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不完全な神様は主従の箱庭で白日の夢に微睡む――人として生きて死にたかった、ある少年神の話  作者: 御崎菟翔
第二部

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閑話.先代秩序の神の光:side玄

 鬼界の奥。天に高く聳える細長の塔は、先代秩序の神が我が子、『陰の御子』を封印し地上での自らの拠点としていた場所。


 三百年前の陰の御子の消滅以降は、地下にその痕跡を残すのみ。ガランとした静けさは、当時と何ら変わっていない。


 秩序の神と四名の眷属のみの聖域。


 ただし今は、その神すらここには居ない。至高なるその神自身が、脆い人の身に縋り、穢らわしい鬼の世にその身を潜めているから。


「貴方の見張りなんて、もう飽き飽き。帰ってくるなら、あの方を連れてきてよ、玄」


 椅子に後ろ向きに座り、背もたれに肘をついて顎を乗せた(あい)が、不満気に首を傾げると、濃い藍の長い髪がサラリと横に流れた。


 玄は冷たい石壁に背を預け、神の力の満ちた格子越しにそれを見ながら、口元を歪ませた。


「朱に邪魔されたんだよ。文句ならあいつに言ってくれ」

「朱なら、あの方を汚した不届き者の始末に行っちゃったわよ。せめて、私もそっちが良かったわ」


 唇を尖らせる藍に、玄はフンと鼻を鳴らす。

 

「お前じゃあ、手加減できずに殺しかねないだろう」


 藍が朱や陌に留守番をさせられるのは、その性格の苛烈さと残忍さ故。制御できる神が不在の状態では何をしでかすかわからないから、玄の見張りと留守番という建前で玄と共に塔に閉じ込められているに過ぎない。

 

「さすがの私も、制約に触れるようなことはしないわ。あの方を無理矢理壊すような馬鹿げた真似も、ね」

「俺は、閉じ込められたままの荘厳な金の光を元に戻して差し上げようとしているだけだ。神界でも最高位に近いところに坐すべき方を、在るべき姿に戻す正しき行為だ。それは、お前らだって、望んでることだろう?」


 玄が言えば、藍はあからさまに呆れた顔になった。

 

「普通の人間ではなく、その器もまた、陽の御子様の御血筋だってこと、忘れてない?」

「お前も陌も止めようとしないくせに、こんな時ばっかり説教を垂れるな」


 直接手は出さないが、玄の行為を知っていて、何かと煩い朱や面倒な人界の者達への隠蔽を望む主に協力しているのが、藍と陌だ。


「器はあくまで器。しかも、いつか壊れる、な。お前や陌のように、放置して自然に壊れるのを待つか、俺のように、手を加えて壊れるのを手伝って差し上げるか、それだけの違いだ」

「あら、儚く壊れゆく姿と、その中から神聖さが再び生まれ出る様を見届けるのも、なかなか良いものよ。貴方は性急すぎるのよ」

「秩序の金の光こそが、俺の全てなんだよ」


 

 千年以上前。玄は人界に住む妖の子だった。人の世にもその狭間に生きる妖達の間にも、無法者が横行する混沌とした時代。

 

 玄に親は居なかった。気付けば一人。

 

 昼は日差しと人目を避けて暗闇に潜み、夜になると幼く弱かった玄は他の妖達に縋って生きていた。言いなりになり、虐げられ、人の屋敷に忍び込んで盗みを働く事もあった。人に見つかり刀を振り上げ追い立てられた夜も、度が過ぎ人界の妖を取り締まる日向の里の妖達に捕まり咎められた記憶もある。


 そこに、玄を救う者はいなかった。


 ある夜。玄は人同士の大きな戦があった場所に出た。打ち捨てられた物の中に使える物がないかを物色するために。鉄錆の匂いに満ち血に塗れた死体があちこちに転がる荒んだ光景。

 

 不思議だったのは、そこにぽっかりと開いた小さな黒い渦が浮いていたこと。


 それに、玄は魅入った。どす黒い穴の向こうに、見たことのないほど美しい金の揺らめきが見えた気がしたから。 

 それが秩序の神の金とも知らないまま、暗澹とした生からの救いを、無意識に神に求めたのかもしれない。


 黒の渦をくぐり抜けると、そこは闇の中。人界の戦場跡など比べものにもならないほどの濃い陰の気に、胸が押しつぶされそうな息苦しさがあった。


 闇の女神と陰の御子が広げた闇の深淵。


 呼吸をする度、取り込んだ空気が内側で重く大きく膨らみ身体を破裂させようとするかのような圧迫感。堪えられないほどの吐き気と割れるような頭痛。熱に浮かされたように朦朧とし、嘔吐を繰り返し膝を折りそうになりながら、フラフラとした足取りで、玄は必死に金を追った。


 普通であれば、その中にあって生きていけるわけがない。生き物は全て深い闇によって虚鬼になるか、死に至るのが常。けれど、幾つかの幸運が重なった。


 一つは、玄自身が他の妖よりも濃い陰の気を持っていたこと。もう一つは、結界の綻びが秩序の神の力に満ちた塔のすぐ側に発生したこと。玄が黒の渦を越え金を追いかけた先には、玄を闇から護る守護の力が漏れ出ていた。


「一体、どこから迷い込んだのだ?」


 身体を引きずるように歩みを進め、地面にしか視線が向かず、このまま自分は死に絶えるのかと思った頃。シャンと鈴の鳴るような声が聞こえた。


 見上げれば、聖なる光を纏うこの世のものとは思えないほど美しい存在が、全てを吸い込んでしまうような金の瞳で玄を見下ろしていた。

 

 自分の存在そのものを支配され鷲掴みにされるような畏怖。身体を蝕む苦痛も、荒んでいた心身の全てが浄化されていくような感覚。神仏の存在など信じたことはなかったが、これが神というものかと、強制的に理解させられた。


 気付けば、玄の頬に勝手に涙がこぼれていた。

 

「鬼の子ではありませんね。妖か?」


 神の側、白に赤の混じる髪の老婆の言葉に、玄がコクリと頷くと、老婆は困ったように神を見た。


「何処かに結界の穴があったのでしょう。元いた場所に戻してきましょうか?」

「いや、もう、人界から塞がれたようだ」


 感情の見えぬ声と表情で神は言う。


「もう、ですか? 陽の御子様の御子孫でしょうか?」

「そのようだな。妖の子を鬼の世に放つわけにはいかなかろう。次に綻びが見つかるまで、世話でもしておけ。陽の方の結界に我の力で穴を開ける気にはならぬ」


 秩序の神にとっては、ただの気まぐれ。普段であれば、そして結界に穴が空いたままであれば、玄は老婆――朱の言うとおりに人界に戻されていたのだろう。


 しかし玄は、幸運の重なりによって、秩序の神の塔に一時的に住まうことを許された。


 塔で生活する間、神に相まみえることはほとんどなかった。眷属達が周囲を常に護り、神自身も何処かに閉じこもったまま出てこなかったから。けれど、稀に見せるその姿を、玄は食い入るように見つめ、少しでもその目に焼き付けようと必死に求めた。


 それほど、一目見たあの瞬間に、玄の中の全てが秩序の神で埋め尽くされていたのだ。


 玄が育ち大人の妖になるまで、幾度も人界に戻る機は訪れた。けれど玄は、何かと理由を作っては、帰ることを徹底的に拒んだ。神のためにと、自分にできる全てのことをして尽くし、眷属達の信用を得、少しずつ神に近づく機を作っていた。


「いつまでも居座る気ならば、このまま眷属にしてしまったほうが良かろう。あのまま闇の中で死ぬ身だったのだ。制約にも触れぬしな」


 自分でも苦しい言い訳をして塔に居残ろうと足掻いた玄を見て、呆れた神がそう言った時、玄はどれ程、歓喜に打ち震えたか。この美しき光を自分に宿す栄誉を与えられたことが、玄にどれ程の至福を齎したか。


「貴方様の金の光に、この俺の全てを捧げます。秩序の神よ」


 押し殺しきれない無上の喜びに胸が痛み、指先と喉を小刻みに震わせながら、玄は眷属として神に頭を垂れた。


 しかし、眷属となり見えたのは、仕える神の置かれた立場の厳しさ。


 遠い昔、子である陽の御子と陰の御子の争いの果て。

 制約を破り地上の者の多くを殺した陰の御子を封印し、逆恨みによって封印されてなお闇を広げ続ける陰の御子自身と、それを外から助長する秩序の神の妻であり陰の御子の母である闇の方を押さえることに、秩序の神は多くの力を割いていた。


 子への憐れみと慈悲をもっと早くに捨てていれば、余計な苦労もなかったはずだ。しかし、神は子である陰の御子を滅ぼすことができなかった。


 そして、日に日に強大になる憎悪という名の闇は、秩序の神の手にも余るようになり、神はその身と力を削るようになっていく。秩序の神がその力と存在そのものを失っていくのに比例し、闇はどんどん強大になっていった。


 仕えた神の存在自体が削られていっているという事実を聞かされた時、玄は唖然とした。本当に僅かずつ、しかし確実に、日に日に存在を薄くしていく主の姿を目の当たりにする度に、玄の絶望は深くなっていった。


 何度も、その身を削るのをやめて欲しいと進言をした。けれど、受け入れられなかった。世の秩序を保つのが自分の役目、自分の子がそれを脅かしているのを放置はできないと。その瞳にあったのは、秩序の神たる高潔な金の光だった。


 秩序の神の存在の消滅が近づき、陰の御子の封印が解けるその日が間近に迫った頃、主が言った。


 自分の消滅前に、自分の力と存在そのものを移せる器があるかもしれぬと。陰と対になる、陽の御子の子孫の血を引く者。それが、なんの因果か、別の神の力を受けて半神になっていると。


 それが、日向奏太だった。


 秩序の神と陽の神の子孫。生まれ持った陽の力で闇を抑え、秩序の金の力を継ぐに値する者。秩序の神の存在を宿し繋ぎ止められる器。


 ただ、神が消えゆくのを待つしかないと思っていたところに、希望が見えた気がした。だから、玄も、恐らく朱達も、必死にその可能性にしがみついた。


 一時期、人の身に存在を委ねる必要があるとはいえ、闇を消滅させ、その身の中で再び力を蓄えれば、いずれ美しき聖なる金を持つ秩序の神は戻ってくる。そう信じて。


 器の力を借りて、闇を消滅させることはできた。闇の被害をもろに受けた鬼界はボロボロになったが、少しずつ復興していき、秩序の安定が図られていく。


 あとは、神の力が戻るのを待つばかり。


 けれど、秩序の神を継いだ日向奏太は、百年の期限を迎えても、頑なに神に回帰しない。神の力が戻るまでの間の仮初めの器のくせに、愛しき神を玄達に返そうとしなかったのだ。玄が焦がれる金を、聖なる神の力を、自身の身を保つ為に浪費までして。

 


「なあ、ここから出してくれよ。放っていれば、罪の意識に耐えかねてここに来るはずだったのに、いつまで経っても戻ってこない。あの方を、人界連中が足止めしているんだ」


 日向奏太を縋らせているのは、人界で勝手に作ってきた不完全な眷属共の存在だ。あそこまで痛めつけて回帰を促したのに、未だに人に留められているのだろう。さっさと奴らを始末しておくのだった。


「お前も、あの方に会いたいのだろう? 俺がお迎えに上がろう」

「嫌よ。朱に叱られたくないもの」

「なら、お前の隙をついて俺が勝手に出たことにしよう。闇の御方様がここに来たことにでもすれば、叱られたりはしないさ」


 玄の言葉に、藍はそっぽ向いていた視線をチラッと玄に向ける。


「この塔にお連れしさえすれば、お前が見たがっていた、儚く壊れ、その中から神聖さが再び生まれ出る様を見届けられる。俺が、今度こそ神の力を解放して差し上げるからな」


 そう言いつつも、傲慢に微笑む玄の脳裏に過ぎるのは、かつて遠く仰ぎ見るしかなかった至高の金が、玄自身の手に組み敷かれ、罰の恐怖に震え、涙に濡れる美しい姿。まるで麻薬のようなそれが、玄の胸底で、昏く、甘やかに疼く。

 

「うーん、どうしようかしら」


 少し揺らぎ始めた藍の様子に、玄は心の中でほくそ笑んだ。

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