妖界の貴族とかは怖いけど、あの神様……あの人に、酷いこと言っちゃったし、俺にも、何かできないかな。ここに世話になってるのに、姉ちゃんばっかりに負担かけたくないし……」
「私は負担とは思ってないけど……でも、真尋が奏太君の為にって思うなら、人だった頃の想い出を、思い出させてあげられるのがいいかもしれないね」
栞達の話を聞いていても、奏太自身を見ていても、心を動かしているのは、いつでも、人の頃からの繋がりのように見えたから。
「人だった頃の?」
「うん。そうだなぁ、例えば——」
楓は、思いついたことを提案しながら、真尋や栞、晦、朔の反応を窺う。奏太が好きだったこと、好きだったもの。人界にいた頃の奏太を知る者達が想い出話を語る中、楓は、ある程度まとまったら、巽に相談しにいこうと、そう、心に決めた。




